第三十話 おとぎ話の英雄
「ねぇ、お姉ちゃん」
「ん」
夜も更け野営の準備の最中。少女・ナナが眠目を擦りながらやってきた。
「明日はどこまで行くの?」
「……そうだな」
思案を巡らす綾乃は少女を眼下に捉えながら唸る。
しかし考えは別の場所へと飛んでいた。
――彼女を拾ったのはただの気まぐれであった。
外領域にて彷徨っていたところ、倒れていたナナを見つけ応急手当を施した。記憶の大部分が欠落しており、当時は何を聞いても明確な答えは得られなかった。
行動を共にし始めたのは約半年前。
そこからの半年間、ナナが思い出せたことはたった一つ。
「おとーさん、どこ行っちゃったのかな」
自らの肉親、父親の存在であった。
今も傍らに大事そうに持っている絵本はその父親から貰ったもの。
ナナは今しがた問うた質問に対しての回答がない事に委細構わず、絵本をパラパラとめくり始めた。
その横に、丁度火を起こし終えた綾乃が腰を下ろす。
「ん」
こてんと綾乃の肩に頭を預ける。いつの間にか絵本は綾乃の両手に収められていた。
「また読むのか」
「うん」
「仕方がない」
ぱちぱちと焚火が弾ける。淡い光に照らされながら、綾乃は静かに口を紡いだ。
――むかしむかし、小さな村に一人の少年がいました。
その少年は天涯孤独で、いつも暗く、だから周りの人々からも嫌われていました。
「ね、てんがいこ――」
「ひとりぼっちという意味だ。先週も言ったぞ」
「ん」
少年は大きな家に住んでいました。しかしどうしてか彼の周りの草木は枯れ、動物たちも死んでしまいます。やがて人々は彼は神さまに呪われたのだと噂するようになりました。
「……かわいそう」
「そうだな」
少年はそんな自分が嫌いでいつも泣いていました。家に閉じこもり、悲しくて涙を流してしまいます。
そんな冬のある日のこと。
「少年の元に一人の――」
「……すぅ」
「……」
規則的な呼吸の音が聞こえる。
綾乃が目線をやると、ナナは小さな寝息を立てながら眠りの世界へと入っていた。
「全く、風邪を引いてしまう」
ゆっくりとナナの身体を支え、毛布の上に寝かせる。そうして纏っていたローブを脱ぐと、ナナの身体にかぶせる。寝返りを打ちながらナナはローブをぎゅっと抱きしめる。
「――」
――月明かりに、漆黒に淀んだ両腕が照らされた。
固い鱗に覆われた両腕は、自らが化け物になってしまった事を突きつけられているようで、思わず小さな嘆息を漏らす。
段々と力の制御が効かなくなってきている。
このままいけば……そんな絶望的な思考が頭を埋め尽くす前に、綾乃はかぶりを振った。
もうどうでもよいと斬り捨てた。
たとえ進む先が地獄だろうが、からっぽの自分にとっては関係ないことだ。
「……」
しかし、どうしてか。
横で安らかな寝顔を晒しているナナ。
どうして、僕はこんなことをしているのだろう。
綾乃はゆっくりとナナに手を伸ばす。
首元にかかった髪束をさらりとかき上げる。そうして目に映ったのは、紛うことなき侵食症状そのものであった。
半年前よりも侵食が進んでいる。首元に現れ始めたということは、もってあと一か月。
「……!」
恐怖だった。
矛盾を孕んだ行動に、否定を重ねる思考。
(――駄目だ、駄目だ)
綾乃が苦悶の表情を浮かべた――その手を、小さな温かい手が触れた。
「――お姉ちゃん」
「――」
ただの寝言。
ナナは愛おしそうに綾乃の手に両手を重ねると、自らの身体に引き寄せた。
たかが少女の膂力。振り払うことなど容易かった。
しかしながら綾乃はその手を払うことはせず、促されるままに少女の隣に横たわった。
「いつも……ありがとう」
自分に人の心なんてものは残っていないと思っていた。
正しさとは、悪とは、そんな事ばかりを考えていた。
ひたすら繰り返される自己否定。
そんな中紡がれた一言は、あまりにも呆気なく心に吸い込まれていき。
「――っ」
際限なく零れる感情は止められなかった。
■
翌朝。
「ふぁ……」
大きなあくびを漏らしテントから出てきたナナは、映った光景に目を丸くした。
「お姉ちゃん……それ」
「おはようナナ」
差し出された右手。
それはもはや見慣れた、黒燐を纏ったものではなく――
「ごめん驚かせちゃったかな」
正真正銘、ヒトの右手であった。
「ううん」
ナナは一瞬呆けていたが、すぐにその手を取る。
「こっちのほうが好き」
そうして自分の頬にすり合わせながら、にんまりと柔らかな笑みを浮かべた




