第80話 王都郊外の陣
「陛下、聖騎士団の布陣が完了しました」
キネムドは跪き、頭を下げた。
視界には質の良い絨毯の毛並みが広がり、主君である国王アーブリス二世の顔は見えない。
「そうか」
頭上から響く主君の声が、キネムドの体に浸透していく。
その振動によってキネムドの魂に溜まった澱が消し去られ、浄化されていくのを感じた。
「やつらの様子はどうなっておる」
「は、王都郊外に陣を構え、部隊を展開しております。その数約二千ほどかと」
「こちらは?」
「リヒトムンドに命じ、同じく王都郊外に布陣させました。こちらは三千の兵を動員しております」
王都聖騎士団は最大で八千の動員が可能だった。しかし、今回ヴェトス国軍の動きの報告がはいったのがおよそ一か月前、たった一か月の期間では三千を組織するのが限界だった。
「彼我の戦力差は二対三、こちらが上回っております。それに指揮は歴戦の勇将リヒトムンド、万に一つも負けることはありますまい」
「ならばよい。あの魔族の小僧どもが軍にまぎれていないか確認させるのだ。見つけたら必ず捕らえよ」
「はっ」
キネムドは上目遣いに主君の様子を伺う。
王は涼しい顔をしていた。
あの傭兵騎士団の魔族を釣り出すために、罪人の処刑を布告したのだが、まさかヴェトス軍が釣れるとは想定外だった。
キネムドは大いに慌てたものだったが、比較的早期に情報を掴めたこと、常に一定の数の聖騎士を常駐させていたことが幸いし、迎撃軍を編成することができている。
最大戦力までは用意できていないが、数では大きく上回っているのだ。なにも心配することはなかった。
それなのに、あの臆病者のリヒトムンドは王都の外に布陣することに難色を示した。王都に閉じこもり、城壁を利用した防衛戦を行うべきだと主張したのだ。
聖騎士団は貴族で構成された、王都を象徴する騎士団である。臆病な振る舞いや、卑怯な戦いをすることは許されない。
今は出家の身とはいえ、キネムドも貴族家の出身である。それくらいのことはわかっていた。
(やつめ、これで負けるようなら更迭も考えなければならんぞ)
日頃からやや反抗的な副団長の顔を思い浮かべ、キネムドは苛立ちを感じた。
確かに戦では有能な将だが、言うことを聞かないのであれば意味がない。
幸い、他にも使える手駒はいる。首をすげ替えたとて問題は起こらないはずだ。
「アルフリクはどうしている?」
「は、二十名ほどを連れ、中央広場で公開処刑の準備をさせております」
アルフリク・エアドウルフ子爵は、いまやキネムドの腹心ともいえる存在になっていた。
林檎奪還の大事な餌となる、公開処刑を任せるに足る人材だった。
「処刑の実行は時を見定めるのだ。小僧が来ていないうちに殺してしまっては、餌としての意味がない」
「は」
「林檎もだが、あの小僧は必ず捕らえねばならん。何がアウレクスの再来だ。ここは余の国なのだ。魔族などに奪われてはならん」
「心得ております」
主君の言うとおりだ。この方がおられてこそ王都アウレクスたりうるのだ。神と民のために、世を乱す者は誅殺する。それが公爵だろうが、英雄だろうが関係はない。当然、魔族の汚らしい子供などは、捻り潰さねばならない。キネムドは己の使命を改めて確認し、玉座に座る主君に対して深く頭を下げた。
◇
リヒトムンド・ワーガル伯爵は目の前に布陣した三千の兵たちを眺めていた。
急ごしらえの編成だったが、なんとか開戦までに布陣を終えることができ、格好はついたというところだ。
「とはいえ、ここからが正念場なのだがな」
本陣で独りごちる。
昨晩、王都郊外に現れたヴェトス軍とは草原を挟み睨み合っている状態だ。
こちらの兵力は約三千、およそ二千ほどのヴェトス軍を五割も上回っている。それでも、リヒトムンドは厳しい戦いになると見ていた。
(数は上回っているとは言え、向こうは全てが一級品の魔法の使い手と見ていい。勝つのは難しいな)
