四十五頁目 異世界の色街
シグナート伯爵からエルティセルの別宅に戻ってからは、特に何事があるわけでもなく、しばらくぶりに休日とも呼べるような『何もしない時間』を楽しむ事が出来た。
夕飯にと出された料理はコルティア子爵邸での食事と比べてみても遜色なく、エルティセル商会が大商会である事の証左であり、優秀な料理人がいる事の証明でもあった。
衣食住は健全な営みをするために大切な三要素だが、その中でも食は大きい。
着ているものがボロくても、住んでいる場所が廃墟同然でも、美味いメシが腹一杯喰えるなら腹はふくれるし、人間の三大欲求の一つである食欲を満たす事が出来るというだけで、案外生きていけるものである。
しかし、こうして良い環境で食欲を満たし、さらに睡眠欲も満たせるとなれば、やはり男としては性欲も満たしたいものである。
ただでさえユキヤのようなナイスバディの、見た目は若い女性が側にいるのだ。有り体に言ってしまえば、『辛抱たまらん!』というヤツである。
いや、むしろ、そういう状況でよくも自制出来ていたものだと自分を褒めてやりたい。主従の契約を楯に関係を迫る事だって出来たはずなのに、それをしなかった辺り、自分を褒めて撫で回してやりたい。
「……ダメだな。ああ、ダメだ」
夜。既に大抵の人間は眠りにつき、酒場か色街でもなければ店も閉まっている頃。
昼間、シグナート伯爵から聞いた話に思考を巡らせ、その内容に妙に昂った身体をどうしたものかと、オレは、ベッドの上に座って考えていた。
同室であるルキナとライカは既に寝入っており、時折『お肉食べるぞ!』とか『ご主人、それライにも!』とかいうライカの寝言が聞こえてくる以外は静かなものである。
隣室の気配も静かなもので、仮に今、スキルを使わず窓から外に出ても、ユキヤくらいしか気が付かないだろう。
「やはり色街に繰り出すべきか……?」
適度な性欲の発散をしなければ、最悪の場合、『女? いやぁ、そういうのには興味がなくなっちまってな……』なんて、ちょっと寂しい顔をしながら言う事になってしまうだろう。
性欲とは、これ即ち種の保存を目的とする、生き物の本能なり。
であるならばこそ、やはりここいらで色街に繰り出して、贔屓の娼婦の一人や二人作っておいても損はないだろう。
それに、色街のような酒と女の絡む場所では、大抵の男は酒に呑まれ、女に煽てられて、大事な情報なんかをポロポロと零すものだ。
つまり色街で働く娼婦達は、言ってみれば民間の情報屋。おまけに女性は他者の情報や噂話などを好む傾向が強い。敵にすれば厄介な事この上ないが、味方となれば、これほど頼り甲斐があり確かな情報源もないだろう。
オレも今や貴族。青い血の仲間入りを果たしたのだから、ノブレス・オブリージュを果たすためにも、市井の声を確認する事は大切だろう。
民無くして国はあり得ない。王が独りで吠えていても、ついてくる者がいないのでは意味がない。
だから、特権階級の一人として、色街に繰り出すのは当然の職務なのだ。
「……行くか」
まあ、あれやこれやと並べてみても、単に女を抱きたいというだけの事なのは、誰が聞いても理解出来るだろうが。自明の理というやつである。
ついでに、異世界に来てからの自分の精力がどんなものか、試してみたくもある。
「……………」
ちらり、とルキナとライカのベッドに視線をやる。
二人は良く眠っているし、出るなら今だろう。
「……朝まで帰らないかもな……」
少なくとも朝飯までには帰ろうと心に決めて、オレは窓を開け、靴を履いた足を窓枠にかけ、ローザロッサの街へ飛び出した。
◆
ローザロッサの色街は、日本のそういう場所のような賑やかさは無いにせよ、静かな空気が何故かやけに淫靡で、ともすれば呼吸するだけで発情してしまうのではないかとさえ思える。
客引きなのか、店の外でただ立っているだけの娼婦の姿も見える。
妙に露出の多い男も立っているから、恐らくは男色向けか、女性向けの店もあるんだろう。
さて、どの店に入ったものかな。
最悪暴れる……いや、制圧する事になったとしても、良い女を置いてる店がいい。
