二十九頁目 魔物スタンピード
領主軍の訓練を眺めながら紅茶を飲む。そんな、見ているものがものだけに優雅とは言い切れないティータイムを吹き飛ばすように、鐘の音が響き渡った。
その音を聞いて、コルティア子爵や領主軍、それにメリーナといった、かねてからオルトーラに住んでいる人間がビクリと身を震わせ、音のした方角を不安や焦燥の入り交じった表情で睨み付けている。
「今の鐘の音はなんだ……?」
「――敵襲だ。滅多に鳴るものではないが、強大な魔物や魔物の軍勢が来る時に鳴らすよう指示してある」
オレの疑問にコルティア子爵が視線を外して答える。
オルトーラ市の出入門の上の方は物見櫓のようになっていて、早朝から夜まで交代制で見張りを立てているらしい。
強大な魔物や魔物の軍勢が来た場合には櫓に常設された鐘を鳴らして緊急警報とし、住民の避難や迎撃の軍勢を整えるのだという。
もちろん、鐘だけではあまり意味がないため、使いの人間がこのコルティア子爵邸まで状況を伝えにくるらしい。
本格的に動くのはその後だそうだ。
「その使いはいつ来るんだ?」
「大体の状況が掴めてからだが……そう遅くはない。十分もかからないはずだ」
「なるほど。……ユキヤ。感知は出来るか?」
「申し訳ありません、主。範囲外です」
「そうか。いや、いいんだ。使いが来るより早くに状況を把握出来れば御の字だったってだけだからな」
「お役に立てず、不甲斐ないです」
心底残念そうな顔をしているが、そう落ち込まないで欲しい。訊いたこっちが心苦しい。
とはいえ、使いの人間が来るより早くに状況を知っておきたかったのは事実だ。
恐らくだが、使いの人間の話では『何が来ているか』の把握は出来ても、『何がどれだけ来ているか』まではわからないだろう。
そこでユキヤの『気配感知』スキルなのだが、残念な事に範囲外だそうだ。口惜しい。
ともあれ、状況がわからない以上は動けないし、規模によっては領主軍の出動だけで済むだろうから、あまり気を張らなくても大丈夫だろう。
「――リーゼリア様、使いの者が来ました!」
などと考えていたら、メイド長が武装した男を一人引き連れて訓練場にやってきた。
男が言うには、ダンジョンから溢れたとされる魔物がオルトーラ周辺の魔物と一緒になって、このオルトーラ市に侵攻してきているらしい。
具体的な数はわからないが、少なくとも百や二百では利かず、街の警備隊や領主軍、駐在している傭兵や冒険者を集めたとしても、足元にも及ばないだろうとのこと。
「そう、か……」
「……どうするんだ、コルティア子爵。領主軍は、一応練度は上がっているが……百を超える魔物の軍勢を相手出来るかと言われると厳しいぞ」
「くっ……。そうなれば私も出るしか――」
「なりません、リーゼリア様。貴女はコルティア子爵領の領主。万が一の事があっては困ります」
焦るコルティア子爵をメイド長が毅然とした態度で窘める。
自分が住む街の危機に焦る気持ちは理解出来るが、組織が崩れるのはいつだって上からだ。コルティア子爵には悪いが、椅子に座って待っていてもらう他ないだろう。
それにしても、魔物の生態はよくわからないが、ダンジョン産の魔物が野良の魔物を巻き込んで襲来するなんて事があるのか?
