九十一頁目 両手に華で昼ご飯
案の定、屋敷の朝ご飯に間に合わなかったどころか、むしろ空腹を忘れて昼前まで情事に興じていたオレとヒルダは、流石に空腹に耐えかねて街へとくりだしていた。
まあ、有り体に言ってデートだ。
ヒルダにそこまで入れ込むつもりはないが、これくらいは付き合いの範疇だろう。
キャバクラや風俗の女の子に入れ込んで身を持ち崩す、なんて珍しい話でもないから、気を付けてはいるけど。
それはさておき、空腹である。
「……何食べたい?」
「あたし? あたしは別に……あんたは?」
「オレ? オレは別に……」
さっきからこんな調子で、何を食べるのか、食べるのだとしてどこで食べるのか。そういったものが全く決まらない。
というのも、オレはこれまで、小腹を満たす以外は基本的に自炊だったために街の飲食店なんかがわからないのである。
だからローザロッサに詳しいだろうヒルダに任せたかったのだが、ヒルダはヒルダでオレに一任するような振る舞いなので始末が悪い。
このままでは、最悪空腹を抱えたまま夜を迎えてしまいそうだ。
「――仕方ない」
◆
「――というわけで……多少値が張ってもいいから、美味い店を教えてくれ」
「……なんで私に言うんですか」
困った時のエルティセル。
大手商会なんだから美味い飯屋の一つや二つ知ってるだろうという事で、ローザロッサに馴染みのあるトーリットに訊きに来たのだ。
「大体、その人は……その、恋人……なんですか?」
「いや? 彼女は娼婦だよ。ついさっきまで相手してもらってたんだ」
「さっきまで!?」
「……うん、さっきまで。で、こんな時間まで付き合って貰ったし、せっかくだから飯くらい奢ろうって思ってな」
「セツカさん、絶倫なんですね……」
何かを企むかのように眼を光らせながら、上から下に、下から上にと、舐めるような視線でトリィがこちらを見てくる。
「あの、頼めば私とも寝てくれます?」
何言ってんだこいつ。
「いや……本気で言ってるなら、まあ、無下には出来ないが……」
「そうですか! あ、ちなみに、そのご飯って私が同席したりするのは……」
「んー……ヒルダ、どうだ?」
「あたしは構わないよ。……しっかし、あんた、エルティセル商会の令嬢と面識があったんだねえ」
「まあ、ちょっとな。で、同席だったな。ヒルダが拒否しないなら、オレから言う事はないな」
「ありがとうございます! 実は私、前から行ってみたかったお店があるんですけど、予算や時間の都合で行けなかったところなんです。そこでも構いませんか?」
「是非もない。実はオレ、割と空腹で限界きてるんだ」
人は、腹が減ると本当に動けなくなる。
それが運動をした後なら尚更だ。
……まあ、セックスを運動と呼ぶかどうかは、怪しいところだと思うが。一時期セクササイズなるダイエット法もあった事だし、運動の一種であると思いたい。
消費カロリー、割とあるしな。
「わかりました。じゃあ、早速行きましょうか。支払いはお任せでいいんですか?」
「ああ、構わない。使ったら稼げばいいんだし、一ヶ月のダンジョン攻略で売るタネはあるしな」
「流石セツカさん、太っ腹! そうと決まれば……すみません、私、お昼行ってきますね!」
商会の他の従業員にそう告げると『では行きましょう!』とオレの手を取って歩き出すトリィ。
ヒルダは『元気な人だね』と軽く溜め息を吐きながら後に続いてきた。
そうしてトリィの案内でやってきた店は、ダンジョン内でもシエスタ達が話していた、ローザロッサ一の高級飲食店《聖母のゆりかご亭》だった。
徹底したサービスと上質な料理、店内は豪奢でありながら入店に気後れさせる事はなく、店のオーナーの意向で亜人であれハーフエルフであれ入店を許されている。
普通は亜人なんかは忌避されるものだと思っていたから、どうしてなのかとトリィに訊いてみると。
「昔、料理の武者修行でオーナーさんが各地を旅していた際に、亜人に助けられた事があったそうですよ。それで、人種を区別する事なく受け入れるお店にしたらしいです」
と、説明してくれた。
なるほど。物語にはありがちだが、事実は小説より……と言うし、それだけ心に残った出来事だったんだろうな。
