七十頁目 アシッドスライム対策
『フラグ』というものを知っているだろうか。
あるいは『言霊』でも構わないのだが。
とにかく、何かが引き起こされるには、必ずそれを引き起こす『原因』があるし、それは、あるいは何か強い思念によって引き起こされる場合もある。
まあ、早い話が、何かを想像したり、口にしたりする時には、十分に気を付けましょう。と、そういう話だ。
そうでなければ――。
「……どうして被害者が増えてるんだ」
ローザロッサから三人分の女性用の衣服と下着を購入して戻ってきたオレ達を出迎えたのは、新たにアシッドスライムの被害者となったキャスタリア、ユキヤ、ルキナの三人だった。
もはや、『アシッドスライム被害者の会』だ。
ローザロッサの仕立て屋に行って帰ってくるのに、小一時間もかかっていない。それなのに、被害者は倍になっている。何故なのか。
「主……その、油断していたわけではないのです。ただ、その……」
珍しい事が続くものだ。
普段は物事をハッキリと伝えるユキヤが、何か恥ずかしい事でもあるのか、言い淀んでいる。
だが、話してもらわなければ――大体の想像は出来るが――どうしようもない。
「……ハッキリ話せ」
「御意に。……おおよそ予想はついていると思われますが、アシッドスライムの襲撃を受けました。最初はキャスタリア殿が。次に私とルキナが同時に」
「お前やシエスタの感知系スキルには反応がなかったのか?」
「全くありませんでした」
「そうか……。そいつは中々に厄介だな。まあいい、こんな事もあろうかと服は大量に買ってきた。ダークエルフの露店商もいて装束を取り扱ってたから、それも買った。……すぐに使う事になるとは思わなかったが」
「ありがとうございます、主」
「礼はいい。さっさと着替えて、さっさとアシッドスライムが出る階層を抜けよう」
インベントリから取り出した衣服をアシッドスライム被害者の会の面々に渡して、着替えが終わるまで背を向けておく。
やむを得ず視界に入るのと、意識的に視界に入れるのは違うからな。最低限のマナーは遵守しなければ、男とは言えない。
「……………」
僅かな衣擦れの音が耳朶に響く。
これでオレがエロ想像力の豊かな思春期の少年であったなら、あるいはその音でもオレの男の象徴はその鎌首をもたげたのだろう。
まあ、既に全裸――手や腕で隠されていても――を見てしまっているのだから、無駄な思考だと言えばそうなのだが。
ともあれ、すぐに彼女達は着替えを終えたようで、大丈夫である事を知らせるように、誰かが背中をポンポンと叩いた。
それを受けて振り返れば、買ってきた服に袖を通したアシッドスライム被害者の会の面々がいた。
「……まあ、なんだ。とりあえず急ぐか?」
「急ぐ……のか?」
質問に質問で返すなよ、シルヴィ。
「個人的には一層一層丁寧に探索したいところなんだが、感知系スキルに引っ掛からない、しかし服だけは溶かす。そんな魔物の出てくる階層を、いつまでも歩いていたくはないだろ?」
「まあ、それは……」
「私は嫌ですね」
「……あたしも、イヤね」
それに、みんなには言わないが、このアシッドスライムが襲った相手の……ターゲッティングとでも言えばいいのか。
簡単に言えば、適当な相手にアシッドスライムが襲い掛かってるって感じがない。
確実に誰かの意思決定が介在している。
シルヴィ、オリヴィエ、キャスタリア、ユキヤ、アナ、ルキナ。
この六人の共通項は、『胸が大きい』。これに尽きる。だから多分、おっぱい星人の意志が介在していると思われる。言わないけど。
「ま、そういうわけだからな。十層分くらい、サクサクっと行けるだろ?」
「サクサク……か、どうかはともかく、アシッドスライムにはもう会いたくないな」
「だろうな。オレだって不可抗力とは言え、裸を見てしまうのは申し訳ない。……そこで、光魔法を利用して姿を隠す事にした」
「姿を隠す? 光魔法で?」
「詳しい話は省くが、オレ達が見ているものってのは、光が反射してようやく実体を捉える事が出来る。それは動物も同じだ。早い話が、眼ってのはそういう仕組みの代物だって事だな」
「……つまり、私らは物を見ているようで、眼に入ってくる光を見てるって事か?」
おや。光の屈折云々の話をしても理解は得られないんじゃないかと思ってたが、意外だな。
