百七頁目 労働条件
「まあ、とりあえず入ってくれ。遠路をご苦労様だったな、ミラさん」
「セツカ様に同道出来るのなら、この程度は大した事はありません。それから、私の事はミラと」
「……歳上だろ?」
「立場の問題です」
そう言われてしまうとぐうの音も出ない。
しかしながら、彼女はエルク・ジンネマンだ。苗字持ちという事は貴族家の人間なのだろうし、殊更に厳しくする必要も無いと思うが……。
「私も確かに貴族家の生まれではありますが、今ではしがない子爵位です。伯爵ともなられたセツカ様におかれましては、私などにわざわざ敬称など付けずとも良いのです」
「……そういうものか?」
「そういうものです」
「なるほど。だが、それを言ったら、ミラさんは別にオレに仕えるわけじゃないんだから、様呼ばわりとかしなくていいんじゃないか?」
「それは……しかし、では、どうすれば?」
これまで涼やかな表情しか見てこなかったミラさんの顔が、初めて困惑に歪んだ。
まあ、彼女みたいな生まれながらの青い血にしてみれば、上か下かみたいな二極的なのが普通なのかも知れない。
オレとしては、彼女に対しては『姉』という意識が結構強い。実際、日本でも同じくらいの歳の姉がいたし、感覚的にはそれが近いし楽だ。
それに、何の因果かミラさんとオレは容姿が似ている。……と言っても、似てるのは銀髪くらいなもんだが。
そうした諸々の事情を鑑みても、やはりミラさんには『姉』のような存在としていて欲しい。
確かにオレは伯爵位の貴族ではあるが、ユキヤ達といいマリスや侍女衆といい、いわゆる『部下』が増えすぎている気がするのだ。
バランスを取る為にも、ミラさんには同等かそれ以上の存在であって欲しいわけである。
「じゃあ、姉みたいな感じで」
「姉……ですか」
「ミラさんは、兄弟とかは?」
「私は兄が二人と姉が三人、妹が二人、弟が一人います」
「女系の家族なのか……」
「そうですね。ジンネマン家は昔から女の多い家系だったようです」
「なるほど。ただまあ、そういう事なら姉弟のように接するのも難しくはなさそうだな。よろしく頼むよ、姉さん」
「ね――はぁ、仕方ありません。そういう事なら、私も弟と思って接します。よろしくね、セツカさん」
ミラさんはそう言ってにっこりと笑った。
敬称が取れないのは気になったが、まあ、いきなり全部対応してくれってのも無理があるだろうから、今はこれでいいか。
◆
ミラさんが屋敷に入り、教師マリスによる奴隷達への授業を目にした事で、ツイン教師システムが起動した。
それというのも、実はミラさんはエリーナ王女の家庭教師役でもあったらしく、彼女の教導精神に火が点いてしまったらしい。
まあ、マリス一人が教えるにはちょっと多い人数だったので、これはこれで助かる。
授業の効率が上がれば教育に必要な期間が減り、果ては量産体制確立の早期解決に繋がるしな。
ただ、まあ……ミラさんがあまりにも熱血……いやさ、熱心であるが故に、奴隷の子達がちょっと引いてるのが不安ではあるが。
まあ、奴隷の子を労働力にするために勉強を教えてる事は言ってあるから、限界は見越しているんだろう。
なんならマリスだっている。
彼女にはオレから適度に休憩を挟みながらやるように言ってあるから、あまり心配しなくても大丈夫だろう。
……というのがフラグにならない事を祈るばかりだ。
「あの……ご主人様」
神なんぞは信じちゃいないが、それでもと天に祈っていると、勉強中の奴隷の子の一人がおずおずと話し掛けてきた。
確か彼女の名前は……エルシオンだったか。
買ってきた奴隷の中では一番しっかりしていて、そしてとりわけ算術がデキる十七歳の女の子だ。
責任感も強く、他の奴隷の子達の実質的なリーダーでもあったから、業務主任とかそういうポジションになる予定。
「どうした、エルシオン?」
「私達は、これからどうなるのでしょう……?」
「どう……?」
はて、一体何をそんなに不安がっているのだろうか。――と、考えたところで、彼女達を買った時には特に何も事情を話してなかったのを思い出した。
一体何のために買われたのかわからず、しかも何か労働をさせられるわけでも、伽の相手をさせられるわけでもなく、読み書きや算術を習い、朝昼晩と食事が出来て風呂にも入れ、さらにはベッドで寝る事も出来る。
となれば、自分達はこれから一体どうなるんだろう、と不安になるのは自明だ。
いやはや、すっかり失念していた。
「ああ……ちょうど良いな。全員、手を止めてこちらを向け。……いや、マリスとミラさんは見なくて良い」
教師役の二人にツッコミを入れつつ、奴隷達の目が全部こちらを向いたのを確認してから再び口を開く。
「お前達を何のために買ったのか。今している、読み書きや算術の勉強は果たして何のためにしているのか。……簡単に言えば、お前達を雇うためだ」