リヒトムンドは自軍の将兵たちに目をやる。
隊列が不揃いな部隊に、部隊長たちが叱責を飛ばしているのが見えた。
リヒトムンドは徐々に隊列が揃っていくのを見ながら、再び思索に戻る。
防衛戦ならば、城壁のある王都への籠城するのが最善手、そう進言はしたのだが戦に疎いキネムドには臆病風に吹かれたと取られてしまった。
誉れある聖騎士団が卑怯な戦いをすることは許されない。華々しく勝ち、国王陛下に聖騎士の矜持を見せねばならん。
聖騎士団長でもあるキネムド教皇にそう一蹴され、リヒトムンドはこうして王都郊外までやってきた。
「閣下、全部隊の布陣、とどこおりなく完了しました」
伝令兵が直立不動でそう告げる。始まるのだ。
「では、別命あるまで待機。ダレさせるなよ。敵はいつ攻めてくるかわからん」
「はっ!」
敬礼をし、くるりと振り返ると、再び指示を伝えるために伝令兵はその場を去った。
「さて、なんとかやってみるか」
リヒトムンドは重い腰をあげ、開戦を告げるために歩き出した。
◇
軍議は軽やかに終わった。
ヴェトス軍本陣の天幕には、各部族の族長が集められ、ヴェトス、エンリック両軍を模した模型が並べられる中、総指揮官である国王アウグスが次々と指示を出し、各族長が了承する形で進んだ。
ヴェトス軍は基本的に部族単位の軍を編成する。
中央には国王を擁するラティオナル族が配置され、その前衛にフリオニン族、右翼はフォヴォレナ族、左翼はフェロナル族が固める。
ウィルたちスペドラ族は、長らくの族長不在によって族軍が未編成のまま時が経っており、軍と呼べるほどの兵数を用意することができなかった。
そのため、ドラヴァル率いるフェロナル族軍の一部隊として左翼に展開することになった。
反対側の右翼では族長家が行方不明となったウンブラリア族兵が、少数部隊としてフォヴォレナ族軍に参加している。
「敵の軍容は明らかではないが、数はおよそ三千。なかでも特に注意すべきは中央に配置された聖騎士たちだ。聖騎士は強い」
「だが、我らほどではない!」
赤い髪を短く刈り上げた大男が不敵に笑う。
確か、フリオニン族の族長だったはずだ。その姿は誰かに似ている気がしたが、ウィルはそれが誰だったか思い出せなかった。
「そうだ。一般の聖騎士ならば、こちらが油断しなければ勝てるだろう。だが多少骨のあるやつも混ざっている。聖騎士たちと最初にぶつかるのはフリオニン族だ。油断するなよ」
「やつらを粉々に打ち砕いてくれる」
両拳を打ち合わせるフリオニン族長の好戦的な言葉が天幕に響く。
「各々が先程伝えた役割を果たせば、敵軍を撃破するのは難しいことではないはずだ」
続けたアウグスの言葉に、それぞれの族長たちが了承の意を伝える。
「ではこれで軍議は終わりだ。各員持ち場に戻れ」
族長たちが席を立ち天幕を後にする中、ウィルは一人残り、アウグスに声をかけた。
「アウグス陛下」
「ウィル君か。どうしたね?」
「陛下にお願いがあります」
「何かな」
「王都の街や市民に手を出さないでほしいんです。戦争だということはわかっています。だけど……」
「ふむ」
「俺はあそこで育って……あそこにはたくさんの人が住んでいます! ヴェトスに友好的な人たちも多くいました。そんな街が壊されて人が死んでいくのは見たくない」
「気持ちはわかるが、我々はそれを以前やられている。ロマの惨状は君も見ただろう」
「……見ました。だからこそ――」
「それは少し都合が良すぎるのではないかな? 我々ヴェトスは被害を受けたが、王都はそうはなりたくないというのは釣り合いが取れない」
「それは……そうです。でも……だったら、これならどうですか。報復はさらなる報復を呼ぶ、復讐の連鎖は止めなくちゃいけない! これを最後の戦争にするんです!」
「……」
「陛下!」
「そういうことならば一理はある。私とて戦闘狂というわけではないからな」
アウグスも椅子から立ち上がる。