失礼な話だが、シルヴィがその答えに行き着いたのも意外だ。……いや、見た目通りの脳筋女子かと思ってたから……。
「まあ、仕組みとしてはそうだな。で、本題はここからだが……反射された光を見てるって事は、その反射する光の方向を変えてやれば――」
感覚の面が強いが、光魔法を使って反射する光を歪ませる。やるのはいいんだが、自分からだと出来てるのかどうかが判らないのが難点だな。
「お、おおおお!? セツカが消えたぞ!?」
「でも匂いはするぞ! 匂いはするけど、ご主人は……どこだ?」
「どうやら成功してるようで何よりだ。ただ、これは眼に見えなくなっただけで、音、匂い、気配はそのままだ。……まあ、その辺りは各人でどうにかしてもらうとして、この光魔法はオレが担当しよう」
「いいんですか、セツカさん? これから十層分も発動させたままだと、かなり魔力を使いますけど……」
「そうです。教えていただければ、私達も分担してやります。ダメでしょうか、主様?」
キャスタリアとルキナの魔導師組が、自分達にも負担させてくれと言うが、オレはこれに首を横に振って答えとする。
光魔法の行使、という点だけ見れば、確かに光魔法に適性のある人間なら出来ると思えるだろうが、光の屈折や反射の原理、人体の……特に眼の構造を知っていなければ十全には出来ないだろう。
それを一から説明するのは骨が折れるし、そもそも説明を理解出来たとしても今すぐに実行出来なければ意味がない。
練習しながらの行軍も悪くはないのだが、目下の目的は『アシッドスライムに襲われる事なくアシッドスライム出現階層を抜ける』である。となれば、求められるのは今すぐに実行出来るかどうか。
説明したとして、それを理解出来たとして、では実行出来るのかと言えば、必ずしもそうではないだろう。『言うは易し、行うは難し』というヤツである。
だからまあ、オレだけに負担を強いる形になるというのが心苦しいという配慮は有難いのだが、やれる人間がやらなければならないわけだ。
気持ちは嬉しいんだけどな。こればっかりは納得してもらう他にない。
「……そうですか。いえ、わかります。私も、また服を溶かされるわけにはいきませんから」
「私も……また買いに行っていただくのは心苦しいです……」
「そういうわけだから、音とか匂いとかをどうにかして欲しいな」
「わかりました。私は音魔法の適性があるので、音を担当しましょう。ルキナさんには匂いの方をお願いしても良いですか?」
「大丈夫です。風魔法は得意なので、任せてください!」
「よし、任せた。じゃあ、あとは各人、気配を消したり消さなかったりしてくれ」
「……なあ」
「ん、どうした?」
シルヴィが、おずおずと言いにくそうに口を開いた。
「その……消えたら、お互いに見えないんだよな?」
「まあ、そうだな」
「見えない状態で、歩き始めるんだよな?」
「そりゃな」
「……どうやって歩き始めたのを察知するんだ?」
「あー……」
失念していた。
確かに姿も見えない、音も匂いもわからない、気配も探れないとなれば、仮にはぐれたとしてもわからないままだ。
まったく、光学迷彩ってやつはこれだから。
「……よし、わかった。じゃあ、こうしよう」
「どうするんだ?」
シルヴィの問いに答える代わりに、氷魔法で生成された巨狼……フェンリルを傍らに生み出す。
「こいつはオレの意志に従う。こいつには姿も音も匂いも気配も隠させずに移動してもらうから、オレ達はそれについていく。……どうだ?」
「私は別に構わないけどよ、魔力消費量的にはどうなんだ?」
「それは問題ない。こいつは氷だが、魔力を含んだ氷だ。内包した魔力が尽きない限りは自壊しないし、勝手に動く」
「ゴーレムみたいなもんか!」
「ああ、そうだな。それが近い。……さて、それじゃ、アシッドスライムに気を付けつつ行こうか。とりあえず十層分は、気を付けよう」
オレの言葉に全員が首肯したのを確認してから、早速光魔法を使って姿を隠す。
キャスタリアとルキナも、それぞれ担当の魔法を使ってくれたようだ。人間が動く時に必ず出る僅かな音も聞こえないし、それぞれが持つ体臭も感じない。
そうして準備が整ったのを見て、フェンリルに行動させ、すぐにその後に続く。
さすがに十層分となると魔力が厳しいかも知れないが、魔力回復のためのポーションはちゃんと持ってるから問題ないな。時々回復すれば、六十一層まで平和に行けるだろう。




