七十四頁目 六十五層のボスと六十三層での約束
黙々と。そう、黙々と。
時にクライムウルフに追われ、オーガロードと戦い、エンシェントヒュドラの巨躯を間近で見てその大きさに感動したりして、全ての通路や部屋を回って宝箱を回収したりしながら、ようやく辿り着いた六十五層。
その六十五層のボスの部屋に、今、進入している。
「……ええと」
今の感情をひとことで言い表すなら、まず間違いなく『困惑』だろう。
『えぇ……(困惑)』みたいな感じだ。
目の前に広がるのは一面の銀世界。
肌に感じる冷たさは日本にいた頃の冬と同じ氷点下の冷たさで、空――正確には空ではなくて天井なのだが――からは、少し吹雪くような勢いで雪が降り注いでいる。
ただ、今までとのギャップがあって、今、物凄く困惑している。
というのも、だ。
六十層からこの六十五層まで、天井には澄み渡る青空が広がり、地面には芝生を始めとして草花や木が生え、照る太陽はさながら春のような陽気さで、少し立ち止まれば眠気すら覚えた。
だと言うのに、急転直下にも程がある。
夏真っ盛りに涼を取ろうと半袖半ズボンで扇風機の風に当たりながらアイスを食べてたら、次の瞬間いきなり北国の真冬日が来たような、そんな感覚だ。
……我ながら仰々しい表現だと思う。だが、言葉だけで寒いとか、オレの表現力も捨てたものではないらしい。
一番の問題は、そう表現したオレが被害を被っているという事だが。
ともあれ、そんな銀世界が、この六十五層のボス部屋には存在している。
シエスタ達の話によると、この六十五層のボス部屋から七十五層までは極寒エリアと呼ばれる階層郡で、寒さ対策をしてなかった六十五層クリアSランクパーティは、六十六層をチラッと見て寒すぎて無理だと判断して帰って来たとか。
なんというか、実に、こう……情けない話というか……。もうちょっとどうにか出来ただろ、なんて思わないではないけども。
まあ、事情は人それぞれだ。
ちなみに、この部屋のボスは『ブリザードバンシー』という名前で、ヒト型の魔物だそうだ。
人間で言うところの氷魔法と音魔法をメインに戦って、少し青みがかった白色をした秀麗な見た目に騙された男を確実に殺すと評判らしい。
女性は何故か相手にされないのだとか。
その代わり女性からの攻撃も一切通さないという。
「これ、オレが戦う……んだよな」
目の前……と言っても五十メートルほど先ではあるが、そこに佇む青みがかった白の髪、真白の肌、純白のドレスの女性を見ながら、誰に問うでもなく言う。
「セツカじゃないと攻撃通らないからな」
「……はぁ」
まったく、なんて仕様だブリザードバンシー。
幸い。幸いにもこのパーティの男にオレがいたから良かったものの、仮にオレが女だったらボスを目の前にして撤退とかいう情けない事になっていたじゃないか。
まあ、ともあれ。
六十三層で約束した事を早々に達成出来そうで何よりだ。
道中の魔物は、あの戦闘方法を試すにはちょっと物足りないというか、脆い。そうでなくても、武闘派のロゼや戦うのが好きなライカあたりが殲滅に動いてしまってそれどころじゃない。
まあ、彼女達は奴隷だから、オレが命令すれば良いだけの話ではあるが、それはオレの方針としてはNGな行為だ。
「じゃあ、まあ、六十三層で言ったあれをやろうか」
「あれ、というと……火と風の魔法を使った?」
「ああ。超高速機動戦闘ってヤツだ。まあ、制御しようと思うとかなり苦労するんだが、その辺りは訓練次第って事で……いくぞッ!」
まずは風魔法の中の電気を操る魔法と、風を操る魔法を同時に発動して、身体に電気負荷を掛けて身体能力を上げつつ風でブーストして超高速機動状態に入る。
最初は様子見という事で、インベントリにある武器を吟味しながら、地面はもちろん、壁や天井を蹴って三角跳びのような動きも交えながら、ブリザードバンシーを中心にして立体的な機動で移動する。
さて、このブリザードバンシーと戦うにあたって注意すべきなのは、人間にはおよそ解明出来ずにいた氷魔法。……ではなく、音魔法の方だ。
