見聞録外伝ノ二 鬼の母 鬼灯零華
幕間の二つ目
鬼灯刹華の母、鬼灯零華視点となります。
刹華の兄姉は百人を優に越えます。
それも零華の気紛れのせいなわけですが。
拙い文章ではありますが
楽しんでいただければ幸いです。
「暇じゃな」
坊や――刹華――が消えてからというもの、毎日毎日退屈でダメじゃな。
とは申せ、あれは儂が腹を痛めて産んだ血を分けた我が子じゃし、恐らくは、儂が昔、刀鍛冶に打たせたあの刀も坊やの手元にあるのじゃろう。
あの黄昏色の刃を持つ刀……鬼灯は。
そもそも坊やは儂のような普通の鬼とは違い、鬼神となりえる素質を持って生まれた子。
大方、最近流行っておる異世界転生だの異世界転移だのに連れていかれたのじゃろうが、鬼灯を持っておるなら問題はないじゃろ。
「それにしても……一体、どこの阿呆じゃろうな。この鬼灯零華の実子を異世界なんぞにくれてやったのは」
心当たりが無いわけではないが、まあ、坊やなら適当に異世界を楽しんで、力を十分に付けた頃にこちらに戻る手段を見つけて帰ってくるじゃろうな。
あれを生んで二十一年と少し。
儂の息子とは思えぬほど優秀に育ってくれたものよ。
「……まあ良いわ。儂が文句を言ったところで、すぐには帰らんじゃろうしな」
それにしても暇じゃ。
儂が立ち上げたこの鬼灯流の道場は、今や随分と多くの門下生を抱え、それの師範を坊やがやっておったわけじゃが……いなくなると儂がその役目を負わなければならんしのう。
道場を開けておる日は退屈しておらんから良いのじゃが、開けておらん日が暇で仕方ない。
儂が昔から適当に孤児を拾ったり、施設から引き取ったりして育ててきた坊やの兄姉は、今やこの家にはおらんからの。
まったく、千歳を遥かに超えてなお、自分が天涯孤独になるとは思わなんだ。
いや、厳密には天涯孤独とは言わんのじゃろうが、鬼の儂とて寂しく思う事はある。まさしく、鬼の目にも涙というヤツじゃな。
「……うん?」
人より遥かに良い耳が、家に近付いてくる足音を捉える。
足音は二人分。片方の足音は少し遅く聞こえる事から、恐らくは老人。もう片方はリズムが崩れているようじゃから、老人に合わせた歩き方をしておるらしい。
誰が来たか知らんが、まあ、退屈じゃなくなるのは良い事じゃな。
「そう時間は経っておらんが、坊やと鍛練をしていた休日が懐かしいのう……」
少しして玄関の呼び鈴が鳴らされたために、仕方なしと己に言い聞かせて腰を上げ、応対に向かう。
「ああ、母さん。ただいま帰りました」
「ただいま、お母さん」
玄関を開けてみれば、随分懐かしい顔が一つと、最近見た顔が一つ。
七十……いや、もう八十年前になるか。その時に拾った孤児の信之と、二十年前に施設から引き取った楓が、そこにはおった。
「信之に楓か。よう帰ったの。まあ、上がれ。信之は積もる話もあるじゃろ」
「ははは。随分帰りませんでしたからね」
「まったくじゃ。曾孫の顔でも見せに来るかと思うたが、お前は何にもなかったの」
「仕方ないでしょう、母さん。未だに二十代後半の若さのままの母さんを『お祖父ちゃんのお母さんだよ』なんて、紹介出来ませんよ」
「戯け。来るなら連絡を入れるのが当たり前じゃろう。そうすれば儂とて、それなりの格好で迎えたわ」
さっきまで手慰みに弄っていた扇子で、信之の白髪頭を叩く。
まったく、この親不孝者が。
「ああ……すみません。そこまで頭が回りませんでした」
「やれやれ……。昔から頭は良かったが、肝心な部分で頭が回らんのは相変わらずじゃな。楓も、よう帰ったの。仕事は上手くいっとるか?」
「それがねー、聞いてよお母さーん……」
「おお、おお。楓の愚痴を母がちゃあんと聞いてやろうの」
リビングに向かいながら、楓の愚痴を聞いてやる。
どこに行っても時代遅れな男尊女卑の阿呆はおるらしく、楓はその上司に毎日口煩く言われておるらしい。
親の贔屓目を考慮しても楓は優秀な子じゃから仕事面は問題ないらしいのじゃが、それを良くは思っておらん上司らしく、会社の人間からは嫌われておるのだとか。
