第77話 ホーム
アウレクスは走っていた。
木々が生い茂る暗い森は、張り出した枝や茂み、地面から盛り上がる根が行く手を阻み、敵を引き離すことができない。
星あかりも届かぬ暗い闇のせいで、少しの先も見えず、突然現れる曲がりくねった枝をすんでのところで避けながら、脚を動かした。
「くそ! いつまでも追ってきやがる」
アウレクスから少し離れたところで木の幹が弾ける。
魔法による狙撃だ。
直撃こそしなかったものの、かなり近い場所に着弾している。
おおよその位置はすでに把握されているのだ。
「くっ」
驚いて一瞬止まっていた脚を再び進ませる。
こちらも魔法を使ってなんとかしたいところだが、発動の際に発生する淡い光は闇に沈むこの森の中では良い目印になるだろう。
こちらの正確な位置をわざわざ教えてやるようなものだ。
今は自分の足だけでなんとかするしかない。
突然、目の前に開けた空間が現れた。
木立が途切れ、ぽっかりと広場のようになっている。岩盤が露出しているせいで樹木が根づけなかったのだろうか、星あかりが降り注ぎ、明るく見通しの良い場所だった。
こんなところに飛び込めば、たちまち視認されてしまう。避けて通るしかないが回り込んでいては距離を詰められてしまうだろう。
(どうする? どうすればいい)
アウレクスは広場の手前で足を止め、ほんの一瞬あたりを見回す。
手近に大ぶりの茂みを見つけたアウレクスは、その中に飛び込んだ。
細かい枝がざりざりと肌に傷をつける。不快だが今は我慢するしかない。
「どこへ行った!」
「見失ったのか?」
「音は追えていた。だが、広場の前で途切れた」
「どこかに隠れていやがるんだ! 探せ! このあたりにいるはずだ!」
追っ手の会話に聞き馴染みのある独特のイントネーションが滲む。
(またスペドラのやつらか)
里を出て以来、アウレクスはスペドラ族の刺客に命を狙われてきた。
遭遇するたびに、返り討ちにしたりなんとか煙に巻いてきたのだが、今回は少々手こずっている。
今までの失敗に族長が業を煮やしたのか、今回はかなりの人数が投入されていた。
十人を超える人数でこられては、戦って返り討ちになどできるものではない。こちらはたった一人なのだ。
「木の上、足元の茂み、よく確認しろ! やつは人を殺すことをなんとも思っちゃいない。不意打ちには十分気をつけるんだ!」
遅れていた追っ手たちも合流し、この場でアウレクスの捜索を行うようだ。
十数人が手当たり次第に、付近の茂みや木の上に魔法を打ち込んでいる。
(くそ! 勘弁してくれ……)
重なり合う葉の隙間から、追っ手の姿が見えた。少し離れた茂みに、銀色の剣身を差し込んでいる。
あんなことをされてはたちまち見つかってしまう。かといって、今飛び出せばよってたかって殺されてしまうだろう。
状況はかなりまずい。絶体絶命と言えた。
がさり、と、背後で音が鳴る。
アウレクスが潜んでいる茂みの後ろ、アウレクスの背後に人が立つ気配があった。
(まずい)
このままでは、背後から剣を突き立てられてしまう。恐怖に指先が震えた。
(神よ! 頼む、なんとかしてくれ!)
運よく剣が自分を避けてくれるのを祈るしかない。
ザシュ、と音を立てて剣が茂みに突き入れられた。
左の頬に鋭い痛みが走る。
剣身はアウレクスの顔の直ぐ側を突き抜け、頬に一筋の傷をつけていた。
ゆっくりと引き抜かれる剣を、見開いた目で横目に見ながら、アウレクスは息をひそめる。
心臓が早鐘を打つように激しく脈打っていた。
(諦めてくれ! 諦めろ! ここには誰もいない!)
目を閉じ、必死に祈る。
「ここにもいないか」
背後で追っ手の声が聞こえる。
(そうだ! あっちへいけ! ここには誰もいないんだ!)
