第65話 教皇の死
灰色の分厚い雲が王都の空を覆っている。
雲が連れてきた湿気は肌で感じるほど濃く、人々は雨の気配を感じていた。
「なあ、新しい教皇様はいつ即位されるだろうな。教皇様が居ないってのは、なんかこう、落ち着かねえよ」
隣を歩く友人のケンが不安げな表情で、ため息をついている。
「ああ、そうだな」
エードは生返事を返し、前から歩いてきた通行人を避けた。
ベオルスリック大通りは今日も人通りが多い。
大聖祭のあと、しばらくして教皇レオフの訃報が公表された。
いつもなら、大聖祭での儀式が終わると国王と教皇がそろって登壇し、王国民に演説を行う習わしだったのだが、今年は違った。霊廟から出てくる国王と教皇を待つ群衆に聖騎士団から解散の告知がされたのだ。
数日後、教皇が亡くなったことが告知され、それ以降音沙汰がない。
あれから一週間。なぜ教皇が亡くなられたのか、次の教皇は誰になるのか、民衆たちの噂は尽きることがなかった。
「さあ、寄っといで、寄っといで!」
エードたちが中央広場に差し掛かると、いつもの通り読聞屋が呼び込みを行っていた。
「今日はおめえらが今、一番気になっているあの話だ。続報が知りたいやつはいつものやつ頼むぜ」
読聞屋の煽りにたくさんの硬貨が投げ込まれている。
「おい、あの話って」
ケンがエードの袖を引き、読聞屋に向かって歩き出す。
「本当に新しい情報があるのかぁ?」
「いいから、聞いてみようぜ」
エードたちは読聞屋に群がる人々に入り込み、なけなしの硬貨を放った。
「ありがとう。ありがとう。じゃあ、いくぞ? おめえらも察しの通り、今日の話は教皇様の訃報の話だ。今年の大聖祭はいつもと趣が違った。いつもはある国王様と教皇様の演説がなかったんだ。おめえらもおかしいと思っただろう? そしたら、教皇様の訃報だ。俺たち国民はびっくり仰天! 悲しみのどん底に落とされたってわけだ」
「そんなことは知ってる!」
「はやく本題に入れよ!」
群衆から野次が飛ぶ。
「まあ、待て待て。物事には順番ってものがあるんだからよ。さて、ここからが本題だ。今年の大聖祭、おかしかったのは、最後だけじゃなかったんだ。最初からおかしなことが起きてる。気づいていたやつはいるか?」
読聞屋が群衆を見渡す。声を上げるものはいなかった。
「実はよ、今年の大聖祭、国王様と教皇様の護衛に傭兵騎士団が加わってたんだ。大聖祭の護衛といえば、近衛騎士団と聖騎士団が務めるのが定番だ。だが、俺はこの目でちゃんと見たんだ。王国最強の戦士メアウェンと騎士団員が霊廟に入って行くのをな」
群衆のどよめきが走る。ただ、どちらかというと、それがどうした、という雰囲気だ。
エードもあの日それは見ていた。広場の中央にある霊廟の入口にあの魔族の少年、ウィルとエルフの少女たちが入って行くのを。ウィルが大聖祭の護衛という栄誉ある仕事に抜擢されているのを見て、なんだか無性に嬉しくなってエードは声を張り上げてしまったことを覚えている。
「重要なのはここからだ。この騎士団員たちには最近話題の新人たちが混ざっていた。おめえらも聞いたことがあるはずだ。魔族のウィルと、フローラ。この名前はよーく覚えておいたほうがいい」
「だからなんなんだよ」
「今日はもったいぶりすぎだろ!」
なかなか核心をつかない話に群衆が苛つき出したようだ。
「これは重大な話なんだ。おめえらもそのつもりで聞いとけよ? いいか? 教皇様は霊廟の中で暗殺されたんだそうだ。事故じゃねえ。誰かに殺されたんだ! さあ、誰がやったと思う?」
「本当か?」
「まさか……」
群衆が口々に喋りだす。
「魔族がやったてえのか……」
隣にいたケンのつぶやきがはっきりと聞こえた。
