第75話 エコーチェンバー
大陸最大の人口を誇り、絢爛たる王宮を抱える王都アウレクスも最初からそうだったわけではない。
建国王アウレクスが神化を成し遂げ、その力を使って新たな種族『人間』を生み出した頃、ここは小さな集落に過ぎなかった。
初めに生み出された二十人程度の人間たちは、よく働き、協力して自分たちの生活を立ち上げていった。
アウレクスは彼らを慈しみ、愛で、それぞれに名を与えた。
「あら」
集落の中央にあるアウレクスの館から少し離れた小さな家で、エミリーは床に入る準備をしていた。
すでに日は暮れ、あたりは暗くなっている。
明日に備え、寝台に入ろうとしたところ、扉を叩く音がした。
「どなた?」
寝衣に一枚羽織り、扉を開ける。
そこに立っていたのは一人の男だった。
「アウレクス様」
アウレクスは勝手知ったるとばかりにずかずかと上がり込み、居間の椅子にどさりと腰掛けた。
「どうしたの? こんな遅くに」
扉を閉めたエミリーは、台所に向かった。樽から麦酒を汲み火にかける。
アウレクスからは何も返ってこなかった。
温まった麦酒を木椀に注ぐ。エミリーは居間に戻ると、テーブルについているアウレクスに差し出した。
「今日は泊まっていく?」
「……ああ」
アウレクスは椀を掴み、麦酒を啜る。
アウレクスの向かいの椅子に腰掛けたエミリーは、微笑みながらそれを見ていた。
エミリーは第一世代の人間だ。だが、同世代の中でも創造されたのは遅い時期だった。
アウレクスは最初に創造した十人程度の人々とともに、この平原に集落を作った。それぞれに名と役割を与え、生活を始めたがそれはうまく回らなかった。
狩猟、開墾、防衛、建築、工作。仕事の多さに比べて人数が足りなかったのだ。
改めてアウレクスは新たに十人の人間を追加で創造し、名と役割を与えていった。エミリーはその中の一人だ。
新たに創造された人間たちは、狩りに出る者、農作業と開墾に従事する者、道具を作る者、と、それぞれ与えられた役割をこなし、集落の生活は安定していった。
エミリーの役割はその中でも少し特殊なものだった。
「オーレリア様と喧嘩したの?」
アウレクスは目を合わさない。
「……うるせえよ」
再び麦酒をあおり、ぼそりとつぶやいた。
この頃すでにアウレクスは自らの役割を王と定めていた。
もう神になっているのに、あえて王を名乗る理由はエミリーたちにはわからなかったが、彼がそう言うならそのように、というのが彼女たちの認識だった。
王であるからには王家を興し、子孫を残さねばならない。
そのために創造されたのが、アウレクスの妻、オーレリアだ。
正しい妻と書いて、正妻。王妃オーレリアは、国母として王家と国を守るように作られ、まさに正しくふるまった。
エミリーは椅子から立ち上がると、アウレクスの後ろにまわり、癖のある金髪をたたえた頭を優しく抱いた。
アウレクスがエミリーにもたれかかる。
エミリーは微笑みながらアウレクスの髪を撫でてやった。
「……あいつは、一々細けえんだ。事あるごとに小言を言ってくる。やれ仕事の時間だ、やれ振る舞いに気をつけろ。今日は立ち方にまで文句をつけられた」
「あなたには少し窮屈なのかもね」
アウレクスは頭の悪い男ではない。成績は良い方ではなかったが、知識は人並み以上に持っていた。
王家を興すとなった時、アウレクスはその知識を活かし、正しい王家を作ると決めた。上等な服、豪華な食事、そして規律ある生活。儀式を行い、政に精を出す。
彼にとって王とは、ただふんぞり返っているだけの存在ではない。
民の生活を守り、整え、民のために働く。伝統を作り、それを守り伝えていく。それが王たる者の務めだと考えていた。上に立つ者には貧しさや苦難から民を守る責務があるのだ。
かつて彼が貧しかった頃、国を治める者にそう期待をしていた。そして自らがその立場になった今、自分が期待した為政者になろうとしたのだった。
王妃オーレリアを始め、王家に仕える役割を与えられた者たちは、アウレクスの期待通りの働きをした。
そしてそれは、残念ながら彼の性格にはあわなかったようだ。
「規律、規律。一日のすべてが決められたとおりに進んでいく。本当にうんざりだ」
アウレクスが自らが求めた規律に不平を漏らしている。言行不一致ではあるが、エミリーはそこに嫌悪を抱かない。
彼女はアウレクスに慰めを与えるためにいるのだ。エミリーの役割はアウレクスの愛人だった。
「そうね。つらくなったらいつでも私のところに来て。アウレクス様」
