八十八頁目 晩餐の準備
さて、とキッチンに立って早速思考する。
日本にいた頃は母さんのリクエストで様々な料理に手を出したものだが、それ故に引き出しが多くて、なかなかに迷ってしまう。
昼間はシックネスヴァイパーのカツを作った。
油を大量に使ってしまったし、クッキングペーパーで余分な油を吸ってたわけでもないから、油を使うのは今夜はなるべく控えるべきだろう。
鮮魚でも手元にあれば、そいつでマリネを作ったりしてさっぱりとイケるんだが、残念ながらそれも出来ない。
さて、どうしたものだろう……?
「あの、セツカさん……? どうされました?」
「ん? いや、昼間は油をたっぷり使った料理にしたから、どうしようかと思ってな。うちの連中はみんな肉が好きだし、それを考えると油は少なからず使う事になる。かと言って油ばかりでは胃がもたれる可能性もある。ま、若いから、あんま気にしなくてもいいかもだけどな」
言い終わり、ふとマリスの方に視線をやると、彼女はぽかんと口を開けていた。
「……どうした?」
「――はっ!? い、いえ、セツカさんは貴族であるのに、そういう事を気になさるのだなと」
「まあ、オレは生まれついての青い血じゃないからな。贅をこらせば美味いもんは確かに喰えるだろうが、それだけじゃ栄養が偏るし、何より面白くない」
「面白くない、ですか……?」
「……色んなものを喰えば、それは他の誰より物を知ってるって事だろう? そういう優越感に浸りたいのさ、オレは」
「……ぷっ、くふふふ。セツカさんは、結構俗な感じなのですね……!」
マリスが笑む口元を手で隠しながらそんな事を言う。
なんだ、オレはどんな奴だと思われてたんだ?
「いえ……オルトーラの英雄だとか、ダンジョン踏破者だとかと聞いていましたから、変な想像ばかりしてしまいまして」
「……マリスこそ、厳格そうな女の姿をしていたかと思えば、そういう顔も出来たんだな」
「あっ、いえ、あの……これは……」
「なんだよ。別に隠さなくてもいいだろ? 可愛らしくて、オレは好きだな」
「……そう、ですか」
顔を赤らめて、その熱に気付いたのか両手を頬に当てているマリス。
うーん、そういう仕草をされると余計可愛く見えるんだが……実は公私のギャップが凄い人なのかな?
あるいは、この可愛らしい姿こそが彼女の素で、眼鏡は伊達で、厳格そうな女を見せてるだけだ……とか? いや……まさかな。
「肉……でもさっぱりしたい……となると……」
カルパッチョにすべきだろうか。
カルパッチョと言えば、生の牛ヒレ肉のスライスにチーズやソースをかけたイタリア料理。
イタリアのとある画家が、生の牛肉のスライスにパルミジャーノ・レッジャーノ……日本でも馴染みがあるように言えばパルメザンチーズか。厳密には違うものだが、それはまあいい。
ともかく、生牛肉スライスにパルミジャーノ・レッジャーノをかけて喰うのが好きだった画家の名から取って『カルパッチョ』と言うんだとか。
肉を使いつつさっぱりした料理に仕上げるとしたらそれくらいなものだろう。
刺身……は、ちょっと手が出せない。
今のところ醤油か魚醤に出会えてないから、タレすら作れないしな。
ああ……久しぶりに馬刺しが食べたいなぁ……。
「メインじゃないけど、まあ、これでいいか」
カルパッチョはメインに据えるとして、あとはどうしたものか。
パンは当然食べるとして……飲み物も問題はない。あとは……全体量だろうか。
ロゼは小柄な身体の割に少し大食らいな成人男性ほどは喰う。ライカも普段ならそれくらい喰うが、今日は散々食べ歩いて帰ってくるだろうし、あまり気にしなくていいかも知れない。
……まあ、それでもかなりの量が必要になるが。
「さて、まずは肉か。牛ヒレに近いのは……なんだろうな?」
インベントリを眺めつつ、ふと、一ヶ月前のトリィの言葉を思い出す。
……そうだ、ブレイクバッファロー。
あれの肉は牛と豚の合の子みたいな肉で、煮てよし焼いてよしの万能選手って話だったし、使う事にしよう。
残念ながらインベントリの表示ではどれがヒレ肉だかわからないが、見るからに上等な、それこそ、地球の人間が育てた牛なんて足元にさえ及ばないような肉だったし、どこでもいいか。
「あの、ちなみに、何を作る予定なのですか?」
「カルパッチョって言って……わかんないか」
その単語を聞いても何の事かわからないような顔のマリスを見て、そういう名前の料理はないんだろうなと悟る。
まあ、これまでも料理に明確な名前があった試しはないし、大抵は『○○と××の△△』みたいな主要な食材と調理形態を表した名前ばっかりだったし、ある程度の予想は出来てたが。
「生の肉を薄切りにして、それにソースをかけた料理を作るつもりだ」
「それが、カルパッチョ……ですか?」
「ああ。変な名前だろ?」
「変……まあ、少し……。セツカさんの故郷の料理なのですか?」