「……あんた、こんな店、涼しい顔してよく入れるね……」
いくらか声を抑えてそんな風に言ってくるのは、誰あろうヒルダである。
夜の街の住人だという認識が強いからか、彼女はオレやトリィとは違って幾分気後れしてしまっているらしい。
「まあ、オレも一応貴族だし、これくらいはな」
「……あんた、貴族だったのかい?」
「あれ? 言った事なかったか? まあ、一応貴族なんだよ、一応。お前の前じゃ、女の身体に溺れる一人の男だけどな」
「よく言うよ。溺れてるのはあんたじゃなく、あたしだってのにさ」
ヒルダは拗ねたように口を少し尖らせつつ、しかし熱っぽい視線を向けてくる。
そうして話していると、注文を取りに来たらしいウェイターと思しき人物と、コック帽に料理人服の壮年の男性がやってきて、恭しく頭を下げてきた。
オレやヒルダなんかは頭を下げられる謂われなんかないし、きっとトリィ相手の礼なんだろうなと思っていたら、料理人服の男性の口から出た言葉に驚く事になった。
「いらっしゃいませ、セツカ・ホオズキ男爵様。私はこの店のオーナーをしております、クロッセルと申します」
そんな事を述べて、今度はコック帽を脱いでから再び礼をしてくるオーナー氏。
……マジ? 一度たりとも利用した事ないのに、なんでオレの素性がバレてるんだ?
いや……この店の評判を考えたら貴族が利用してても不思議じゃないし、どっかの貴族からオレの話が持ち上がってても疑問じゃないか。
とりあえず、面倒は避ける方向でいこう。
「初めまして、クロッセル殿。私が誰であるのか既に知っていたようだが、この界隈では私の話はよくされているのかな?」
「いえ。ですが、マリスという女性から、ホオズキ男爵様の事は聞き及んでおります」
「マリス? 彼女とクロッセル殿は、どういった関係で?」
「特に深い関係であるというわけではなく、ただ自宅が近所であるというだけの話です。先頃、彼女と話す機会があって、貴方の事が話に上がったのです」
なるほどなぁ……。
マリスの古巣……って言うと誤解を生みそうだが、クロッセルとは家が近かったから仲が良いってわけか。
それにしても、オレの事なんてマリスはろくに知らないだろうに、どんな話をしたんだ?
「はい。ホオズキ男爵様は料理がとても巧みな方なのだと、聞き及んでおります」
「……フ。買い被り過ぎだ、クロッセル殿。私はそもそも平民上がりの新興貴族。元々貴族であった人々よりは、幾分家事の腕に覚えがあるというだけの事だ」
「しかし、マリスは幾度も私の料理を口にしています。その彼女をして『クロッセルさんより料理上手かもしれません』などと言わせる人物を、無視は出来ませんよ」
なにィ? マリスはそんな事を言ってたのか。
料理人なんて面倒な人種に、とんでもない話をしてくれたもんだ。
「……まあ、今日の私は両手に華の単なる客でしかない。貴族であるとかは関係なしに、単に客の一人として扱っていただきたい」
「畏まりました。……では、この度のメニューは如何いたしましょうか」
「……何分、私達はこれが初めてだからな。メニューはそちらに任せよう。ただ、オススメのものを食べたくはあるな」
「任せられましょう。……それでは、今しばらくお時間をいただきます」
クロッセルはそう言って三度頭を下げると、最後に少しだけ微笑んでから、コック帽を被りつつ去っていった。
ウェイターの方は残り、手にしていたナイフやフォークなんかの入った入れ物から、オレ達三人の前にそれらを準備してから、クロッセル同様に三度礼をして去っていく。
「……セツカさん、貴族だったんですね」
「さっきそう言っただろ。というか、トリィはもう知ってただろう?」
「いえ、まあ、そうなんですが……ようやく実感出来たと言いますか……」
なるほど、実感か……。
確かに、今までオレは貴族らしからぬ振る舞いばっかりしてきているし、実感はなかったかも知れない。
「……まあ、いいじゃないか。あたしももう驚かないからね。少し早めの昼食を楽しむ事にしようじゃないさ」
きっとトリィよりも遥かに驚いているだろうヒルダの言葉に、オレもトリィも頷きを返す。
こっちの世界の飲食店で喰うのは初めてだし、楽しみにさせてもらおうかな。