スタンピード……と呼ぶには、少し組織的なような気がしないでもない。
そもそも、魔物が組織的に動く事自体、果たしてあり得るのかどうか。
「魔物の動きはどうなってる? 組織的だとか、そうではないとか、そういう話が聞きたい」
「動き、ですか? ……そういえば、統率されたような動きをしていると物見役が言っていました。周囲の魔物を煽動するような動き方が見られる、と」
「……そうか」
魔物とは言えど、本質的には動物……いや、獣と変わらないだろう。知性や理性はなく、本能に従って生きる生物。
そうだとすれば、統率されたような動きや、周囲の魔物を煽動するような行動は、明らかに異常行動だと言える。
あり得るのは、魔物を従える事が出来る上位存在。王城で読んだ資料にあった、魔王の配下。その名を『魔族』。
魔族は人の形をしていたり獣人のような見た目だったりと様々なようだが、基本的に知性を有し、言葉を解する存在らしい。魔法の扱いにも長けていて、精鋭が二十人集まっても倒せないほど強大な存在だと、資料には記されていた。
仮に魔族がいるのだとすれば、オルトーラ市にある戦力では、到底太刀打ち出来ない。それどころか、一方的に蹂躙、殲滅されて、ロガ王国が消えて無くなるのも時間の問題だろう。
ロガ王国には『ロガ十人衆』と呼ばれる一騎当千の実力者が十人はいるらしいが、そもそも王国領各地に散らばっている上、集結したところでどれほど期待出来るのかも未知数だ。
救援などは論外。望むべくもないだろう。
「どうする……どうしたらいい……」
「ユキヤ、ロゼ。軽く腹を満たしておけ。ロゼは水も飲んでおくように」
「畏まりました、主」
「了解しました、マスター」
「ホオズキ殿! こんな時に何を悠長な――!」
「ほざけ、リーゼリア。お前こそ領主なら狼狽えるな。上に立つ人間の動揺は一気に下まで波及する。焦る暇があるなら紅茶でも飲んで、椅子に据わって考え事でもしていろ」
「なっ……!?」
「――メイド長。屋敷の人間を集めて状況の説明をしておけ。万が一の時のために避難民の受け入れ用意も忘れるな。無いとは思うが、パニックになる奴がいたら無理をさせずに落ち着かせる事だけを考えろ。わかったら即座に行動しろ」
「……畏まりました」
「領主軍は全員武装した後、街の警備隊と連携して市民への情報共有を迅速に行え。門から入ろうとしている奴には身分照会なしで入れてやれ。出て行こうとする奴は何が何でも止めろ。門の外に人を一人出す毎に、お前らの中の誰かの指が一本飛ぶと思え。騎士サーフェス! 以降の指揮を一任する。領主軍の名に恥じない働きを期待する」
「了解! 領主軍、迅速に行動しろ!」
「「「うおおおおおっ!!!」」」
メイド長と領主軍が早速指示の通りに動き始める。
迎撃するつもりではあるが……万が一の事を考えておかないと危ないからな。
「それから、使いのお前! 今オルトーラにいる傭兵、冒険者に情報共有した後、市民の警護と出入門の守備にあたらせろ。警備隊は飽くまで街の中の守備に留めておけ。無駄な犠牲は出したくないからな」
「わかりました!」
「ユキヤ、ロゼ。干し肉はなるべく早く喰えよ。ゆっくり咀嚼してる暇は無いぞ」
「委細承知しております、主」
「問題ありません、マスター」
身を翻す使いの男に、干し肉を細かく噛み千切って胃の中に落としていくユキヤとロゼ。
「メリーナ。リーゼリアに紅茶を。強制的に座らせる事も忘れるな」
「はーいっ、畏まりましたぁ! さあ、リーゼリア様。お茶の時間にしましょうねー」
オレに注意されて放心状態となっているコルティア子爵が、メリーナに強制的に椅子に座らされている。
「……しかし、どうするのですか、主。百や二百で利かない軍勢となると、流石に手が出ないのでは?」
「お前とロゼは屋敷の護衛だ。軍勢の迎撃には、オレ一人で行く」
「なりません、主! 数のわからない軍勢を相手に単騎駆けなど、無謀にも程があります!」
「それでも、誰かがやらなければ犠牲が生まれる。それも多数の。同じ犠牲なら、多数より一人の方がいい。幸い、オレはこの世界とは関わりの薄い人間だ。犠牲にするには丁度いい」
「主!」
「聞き分けろ、ユキヤ。オレの従者だと言うなら、命令を全うしてみせろ」
「……御心の、ままに」
「ロゼも、頼んだぞ」
「了解です、マスター。帰還をお待ちしています」
「せいぜい五体満足で帰るさ」
コルティア子爵を一瞥してから、この数日で解放、習得したスキル『縮地』を連続で使用して、出入門までの時間をカットする。
元々死ぬつもりは微塵もないし、魔族と戦えたらラッキー、レベルが上がるなら本望だ。
せいぜい稼がせてもらうとしよう。