琴線に触れたなら男でも抱けると言えば抱けるが、初日から冒険する事もない。今回は素直に女だけ抱いて終わるとしよう。
冒険しない冒険者なんて何の冗談だよとか思わないわけではないが、今は普通に女が抱きたい気分だ。
「ふむ……」
路肩に立つ娼婦を吟味しながら色街を歩く。
たまに眼が合った娼婦が微笑みながら手を振ってくるが、今日の気分に合う女じゃない。
そういえば、こうして見てて思ったが、この世界の女性はブサイクがいない。
胸の大小とか、太っているか痩せているかとか、尻の大小だとか、そういった身体的な差違はあれど、ブサイクか美人かという違いだけは存在していない。
もれなく全て美人、ないし美少女。あるいは可憐であり、綺麗であり。
そうなるとオレの性格としては、『では、この世界で言うところの、顔が優れない、には誰が該当するのか』が気になる。
「……お?」
燃えるような紅い髪にエメラルドグリーンの瞳、少し粗野な雰囲気を受ける顔立ちながら物憂げな表情。
そう、そうだ。
こういう感じの女性を待っていたんだよ、オレは。
「なあ、ちょっと良いか?」
「……あたし?」
その女性に声を掛けると、『誰に声かけてんの?』とでも言うようにキョロキョロと辺りを見回し、誰もいないとわかると、うんざりしたような声で返事が返ってきた。
「疲れてんのか?」
「そう見えるんなら、そうなんだろうね」
「そうか。……いや、やめとくか」
「なんだい?」
「いやなに、今夜はアンタを抱きたいと思ったんだが、乗り気じゃないなら他を当たる」
「……変な奴だね、あんた」
女性は自嘲するように笑いながら言う。
「なんだってそんなに物憂げなんだ?」
「……聞いたって、面白くないよ」
「どうせ最低でも一晩だけの関係だ。聞かれてもアンタの不利益にはならねえだろう?」
「……変な奴だね」
女性が言うには、どうやら彼女は生まれ持った粗野な性格が災いして、ほとんど客が取れなくて腐っていたのだという。
もちろん、似たような性質、性格の女もいたが、そいつらは上手いこと演技して、男に取り入る事が出来たらしい。
そうして客の取れない日が続いて、つい先日、店側から解雇勧告が出された。
曰く、『これ以上客が取れないなら、店を辞めてもらい、以降は奴隷にして働かせる』と。
そんな通達が来たものだから店には行きづらく、仕方なしに客引きの真似事としてボーッと突っ立っていたらしい。
考えてみれば、自分が男なら自分のような粗野な女ほど抱きたいとは思わなくて、それも腐っていた原因という事だった。
だから、オレに声を掛けられて、抱きたいなんて言われて、嬉しかった反面、『どうしてあたしなんかを?』とか『冷やかしじゃないのか?』とかの考えが頭を巡って、とても乗り気にはなれなかったらしい。
「あぁ……いるよな。どこにだっているんだ、アンタみたいな不器用な奴は」
「はは……。それで? あんたはそれでも、あたしを抱きたいのかい?」
「だから声を掛けた。オレは、自慢じゃねえが女の好みは結構幅広い質でな。今日は、アンタみたいな女を抱きたい……いや、取り繕うのは止めだ。アンタみたいな女に、どっぷり浸かりたい気分なんだ」
「……ほんと、変な奴だね。あんた」
「よく言われる。だが本心だ。オレはアンタと、ドロドロになるまで融け合いたい」
「はぁ……。いいよ、ついて来な」
紅い髪の彼女について歩くと、彼女がいた場所から少し離れた店に入る事になった。
客の進入を知らせる何かでもあるのか、入店してすぐに男がやってきて、彼女の顔を見るや驚きの表情を浮かべていた。
「オーナー、客連れてきたよ」
「客って……お前の客か?」
「そうさ。この人は、あたしに声を掛けてくれた、あたしの客さ」
「……兄さん、いいのか?」
「彼女はオレの琴線に触れた。少なくとも今日は、彼女を抱きたい気分なんだ」
「ふーむ……」
オーナーと呼ばれた男は何かを見定めるように、腕を組んでこちらをじっと見つめると、パッと明るい顔になって
「ありがとうよ、兄さん。もしかしたらこのまま客が取れずに辞めちまうんじゃないかって、心配だったんだ」
と言った。
んん? オーナーなんだから、解雇する事になるぞって通達を出したのは、お前じゃないのか?
