二十二頁目 貴族としてあるためには
「特訓、とは言うが、具体的にどうするつもりなんだ?」
「まずは意識の改善。いくら訓練しても、自分から取り組まないんじゃ意味がない。幸い、カードはちゃんと手元にあるから、適切なタイミングで切っていけばいい」
「意識……。確かに、領主軍としての意識は足りていないな。意識を変えたら、次はどうするんだ?」
「意識を変えたら、精神と肉体を極限まで追い込む」
「そ、そんな事をして大丈夫なのか?」
「問題ない。コルティア子爵様、超回復という単語に聞き覚えは?」
「……いや、聞いた事がないな。なんなんだ、その超回復というのは……?」
「人間が身体を鍛える時、最初のうちは筋肉痛が絶えないはずだ。コルティア子爵様はどうだった?」
「確かにあった。訓練に響かないように、よく我慢していた」
「素晴らしい。超回復とは、一度ボロボロになった筋肉が、その後の二十四から四十八時間の休息によって、訓練前よりも増える現象の事を言う」
「待って欲しい。一度ボロボロになった筋肉だと?」
コルティア子爵が、何を言っているんだ、という眼でこちらを見つめてくる。
「そうだ。身体を鍛えるという事は、一度身体の筋肉を破壊して、休息中に徐々に筋肉を回復させ、筋肉量を増やす事を言う。だが、これの最大効率を引き出すためには、一度特訓をしてから二日間の休息を置いて、その翌日に特訓、また二日間の休息、と繰り返す必要がある」
「なるほど。しかし、休息日中に逃げてしまうのではないか?」
「もちろん、その可能性は十分に考えられる。だが、逃がさない。逃がしてしまえば、やった事が全部水の泡だからな」
「うん。で、休息日は何をさせるんだ?」
「座学をしようと思っている。戦術や戦略の理解は、指揮官だけがしていては意味がない。部下にも理解させる事で、誰にも恐れられる部隊を作り上げる事が出来る」
「断言してしまうのか?」
「正直、断言はし難い。戦場は生き物だ。どれだけ戦術を学び、相手の戦術を理解したところで、その通りに動いてくれるわけじゃない。指揮官には臨機応変な対応が、部下にはその指示を迅速に実行出来る行動力が求められる。例外は無い」
「……なんだか、ホオズキ殿はそこらの軍人より軍人らしいな」
「これでも多数の門下生を預かる道場の師範なんだ。門下生の可能性を殺さないように立ち回る必要があるからな」
「随分と年若い師範なのだな。ホオズキ殿は、年齢はいくつだ?」
「今年二十一になった。だから、コルティア子爵様とは同い年だな」
言い終わるが早いか、コルティア子爵の顔がパァッと輝く。まるで新しい玩具を与えられた子供みたいな、キラキラした瞳だ。
最近どこかで見た事があるな、と思ったら、これはアレだ。肉を前にした時のロゼだ。
「ホオズキ殿は、爵位に興味は……?」
「無い。……と言うと嘘になる。だが、今はまだ旅をしていたい。貴族社会の面倒事なんてまっぴらごめんだ」
「名誉爵位ではどうだ? 騎士爵なら、特に面倒事はないはずだ」
「……誘いは嬉しいが、仮に叙爵されるにしてもそれに足る功績がない。不当な叙爵は反感を買う。叙爵された端から不評を買っていても仕方ないだろう!
「……それは、そうだな」
「まあ、とにかく今は爵位は要らない。責任ある立場なんて、師範だけで十分だ」
「苦労しておられるのだな、ホオズキ殿も」
「コルティア子爵様に比べたら微々たるものだがな。貴族の大変さは、平民のオレにはわからないけど」
しかし、責任ある立場ってやつの面倒臭さは、ある程度理解はしている。世間には、そういう立場にいながらロクでもない事をする奴がいることも。
女性で貴族のコルティア子爵には、きっと、オレが考える以上の苦労があるのだろう。
「ともあれ、頼まれた以上はきっちり仕事はこなす。コルティア子爵様が参加しても問題ないが、自分の仕事に影響が出ない程度にしてくれ」
「ああ。そうさせてもらおう」
自信満々といった様子のコルティア子爵。
それにしても、図らずも長期滞在になってしまったな。まあ、これを機に、こっちの世界の人間の生活をじっくり観察するのもアリと言えばアリか。
◆
馬車に乗って揺られながらコルティア子爵と談笑することしばらく。ようやくというか、なんというか、馬車が停止した。良かった……そろそろ尻に伝わる痛みに限界が来ていたんだ。助かった。
「……なんか、急に止まったな?」
「この馬車に乗ってから既に三時間近くが経過しています、主。おそらくですが、オルトーラ市に到着したのではないかと」
「そんなに経ってたのか。……しかし、何故止まる必要がある?」
