第67話 公爵の苦慮
王都アウレクスの北側には、貴族たちの私邸が立ち並ぶお屋敷街がある。
屋敷の大きさは様々だが、どれも庶民にはまったく手が届かない豪奢な建物であることは変わりがなかった。
その中でもひときわ大きい屋敷がウォーデンブラウン公爵邸だ。
国王の側近であるウォーデンブラウン公の屋敷は、数十の部屋を備え、広い庭を抱えている。
すでに日も落ち、あたりが闇に沈んだ夜、屋敷の三階の窓から魔法灯の灯りが漏れていた。
そこは当主エセルガー・ウォーデンブラウン公の私室であった。
執務机についたエセルガーは、ため息をつき背もたれに体を預けていた。
眉間には深い皺が刻まれ、このところの心労が表情に現れている。
水差しからグラスに水を注ぎ、ぐいと呷った。
ウォーデンブラウン家はエンリック王国の建国時から、王の側近中の側近として権勢を極めてきた家だ。
王国で初めて貴族の地位についたと言われる、エミリー・ウォーデンブラウン公以来、当主たちは代々の王の側に仕え、王国を影から日なたから支えてきた。
エセルガーもその父も祖父も、例外ではない。
だが、あの霊廟で起こった事件以降、その伝統は失われてしまったようだった。
あれから一月半、王は自分を遠ざけている。そう思えるほどに王と会うことがかなっていない。
以前は日に何度も顔を合わせ、会議で政策などの検討を重ねたものだったが、今はそれも無くなった。
王は自分の代わりにキネムド枢機卿、いや、キネムド教皇と頻繁に面会をしているようだ。
一度、強引に目通りを迫ったことがある。
謁見が行われている小広間に乗り込み、王と対話を試みたのだ。
その時の王は表情一つ動かさず、近衛にエセルガーをつまみ出すように命じた。
こちらの話は一切聞かれず、両腕を近衛に抱えられ、広間から連れ出された自分の姿はさぞ滑稽だっただろう。
あのような、無体な扱いは生まれてこの方受けたことがなかった。
「閣下」
自分以外誰もいないはずの室内から声をかけられ、驚いたエセルガーの体がびくりと跳ねた。
「驚かせてすまないね。あたしだよ」
姿を見せたのは傭兵騎士団の斥候、エルフのフェイだった。
フェイは確か、あのエルフの娘の亡骸とともに、シルウェに帰っていたはずだ。
「お前か。勘弁してくれ。フェイ、いつ戻ったのだ」
「王都についたのは今朝だよ。噂は流れてきてたからね。聖騎士団に見つからないように、夜まで待ってたんだ」
「アルドには会ったのか?」
「いや、あっちは監視がきつすぎた。忍び込めなかったよ」
「そうか」
エセルガーは立ち上がり、棚からワインの瓶とグラスを取り出す。
注いだワインをフェイに差し出した。
「いや、あたしはいい」
エセルガーは肩をすくめ、ワインを口に含む。
フェイは応接用のソファに腰掛けた。
「一体何が起こってるんだい? あたしがいない間に、傭兵騎士団は聖騎士団に押さえられ、外街はもぬけの殻だ。おまけにリンを除く大聖祭に参加した面々が罪人として手配されてる」
「ああ」
「メアは王宮に捕まってるんだろ? 無事なのかい?」
「無事……だと思う。私も確認できていないのだ。だが、騎士爵とはいえ爵位を持つ者をそう簡単に害することはできないはずだ。事故による獄中死として処理するにも管理責任が問われるからな」
「まいったね。王宮はどうなんだい」
「……」
エセルガーがグラスを机に置く。
「今の状況を作っているのはおそらく陛下とキネムドだ。教皇になったやつが何かを吹き込んでいるのかもしれん」
「やっぱりキネムドが教皇になったのか」
「ああ。私は今、王から遠ざけられている。目通りもかなわん。王は変わってしまわれた。あの気さくで、ほがらかだった姿は見る影もない。せっかく来てもらったが、お前に渡せる情報もほとんどないのだ」
「これからどうするんだい?」
「お前はどうするのだ」