社会で働く我が子らは大変じゃの。
「……あれ? お母さん、刹華は?」
「おや。そう言えば、姿が見えませんね?」
リビングに着き、ソファに腰を下ろした楓と信之が、坊やの不在に気付いて声を上げる。
この家は今や儂と坊やの二人だけじゃし、食糧品は全国の我が子らから送られてくるし、鍛練以外では坊やは外には出らんからの。不自然に感じるのは当然と言えようの。
「それなんじゃがな。今から……大体十日くらい前だったかの。儂の部屋にあった刀と一緒に、どこかへ消えてしまったのよ」
「えぇ!? 一大事じゃん!?」
「どこへ消えたかとかは、母さんは、わからないのですか?」
「わからぬではないが、儂にも手が出せん場所でな。まあ、時期が来れば坊やの方から帰ってくるじゃろうから、そう騒がんでも良い」
「ダメだよ、お母さん! そしたらお母さんのご飯は誰が作るの!?」
「戯け。お前を育てたのは儂じゃというのを忘れたか。ここ五年ほどは坊やに任せきりじゃったが、お前達に家事を叩き込んだのは儂じゃというのを忘れるでないわ」
「そうですよ、楓さん。僕も楓さんも、母さんに習ったはずでしょう?」
「そうだけどさー……刹華は私達の中でも飛び抜けて家事が上手だったから、つい。ていうか、信之兄さんだってちょっと疑ったでしょ?」
「……母さん。お茶を貰ってもいいですか? 少し喉が渇いてしまって」
「あ、誤魔化した! 信之兄さんが話を誤魔化すだなんて……私は悲しいよ」
よよよ、と泣き崩れる演技をする楓と、それを受けて苦笑する信之。
歳が離れておるとは言え、どちらも我が子、坊やの兄姉、兄弟姉妹よ。
「ははは……。まあ、確かに心配ではありますよ。僕は母さんの息子ですし、刹華くんは大切な弟ですから」
「じゃあ、なんで平気そうな顔してるの?」
「僕は母さんが嘘を吐いたところを見た事がありませんから。だから、僕は母さんの言葉を信じますよ」
「くふふふ。結婚して変わったのう、信之。昔はそんな事は言わんかったではないか。坊やはお前と違って、儂が鬼じゃと言うてもすぐに信じたぞ?」
「仕方ないでしょう。自分の母親が鬼だなんて、普通は信じませんよ」
困ったような顔をしながら信之が言う。
まあ、儂が同じ立場なら、少なくとも二十歳までは信じぬじゃろうな。
「まあ良い。信之は何茶が良かったかの?」
「緑茶をお願いします、母さん」
「あ、私も!」
「わかっておるわ。茶請けは煎餅くらいしかないが、信之は大丈夫かの?」
「母さんの教えがありましたから、今でも全ての歯が現役ですよ。それに、最近かなり硬い煎餅が売れているじゃないですか」
「あー、そう言えばある」
「そうじゃな」
「僕、あれが大好きなんですよ」
そう言って恥ずかしそうに頭を掻く信之。
なるほどのう。信之もあの硬煎餅が好きじゃったか。あれは儂も坊やも好きじゃからな。
「しばらく時間を貰うぞ、信之、楓」
「はい、大丈夫ですよ」
「はーい」
キッチンから茶器と煎餅の入った器を持っていき、電気ケトルで湯を沸かす。
普段ならば坊やの方が美味い茶を淹れられるのじゃが……まあ、おらんものは仕方があるまいて。
あの絶妙な味が恋しくはあるが、坊やが帰った時の楽しみにしておくとしようかの。
「ほれ、茶じゃ」
「ありがとうございます、母さん」
「ありがとー、お母さん」
「お前達。いつまでここに居る予定なんじゃ?」
「しばらくは居ますよ。帰らなければなりませんが」
「私も。ごめんね、お母さん。明日からまた仕事でさー」
「よいよい。お前達も大変じゃの」
「そーなのよー。うちの上司がねー?」
「それはさっき聞いたわ。楓。お前は久しぶりに母と会って会社の愚痴しか話す事がないのか?」
「さっき愚痴聞いてくれるって……」
「阿呆。信之の事も考えて話題を出さんか」
まったく、気の利かん奴じゃ。
坊や。
坊やは恐らく、何か偉大な事を成して帰ってくるのじゃろうな。
母はいつまでも待ってやるが、信之が死ぬまでには帰ってくるんじゃぞ。待っとるからの。