「あん? なんで剣に血がついているんだ?」
アウレクスは立ち上がると同時に腰の剣を引き抜き、回転する勢いのままに背後の追っ手に斬りつけた。
追っ手の男の喉元から赤い血が吹き出し、アウレクスに降りかかる。
アウレクスは男に体をぶつけ、後ろに倒れ込ませると、すぐ近くにいた別の男に向かって剣を振り下ろした。
二人目の男も抵抗もできず、絶命する。
「なんの音だ!」
「いたぞ! あそこだ!」
「取り押さえろ!」
周囲から次々に声が上がる。
アウレクスは紋様を発動させ、顕現した触手を伸ばし頭上の枝に巻き付けた。
そのままスイングの要領で別の刺客の元へ向かい、彼女の頭上から襲いかかる。
肩口から腹の辺りまで切り裂かれた女は声ともつかない声を漏らし、森の地面に倒れ伏した。
アウレクスは別の気配を感じ、とっさに剣を差し出す。
甲高い音と火花をちらし、アウレクスの剣は襲いかかってきた刺客の剣を受け止めた。
◇
鉄臭い血の味が口内に広がっていた。
湿気を帯びた腐葉土が広がる地面に顔を押し付けられ、後ろ手に捻り上げられた肩に痛みが走る。
「どけ! 殺してやる!」
追っ手の誰かの叫びが聞こえた。
「待て! 族長の命は生け捕りだ。殺してはならん」
アウレクスを押さえつけている男が頭上でそれを止めている。
「しかし! ガイウスもマルキアもこいつに殺された!」
「ダメだ! 生かして連れて帰るのだ!」
あのあと、五人まではなんとか屠ることができたが、やはり多勢に無勢、取り囲まれたアウレクスはよってたかって斬られ、殴られ、取り押さえられた。
広場に引きずり出されたアウレクスは、うつ伏せに地面に押さえつけられ、周囲を追っ手に囲まれている。
「貴様が里から持ち出した物を取り返しに来た。持っているなら渡せ」
上から声がかけられる。
「さあ、なんのことだかな――ぐぅっ」
背中に膝が押し付けられる。肋骨がメキメキと音を立てた。
「出せ! 宝物はどこにある!」
「これは俺のものだ! 自分のものを持ち出して何が悪い!」
後頭部に衝撃が走る。一瞬意識が遠のきかけた。
「スペドール神からの賜り物を私物化するなど! あれは貴様のものではない!」
「違う! 俺がもらったんだ! 俺の力だ!」
「何を言うか! 盗人が!」
捻り上げられた腕に、更に力を込められる。構造上動き得ない方向へ腕を曲げられ、肩に強い痛みが走った。
この世界に生まれる前、あの白い空間で天空にあった巨大な目は、アウレクスに力を与えると言っていた。
だが、いざ生まれてみるとそのような力は感じられない。
アレックスのときは使えなかった魔法が使えるようになってはいたが、それはこの世界の生き物はなんであろうとできることだ。
ここでは鼠でさえ、魔法を使って狩りをする。
族長家の次男として生まれ、恵まれた立場に育ったアウレクスは、幼い頃こそなんとか里に馴染もうと努力はしていたが、元来人付き合いは苦手な性格だったことが災いし、徐々に里から浮き始めていた。
族長家の跡取りであるアウレクスの兄は出来が良く、何をやらせても成果を出す男だった。
アウレクスも族長の子、魔力は一般のヴェトス以上のものを持ってはいたが、中身はアレックスである。体が変わっても頭の回転が良くなることはなく、人並みに少し足りない程度の能力では、兄に水を空けられる一方であった。
発動した族長家の力もこれまでスペドラには発現例のない触手の力ということもあり、里の民は気味が悪いとアウレクスから距離をとるようになった。
兄と比較され、鬱屈した気持ちが溜まっていく。
外に出れば影口の的となり、家でも冷遇が始まっていた。
もうすぐ成人を迎えようかというある時、里で密かに祀られている宝物の存在を知った。
聞けばアウレクスが生まれる少し前に、突然里に現れたらしい。
アウレクスは確信した。これだ。これこそが自分に与えられた力だ。
里が寝静まった深夜、アウレクスは家を抜け出すと宝物が納められている祭壇に向かった。
見張りも置かぬ無防備さを内心で馬鹿にし、祭壇から宝物を掴み取る。
そのままアウレクスは家に戻らず、里を抜け出した。
この世界に転生してからのち、アウレクスはスペドラの里を出たことがなかった。
新しい世界、前世にはなかった魔法という強力な力もある。
アウレクスは新たな人生がようやく始まったとばかりに、諸国を旅して回った。
時折襲い来るスペドラからの刺客を迎え撃ち、様々な村や街を訪問した。
しかし、どこへいっても余所者であるアウレクスを受け入れようとするところはなかった。
普段見かけない者は警戒の目で見る。自分にも覚えはあった。世界が変わろうとも、群れて暮らす人間の本質は変わらないようだ。
ドワーフたちの集落を後にし、これからどうするかを考えていたところに、新たな刺客に襲われた。
「探せ! 荷物の中にあるはずだ!」