「雇う……?」
奴隷達の一人……ルシアという名の十五歳の少女が訝しげに口を開く。
「今やっている勉強が終わり次第、お前達はオレが立ち上げたアッシュハート商会の正規雇用員になる」
奴隷達の中にざわめきが生まれた。
奴隷を労働力として『使う』のならともかく、商会の人間として『雇用』するのは、きっとこの世界の常識には無いんだろう。
「具体的な事を今から話しておこうか。実際に商会の人間として働くようになったら、の話だから、よく聞いて覚えておくように」
『『『はい』』』
「良い返事だ。……さて、まず気になるのは労働時間だろう。健康管理の面から、一日の労働時間は最長で八時間。昼に休憩を一時間挟んで昼食を摂ったりする時間を設けるから、実際は九時間を商会員として拘束させてもらう事になる」
「最長、という事は最短もあるのですか?」
「良い質問だ、エルシオン。分かりやすく最長とは言ったが、八時間の労働という事以外は特に決めてはいない。労働時間中に体調を崩せば、そこで切り上げてあとは休んでも構わない。それから、働く前に体調不良があれば遠慮なく申し出るように。次第によってはその日一日を休養日として様子を見る」
「一日八時間の労働、間に休憩を一時間。体調不良などで働けない理由がある場合は申告し休養。労働中でも体調不良があれば申告し、その日の残りの時間は休養……ですね?」
エルシオンの確認の問いにしっかりと頷きで返す。
「体調不良が軽いものであれば魔法で治して働いてはもらうが、重いものならゆっくりと休ませるからそのつもりでいてくれ」
「わかりました」
エルシオンの返事と同様に、他の奴隷達もそれぞれ頷いている。
うんうん。一応の理解は得られているな。
「……と、ここまでのところで質問はあるか?」
と、問い掛けて見るとちらほらと手が挙がった。
まずはその中の一人……イリスを指名してみる。
「労働の時間以外はどうなるんですか?」
「労働時間以外の時間については、それこそお前達の自由な時間だ。この屋敷を近く改装してお前達の家にもするから、屋敷にいるでもいいし、外に遊びに出ても構わない。好きな事をすればいい」
再び奴隷達の中にざわめきが生まれる。
「雇用するから当然給料が出るが、それをどうするかも自由だ。もし自分達の手の届かないもので欲しいものがあれば、マリスか紅葉に相談すれば便宜を図るようにしておく」
「……わかりました」
「うん。さて、他には?」
再び問えば再び手がちらほらと挙がる。
次は……イリスの双子の姉、アリスを指名。
「さっきお給料の話が出たけど、どのくらい貰えるんですか?」
「……ああ、それは考えてなかったな。通常、商会の従業員を雇う場合ってのは、相場はどれくらいなんだ?」
「商会の規模にもよりますね。アッシュハート商会は新興の商会ですから、銀貨二十枚くらいでしょうか」
そうオレの問いに答えてくれたのはマリスだった。
優秀な人材だとは思っちゃいたが、こういう疑問にもさらっと答えられるあたり、本当に優秀だなぁ。
「んー……それだと、ちょっと面白くないな」
「……はい?」
「労働一時間あたり銀貨五枚にする。八時間で銀貨四十枚。それが三十日で金貨十二枚か。まあ、こんなもんだろ」
「多過ぎます! どこの豪商ですか!?」
「……そうか、多いか。じゃあ、一時間あたり銀貨二枚ならどうだ?」
「それでも一ヶ月で金貨四枚と銀貨八十枚じゃないですか! 金銭感覚麻痺しますよ!?」
これでもダメか。
なかなか難しいもんだな……。
「大体、銀貨二十枚って月間か?」
「年間ですよ! 一年で銀貨二十枚です!」
「だが、それだと足りないだろう。今エルティセルで売ってもらってるシャンプーセットは一セットが銀貨十五枚だぞ? 一年でシャンプーセットが一セットにプラス銀貨五枚はあまりにも薄給だろう?」
「それは……まあ、そうかも知れませんけど。そうは言っても流石に金貨はやり過ぎです」
「じゃあ、一時間あたり銀貨一枚。一人一人が働いた時間を記録して、月末にその月の給料を支払う。これでどうよ?」
「……まあ、銀貨一枚なら」
「待ちなさい。そうすると、ひと月で銀貨二百四十枚です。もう少し削りなさい」
今度はミラさんからダメ出しが出る。
まったく、何がそんなに気に入らないって言うんだ。働いてくれるんだから、それに見合う給料にするのは当たり前だろうに。
「じゃあ、その半分にしよう。一日八時間労働、一時間休憩。それを三十日。給料は一人あたり月に銀貨百二十枚。これでどうだ」
「……まあ、良いでしょう」
ミラさんが言うと、マリスも頷いた。
その方面にも詳しい二人の太鼓判という事で、オレも心の中でグッとガッツポーズ。
さて、どんどん質問に答えるぞ。
疑問は早いうちに解消しておかないとな。




