九十五頁目 いつか聞こえた声の正体
『―――――!』
「……ん?」
シグナート伯爵との歓談中、もしもの時のためにと魔力で強化していた聴覚が妙な声を拾った。……ような気がした。
「む……どうかしたかね、ホオズキ伯爵?」
「いえ……なにか声が聞こえたような気がしたのですが……」
「声? それは、どのような?」
「……男。ええ、男です。男の――怒鳴り声、でしょうか。誰かを叱責するような、そんな声です」
「ふむ? 私には何も聞こえなかったが……」
「ああ、いえ、気にしないでください。万が一の時のためと思って聴力を強化していただけですし、幻聴かも知れませんから。すみません、詮無い事を話しました」
「いやいや、構わないよ。伯爵ほどの実力者が周囲を警戒しているとなれば、これほど頼もしい事はない」
「恐縮です。……ところで、その、本当に良いのでしょうか」
「構わないだろう。なにせ、陛下の方から仰られた事だ。我々国民には是非もない。……まあ、それでも突っ掛かる人間はいるとは思うがね」
シグナート伯爵と話しているのは他でもない。
ダンジョン踏破と十傑衆打倒の褒賞についての事だ。
というのも、シグナート伯爵が言うには、二つの案件の褒賞として白貨五百枚がオレに支払われるらしい。
そして、これはさっきも話していたが、冒険者ランクSへの昇格と、伯爵位への陞爵がダンジョン踏破の功績に対しての褒賞。
正直言って、ダンジョンは割と楽に踏破出来たから(大体『無限倉庫』のおかげ)、この段階で既に貰いすぎだと思う。
……が、そこは流石の異世界。それだけで済むはずがなかった。
まず、流石に伯爵位の人間が領地の一つも持っていないのは拙いようで、しかしオレがそういう意欲を持っていないので、形式的に領地を下賜。実際の運営は代行がする事に。
それから、伯爵位にはなるが、貴族的な責任や義務に関しては免除される。
これは、そもそもオレは『勇者』として召喚されたのであって貴族としてロガ王国を支えるためではない為、との事。
まあ、魔王を倒して欲しいって事で召喚したわけだから、それを立場で縛ってしまうのは本末転倒だ。
「まあ、その辺りは私のやり方次第、といったところですか。青き血の生まれではないですが、上に立つ人間としての振る舞いや矜持は一応持ち合わせていますから、無様を晒す事にはならないかと」
「ふむ……? ホオズキ伯爵は、どこかでそういった経験があるのかね?」
「故郷では、決して少なくない門下生を抱える道場で指南をしていました。それに、何かしらの長たる人間には少しばかり知己がありまして」
「なるほど。少なからず学ぶ機会はあった、というわけか」
「ええ。……まあ、それがどれだけ通用するのかは、まったく未知数なわけですが」
とはいえ、鬼灯家の兄姉達には、それこそ様々な業種で、中小から大企業までの『長』と付く役職に就いた人間がかなりいたから、問題はないはずだ。
問題があるとすれば、知識があっても経験がないのでは無意味だ、という事くらいだ。
……不安だなぁ……。
「ふふ。しかし、王城からミラ殿が同行するのだろう? 彼女はエリーナ王女が幼少の時分より王城にいるという話であったし、なかなか的確な助言が貰えるのではないかな?」
なるほど。確かにそうかも知れない。
ミラさん自身は一介の……と言ってしまっていいのかわからないが、メイドだ。
それも、単なるメイドじゃない。王女の側付きをしている、メイド長だ。……今はもう違うかも知れないが。
となれば、為政者として振る舞うにあたり、彼女の助言はそれはそれは為になる事だろう。
なんという運命の巡り合わせだろう。
ステータス的には幸運EXくらいあっても良いかも知れない。
「……なるほど。確かにそうですね」
「だろう。可能なら私も色々と――む?」
シグナート伯爵がそこまで言った時、ドアが四度ノックされた。
「なんだ」
『――歓談中に失礼致します、旦那様。次のご予定が迫っております』
シグナート伯爵がドアの向こうに声をかけると、以前も案内をしてくれた執事と思しき声が、そう返事をした。
「む……もうそんな時間か。すまない、ホオズキ伯爵。どうやらこれまでのようだ」