教皇暗殺。このとてつもない罪がなされた場に魔族が、あのウィルがいた。
――裏切られた。
そんな言葉がエードの頭をよぎる。
大聖堂前広場での神像騒ぎで、身を呈して自分たちを庇ってくれたウィルの行動に、エードは彼を信じ、魔族への見方が変わった。彼らはおぞましい悪ではなく、信じられる隣人なのではないか。
その気持ちが今、急速に崩れ落ちていく。やはり、魔族は魔族なのか。
「おい、あいつら……」
誰かの声が聞こえる。人々は後ろを振り返り何かを見ているようだ。
エードもそちらを見てみると、この場から遠ざかろうというのか、そそくさと群衆から抜け出す人々が見えた。
「あいつら、ひょっとして魔族じゃないのか?」
「おい、待てよお前ら!」
大きな声があがる。
それが聞こえたのか、魔族と疑われた人々は走って逃げ出した。
「待て!」
「捕まえろ! あいつら魔族だ!」
群衆たちが逃げた人々を追いかけだす。
エードは事態に驚き動けずにいたが、動き出した人々にぶつかられ、人混みの中から弾き出された。勢い余って尻もちをつく。硬い地面で打った尻に鈍い痛みを感じ、顔をしかめた。
「逃げるんじゃねえ! クソ魔族が!」
「お前らが教皇様を殺したのか!」
逃げ遅れた何人かが捕まり、殴る蹴るの暴行を受けているのが見えた。
エードは立ち上がり、遠巻きにそれを眺める。殴られているのは若い男と女だった。
人がよってたかって殴られている。ひどい状況だったが、エードの心には止めなければ、という思いは浮かんでこなかった。あれは魔族だ。人ではない。
騒ぎを聞きつけて、衛士たちが駆けつける段になって、巻き込まれることを怖れたエードは広場を後にした。ウィルへの怒りをたぎらせながら。
その二日後、王国の伝令官によって、正式に暗殺の容疑者としてウィルとフローラの手配が布告された。
◇
――同じ頃。
「んー、なんだ?」
農夫は畑を耕していた手を止め、遠くに見えた人影に目を留めた。
農道を三人の男女が歩いている。
先頭の男女二人が何かを話しているようだ。
農夫は鍬を土に立て、三人組をじっと見つめる。
隣村の若者かと思ったが、農夫の記憶にある顔とは一致はしなかった。
見覚えのない顔だ。余所者か。
「…………」
三人が歩いている道は農夫が住む村に続いていた。この先は村しかなく、村に用がある者しか通ることはない。
このあたりは旅人もほとんど見かけず、村に来るのは近隣の村の者か、王都の官吏と行商人くらいだった。
身なりは王都の官吏には見えない。売り物を抱えているようにも見えない。
男は鍬を肩に担ぐと、農道に向かって歩き出した。
「おーい、あんたら」
農夫が声をかけると、三人は少し驚いたように身構えこちらを見た。
「どちらさんかね? この先は小さな村しかねえが、うちの村になんか用かい?」
農夫は農道の端に立ち、三人に尋ねた。
近くまで来ると、三人ともかなり若く見えた。男女というより、少年少女と言ったほうがいい。
「ああ、ええと、僕たち旅をしていまして」
先頭にいた少年が答える。癖のある栗毛の優しい顔立ちの少年で、荒事を生業にしているようには見えない。
農夫は少し安心した。
「旅? こんなところをか? 特に見るもんもねえが。あんたら、どっから来たの?」
「えっと、ベレトン村です」
「ベレトン村? 聞いたことねえなあ。遠いのけ?」
「ここからだと王都のもっと向こうになりますね」
「そんなとっからご苦労さんだな。なんの用で来たの?」
「え、ああ、その」
「すみません、私たち」
少女が話に入ってくる。
「手持ちのポーションが切れてしまったんです。それで少し分けてもらえないかと」
「ポーションかあ。あんまり余分もねえんだけど」