「ああ……まあ、そりゃそうなんだが……。店の働き手を、そう簡単には手放せねえよ。俺だって、幾多の女の中から、うちの店に相応しい女を選りすぐってんだ。愛着がねえわけがねえだろう?」
なるほどなぁ。
自分で選んだ働き手だから愛着はある。
だが、店の性質上、客が取れなきゃいつまでも店に置いておいて給料を出してやるわけにもいかない。
だからせめて、解雇を匂わせて煽って、何がなんでも客を取るように仕向けたかったわけだ。
雇われてる側は解雇されたくないし、雇ってる側は折角自分で選んだ働き手を失いたくない。
そこに、オレという、ある意味『救世主』とも呼べる男が来て、だから『ありがとう』ってわけだ。
「それで、いくら払えばいいんだ?」
「ああ……。うちの店は一律で中銀貨五枚だ」
「中銀貨五枚……?」
「高いか?」
「おいおい、冗談は休み休み言えよ。こんな良い女が中銀貨程度で収まるわけがねえだろう」
「「は?」」
オーナーの男と紅髪の女性がハモる。
「なあ、オーナー。彼女をオレの専属にする事は出来るか?」
「あ……? あ、ああ、まあ、出来なくはねえが」
「それにはいくら払えばいい?」
「期間次第だな。いつまでだ?」
「彼女がローザロッサにいるなら、限りなく。あるいは、彼女の命が尽きるまで」
「―――――」
オーナーの男が絶句する。
隣にいる女性も、こちらを見て驚愕の表情で固まっている。
「な、なあ、兄さん。俺が言うのもなんだがよ。兄さんだって、他の女を抱きたくなる時はあるだろ?」
「当たり前だろ、オーナー。人間、誰だって飽きは来るもんだ」
「そうだろ? だからな、その、限りなくとか死ぬまでとか、そういう契約じゃなくても良いと思うんだよ」
「良いわけねえだろう。今まで何人の男と寝てきたのかは興味ねえが、オレは彼女を他の男に抱かせたくはない。……とはいえ、彼女がそれを受け入れてくれるなら、の話だがな。どうだ?」
固まったままの彼女に話を振ると、ハッと我に返った。
「いや、嬉しい、嬉しいよ? けどあんた、そんなに払えるのかい?」
「さあな。まだ金額を聞いてないから、なんとも言えない」
「オーナー、どうなのさ?」
「あ、ああ……そうだな。よく考えてみりゃあ、ローザロッサにいる限りって条件と死ぬまでって条件は一緒なようなもんだ」
「……確かにそうだね。あたしがローザロッサで生きてる限りは、この人の専属娼婦ってわけだ」
「だとすると……小金貨百五十枚でどうだ?」
「良いだろう。だが、少し条件を付けさせてもらいたい」
そう言うと、オーナーの男は少し考えるように沈黙し、やがて『……わかった』と言った。
「よし。支払う小金貨百五十枚の七割……つまり、小金貨百五枚は彼女の給料分だ。残りの三割である小金貨四十五枚は店側で取ってくれ」
「な、なんだと!? そりゃ、あんまりってもんじゃねえか!」
「何があんまりなもんかよ。オレはそれだけ、この女に惚れ込んでんだ。そもそも、毎日ここに来るわけじゃねえんだから、専属になる彼女にはそれだけ暇になる日が出来る。それくらい給料になるのは当然だろう?」
「いや、まあ……それは……」
「この店が所属の娼婦に対してどれだけ支払ってるかは知らないが、中銀貨五枚で客取って、その大半はオーナーであるアンタの手元だろう。店の維持費や店で出すだろう飲食物の仕入れがあるんだから当たり前だが、それにしたって小金貨四十五枚は十分な額のはずだ。違うか?」
「それはそうなんだがな……」
「なら良いだろう。とは言え、今それだけ支払えってわけじゃない」
「そうなのか?」
オーナーの男が不思議そうな顔で訊いてくる。
なんだろうな。オーナーって割には随分と頭の回りが悪いような……。
「給料分の小金貨百五枚は、とりあえず店側で管理して、そこから正規の給料額を支払ってくれ。日毎に給料を出してるんだろ?」
「ああ、そうだ」
「うん。で、本題はここからだ。もしも、何らかの理由で彼女が死亡した場合は、残った分の金は回収させてもらう」
「あたしがローザロッサを離れて暮らすって場合はどうするのさ?」
「その時はアンタの生活資金にすると良い。無論、その時に店側は残りの金を彼女に全額渡すこと」
「……あんた、本当に変な奴だよ」
「知ってる。……さて、今言った条件が飲めるなら契約は成立だ。オーナーもアンタも、今の条件で構わないか?」
「あたしは別にいいよ。それだけの金で買ってくれるんだ。不満なんか無いさ」
「……仕方ねえ。兄さんの言ってる事は尤もだ。条件を飲もう」
「契約は成された。決して、違えるなよ」
契約魔法を発動して、最後のダメ押しにする。
万が一にも、オレがいないからと契約を一方的に破棄されたり、『そんな契約してない』なんてすっとぼけられても困るからな。
「こいつは……契約魔法か!?」
