第58話 ネクサの狂気
「どうして……」
セオルのつぶやきが床にこぼれ落ちる。
「ついに手に入れたわ! これで望みが叶う!」
歓喜の表情で、光る物体を高く掲げるネクサ。その目はとろけるように恍惚としていた。
「ネクサ!」
声の方向にネクサが振り向くと、そこにはこちらを指差し、仁王立ちする一人の青年がいた。
右手に握りしめた槍が、ここから見てもわかるほどぶるぶると震えている。
あの子供が大きくなったものだ。ネクサは目的を達した喜びも相まって、少し相手をしてやる気になった。
「お久しぶり、セオル様。ずいぶんと大きくなったのね」
「なぜお前がここにいる! その光る物体はなんだ!」
「まあ。声も低くなっちゃって。あの頃はこんなに小さくて可愛かったのに」
「そんなことはどうでもいい! 質問に答えるんだ、ネクサ! なぜここにいる! それはなんなんだ!」
「これ?」
ネクサは掲げていた光る物体を降ろし、胸に掻き抱く。
「これは林檎よ」
「林檎?」
「そう、これは『アウレクスの林檎』。アウレクスが神化の際に使用した宝物。神化の秘宝よ」
「なッ!?」
アウレクスの林檎。ルクサウレア教の聖典にも記されていなかった、アウレクスの神化の秘宝。
人間を神へと押し上げ、神の力を与える宝物。それが今、あのネクサの手にあった。
「そんなものを手に入れて何をするつもりだ!」
「それはわしから教えてやろう」
思わぬ方向から聞こえた声にセオルたちが振り返ると、そこには中央に歩み寄るバッダ司教の姿があった。
「我らウンブラリア族は、常にヴェトスの影に押しやられていた」
歩いていくバッダ司教の変身が解け、徐々に姿が変わっていく。
「ウンブリオン様の怒りに触れた奴らは、その力を怖れ、頭を垂れたのだ。しかし、眷属である我らのことは顧みず、祟り神の眷属と蔑んだ」
でっぷりと太っていたバッダ司教の姿が細くなり、顔や腕にシワが刻まれていく。
「我らの力を使い、時の権力を手にした者も多くいる。にもかかわらず、我らウンブラリアを遇した者はこれまで一人もいない。用が済めばお払い箱とばかりに、権力から爪弾きにしたのだ。我らの力で、ヴェトスの歴史が動いたことは一度や二度ではきかぬ。我らウンブラリア族がヴェトスの歴史を作ってきたと言っても過言ではないのだ」
ネクサのもとにたどり着いたときには、すでにバッダ司教の姿はなく、深いシワを纏った一人の老人がそこにいた。
「父上」
ネクサは恭しく礼をし、父オブスカランを迎え入れる。
「ネクサ、林檎を」
秘宝を受け取ろうと、オブスカランが手を伸ばした時、背中から一本の剣身が生えた。
「ブ」
オブスカランの口から声ともつかない音が漏れる。
血に塗れ、赤黒く光る剣身はネクサが力を込めるごとに背中から長く伸びていった。
「き、さま……」
「父上はもう十分お働きになったわ。これからはこのネクサにまかせてお休みになって」
耳元で囁くネクサの声には嘲りの響きが混じっていた。
ネクサに突き飛ばされ、オブスカランは背中から倒れ込む。光の消えた虚ろな目が虚空を睨んでいる。
引き抜いた剣をビュンと振り、ネクサは剣身にまとわりついた血糊を吹き飛ばす。
「父上はお休みになってしまったから、代わりに私から説明してあげるわ」
「バ、バッダ司教を殺したのか」
アルフリクが問いかける。
「バッダ司教なんて、とっくにこの世にはいないわ。それは、司教とすり替わっていた父オブスカランよ」
「自分の父親を殺したって言うのか!」
ウィルが叫ぶ。
「そうよ」
こともなげに答えるネクサに、一同は戦慄する。この女は人の命を奪うことなどなんとも思っていないのだ。
「殺しなんて、目的を遂げるためのただの手段に過ぎないわ。たとえそれが肉親であってもね」
「なんてやつだ……」
「私たちウンブラリア族は、ヴェトスの暗部。敵を排除するための道具。政敵や商売敵の足を引っ張り、利益を奪い取るために使われてきた。暗殺、謀略、情報操作、表立ってできないことが私たちの仕事。ウンブラリア族はその生業を維持するために、幼い子供の頃から技術と経験を叩き込まれるのよ。私が初めて人を殺したのは六歳の時、女の体を使って仕事をしたのは十四の時。今の私は自分のことを誇りに思っているけれど、そういう人生を私に強要したこの男を手にかける権利は私にあると思わない?」
「で、でも……その手段が殺しだなんて……他にもできることはあるはずだ!!」
ウィルの手と声が震える。父親を自らの手で殺める、事情はあれどウィルにとってそれは受け入れがたい禁忌だった。
「そ。復讐ということにしてあげれば受け入れやすいと思ったけど、まあ、別にいいわ」
「神化の秘宝で何をするつもりだ」
セオルが割って入ってくる。
「何って、やることは一つでしょ」
「神に……なるのか」
