二十五頁目 ストレッチとホオズキの逆鱗
強化週間の初日。
つまり、コルティア子爵一行を助けた翌日である今日は、比較的軽いメニューにしておこう。
「ところで、お前達は柔軟運動はしてるのか?」
「柔軟、運動……?」
「なんだ、柔軟運動も知らないで身体を動かしてたのか。死ぬぞ?」
「死ぬ……!?」
「まあ、やり方を知らんなら仕方ない。全員、鎧を脱いで適当に整列しろ。五十人以上いるから、一列十人くらいで五列に並べ」
「あの……旅人……」
「旅人だが旅人と呼ぶな、騎士サーフェス。今からオレは教官だ。呼ぶ時はホオズキ教官か教官と呼べ」
「……では、教官。我々は今から何をするので?」
「今説明しただろ、柔軟運動だ。とにかく並べ。然るべき状態になれば、また説明してやる」
頭の上に何個も疑問符を浮かべたまま鎧を脱ぎ、言った通りに並ぶ騎士達。筋肉量的にはどいつもこいつもしっかり鍛えているように見えるのだが……何だって評判が悪いのか。
「よし。では、次に、両側の奴と指の先が当たらなくなるように両手を広げて間隔を空けろ」
相変わらず疑問符だらけのまま実行。
こうしていると小学校時代を思い出す。体育の時間によくこんな事をしていたものだ。
「よーし、いいぞ。そしたらだな……」
足の爪先をタンタンとタップダンスのように地面に打ち付け、足元を少し隆起させて騎士達の顔が見えやすい位置まで上昇する。
「今からする柔軟運動とは、言ってみれば身体を動かす前の準備の事だ」
「教官。何故そんな事をするんだ?」
「人間の身体は、急に激しい運動についてこられるようには出来ていない。動いたとしても、肉離れのような痛みを伴う代償がついて回る。そこで、筋肉を柔軟にし、関節の可動域を広げるために行い、怪我の確率を下げるために行う。これを俗に『ストレッチ』と呼ぶ」
「ストレッチ……」
「もちろん効果はそれだけではない。呼吸を整えたり、精神的な緊張を解すなど、様々な効果が見込める。怠ると重大な怪我に繋がる可能性もあるため、今後激しい運動をする前には必ず行うように」
「ホオズキ教官!」
「なんだ、コルティア子爵」
「鎧を脱がせたのは何故なんだ?」
「ストレッチの邪魔になるからだ」
第一、あんなものを着てガチャガチャと音を立ててストレッチなんてされたら五月蝿くてかなわない。
「では、ストレッチを始める。まずは両足の踵をくっ付けて直立。そうしたら両手を身体の前から上に緩やかに上げ、横を通して下ろす。両手を上げる時に深く息を吸って、下ろす時に吐くんだ。両手を上げる際に背筋を伸ばすように意識する事を忘れるな」
土で作った台の上で、実際にやって見せてやる。
手本を見せているからか騎士達の飲み込みは早く、誰も彼も文句のつけようがない。
「この運動を大体五から六回やる。終わったら次だ。次は、まず両足を肩幅に開く。そうしたら、まあ、どっちからでもいいんだが、足を横に大きく出して、出した方とは反対側に体重をかけて出した方の足の筋を伸ばす。これはそんなに繰り返さなくて良いが、片方につき五秒から十秒くらいやってくれ」
「次はどうすんだ?」
「次は……また肩幅に足を開く。そうしたら、上体を腰の位置から前に倒す。この時、両手も同時に下に向けて伸ばしておけ。力は入れなくても構わない。その状態で上体を下に三回ほど弾ませたら、一気に起き上がって、今度は腰に手をあててぐーっと後ろに仰け反る。この一連の動作をする時、決して両足の裏を地面から離さないように」
「離したらどうなるんだ?」
「離したら、離した罰として土で作った棘で、そいつの足を地面に縫い付ける」
「「「……………」」」
「嫌なら足裏を意地でもくっ付けておくんだな」
見るからに焦った表情で騎士達がストレッチをする。
「……さすがに冗談だ。そう緊張しなくても、足が離れた程度でそんな非道い事はしない」
安堵の溜め息を漏らす騎士達。
