四十六頁目 ユキヤと朝の鍛練
結論から言えば、アコルの実を喰った奴は、その日は他の誰かと粘膜を擦り合わせるのは当然ながら、体液の交換さえもするべきではない。と、思う。
それというのも、現状、アコルの実を間違いなく完全に安全に喰えるのはオレしかいないであろうという事と、そんなオレと唾液交換をしたヒルダが発情期の獣もかくやというレベルで欲情してしまったのだ。
幸いと言えば幸いにして、異世界に来たオレは鬼に目覚めた事も要因になっているのか、精も根も尽き果てる事のない、言ってみれば『超絶倫』へと変わっていた。
それだったからこそ、果ての見えない欲情を始めたヒルダの相手が出来たのだろうし、彼女が疲れて眠ってしまうまで、オレはぶっ倒れないでいられたのだろう。
ヒルダの相手をして、彼女が眠ったのを確認して、水分補給がてらアコルの実を一つ口にした時点で、ようやく、外はもう早朝のそれなのだと把握出来た。
「……こんな事、母さんにバレたらなんて言われるやら」
しかしあの母は、存外に奔放な性格だ。
喰うに奔放、飲むに奔放、何かをするにも奔放だし、性の事なんてもっと奔放だ。
たとえ、今回の事を包み隠さず話したとしても、『坊やも母の子らしさが出てきたの』とかなんとか言って喜ぶに決まっている。
いや、喜ぶだけならまだ良い方だ。
きっと近親相姦が法律で禁じられてないのを良い事に、無理矢理にでも、オレの、夜のスペックを確認しに来るに違いない。
あの人は……オレの母は、そういうヒトだ。
「はぁ……。とりあえずヒルダを回復させておくか……。このままだと起きた時に満足に動けないだろうしな」
ベッドの上は、最早『惨状』という言葉が相応しい有り様だった。
ベッドそのものはオレとヒルダの体液でベトベトになり、白濁液に塗れたヒルダも実にエロ……そうではなくて。
とにもかくにも、オレも、ヒルダも、ベッドさえも、体液でドロドロのベトベトなわけである。
「ベッドの処理は……まあ、店がやるか。これくらいなら想定の範囲内だろ」
ベッドの状況には眼を瞑って、ヒルダに回復魔法をかけてやる。
この回復魔法というやつは本当に便利で、使用者のレベルやスキルレベル、込める魔力量によっても変わるのだが、小さいものは擦り傷や切り傷から始まり、大きいものは末期ガンや地球の医療技術ではおよそ解決出来ないであろうものまで回復させる事が出来る。
効果はそれだけに留まらず、身体の疲労も回復出来るし、頭痛や腹痛みたいな、本人が隠してしまえば、よっぽど酷くない限りはバレない症状も完治させられるときた。
どういう理屈なのかは甚だ疑問ではあるが、回復魔法は習得して損のないスキルだ。
まあ、この世界の人には魔法適性なんてものがあって、適性のある魔法しか覚えられないらしいが。
「ん……ぁ……」
回復魔法をかけてやると、ヒルダが悩ましげな声をあげた。
やめろ、やめるんだヒルダ。
流石のオレも、これ以上の情事にお前を付き合わせるほど鬼畜じゃない。
「それにしても、まさかアコルの実を喰ったオレの唾液が媚薬になるとはな……。黒服にタオルかなんか貰うか」
部屋の外にいる黒服に声を掛けて、濡らした布を持ってきてもらい、ヒルダの顔や身体に付着したオレの体液やヒルダの体液を拭き取る。
起きた時に相手や自分の体液に塗れてました、なんて普通は嫌だろうしな。
「そういえば、闘技大会は今日だったか。街で広告を見ただけだが、十時までに闘技場で参加申請を済ませておけば良いんだったな……」
インベントリからコルティア子爵にもらった便箋一枚と、オルトーラで買ったインクとペンで、ヒルダに書き置きを残しておく。
胸は客引きに立ってた他の娼婦に比べれば多少慎ましくはあったが、なかなか良い肢体の持ち主だった。
うん、ちょくちょく来るとしよう。
◆
「よっ……と」
スキルを使って、昨日開け放していたエルティセルの別宅の窓枠に、静かに着地する。
「おはようございます、主。夜は楽しめたでしょうか?」
「やはり気付いてたか」
「はい。ですが、主はわざわざ気配を消そうとはしていませんでした。起きていれば、ロゼ達にもそれはわかったでしょう」
オレが使っていたベッドの傍に立ちながら、ユキヤが淡々と述べる。
「……ユキヤ。なんか怒ってないか?」
「怒ってはいませんが……主? 私は主の従者なのですよ?」
「ああ、知ってるぞ」
「ご命令いただければ、私は元より、ロゼ達も喜んで身体を捧げます。だのに、何故色街へ?」
「お前は……なんと言うか、頭は良いんだが、しかし阿呆だな」
「む……」
「ここは他人の家だぞ。したかったからと言って、出来る場所じゃないだろう」