音魔法と言えば、闘技大会で実況の人が使っていたのが記憶に新しい。
あれはただ単に声を拡声するためだけに使用されていたが、そもそも『音』とは、生き物の身近にある武器の一つだ。
ひとくちに『音』と言っても、要するにそれは空気の振動だ。それが鼓膜とか骨とかに伝わる事で、人は『音』を認識しているのである。
そしてこの振動という現象は中々に厄介なもので、人を心地好くさせる振動もあれば、逆に不快にするものもあり、最悪の場合は人体を傷付け、死に至らしめる事もある。
心地好い振動と言えばやはり、電車が想像しやすいだろう。一定の間隔で、タタン、タタン、と振動するあれは、そもそも電車の座席の座り心地がそれなりに良いのも相俟って、寝るには丁度良く、心地好い。苦手な人もいるだろうが。
逆に不快になる振動や傷付く振動、死に至る振動だが、これは単に音と置き換えるとわかりやすいだろう。もちろん、人によりけりという部分はあるが、人体のすぐそばで超大な爆音を一瞬のうちに生み出せば、そのショックで人は死ぬ事もある。
他にもソニックブームといった衝撃波も、音、ひいては振動によるものだし、高周波や低周波といった周波の中には、『これを聴くと不快になる』という周波もある。
それを踏まえて、やはり厄介なのは音魔法と言える。
使う人間が使えば、意図的に特定の人物の体調を崩させたり、人知れず殺す事も出来る。
そもそも振動というヤツは、防ぐ手段が物凄く少ない。空気や水分はもちろん、ピンと張った糸や布、生物においては肉や骨さえもその影響を受けてしまう。
……まあ、早い話が、無策で突っ込むと音魔法で痛い目を見る、とそういう事だ。
ああ……男がオレだけじゃなければなぁ……。
「……ん。ちょっと拙いな」
ブリザードバンシーが動き出した。
それは一見すると緩やかな……いや、あの魔物が女性の姿を取っている事を考えれば、たおやかな、と表現するのが適当だろうか。
ゆったりとしながらも、しなやかな所作で一歩、二歩、三歩と歩を進めたかと思えば
「―――――ッ!!」
それは、絶叫だった。
音魔法を最大限に利用して放たれた、強大な音の衝撃は壁に、地面に、天井に、無作為に傷を刻み付けていく。
ブリザードバンシーの視点で考えるならば、この攻撃はきっと……いや、確実にオレに向けて放たれたものだ。
誰かが、何かがいるのは判る。そしてそれは、自分の周りを極めて迅く移動し続けている。
氷魔法で攻撃しようと思っても捉えられない。
それならば、広範囲に効率的に、とかんがえたんだろう。
……まあ、魔物が思考するのかどうかというのは置いておくとして。
ともあれ、彼女……彼女? 彼女のその選択は正解だ。
オレはこの攻撃に対して防ぐ術を持たない。
まあ、単なる音の攻撃ならば、の話だが。
「っとと、危ないな」
超高速機動状態にあったのを魔法を解除して慣性での移動だけに止め、バーニアやスラスターの要領で火魔法を使って急ブレーキをする。
そして、迫る音の衝撃に対して風魔法で音の断層を作って防壁代わりに。
これだけ連続した魔法の行使は今までした事がなかったから少し不安ではあったが、上手くいって良かった。
「……まだ武器が決まってないんだよなぁ」
我ながら、攻めあぐねるというか、さっさと攻めなかった事を反省しながら、再び超高速機動状態に移行する。
ボッ、という音を置き去りにして移動しながら武器を選定する。
が、壁を蹴る刹那に、大きな氷の槍が迫った。
しかしこちらの速さの方が明らかに上回っていたので、避ける事が出来て、大事には至らなかったのは幸いだった。
いやはや、まさか魔物が予測射撃をしてくるとは思わなかった。いやー、危なかった。
「……恐ろしいな」
多分まだブリザードバンシーはオレを捉える事は出来ていない。
だが、この戦い方には、動きが極めて直線的になる、という弱点がある以上、すぐに捉えられてしまうだろう。
「……お、これ良いな。使おう」
インベントリの中で眼に留まったそれを取り出して構える。
さて。ここからが本当の超高速機動戦闘だ。