「あんたら次第だね」
エセルガーがフェイの向かいに腰掛けた。
「ならば、彼らを、ウィル君たちを探してくれ」
「ウィルたちを連れ戻せばいいのかい?」
「王は何かを探している。あの大聖祭の事件で何か大事なものが無くなったようなのだ。状況からして、彼らが持ち去った可能性がある」
「その何かを手に入れてくればいいんだね」
「そうだ。おそらく王宮も同じように考えているはずだ。メアウェンは人質のつもりなのだろう。こちらが先にそれを押さえられれば、我々に有利に働くはずだ」
「王都のほうはいいんだね?」
「ああ、今ここでできることは限られている。我々はお前たちが戻ったときのための準備をしておく」
「わかったよ」
フェイが立ち上がる。
「頼む。今、動けるのはお前だけなのだ。アルドにはこのことは伝えておく」
フェイは手を振り、執務室の扉を開けて出ていった。
残されたエセルガーは窓から夜空を眺める。
「まずは、アルドと我が相棒に連絡をとらねばな」
エセルガーの言葉は虚空に吸い込まれていった。
◇
深い森の中にぽっかりと開けた広場のような場所に、赤い火が揺らめいている。
本来はもうすぐ日が暮れようかという時間だが、密集する木々に陽の光は遮られ、森の中はすでに闇に落ちていた。
フローラは集めてきた薪を火にくべ、焚き火の向こう側に座るセオルをちらと見る。
セオルは疲れたような、何かを考えているような顔をして、揺れる火を眺めていた。
大聖祭から二か月。フローラはセオル、ウィルと共に逃亡の日々を送っていた。
王都から離れるように北上を続け、現在はおそらくヴェトス国の領域に入っているはずだ。
「ねえ、セオル」
「ん?」
声に気づいたセオルがフローラを見返してくる。
「王都、どうなってるかな」
「どうだろう。わからないな」
「オスリック様と傭兵騎士団のみんなは大丈夫かな」
「大丈夫だと思いたいけど」
三人は逃亡の最中、街や村には極力寄らないようにしていた。
先日の聖騎士との鉢合わせ以降は、街道も避け森や荒野を進むようにしている。
どこか、打ち捨てられた廃屋でもあれば少しはそこに落ち着けるのだが、いまだ見つからず、いつの間にかかなり遠くまで来てしまっていた。
「ここまで来たらいっそフォヴォレナの里に匿ってもらおうか」
「それもいいけど、僕は」
人間だから、とセオルが続けようとした時、セオルの背後でがさりと音がした。
素早く振り返り、槍を手に取る。セオルはフローラの方へ移動すると、焚き火を挟んで音がした方向と相対した。
フローラもすでに立ち上がり、武術の構えを取っている。
槍の穂先を暗闇に向け、目を凝らし、耳を澄ませる。
闇の中から引き続きガサガサと茂みを踏み分ける音がした。
(何か来る!)
目配せで頷き合い、二人は魔力の集中も始める。何が起こっても対応できるように神経を研ぎ澄ました。
音が段々と近づいてくる。
流れだす汗は緊張によるものか、焚き火から上がる熱によるものか。
(来た!)
ついに二人の前に姿を現したのは、背の高い黒髪の女だった。
その後ろからさらに何人かの男たちが現れる。
「なんだ、お前ら?」
女が誰何した。
セオルたちは答えない。
「どうしました?」
後ろの大柄な男が、女に尋ねた。
「ガキが二人いる。誰だ、お前ら。見かけねえ顔だな」
無造作に焚き火の前まで女がやって来る。
高みから武器を構えるセオルたちを見下ろしてきた。
「ここいらは俺らフェロナル族のシマだ。余所モンに勝手に入られちゃ、困るんだがな」
セオルの隣で、フローラがピクリと反応する。
横目で見ていたセオルは女の言葉を反芻した。
女はフェロナル族と言った。フェロナル族はたしかヴェトスの一部族だったはずだ。
彼女たちはヴェトスなのか。
「あの」
フローラが声を発する。
「私たちを保護してもらえませんか?」
(フローラ!?)