「オルトーラ市は、入る時は身分証明が必要なんだ。それは平民であれ貴族であれ変わらない。身分を証明出来ないのなら、街には入れられないんだ」
「……それは、拙いんじゃないか? コルティア子爵様はともかく、オレ達は――」
「ホオズキ殿たちは構わない。私が身分を証明出来るからな」
「それでいいのか? 貴族が、身分を証明出来るからって犯罪者でも連れてきたらどうする?」
「それは問題ない」
「何故だ?」
コルティア子爵曰く、ロガ王国の街の門には、犯罪者を感知して警備隊や自警団の詰所に進入を報告する魔導具を使ってあるらしい。
この魔導具は、現在進行形で犯罪行為を働いている人間に対して反応し、犯罪者から奴隷に落ちた人間には反応しないため、話に聞くより結構高性能で便利なんだそうだ。
「――というわけで、心配は要らないんだ」
「なるほど。確かにそれは便利だな」
「ああ。だから安心して欲しい」
「わかった。……動き出したな」
どうやら身分証明と確認が終わったらしく、馬車がまたゆっくりと動き始めた。
正直に言えば、これ以上尻にダメージを受けたくはなかったから降りても良かったんだが。というか、降りたかったんだが。まあ、そこは口にしないのが大人の対応というやつなわけで。
「……ん? ホオズキ殿、なにか微妙な表情をされているが、どうした?」
顔に出ていたらしい。
おい、大丈夫かオレ。母さんの教えを全う出来てないじゃないか。
「いや、まあ……馬車なんて初めて乗ったんでな。随分尻が痛くなるなと思ってな」
飾らない事。大事だと思います。
「はははっ。確かに、馬に乗るのと違って馬車は尻が痛くなるな。私も未だに尻が痛くなるよ」
「コルティア子爵様は、馬車歴は?」
「子爵になってからだから……大体三年くらいだ。とはいえ、普段は屋敷にいるし、街の外に出る事はあまりないから、馬車に乗った回数は少ないものだよ」
「そんなもんなのか。わからないもんだな」
突然、僅かではあるが慣性のかかる止まり方で馬車が止まった。そして、何やら馬車の外が騒がしい。
「……なんだ?」
「主。どうやら住民の妨害を受けて止まったようです。馬車の行く手を遮るように、数名の男女が横に並んでいます」
「コルティア子爵様。こういう事は度々あるのか?」
「……ああ。頭の痛い話だが、我がオルトーラ市には貧民区があってな。私が馬車で出掛けると、そこの子供達が必ず帰路を妨害してくるんだ」
「そういう時はどうしている――」
「主。妨害をしていた人間のうち、一人の気配が薄弱になりました。どうやら騎士の一人が斬ったようです」
ユキヤの報告を聞いて、ぶわりと総毛立った。
斬った? いや、対応としては間違ってはいないのだろうが、注意はしたのか? 何も言わずに斬ったんじゃないだろうな。
「……ユキヤ。騎士共を制圧しろ」
「御意に」
「ホオズキ殿! これは――」
「ままある事だ、とでも言うつもりかコルティア子爵。土地を治める為政者のくせに、領民の命を蔑ろにするつもりか?」
「……………」
「やれやれ……。どうやらお前にも教育が必要なようだ、リーゼリア・フォン・コルティア。その性根がまともなモノになるまで、睡眠時間は無いと思え」
沈痛な面持ちのコルティア子爵を睨み付けて、努めて冷静に告げる。
やはり貴族などという人種は、どこに行ってもこんなものなのだろうか。
「――ただいま戻りました、主」
影になって姿を消していたユキヤが、オレの隣に姿を現す。
「騎士の制圧を完了。斬られた人間の方は主にいただいた回復薬を傷にかけておきました」
「よくやった、ユキヤ。斬られた側にも対処した事も、よくやってくれた」
「いえ。それが主の御心かと思いましたので」
「正解だ。……さて、コルティア子爵。こちらの納得がいく説明を要求したいのだがな?」
「何を、説明しろと言うんだ……」
「貧民区の人間とはいえ、同じ領民。だと言うのに、領主自らが領民の命を軽んじるというのは、どういう了見なんだ?」
「……馬車の前に出た、彼らの責任だ」
「そんな当たり前の事はどうでもいい。オレが言いたいのは、貧民区の領民がそんな事までして陳情したい事があるだろうにも関わらずお前は何をしているんだ、という事だ」
コルティア子爵の表情がより重く痛々しいものになる。
きっと彼女も頭では理解しているし、心は『何かしてあげたい』と叫んでいるんだろう。しかし、立場が、爵位が、何より周囲の人間が、それを許さない。許してくれない。
だから彼女は、雁字搦めになって、動きたくても動けなくて、そんな自分が情けなくて、そんな自分に怒りが湧いて、こんな表情をしているんだろう。
馬車が三度動き出す。
馬車の中に重苦しい空気が満ち、痛々しい沈黙が場を支配していた。