アウレクスの背嚢をスペドラの民が漁る。
男が中から淡い光を放つ珠を取り出した。
「やめろ! それは俺のものだ!」
アウレクスはなんとか取り返そうともがくが、がっちりと押さえつけられていてはその望みは叶わない。
あれは自分がもらったものだ。
家もなく、居場所もない。唯一自分が所有できているのがあの宝物なのだ。
あれをも奪われてはアウレクスには何も無くなってしまう。
「やめろーーー!」
『ならば、早く使え』
地響きのような、雷鳴のような声があたりに響いた。
「なんだ! 誰の声だ!」
およそ人のものとは思えぬ力を感じさせるその声に、スペドラの民たちがざわつく。
「お、おい……あれ……」
スペドラの民が指し示す空に大きな二つの目が浮かんでいた。
『お前に授けた力だ。使わぬまま再び命を落とす気か?』
アウレクスは首を捻じ曲げ、空に浮かぶ目を見る。
あのとき見たものと同じだった。
「使えったって、どうやれば……」
宝物を奪って以来、何度か調べてみたこともあったが、その使い方は全くわからなかった。
濃密な魔力は感じるが、だからといって何がどうということもない。
結局アウレクスはお守りのように、宝物をずっとしまい込んできた。
『それはお前のために調整したものだ。命じればいい』
「命じればって……くそっ! 宝物よ! 俺に力を与えろ! こいつらを一掃する力を! すべてを手に入れる力を寄越せ!」
アウレクスの叫びに呼応したのか、宝物が強い光を放つ。
「なんだ!? うおっ」
宝物を持っていた男が弾き飛ばされた。そのまま宙に珠は浮かんでいる。
光は徐々に強さを増し、あたりは真っ白になっていく。
「うわあっ」
「何が起こって――ぐあっ」
眩い光のなかで、スペドラの民の悲鳴だけが聞こえてくる。
光が収まり、あたりの様子がわかるようになると、アウレクスは自分が起き上がっていることに気づいた。
アウレクスを押さえつけていた男は地面に倒れ込み、ピクリとも動かない。
手足があらぬ方向へ曲がっていた。
「何が起こったんだ」
自らの両手を見つめる。そこには輝く珠があり、同じように輝く自分の掌があった。
両腕には覚醒時とおなじ紋様が走っている。しかし、いつもと様子が違った。
純白の翼がアウレクスを包みこんでいた。
翼越しにスペドラの刺客たちが見える。何が起こっているのか理解が及ばないのだろう。彼らは遠巻きに様子をうかがっていた。
アウレクスは翼を一気に開いた。
こぼれ落ちた羽根があたりに散らばり、幻想的な光景を作る。
「は、はは、こりゃすげえ」
自身の中にとてつもない大きな力を感じた。ヴェトスだったときの体内魔力とは比べ物にならない力だ。
さらに、今までになかった知識が頭の中にあるのがわかる。
様々なものの仕組みから、世界の作り方、ありとあらゆる知識が脳内を駆け巡っていた。
「こんなの――もう神様じゃないか。今の俺にできないことは何も無い。それがわかる!」
アウレクスは翼を広げたままくるりと一回転した。
翼から飛び出した羽根が神気を纏い、生き残りの刺客へ殺到する。
強大な力が刺客たちの体を打ち抜き、広場に立つものはいなくなった。
『それでいい』
天空の目が再び語りかけてきた。
『その力を使い使命を果たせ』
「使命? 使命とはなんだ!」
『我らを裏切り、この大陸へ逃げた者がいる。大陸へ閉じこもり、自らの望むとおりに作り変え、裏切りの罪などなかったのように振る舞う者がいる。その者を見つけ出せ』
「見つけてどうするんだ」
『殺せ! 何千年、何万年経とうと、罪は消えることはない。それがお前の使命だ。やつを見つけ出し、その首を取れ! そのためにお前を送り込んだのだ。使命を果たせ』
「わかったよ」
『力はそのために与えたのだ。使命を忘れるな』
そこまで言うと天空の目はその姿を消した。
「使命だと? そんなものどうでもいい」
顔もわからない、どこにいるかもしれない者を時間をかけて探しまわるなどまっぴらだ。
この力があれば何でもできる。
アウレクスは手の中にある宝物に目を向ける。
掌に収まるそれは輝く林檎のように見えた。
「知恵と力を授けるか。まさに知恵の実だな」
アウレクスは覚醒を解くと、林檎を背嚢にしまい込む。
「作れる。居場所はもう見つけなくてもいい。居場所も、民も、国も作ればいい。この力があればそれができる。はは、はははは、はあーっはっはあ!」
ひとしきり笑い声をあげると、アウレクスは広場を後にした。
次の目的地は大陸南西の平原地帯。そこに新たな国を立てるのだ。
神の力があれば、国民も自らが作ることができる。
この世界には人間がいない。人間を作ろう。そして、王である自分を崇めさせるのだ。
国の名はエンリック。それは古い言葉で『居場所』を意味した。
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