第1話 盗賊の襲撃
男が走っている。
木々が生い茂る暗い森では、張り出した枝や茂み、地面から盛り上がる根が行く手を阻み、男は距離を稼げずにいた。
ましてや、幼い少年を連れた身では。
小さな子供に、真っ暗闇の森を走らせるのが酷だとは理解している。
だが、今はそうも言っていられないのだ。
「どこへ行った! 探せ!」
遠くから届く声が、男を探している。
彼らは追われていた。
男は少年と旅をしていた。
故郷にいられなくなり、まだ幼児といっていい年齢だった少年を連れて、男は旅に出た。
諸国を渡り歩き数年、走ることもままならなかった少年は、しっかりと自分の足で男についてこられるほどの歳になった。
まだ歩調を合わせてやる必要はあるが、抱きかかえてやる必要はもうない。
可能なら故郷に戻りたい。それが叶うのはしばらく先になるはずだった。
ある日、酒場で故郷を知る旅人から話を聞いた。
故郷はあの時から状況が変わりつつあるようだった。
今なら故郷に戻ってもいいのではないか。
自分はいつまでも旅を続けてもかまわない。だが、この子は。この子こそは、いつか必ず故郷に戻さなければならない。
時は満ちたのかもしれない。
ついに決心をした男が、少年の手を引き、故郷へと進路を向けた矢先の出来事であった。
先に滞在した村で街道に盗賊が出るという話は聞いていた。
ただ、襲われているのはもっぱら行商人のキャラバンとのことだったし、まさかこんな子供連れの何も持たない旅人が標的になることはないだろうと、男は出発を決めた。
子連れの足は遅い。次の村に至る途中で夕刻となってしまい、仕方なく街道沿いで野営を行っていた。
夜も更け、薪の爆ぜる音しか聞こえなくなった頃、奴らは現れた。
男には多少なりとも武芸の心得がある。
盗賊程度ならばなんとかする自信はあったが相手の人数が多すぎた。子供を守りつつ七人も八人もの相手はできない。
逃げるより他なかった。
「ウィル、こっちへ!」
ウィルと自らが呼んだ少年の手を引き、男は木々の間を縫いつつ走る。
野卑な盗賊たちの声は段々と近づいてきているようだ。かたわらからウィルのハァハァと苦しそうな呼吸が聞こえてくる。
そろそろ逃げるのも限界のようだ。
どこか隠れられる場所を探しやり過ごさなければ、と考えた時、右足に何かが絡みつき、男は派手に転んだ。
「父さん!」ウィルが叫ぶ。
足下に目をやると、かかとに一本の矢が突き立っていた。
鋭い矢尻が足首の腱を切り裂いている。これでは走ることは難しいだろう。
ウィルが側に駆け寄ってくる。その黒い瞳は心配そうに男を覗き込んでいた。
(この子だけは守らなければ)
少年の黒く柔らかい髪を優しくなでると男はあたりを見渡し、大ぶりの茂みに目を留めた。
「ウィル、あの茂みの中へ」
「でも、父さん足が!」
「早く! 奴らが来る。何があってもそこから出てきちゃいけない。守れるな?」
押し込むようにウィルを茂みの中に隠す。
「父さん!」
「ウィル、お前は生きるんだ。絶対にあきらめるなよ」
男は腰に佩いた長剣を引き抜いた。
「お、いたな」
なんとか片足で立ち上がった男の前に姿を現したのは、汚れた毛皮に身を包んだ盗賊たちだった。鼻の曲がるような獣臭があたりに漂う。
男は右手で長剣の柄を握り締め、切っ先を盗賊たちに向けた。
暗闇の中、目を凝らすと、八人ほどの人影が見える。
「まったく今日はついてねえ。キャラバンも通りやがらねえし、こんな夜中まで働いて獲物はちんけな旅人たった一人だ」
「アニキ、見てくれ! 俺の撃った矢が当たってる!」
「やるじゃねえか」
頭目と思しき盗賊が男をニヤニヤと眺める。
「そうやって剣をかまえちゃいるが、お前さんのその足、もう使いもんにならねえだろ。じたばたしねえで、おとなしく死んじまいな」
「死ねえええええ!」
盗賊たちが男に躍りかかった。
◇
背中と脇腹から短剣の柄を生やした男は地面に倒れ伏していた。
男から噴き出した血液は赤く広がり、血だまりができている。
「ふざけるんじゃねえぞ! 片足の状態から四人も持ってくのかよ!」
男の周りには、同じように倒れ伏した盗賊たちの姿があった。
長剣で切り裂かれ赤く染まった者、黒く焼け焦げ炭化している者もいる。全員、息絶えていた。
「ったく本当についてねえ。これで金目の物もなかったら承知しねえからな」
男の背嚢をあさりつつ、頭目がこぼす。
(ウィ……ル……)
混濁する意識の中、男が案じたのは茂みに隠した少年のことだった。
(生……て……くだ……い)
それを最後に男の意識は闇に沈んだ。
目の前で起きた出来事に、茂みの中の少年の心は打ち砕かれていた。
頭は何も考えられず、足がガタガタ震える。
震えは茂みへと伝わりカサカサと音を立てた。
「ん~? なんか音がすんな」
ざくっ、ざくっ、と足音が聞こえる。盗賊の一人が音の発生源を探しているのだ。
ウィルは慌てて物音を立てないように口を押さえ、息をひそめる。しかし、震え始めた両脚はウィルの願いを裏切った。
両膝を抱え込み、力一杯、震えを抑え込む。
茂みの隙間に泥で汚れた足が見えた。
すぐそこにいる!
あまりの恐怖に腕が勝手にビクリと跳ね上がり、茂みを大きく鳴らしてしまった。
「あぁん?」
かがみ込んだ盗賊の目にウィルの目が捕らえられた。濁った目がこちらを見ている。
ウィルの背筋に冷たいものが走った。
「アニキ! ガキがいる」
「ガキだと!? ガキは高く売れる。これで何とか元が取れたな。そいつ逃がすんじゃねえぞ」
「わかった!」
我に返ったウィルは盗賊から逃れようと身を返したが、時すでに遅く、右足首はがっちりと握られてしまっている。
茂みから引きずり出され、逆さ吊りにされたウィルの頭上には地面と倒れ伏した父の無残な姿があった。
「と、父さんを……お前たちは父さんを! わあああああああ!」
逆さのままめちゃくちゃに腕を振り回し、盗賊に殴りかかるウィル。
「うぉっと。暴れるんじゃねえよ、ガキ!」
盗賊はウィルを高く持ち上げると硬い拳で殴りつけた。
痛みと衝撃が、ウィルの意識を霧散させる。
ぐったりと動かなくなったウィルを抱え、盗賊たちは意気揚々とアジトへ帰っていった。
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