「そう! 父は神の力でヴェトスを支配する、なんて言ってたけど、私はそんなのどうでもいいわ。私の望みはただ一つ。神となってウンブリオン様のもとに馳せ参じ、二人で残りの神々を抹殺するの。フェロン、フリオン、ラティオン、スペドール。そして主神オリゴ。もとを正せば全部奴らのせい。ウンブリオン様とともに奴らを一掃して、この世界を新しく作り変えるのよ!」
「そんなの! ウンブリオン様は望んでない!」
声を上げたのはフローラだった。
「あなた……ひょっとしてフローラ?」
「そうよ。私たちフォヴォレナ族はフォヴォラ様とともにウンブリオン様もお祀りしてきた。あなたも神話は知っているんでしょう? なぜウンブリオン様が境界に閉じこもったと思うの? 兄妹神や眷属を傷つけたくなかったからだよ。反乱のときも神々や人々の祈りに応えて矛を収められた。世界の仕組みとして死は必要だけど、常に身近にあると安心して生きることができない。ウンブリオン様はそれがわかっていたから自ら身を引いたんだよ! ウンブリオン様は世界を愛している。わかってあげなよ! なんでその気持ちを踏みにじるようなことをしようとするの!」
ネクサがフローラをじっと見つめる。
「だからと言って、ウンブリオン様やウンブラリア族が虐げられていいことにはならないわ。私はウンブリオン様を今の境遇からお救いする! 安心して。フォヴォラ様とフォヴォレナ族は残してあげる。あなたたちはウンブリオン様を慰めてくれたから。他はすべて抹殺よ! できそこないのヴェトスは新しい世界には必要ない!」
「そんなこと絶対にさせない!」
リンが腰の剣を引き抜く。
「あなたはその秘宝で本当に神化できると思っているの? 私たちはシルウェでアイユン様の話を聞いてきた。アイユン様が神化できたのはヴェトスだったからじゃなく、鍛錬で神にふさわしい力をその身に宿していたからよ。あなたに同じことができるとは思えない。あなたの企みは成就しないわ!」
リンの言葉を聞き、ネクサは薄く笑った。
「そうかしら。あなたがアイユンと呼ぶエルフの祖神エルウィンヌは、私と同じウンブラリア族出身よ。我らウンブラリア族が神化に適した眷属として作られた可能性はあるわ。それにこの『アウレクスの林檎』。これは、ちんけな盗賊だったアウレクスを神になさしめた秘宝中の秘宝。エルウィンヌの『丹薬』とは桁違いの力を持っている。私にも神化の可能性はあるわ」
「アウレクス神が盗賊だったと……?」と、アルフリク。
「あら、人間さんはご存知なかった? そうね、あの男は偽りの自分を必死に演出してきたのだものね。幻滅したかしら? まあ、これ以上はかわいそうだから黙っておいてあげるわ」
ネクサが魔力を高め始めたのが感じられる。
「さあ、お話はもうおしまい。私は今から神となり、大変な仕事をなさなければならない。あなたたちに使ってあげられる時間はもうないのよ」
ネクサの周囲に高濃度の魔力が渦巻く。アウレクスの林檎から漏れ出た魔力もすべて奪われてしまったようだ。
「ウンブラリア族の秘伝の技、見せてあげるわ」
ネクサの隣に何か暗い霞のようなものが現れた。縦長の楕円形をしたそれは暗く深い闇のように見える。その内部に、何者かの気配が感じられた。
「厄招。かつてウンブリオン様も使われた災厄の魔物を使役する技よ。めったに使われないとても珍しいものなの。見られたことに感謝しなさい」
楕円の闇から何者かの手首が出現した。縁に手をかけ、こちらに出てこようとしている。細い指には剣のように鋭い爪が並んでいた。
「皆、気をつけろ! なにかとんでもないものが出てくるぞ!」
ウィルの叫びに仲間たちが武器を構える。呆気にとられていたアルフリクも慌てて剣と盾を構えた。
闇の中から足が飛び出し、地面を踏みしめる。体が、顔が闇から抜け出し、その姿をあらわにした。
落ち窪んだ暗い穴のような眼窩、骨と皮だけのしゃれこうべのような顔、鋭い爪、そして周囲を回る黒い渦。それはウィルたち四人にとって見覚えのある姿だった。
「暗き……霊威……」
神格化した悪霊。世界を歪める災厄。リンの姉、ルーセリエンが成りかけた、恐怖の悪霊がそこにいた。しかも、あの時と違い、今度は完全体だ。
黒い稲妻を周囲に撒き散らし、暗き霊威は立ち尽くす。
「みんな、大丈夫。私がソルを喚んで無力化する!」
リンが光の上位精霊である、暁天の御子ソルの祝歌を歌い出す。前回はソルの力で浄化し討伐したのだ。
「本当に大丈夫かしら?」
ネクサがニヤニヤと笑みを浮かべ問いかける。
次の瞬間、ネクサの背後に数十個の闇の楕円が現れた。
「!」
それぞれの闇の中から次々と魔物が躍り出てくる。暗き霊威、異形のスケルトン、巨大な四つ足の魔獣、この世界のどの生き物にも似ていないものもいる。
「さあ! 災厄たちよ! ここにいる愚かな被造物を殺してしまいなさい!」
ネクサの声にしたがって、災厄がウィルたちに襲いかかった。
感想やリアクション、お待ちしております。
☆☆☆☆☆評価や、ブックマークもぜひよろしくお願いいたします。
Xやってます。
@fumikiao