ここはエルティセル商会のトーリットの計らいで間借りしている別宅の一室。
いくら欲求不満だからと言って、いくらユキヤ達がそういう行為を拒まないからと言って、セックスに興じていい場所ではない。
「……確かに、そうですね」
「だろう。まあ、起きてるなら丁度良い。鍛練に付き合え」
「鍛練、ですか? 主はこのような早朝から鍛練をなさるのですか」
「……ああ、そういえばお前達には見せなかったし、させなかったな。オレの場合は、まあ、最早日課なんだ」
「日課ですか。……わかりました。このユキヤ、主の早朝鍛練にお付き合いします」
「おう。とりあえず庭を使う許可を取らないとな。誰か起きてりゃ良いんだが……」
ユキヤと部屋を出て玄関まで行くと、ロベルトが『お待ちしておりました』という顔で立っていた。
ロベルトに確認して庭の使用許可をもらい、早速庭で鍛練を開始する。
よその家で武器は、礼儀として振れないので、徒手空拳の型と、ユキヤとの組み手をメインに鍛練を行う。
レベルが上がったおかげなのか、コルティア子爵邸で手合わせをした時よりも、動きがより洗練されており、突き出される拳も薙ぐ脚も鋭さと破壊力を増している。
「……うん。強くなったな、ユキヤ」
「主ほどでは。……ところで、情事はいつまでされていたのですか?」
「ついさっきだな。ちょっとしたハプニングがあってなぁ」
「ハプニング、ですか?」
「ああ。アコルの実って知ってるか?」
「ええ。口にすれば、どのような生き物も酔うか、卒倒するか、死に至るとされている果実ですね」
「そうらしいな」
「それが何か……?」
「いや、実はな。オレ、そうとは知らずに一個丸々喰ったんだよ」
「大丈夫……に見えますね」
一瞬驚愕の表情を浮かべるが、オレの様子を見てすぐに落ち着きを取り戻す。
いつも冷静なユキヤでも、流石にアコルの実を喰ったなんて言えば驚くか。
「うん。で、だな。情事となれば、当然キスはするだろう?」
「そう、ですね」
「そしたら……相手の女が獣みたいに発情してしまってな。散々ヤって疲れ果てて眠ったら、もう早朝だったというわけだ」
「早朝までという割には、主には特に変調はありませんね?」
「どうやらオレはかなりの絶倫になってしまっているらしい」
「なるほど……。しかし、何故相手の女性は発情したのでしょう?」
「……思うに、アコルの実を摂取してからしばらくは、摂取した人間の唾液は媚薬になる」
「だから、獣のように発情した、と?」
「他に考えられないしな」
平常時のヒルダは、そんなに性に狂っているようには見えなかったし、あの部屋にも香が焚いてあるだとか、女だけが発情する魔法がかけてあるだとか、そういうのもなかった。
まして、そもそもオレの体液が女にとっての強力な媚薬になっているとは考えられないし、そうすると、もうアコルの実を喰ったという事実が関係しているとしか思えないし、言えない。
「……私も、主の前では乱れてみせた方が良いのでしょうか」
「普通でいいぞ、普通で。まあ、普段は冷静なお前が乱れる姿っていうのは、見てみたくはあるけどな」
「主は、いつ私を抱いて下さるのですか?」
「さてな。少なくとも今ではないな」
組み手をしながら性の話に花を咲かせる人間とダークエルフ。
端から見たら、まず間違いなく気が触れてるな。話題を変えよう。
「ところでユキヤ。お前達は闘技大会には出ないのか?」
「出ても良いのでしたら、私は出ようと思います」
「そうか。ユキヤは出るつもりなんだな」
「はい。今の実力を試す良い機会ですから。主はどうされるのですか?」
「オレは……うぅん、まだ考え中だ」
本当はシグナート伯爵との話があるから参加は決定しているんだが、せいぜい驚かしてやるとしよう。
「もし参加なさるのでしたら、このユキヤ、全力で主に勝ちにいきます」
「そうか。うん、何事にも全力なのは良い事だからな。ただ、全力を出しすぎて途中で息切れしないようにするんだ」
「もちろんです、主」
「後で、ロゼ達にもどうするか聞いておくか」
「それが良いでしょう」
「……よし。ユキヤ、徐々に激しくするぞ」
「はい。いきますよ、主」
「ああ、来い……!」
激しさを増していく組み手は、その後、やってきたロベルトによって止められた。『まるで殺し合いでもしているかのように見えました』とは、止めに来た彼の言である。
まあ、実際のところは、彼は朝食に呼びに来ただけだったのだが。
それにしても、やはり朝の涼しいうちに鍛練をするのは良い。
馬車での移動中でも欠かさずやっておくべきだな。