「念のため、というヤツだ。死にたくなければ、契約は遵守するようにな」
「わかってるよ、兄さん」
「そりゃ良かった。……ほら、小金貨百五十枚だ」
ローブの袖からずっしりと重い革袋を取り出して、オーナーの男に渡す。
「お、おお……確かに。……兄さん、一応うちの店の使い方を教えておく」
「ああ、頼む」
「ここから更に入ると、黒服の男が空き部屋まで案内してくれる。部屋は完全防音仕様だから、遠慮なくヤってくれ。それから、喰いたいもんや飲みたいもんがあれば、部屋にメニューがあるから、そこから選んで黒服に言えば持ってきてくれる。こいつは別料金になるから、気を付けてくれよ」
「なるほど、飲食物は別料金か。良心的な値段なんだろうな、オーナー?」
「はっはっは! 稼ぎはどこでだって必要になるもんだ!」
うぅむ……オーナーの反応を見る限り、多少吊り上げた金額ではあるが、支払いに関して文句は出ない価格設定という事だろうな。
「ちなみに、俺のオススメはアコルの実だ」
「ちょっと、オーナー!」
「アコルの実ね……試してみよう」
名前からは判別出来ないが、オーナーのオススメという事はハズレではないんだろう。
実と言うからには食べ物だとは思うが、はてさて、どういう食べ物なのやら。
「さあ、行こうか」
「あ、ああ……。でもあんた、アコルの実なんか間違っても食べるんじゃないよ」
「そんなにヤバいのか?」
「ヤバいって言うか……実自体は美味しいんだけどね……」
「なら良いさ。美味いもんに罪はない」
紅髪の彼女と更に進入すると、控えていたのだろう黒服の男がすぐに部屋に案内してくれた。
部屋は、なんと言うか、まさしく『そういう部屋』という感じだった。
暗い室内に、主張し過ぎない程度のピンクのライトアップ。ベッドは大きく、クイーンサイズくらいはありそうだ。
とりあえず、早速オーナーオススメのアコルの実とやらを注文してみる。と、黒服に『あんた、マジで言ってんのか……?』みたいな顔を一瞬された。
「……なんだ?」
しばらくして黒服が持ってきたのは、木の小鉢に五個ほどが盛り付けられた、濃紫色のミニトマトくらいの大きさの球体だった。
「……ああ、そういえば。自己紹介がまだだったか。オレはセツカだ」
「あたしはヒルダ。……ねえ、セツカ。あんた、本当にそれを食べるのかい?」
「そりゃ喰うさ。そのために注文したんだからな」
アコルの実は大銅貨五枚という値段だった。
高いのか安いのかはわからないが、一個あたり大銅貨一枚なら、まあ普通くらいの値段だと思える。
木鉢に盛り付けられたそれを一つ、口に入れて咀嚼してみる。
噛むとプツッという軽い音を立てて皮が破れ、果肉を食むと芳醇な果汁が口一杯に広がる。
味はといえば、上品な甘味といえば良いのだろうか。食べた事がある果物に例えるなら、メロンの味に似ている。
果肉はくにくにと独特の歯応えがあって、ライチでも食べているかのようだ。
総合すると、かなり美味しい。
食後のデザートとして食べるのもいいけど、見た目からは到底想像出来ない果汁の量をしているから、手軽な水分補給として食べるのもアリだ。
「……セツカ?」
「ん? どうした、ヒルダ? そんな珍妙なものを見るような顔して」
「あんた、何ともないのかい?」
「は? ……まあ、別に何もないぞ。それより、このアコルの実ってヤツは美味いな。初めて喰ったが、気に入った」
「あ、あのね、セツカ。驚かないで聞いて欲しいんだけどね?」
「……おう?」
曰く、アコルの実とは、通常は一個を四分割して、分割した一つにつき酒樽を一つ用意して、果汁をその酒で割らないとならないほどのアルコールを内包した実らしい。
そんな実だから、四分割したうちの一つでも普通の人ならぶっ倒れるくらいで、オレみたいに一個丸々を喰えば間違いなく死に至るのだそうだ。
普通の人ならまず手を出さない。
手を出すのは、よほどの身の程知らずか、大層な酒飲みか、女の前で良い格好したいだけのバカか、自殺志願者くらいなのだという。
だからつまり、オレが今こうして、アコルの実を咀嚼して飲み込んで、酔うわけでもぶっ倒れるわけでも、まして死ぬわけでもなく、平然と涼しい顔をして立っているのは、異常な事らしい。
ちなみに、どんな魔物だろうと動物だろうと、アコルの実の前には無力なんだそうな。
どいつもこいつも、ぶっ倒れるか死ぬかしてしまうらしい。
「へぇ……。ちなみに、アコルの実を喰った奴がキスしたらどうなるんだ?」
「さあ……? ぶっ倒れるんじゃないかい?」
「試してみるか。安心しろ、ちゃんと介抱してやるから」
「頼むよ、セツカ。……んっ」
ヒルダと唇を重ね、舌を絡ませ、口内を舌でまさぐる。
アコルの実はともかく、せっかく射止めた女との情事だ。楽しまなければ損というものだろう。
夜は、思っているより長いのだから。