「まあ、そんなとこだ。ブレイクバッファローの肉を使うから、一口大くらいに薄切りにしてくれ」
言いながらブレイクバッファローの肉の塊を一つ、インベントリから取り出して俎板の上に置く。
「わかりました」
「……そういえば、普段どんな風にものを切ってる?」
「……どんな風に?」
「ああ。押して切るとか引いて切るとか、上から押し潰すように切るとか、切り方にしても様々あるだろう?」
「……? そうなのですか? 切れていればそれで良いのでは?」
「…………あー、マリス。 失礼ながら、料理の経験は?」
「それはもちろん、あります。私は平民の生まれですし、何より女ですから、嫁入り修行の一環としてそれなりの腕は持っていますよ」
マジかよ……。
いやまあ、でも、仕方ないのかねぇ。
平民でこれって事は、貴族や王族お抱えの料理人ですら、食材の切り方なんてロクに気にした事がないんだろうな。
「……よし、わかった。マリス。とりあえず今回は、オレが作るところを見ていてくれ」
「はあ……? それはまあ、構いませんが」
「よし。じゃあ、早速調理を始める」
インベントリから、王都で買った包丁セットを出して、その内の一本を手に取り、早速ブレイクバッファローの肉を捌いていく。
一抱えはある肉塊を幾つかの小さな塊に分けていく。カルパッチョに使う肉のスライスは一口大くらいだから、細長い肉塊が出来上がる事になる。
「……凄い手際の良さですね。セツカさんは、どこかの宮廷料理人だったりしたのですか?」
「まさか。オレは自宅の台所を任されていただけだよ。……まあ、母親の我が儘で、随分多くの料理を手掛ける事になったが」
「セツカさんのお母様ですか……。どのような方なのか、お訊きしても?」
「まあ、いいけど……。オレの母……零華は、なんというか、自由な人だな」
「自由、ですか」
「そう。好きな時に起きて、好きな時に食べて、好きな時に寝て、誰憚る事なく好きな時に好きな事をする。何にも、誰にも縛られない。そんな人だ」
話ながらも、調理の手は止めない。
肉が傷まないように氷魔法で冷気を手に纏って体温が伝わるのを防ぎつつ、刺身を造るようにして引くように切って細長い肉塊をスライスへと変えていく。
「それは……引きながら切っているのですか?」
「そうだ。こうすると、力をあまり入れずに切る事が出来る。……とは言え、これは包丁の切れ味こそが肝要になるから、包丁の手入れはしっかりやっておくべきだな」
「なるほど……。しかし、それは肉のような柔らかいものだから出来る事なのでは?」
「まあ、それは否定しないな。あるいは、こんな感じに薄切りにする時に向いてる。固いものなんかを切る時は、逆に向こう側に包丁を押すようにして切るのが良いかな」
「切り方にも色々あるのですね……」
「ああ。……それより、オレの母の事はいいのか?」
「いえ、聞かせてください。その、レイカさんは、そのような生活態度で誰からも文句は言われないのですか?」
「文句?」
はて。そういえば母さんは、特に誰かに何かを言われるような人じゃなかったな。
いやまあ、人じゃないんだけどさ。
でも、人の世に生きていながら、家を訪ねてくる人や道端で会う人は、オレを母さんの息子だと認めるなり、零華さんには世話になっただの、零華さんには助けられただの、そんな事ばかり言っていたように思う。
誰一人として『迷惑をかけられた』とは言っていなかった。
あるいは、それは胸中に秘められた思いなのかも知れないが、それならそれで怒りを感じて言葉にするだろうし、だからやはり、母さんは、誰にも迷惑をかけなかったんだろう。
「誰にも言われなかったな。息子であるオレにも、母に迷惑をかけられたと苦言を呈する人はいなかったよ」
「そんな人、いるんですね。……セツカさん、それはソースですか?」
「ああ、そうだ」
インベントリから取り出した木製のボウルに、同じくインベントリから取り出した、ニンニクに似たグリカを細かく刻んで入れ、オリーブオイルと酢を入れて混ぜる。
更に塩と胡椒を加えて味を整える。
そうしたら、あとは盛り付けだけ。
普段のメンバーの分にマリスの分を加えて、全部で七人前の皿に、スライスしたブレイクバッファローの肉を円形に並べて、そこに作ったソースを回しかける。
「よし、完成」
「完成……なんですか? これで?」
「ああ。火も水も使わない、簡単な料理だろ?」
「はい。……あら、七人分あるようですが?」
「そりゃそうだろ。マリスも一緒に喰うんだから」
「……私も、ですか?」
「うん。まあ、嫌なら無理にとは言わないが」
「いえ、嫌だなんて! ありがとうございます、セツカさん」
恭しく一礼したマリスに笑みをもって応え、残りのパンや飲み物の準備も手早く済ませてしまう。
さて、夕飯だ。
簡単なものだし量が少なめだから、ロゼやライカあたりは追加で何か要求してくるだろうな。
……ま、その時はその時か。




