九十頁目 大人の朝?
マリスを屋敷の住人として招いた翌日の朝、オレはヒルダの勤める娼館の一室で目を覚ました。
オレとヒルダの両方の体液でドロドロになったベッドは多少違和感を覚える寝心地だったが、寝具なんてものは最悪寝られればなんだって良いのであまり気にはならなかった。
そして、相手をしてくれたヒルダはと言えば、初めての夜とは違ってアコルの実は使わなかったからか、それなりに幸せそうな寝顔で寝ている。
……そういえば。
どうにか、ヒルダを屋敷に住まわせるわけにはいかないだろうか。
どうせオレしか客にはならないのだし、それならわざわざ店まで足を運ばなくても、屋敷にいてくれた方が手間が省けて助かるんだが。
「……いや、そりゃオレの都合だな」
あわよくばヒルダと一日セックス三昧なんて事も考えたが、そもそもあの屋敷はオレが一人で住んでるわけじゃないし、断念するしかない。
それに、ヒルダの体力が一日中保つとも思えない。セックスってのは、意外に体力を喰うからな。
そもそも……そもそも、だ。
オレはそんな、辞書でエロい言葉を引いて妄想して勃たせるような、思春期真っ盛りの男子ではない。
一応成人はしているし、たとえ誰に誇れなかったとしても、自制心というのは持ち合わせがある。
ただ、困った事にヒルダという女は、そんなオレを自慰を覚えたばかりの猿みたいな気分にしてくる、魔性の肢体を持った女なのだ。
「……昨夜は、何発ヤったっけ……?」
淫靡な空気と熱に浮かされていたせいか正確な数字は覚えていないが、二桁は確実に致しているだろう。
つまりヒルダとは、そういう身体の持ち主なわけだ。
「……ん。あぁ……セツカ……起きてたんだね……?」
「ああ、悪い、起こしたか?」
「ん……ふ……まぁね……はぁ……」
「そりゃ悪かったよ」
「んっ……いいよ……。あぁ……まだ外は暗いじゃないか……」
まだ半ば微睡みの中にいるようで悩ましげな吐息と共に言葉を紡ぐヒルダは、申し訳程度にある採光窓から外を確認しながら身を起こした。
眠気のせいで頼りなげにふらつきながら身を起こすヒルダの背中に腕を回して、起こす手伝いをしてやると、彼女はこちらを振り向いてわずかに微笑むと、オレの唇に自分の唇を軽く押し当て、すぐに離した。
「起きるの、手伝ってくれたから、そのお礼さ」
一体なんのキスだったんだ? と、少し混乱していたオレを見て、ヒルダは微笑みをそのままに覚醒しつつある確かな語気でそう告げた。
「普通に言葉だけもらえれば良かったんだけどな」
「いいじゃないか。情事の延長と考えりゃ、別に変でもないだろう?」
「……まあ、それは確かに」
「だろう? ……それにしても、あんたは随分早い時間に起きるんだねえ。いつもこんな時間なのかい?」
「ああ。朝早くに起きて、鍛練をしてから朝飯の時間にするのさ」
「鍛練……ねぇ。それでこんな逞しい身体になってるんだね」
うっとりしたような顔で両手をオレの胸に当てながら、ヒルダは慈しむようにその手を動かした。
それがくすぐったくて身体がぶるっと震えそうになるのを、手のひらに親指の爪をたてて我慢する。
「……あんた、なんか震えてないかい?」
「手が、ちょっとくすぐったくてな」
「ふふ、そうかい。あ、でも、こうしてたら、あんたは朝の鍛練が出来ないね。どうする、もう出るかい?」
「鍛練すればしただけ強くなるってわけじゃないしなぁ。それに、つい一昨日まではダンジョンにいたんだ。昨日も朝の鍛練はしたし、今日一日くらいサボっても文句は言われないさ」
「意外に不真面目だねえ、あんた」
「それに、本当は朝の鍛練なんかしなくてもいいんだよ。最初こそ身体を鍛えるためだったけど、近年は目覚ましのためにしてたからな」
「……まあ、昨夜は散々あたしを求めてくれたし、朝も早くにまた激しい運動をする必要もないかね」
いたずらっ子のような笑みを浮かべながらヒルダは言う。
まあ、この世界には母さんはいないし、朝の鍛練をしなかったくらいで誰に何を言われるわけじゃなし、好きにすればいいよな。
……断じて、セックスの影響が少なからずあるとか、そういう話ではない。断じて。いや、ホントに。
「そういや……ヒルダは、歳はいくつなんだ?」
「……女に歳を訊くなんて、失礼じゃない?」
こっちの世界でも、女性はそういう事を言うんだな……。別に年齢訊くくらいはどうでもいいと思うんだが。
「まあ、いいけどね。あたしは今年で十九になったんだ」
「…………は?」
「……なんだよ?」
ヒルダの口から出てきた言葉に意表を突かれて、間抜けな声をあげる事になってしまった。
なんだって? 十九? ……マジで?