「よろしい。族長たちに伝令を送っておく。市街への被害はなるべく抑えるように、とな。だが、これは戦争だ。まったくの無傷というわけにはいかない。それはわかっておいて欲しい」
「はい、受け入れていただいてありがとうございました」
「なに、かまわんさ。もし、王都制圧ということになれば、我々がここを統治することになるのだからな。余計な恨みは買わんほうが後々やりやすい」
ウィルは一礼し、天幕を後にした。
スペドラの陣へ歩を向ける。
アウグスはああ言ってくれたが、実際にヴェトスの兵が自重してくれるかは微妙なところだ。
前の戦争で肉親の命を奪われた者も多くいる。親の仇を目の前にして、理性的であり続けることは強い忍耐が必要だ。
ヴェトスの王と部族の主従関係は、王国ほど強くはない。指示を聞かないということもそう珍しいことではないのだ。
「それでも、何もしないよりはましだ」
先王の子といっても、ヴェトス兵に対して影響力があるわけでもない。今ウィルにできることはお願いすることくらいだった。
ふと気づくと目の前に誰かが立っていた。見上げると、よく見知った顔がウィルを見下ろしていた。
「おい、ウィル。顔が暗いぞ? 緊張してんのか?」
フェロナル族族長、自称ウィルの義理の母ドラヴァルだ。
今回ウィルたちはドラヴァルの軍の傘下に入ることになっている。
ドラヴァルはいわば自軍の大将といったところだ。
「ドラヴァルさん」
「緊張すんのはわかるけどよ、下向いてると視野が狭くなって思わぬところから刺されちまうぞ?」
「笑えないよ」
「はは。ちょっとお前に用があったんだ。ツラ貸せ」
そう言ってドラヴァルは先に歩いていく。
向かった方向はスペドラ族の陣だった。
ドラヴァルは到着すると、部隊長のもとに向かう。
スペドラの部隊長は、長老会の最年少の男性だった。長老会に入っているとは言え、歳はまだ五十代。まだまだ現役で実戦もこなせる人物だ。十二年前の戦争にも将軍として参加した経験がある。
「よお、ちょっといいかい?」
ドラヴァルは気さくに声をかけた。
部下と打ち合わせをしていた部隊長は、話を止めドラヴァルに応える。
「ドラヴァルか。どうしたんだ?」
「頼みがあってな。おい、ウィル、早く来い」
遅れていたウィルは、小走りになってドラヴァルのもとへ向かう。
「このウィルと、あとフローラとセオルな、俺の直衛にしてえんだ。かまわないか?」
「……ウィル様はスペドラに唯一残された族長家の血を引くお方だ。なるべくなら我々が護衛したいが」
「だがよ、こいつらにはやるべきことがある。あん中でな」
ドラヴァルが親指で自分の背中側を指し示す。その先には王都アウレクスの城壁がそびえていた。
「あんたらでも、ウィルたちの護衛はできるだろうが、市街に突入まではできねえだろ? 俺なら連れていってやれる」
「そういうことか。それならばしかたない。だが、さっきも言った通り、ウィル様はスペドラにとって大事なお方だ。くれぐれも頼むぞ」
「おうよ」
ウィルが一言も喋る間もなく、配置が変わってしまった。
だが、自分たちの目的を考えるとこの方がいいのは間違いない。
「ドラヴァルさん、ありがとうございます。俺からもよろしくお願いします」
「任せろ。必ずお前らをあの壁の向こうまで連れてってやるよ。じゃあ、俺は自陣に戻るからフローラとセオルを連れてあとで来てくれ。開戦に遅れるなよ」
そう言うと、ドラヴァルはフェロナルの陣に向かって歩いていった。
周囲は慌ただしく動いている。
遠く目を凝らすと、白銀の鎧の集団が横に広く隊列を組んでいた。
砂混じりの乾いた風がウィルの頬を荒々しく触っていく。
戦争が始まる。
ウィルはこれから戦場となる草原を睨みつけると、舌に湧いた唾を飲み込んだ。
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