思わずセオルは女から視線を外し、フローラを見る。
フローラは不安と決意が入り混じったような顔で女を見ていた。
「保護だぁ? どういうことだ」
「私はフォヴォレナ族のフローラ。こっちはセオル。行く当てがないんです。私たちを保護してください。お願いします!」
女が困惑した顔で二人を見ている。
不審な人物に声をかけて、逆に保護を頼まれたら誰だってそんな顔になる。自分ごとにもかかわらずセオルは少し可笑しくなった。
「なんか事情があんのか。まあ、とりあえず話は聞いてやるから武器を下ろせ。お前らも手を出すなよ」
後ろの男たちに向かって、女は声をかけた。へい、と男たちが答える。
「んで、何があったんだ」
「私たちは王国から来たんですが、その、王都に居られなくなって」
「王国? エンリック王国か。けど、お前は――ああ、王都に逃げた難民か。迫害にでもあったのか?」
「迫害というか」
「待て、そっちの小僧。お前――人間だな。ヴェトスじゃねえ。ヴェトスの娘と、人間の小僧がなんだって二人して逃げてきたんだ」
女はセオルとフローラをかわるがわる眺める。
「それは」
「いや、わかった。ははーん、そういうことか。なるほどな。ヴェトスと人間、種族が違うとはいえ、女と男。住処が近くなればそういうこともあるってもんだ」
「え」と、セオルは思わず声をあげる。
「今の情勢じゃ、お前ら二人が一緒にいるのは難しいわな。そうか、そういうことか」
「いや、その」
何か大きな勘違いをされているように感じたセオルが、否定するかのように割り込む。
「どうした、なんか違ったか?」
「いえ、違いません!」
フローラが大声を出した。
「フローラ!?」
(いいから)
フローラがセオルの腕を押さえる。
「私たち、一緒にいられる場所がほしいんです。そちらに置いてもらえませんか?」
女は考えるように腕組みをし、二人を見下ろす。思ったより鋭い眼光にセオルは一瞬自分が怯んだのを感じた。
しかし、そのセオルの怯えを覆すように女はニカッと笑う。
「いいぜ! お前ら保護してやる。俺んところに恋、いや、来い!」
「っちょ、総長!?」
成り行きを見守っていた取り巻きの男が、女を諌める。
「総長じゃねえ! 族長と呼べ。だいたいなんだ総長って」
「いや、なんとなく」
「しかし、いいじゃねえか。許されざる道を行く少女と少年。自分の想いを貫き通してこそ若さってもんよ」
「はあ」
話はついたのか、女がセオルたちに向き直る。
「俺はドラヴァルだ。フェロナル族の頭はらしてもらってる。フォヴォレナのフローラに、お前はただのセオルか?」
「セオル・ウィンステッドです」
「家名持ちか。ほんほん」
焚き火を回り込んで、ドラヴァルがセオルをしげしげと眺める。
「まあ、いいだろう。――あん?」
ドラヴァルの視線が二人の間を抜け、後ろを見ている。
「もう一人いんのか」
フローラとセオルの後ろ、そこには膝を抱え顔を伏せた一人の少年がいた。
先ほどから騒がしくしているにも関わらず、なんの反応も見せない。
「こいつは?」
「あ、えっと、ウィルです」
「こいつもヴェトスか」
ドラヴァルの目がすうっと狭まる。
「はい」
「そうか。こいつも連れて行くのか?」
「はい、お願いします」
「わかった。おい」
ドラヴァルが男たちに声をかける。
「セオルとこのガキはお前らの馬に乗せてやれ。フローラは俺の馬に乗せる」
「へい」
ドラヴァルはウィルの前にかがみ込むと頭を掴んで顔を上げさせた。
虚ろな目は意志を感じさせず、ただドラヴァルの姿を反射させている。
ドラヴァルはウィルの頭を離すと、首根っこを掴み無理やり立ち上がらせ、そのまま抱えあげて肩に担いだ。
「よし、行くぞ、お前ら。さあ、帰りも仏恥義るゼ」
ウィルを抱えたままドラヴァルは茂みの中へ姿を消した。
フローラとセオルは焚き火の火を消すと、ドラヴァルの後を追って、茂みの中へ入っていった。
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