「いやぁ……うん……」
「なんだい、その微妙そうな顔は」
「んー……いや、もう少し歳上なのかと思ってたんだよ」
「……セツカには、あたしは何歳に見えたんだい?」
「二十……四くらいかな。別に老けて見えるとかじゃなくて、色気があるって言うか、な。纏ってる空気のせいもある」
「ふぅん……? じゃあ、歳上の女を溺れさせるために声をかけてきたわけだ?」
ニヤニヤと悪戯っぽい笑みを口許に称えながら、からかってくる。
そういう部分を見ればこそ十九歳というのも頷けるものなのだが、少なくとも、あの夜のアンニュイな雰囲気のヒルダは、歳上の女性に見えたのである。
ただ、『溺れさせるために声をかけたのか』と訊かれたら、正直ノーコメントでいさせて欲しいところだ。
だって、ほら、そういうのは面と向かって言うもんじゃないし。
……ところで。
「ヒルダはオレに溺れてるのか?」
そういう言葉が出てくるって事は、つまりそういう事なんだろうか?
そう思って口にした質問だったが、ヒルダはそれを聞いた途端、彼女の髪色の如き赤がその頬を染めた。
「あ、あたしは別にそんな……!」
「くっくっく……そんなに焦らなくてもいいだろ? 違うなら違うでいいんだから」
「……ま、まあ、情事は上手い、と思うよ?」
「そりゃ光栄だな」
性経験の少ないオレではあるが、ヒルダを満足させるには充分なテクニックであるらしい。
女をまったく満足させられないよりは、一人でも満足させられるとわかれば、それは光栄な事だろう。
……なんか、朝からエロい事ばっかり考えてんな、オレ。
やっぱり、状況がそうさせるのかね。
「そ、それよりだね。セツカはいくつなんだい? 妙に落ち着きがあるし、歳上なんだとは思うけどさ」
「オレは二十一だよ。先日、誕生日を迎えたばかりだ」
「ああ、やっぱりね……。でも、セツカこそ二十四か五くらいはあると思ってたよ」
「……なんで?」
「そりゃあやっぱり、落ち着きがあるからさ。見てくれは若いから、流石に三十はいかないと思って、それならそれくらいかな、ってね」
確かに、昔から『刹華はしっかりしてるなぁ』なんて言われる事は多かった。……まあ、同級の連中に比べてかなり大人しかったから、些か心配もされていたんだろうが。
それでもオレだって年頃というのはあるわけで、友人と接する時なんかは、そりゃそれなりに砕けた調子でいたものである。
残念ながら、兄姉や母さんの前ではそういう姿を見せる事はなかったが。
「……まあ、母親と二人暮らしだとな。母親が色々と奔放な分、オレがしっかりしてないとダメだったんだよ」
「母親と二人……。父親や兄弟なんかはいなかったのかい?」
「父親はオレが生まれてすぐくらいに亡くなったらしい。兄弟はまあ、いるぞ。百人を優に超える兄や姉が」
「百……!?」
「まあ、血の繋がりはないんだけどな」
ああ……こうして思い出すと段々不安になってきた。
オレが生まれてからこっち、母さんは施設の子を引き取るって事はしてこなかったけど、今はどうしているのやら……。
知らない間に弟や妹が出来てたらどうしよう。
どうしようもないか。
「でも、賑やかそうでいいね。……あぁ、そうだ。賑やかと言えば、家に帰らなくてもいいのかい? 朝ご飯もあるだろう?」
「んー……まあ、大丈夫だろ。ヒルダは腹減ったのか?」
「あたしもまだだけど……いいのかい? あのハーフエルフの子なんか、心配しそうだけど」
「それはそうなんだが、まあ、大丈夫だ。一応言伝ても頼んであるし」
「……本当かい?」
「心配しなくていいよ。ガキに見えても、中身はそうガキでもないし、かなりしっかりしてるから」
「ふぅん。……じゃあ、もうしばらくあたしに付き合ってくれよ?」
言うや否や、ヒルダは再びオレの唇を奪う。
しかも、先ほどのような軽いキスではなく、情熱的なディープキスでこちらを誘ってくる。
据え膳喰わぬは、とも言うし、この誘いを無下にするわけにもいかず……オレは、キスをしたままヒルダの身体を抱きすくめ、そのままベッドに倒れ込んだ。
朝からってのは、あんまり気分がノらないが、誘われたなら応えてみせようとも!
……こりゃ屋敷の朝ご飯には間に合わないな。




