第二十九話 桜咲き、夢幻は揺蕩う
『ポイントαにて交戦! 至急増援を寄越してくれ!』
『なんだこの数は!? 報告の十倍はいるぞ!』
『回復要員がやられた! 長くはもたないッ!』
インカム越しにノイズ交じりの声が響く。
「……」
耳からインカムを外し、眼下の元持ち主に投げ返す。反応はない、ただ倒れ死した屍は青空を仰ぎながら白目を剥いていた。
その者にとって、もはや特別な感傷はなかった。
踵を返し翻るローブ。目深にかぶったそれからは、燃ゆる蒼炎の瞳が覗いた。
その視線の先には、おおよそ二十は超えよう〈神骸〉の姿。
今しがた救援を求めたであろう兵士の数々は、圧倒的な数的不利に圧され劣勢を強いられながらもお互いの特性を理解した立ち回りにより最悪を免れている状況であった。しかし一時の油断も許されず、救援なくして彼らが助かる道はないだろう。一キロメートルはあるこの距離にいても聞こえる雄叫びは、そんな生への強い渇望にも思えた。
「――おねーちゃん」
ふと右手に温かい感触が伝わった。
声の方向に目をやる。
「離れちゃ駄目だろ」
そこには一人の女の子がいた。
年は幼く、口調もたどたどしい。
握られた手は小さく、反対の腕にはボロボロの絵本が携えられていた。
「おっきいのいっぱい!」
落栗色の髪を揺らし〈神骸〉の群れを指さす少女。その瞳に恐怖はなかった。
「――」
「わっ」
フードの人物は少女を軽く抱えると、戦闘が行われている反対方向へと足を進める。
そうして停車させていた車両の助手席に少女を乗せ、運転席へと腰を下ろす。
「ここは危ない。別の道から行こう」
「えー! ガタガタ道やだ! やだ!」
「我慢してくれ。ほらこれやるから」
発進しつつ手元のチョコレートを渡す。ぐずりの瞬間まできていた少女の表情が一変、ぱぁあっと輝き、包装を丁寧に破くと幸せそうな顔で口に含んだ。
「おいしい」
「…………よかった」
戦士の咆哮が遠ざかっていく。
その声を背に受けながらも、ローブの人物はアクセルを踏む。
忌々しい記憶から逃げるように。どうしようもない現実から離れるように。
少年――斬崎綾乃は静かに目を細めた。
もはやその腰に刀はない。必要がないと感じたからだ。
もう人を救うことも〈神骸〉を狩ることもどうでもいい。
「おとーさんいるかな」
ただ今は……せめて今は、
「会えるといいな」
この少女に、夢を見させてほしい。
たとえそれが一時の夢幻だとしても。
「……」
今の綾乃には、もうそれ以外何もなかった。
■
同時刻。
外領域のあるポイントにて、二人の少年少女の姿があった。
「こんな所まで来てたアルか。全く苦労したアル」
一人は特徴的な口調で嘆息を吐く少女――紅花。四皇生徒会副会長にて〈魔導特科〉序列三位の最強の一角。先日まで序列二位だったが、先の序列決定戦にてマリアに敗れたため自動的に三位まで落ちてしまった。
それに重なり会長より余計な仕事を押し付けられている状況だ。
一方、オールバックの少年――遠峰悠斗は明らかに不機嫌な様子の彼女を横目に回収した〈ソレ〉を専用の保管ケースに仕舞う。緑色の液体に満たされたケースを背負い、悠斗は気まずそうに彼女の背を見やった。
「……終わったぜ」
「ご苦労。反応はどうなっているアル?」
問われ悠斗は手元の端末を操作する。数拍置き「何の反応もない。ただのガラクタだぜこれ」とかぶりを振った。
「――と、いうことは」
ピキリと紅花のこめかみに青筋が走る。
「私はあの厄介娘に負けた挙句、大事な大事なニャーゴイベントを逃し、そしてこの一週間全てを無駄にしたということアルか」
刹那。鈍い音と共に地面に鋭い亀裂が入り、紅花の周りの空気がねじれていく。
「い、いやでも会長の指示だぜ!? きっと何か考えがあって」
「黙るアル」
「――ッス」
火に油であった。
「「――!」」
と、そんな二人の耳にけたたましい警報音が響き渡る。弾かれるように端末に目をやると、二人を起点として西方から十近い数の敵性反応が迫っていた。
「まずいぜ! 〈神骸〉の群れがこっちにきてやがる! 早く撤退むごっ――」
「ちょうどいいとこに来てくれたアルね……」
その言葉を遮るように悠斗の口が強制的に塞がれる。対する紅花は両眼を鋭く細めると、両腕に装着されたブレスレッドを重ね合わせる。
「オイ待て!? この数相手しようってのか!?」
「もう我慢の限界アル――」
もはや悠斗の言葉は届いていなかった。
紅花は特殊な力場を元に高速回転を始めたブレスレッドを激突させ、
「少し憂さ晴らしをするアルねッッ!!」
弾け散る火花と共に、力の限り両腕を広げた。
「――〈暴喰悪牙〉!!!」
ゴァッッッ!!! と轟音と共に暴風が噴き荒れ、それは数拍の後に紅花の両腕へと収束してゆく。模られるは深緑の巨大な籠手。その先端にはあらゆる全てを穿つ計四つの牙が空気を切り裂き顕現した。
眼下に捉えるは計十匹の〈神骸〉。
刹那、交差する視線。
「――さぁ、いくアルッッッ!!!」
完全無欠な暴力の化身と化した虎が、戦場に舞い踊る。