エミリーは慈しむようにアウレクスの髪に頬ずりをする。
アウレクスはエミリーの背中に腕を回し、エミリーの胸に深く顔を埋めた。
不意にエミリーの体が持ち上げられる。
床から足が離れ、なされるがまま、エミリーは寝台へと運ばれた。
◇
アウレクスの広い肩にエミリーは頭を預け、眠るように目を閉じていた。
先程まで激しく脈動していた鼓動は、だんだんと落ち着きを取り戻している。
快感の余韻と疲労感がエミリーの体を包んでいた。
直接触れる肌が、高まったアウレクスの温もりを伝えてくる。
神にも体温はあるのだ。
エミリーは目を開き、傍らにある男の顔を見上げる。アウレクスは考え事でもしているのか、宙を見つめていた。
「ねえ、アウレクス様」
「ん」
アウレクスはエミリーに目をやる。
「あなたの背中に生える翼、とても綺麗で私は好きよ」
「そうか」
「あの綺麗な翼があなたの本当の心を現しているのだと思う。あなたは素敵な人よ」
「ああ」
エミリーは少し体を起こし、アウレクスの顔を覗き込む。澄んだ瞳がエミリーを見つめ返している。
「ねえ、どうして鳥の羽を背中から生やそうと思ったの?」
「どうしてって……パワーアップの時に翼を生やすのは定番だからだろ」
「ぱわーあっぷ?」
聞き慣れない言葉。アウレクスはエミリーと二人だけの時には、時々こういう言葉を使う。彼が独自に生み出した言葉なのだろうか、それらはエミリーが初めて聞く響きのものばかりだった。
自分たち生き物さえ創造できる神の力を持つアウレクスが、新たな言葉を生み出してもなんら不思議なことではない。
「そうさ。金髪になるのもいいが、俺はもともと金髪だからな」
そう言って、笑顔になるアウレクスだったが、エミリーにはどこが面白いのかわからなかった。
「エミリー、お前はそうやって俺のやることに興味を持ってくれる」
「ええ」
「他の奴らは従順に言うことを聞くか、与えられた役割をこなすだけだ。でも、お前は違う。自分の意志で俺に興味を持ち、愛してくれる」
「そうね」
「なあ、エミリー」
アウレクスがエミリーの頬に手をやる。
「お前に名をやる」
「私にはあなたがくれた、エミリーという名前があるけど」
「そうじゃねえ。やるのは家名だ。お前は今からこの国の貴族だ」
「きぞく?」
「国と王家に仕える位の高い者のことだ。お前は明日から館にきて政に参加してくれ」
「私が? できるかしら」
少し不安げな表情になったエミリーの頬がアウレクスに優しく撫でられる。
「今この国では決められた規律に沿ってすべてが動いている。でも、それじゃあ国が停滞してしまう。変えなきゃいけない所は変えないと発展していかないんだ。だが、俺一人がそれを言っても、オーレリアたちは聞き入れやしない。自分たちの役割に固執しているんだ。ここは俺の国だ。全てのことは俺が決める。エミリーは俺の側にいて、それを手伝ってくれないか」
「……わかったわ。あなたがそう言うなら」
「いい子だ」
アウレクスは体を起こし、エミリーに口づけをした。触れ合う唇の感触がエミリーに言いようのない幸福感を与えた。
そのまま寝台に座り込むとアウレクスは何やら考え始めた。
「お前の家名は、そうだな……」
腕を組み、唸るような顔で何かを考えている。
「守護者……管理者……ウォーデン、ウォーデン…………ウォーデンブラウンにするか」
「ウォーデンブラウン」
「ああ、ウォーデンというのは、守護者とか管理者って意味だ。ええと、異界にいる守護者の名だ」
「ブラウンというのは?」
「……ブラウンは……俺のことだ。アレックス・ブラウン。それが本当の俺の名だ」
「本当の名?」
「ああ、ウォーデンブラウンというのは、ブラウンを守護する者という意味だ。エミリー、俺にはお前が必要だ。ずっと側にいてくれ」
「わかったわ。私はこれからエミリー・ウォーデンブラウンとして、あなたを守る」
「ああ。これからは俺のことはアレックスと呼べ。もちろん二人のときだけだ」
「わかったわ。アレックス」
アレックスがエミリーの裸の腰に腕を回す。そのまま抱き寄せられると再び二人は口づけを交わした。
互いに求め合う二人の抱擁は夜がふけるまで続いた。
◇
エミリーはウォーデンブラウン公爵として、政治に参加していくことになった。
その後、エミリーの中に宿ったアウレクスとの子が後のウォーデンブラウン家へと続いていくことになる。
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