まったく……こいつらはオレの事を血も涙もない冷酷非情な人間とでも思ってるんじゃないだろうな? 失礼な。きちんと人道に則った、限界を弁えた人間だぞ、オレは。
「ところで、教官。関節ってなんだ?」
「関節とは、肘や膝、手首や肩などといった、骨と骨との繋ぎ目の事だ。ここには軟骨というものがあり、それが骨同士を繋げて、なおかつ弾力があるため、痛みが生じる事なく身体を動かす事が出来るわけだ」
「へえ、そうなのか」
「ちなみに、軟骨は年齢を重ねる毎に摩耗していく。だから、老いると膝や腰が痛くなってくるわけだ。もちろん骨自体も年齢を重ねると脆くなるから、牛乳を飲む事を忘れるな」
「何故、牛乳なんです?」
「牛乳には骨を補強する効果がある。随分前に亡くなったオレの祖父は八十歳だったが、骨は三十代の男性のそれだと医者が言っていた」
「「「へぇー……」」」
「さて、最後にもう一つストレッチをするぞ。足を、今度は前後に開く。前に出した足の膝に両手を置いて、上体は起こしたまま動かさず、後ろに出した足の裏を地面につけて、前に体重をかけていく。当然だが、足の裏は離すなよ。片方十秒で、両足を二回ずつやってくれ。かなり大事なストレッチだからな」
「どう大事なんだ?」
「今やっているストレッチで伸ばしているのはアキレス腱という場所だ。ここはストレッチの段階でしっかり伸ばしておかないと断裂する。では、断裂すると何が拙いのかだが、歩いたり跳躍したりが困難になる。しかも、そうなるとなかなか治らない。だから大事なんだ」
「だけど回復魔法があるだろ?」
「……お前は回復魔法があるからって痛い思いをしても構わないのか? そんな事を言ったら、回復魔法があるんだから致命傷を負っても大丈夫だし、鎧だって必要ないよな?」
「それは……」
「いいか。便利なものがあるからと言って、それに甘えた生き方はするな。便利なものは便利だと言うだけで万能じゃない。重要な時に使えませんとなったら、自分で解決しなければならないんだ。全く頼るなとは言わないが、自分で出来る範囲の事はしっかりやれ。便利なものを使うのはそれからだ」
「……なるほど」
アキレス腱を伸ばすストレッチも終わり、次は何をするのか、という表情で騎士達がこちらを見る。
「――では、これより本格的な訓練に移る。が、その前にお前達に言っておく事がある」
「「「……?」」」
「訓練中、武器の使用の一切を禁止する。文句があれば言え」
「何故ですか!」
「武器を使わずにどうすんだ!」
「鬼! 悪魔!」
喧々囂々。騎士達は口々に不満を言い始めた。
中には『変態教官!』とか『人を虐めて愉しいのか、変態!』とかいう罵倒も含まれていたが、オレは大人だから、気にせずに流しておく。
……連帯責任でメニュー厳しくしてやるからな。
「ええい、やかましい! 文句があれば言えとは言ったが、誰がそこまで騒げと言った! ちゃんと理由も説明してやるから聞け!」
「「「……………」」」
「まったく……。理由だが……まあ、それも訓練の一環だからだ。とにかく武器の使用は禁止する」
あっという間に落胆する騎士達。別に剣一本使わないからって死ぬわけじゃなし、そう落ち込むなよな。
「ところで、コルティア子爵から、お前達は領民にデカい態度で接し、横暴が目立つと聞いている。心当たりがある奴は手を挙げろ」
挙手を促すと、騎士達全員がもれなく、申し訳なさそうに俯きながら手を挙げた。
「……よし、わかった、下ろせ」
ロゼとの手合わせの時に根性を見せていたから、もしかしたら少しは、なんて期待していたんだが……したオレがバカだった。
もはやこれまで。もう容赦なんてしてやらん。
「あ、の……ホオズキ殿……?」
「お前ら全員、メシを見るのも嫌になるほどズタボロになるまでシゴいてやるから覚悟しろッ!!」
さぁ……っ、と、騎士達の顔から血の気の引く音がした気がした。