「いえ。シグナート伯爵はローザロッサの領主であるのですから、ご多忙なのは致し方ない事でしょう」
「そう言って貰えると助かるよ」
「それに、私の事で色々として戴いているのですから、シグナート伯爵にすまないなどと言われる事は何も」
「いやいや。それこそ私が好きでしている事なのだから、ホオズキ伯爵が気を揉む必要はない。……ともあれ、予定が差し迫っているのなら仕方ない。この度の茶会はお開きとしよう」
「はい。本当に、色々とお世話になります」
「構わないよ、ホオズキ伯爵。未来の息子への先行投資と思えば安いものだ」
「……ええと、その……」
「はっはっは! 半分は冗談だ!」
半分は本気なんですね、シグナート伯爵……。
「――さて。それでは、私はこれで。またいずれ、茶会が出来る事を願っています」
「こちらこそだ、ホオズキ伯爵。おい、ホオズキ伯爵の見送りを――」
「ああ、いえ。そこまでお世話になるわけには」
「いやいや、伯爵のような人格者に見送りも付けなかったとあっては、シエスタに何を言われるかわからないのでな。私のためと思ってくれ」
いたずらっ子のようなわんぱくな笑みを浮かべながら、シグナート伯爵が言う。
ううむ……まあ、日本では謙虚こそ美徳だったが、ここは日本ではないしな……。
厚意を素直に受け取るのも、時には必要か。
「では、そうしましょう」
シグナート伯爵の笑顔に、自然と笑みが零れてしまって。
ゆるむ口元を自覚しつつ、見送りをもらって、オレはシグナート伯爵邸を後にするのだった。
◆
さて。
オレがそれに出会ったのは、シグナート伯爵邸から歩き出してすぐの事だった。
『―――――! ―――――!』
「……やっぱ、聞こえるよな」
聞こえる。街中に出てきたからだろうか。
シグナート伯爵邸にいる時より、よりはっきりと、しかしそれでも遠くにはいるようで、男が怒鳴っている事くらいしかわからないが。
「んー……。どうするかな」
まだ午前中ではあるから、時間的な余裕は少しならばある。
いや。ユキヤ達は今日も外出しているから、昼ご飯をあまり気にしなくてもいいという意味では、余裕はかなりある。
「……行くか」
とはいえ、正直そんなに悩んではいない。
この辺りはやはり日本人気質が出てくるのか、あるいはオレの性格故か、一度気になってしまうとそれ以降は気にせずにいられないのだ。
「んー……こっち、かな?」
聴力を強化した耳が拾う声を頼りに、ローザロッサの道を右に左に歩きながら、少しずつ距離を詰めていく。
そうして辿り着いた先は、いわゆる『裏通り』。
薄暗い路地、路肩に座り込んだりしているみすぼらしい格好の人間、怪しげな店の看板などが至るところにある。
そして、その路地の先にそれはいた。
でっぷりと太った男が、側にいる金髪の……体格からして、女の子だろうか。それに対して、顔を真っ赤にしながら怒鳴り散らしている。
「……奴隷、か」
『真実の瞳』スキルを使ってその二人を見てみたところ、男の方は奴隷商で、女の子の方は奴隷だと表示された。
つまり構図としては、何かをしでかしたのであろう女の子に対して、男が叱っているか何かなのだろう。
とはいえ、いくら女の子と男の関係性が明らかになっていても、幾らかやつれた服を着た女の子が男に怒鳴られているというのは、見ていて面白いものではない。
「損な性格かもな、オレ……」
ははっ、と自嘲気味に短く笑ってから、その二人の方へと歩を進める。
そうしてしばらく歩き、二人の姿をほんの数十センチ先に見るようになった頃、男の、怒りに満ちた大きな声が辺りに響き渡った。
「お前なんぞもう要らん! この首輪もお前には贅沢な品だからな。返してもらう! 俺は店に戻るが、お前はどこへなりと行って野垂れ死ね!」
男はそう怒鳴ると、何事かを呟いた後にカシャンと外れた奴隷用の首輪を持って、どすどすと足を踏み鳴らすようにして、肩を怒らせてどこぞかへと去っていった。
……こういうの、異世界でもあるんだなぁ。
しかし、良かったのかね? 商品を一つ捨てたようなもんだと思うんだが……。
まあ、気にするだけ無駄か。
とりあえず女の子の方を気にしよう。