「あの、お金ももちろんお支払いします。少し多めに払ってもかまいませんので」
少年が懐から革袋を取り出してみせた。ちゃりちゃりと硬貨の音がする。
「まあ、ちょっとならええけどね。ほんじゃ村まで案内してやっから。お前さんたちだけじゃたぶん入れてもらえんからね」
「ありがとうございます!」
少女が勢いよく頭を下げる。
農夫が三人に合流すると、連れ立って村への道を歩き出した。土の道がじゃりじゃりと音を立てる。
「あんたら、名前は?」
「僕がヘイル、彼女はヒルドです。あと、後ろにいるのがウルフ」
「そうかい。ウルフちゅう強そうな名前なのに、おとなしい子だな」
「あ、はは」
前方に村の入口が見えてきた。村は周囲を板壁で囲われ、入口の門は閉ざされている。
このあたりは、盗賊や野生動物、稀に魔物も姿を見せるため、こうった防壁がかかせない。
「ほんで、なんで旅なんかしとるの?」
「ええと、このもっとずっと北の村に叔父が住んでまして」
「ああそう。叔父さんに会いに行くんか。大変だねえ。ああ、ついたよ」
農夫が閉じた門の裏にいるはずの門番に声をかける。
「おおい、門開けてくれ」
「なんだ? 野良仕事もう終わったのか?」
「いや、旅人さんだよ。ポーション分けてくれって」
門の横にある物見台に門番が現れた。旅人の様子を見ているようだ。
しばらくして門番は物見台を降りていった。
がこん、と音がして木の門扉がゆっくりと開く。
「こんな辺鄙なところに旅人とは、珍しいね」
門番に答えず、農夫は旅人に向き直る。
「ここで待っててくれ。ポーション持ってきてやっから。まだ日も高いし、他に村に用もねえだろ?」
「ああ、はい。ポーションさえ分けてもらえればそれで」
「んん、なんだ?」
農夫が村の雑貨屋に向かおうとした時、門番が妙な声を出す。
振り返ると、農道にまた新たな一団が姿を見せていた。
馬に乗った何者かがこちらへ向かってくる。
段々と近づくにつれ、その姿がはっきりと見えてきた。
きらびやかな白銀の鎧の上から白い外套を羽織っている。
兜の面頬は閉じられ、中の顔は見えない。
「ありゃあ、騎士様か?」
訪問者の姿は、村にたまに来る行商人が語っていた王都の騎士そのものだった。
村についた四人の騎士は馬を降り、こちらに向かってくる。
「あ、ああ、こりゃどうも、騎士様ですかい?」
「我々は王都聖騎士団だ。王都を逃亡した大罪人の捜索をしている。この村には怪しい者は来ていないか?」
そう言った白銀の騎士は、背も高く、頑丈な鎧に包まれた姿はかなりの圧迫感があった。
「怪しいっちゅうか、今ちょうど旅人さんが来ていて――ありゃ?」
三人組の旅人を騎士に紹介しようと、農夫が振り返ったが、姿が見えない。
「おい、さっきのやつらどこ行った?」
門番に尋ねる。
「本当だ! いねえ。どこ行っちまったんだ?」
農夫は門から出てあたりを見回したが、三人組は忽然と姿を消し、どこにも見当たらなかった。
◇
「はあっはあっ」
村から少し離れた森の中で、セオルは膝に手をつき激しく息を吐いた。
激しく脈打つ鼓動は、全力疾走をしたせいか、または思わぬ遭遇のためか。
「っはあ、見つかったかな?」
後ろで座り込むフローラに声をかける。
「わからない。大丈夫だと思うけど」
「とにかく、もう少し移動しよう。聖騎士たちは多分付近の捜索をするはずだ」
わかった。とフローラが立ち上がる。
「ウィルも大丈夫? ちゃんとついてきてね」
フローラがウィルの手をとり、森の奥に向かって歩き出す。
セオルは背後を振り返り、追っ手が来ていないことを確認すると、二人のあとを追いかけた。
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