百六頁目 銀髪の彼女、合流
ナメていた。完全にナメていた。
美容に対する女性の貪欲さというものを、完全に見誤っていた。
売れたんだ。四百セット。
『販売初日だし、売れ行きを見て今後の参考にしようかな』なんて軽い気持ちで眺めていると、それはもう怒涛の如き人の波が、次から次へとやってきてシャンプーセットを買っていくのである。
そして、人の波が引いた頃。
そこには、昨日よりかなり閑散としたエルティセル商会と、呆然と立ち尽くすオレ、ほくほく笑顔のトリィとフランチェスカが残った。
アイナ達は猛り狂う人の波を掻き分けて帰っていった。……逞しいなぁ。
オレがエルティセル商会にシャンプーセットを卸してから、三時間の出来事であった。
「……嘘だろ」
「ふふふ。だから言ったじゃないですか、百じゃ足りないって」
「いや、だって……顔馴染みだから、ちょっと盛ってるって思うだろ……!?」
「セツカさん相手にそんな事しませんよ。それより、多分、今のは第一波だと思うので、補充分があれば貰えますか?」
「…………は?」
「ローザロッサに住む女性は多いですから。多分ですけど、これから冒険者や傭兵の女性も買いに来るはずですよ」
「……あれで終わりじゃないのか?」
「まさか! まだまだ来ますよ」
にっこりとした笑顔で言うトリィ。
これ、ローザロッサにいる女性全員が買い求めたとして、貴族の方に波及するのも秒読みか。
そうなると、量産体制の整わないうちに売りに出したのは失敗だったかな。
多分、一ヶ月もしないうちに、ロガ王国の貴族のご婦人方から注文が殺到するか、あるいは直接買い付けに来るはずだ。
カーミラ王妃やエリーナ王女が欲するのも、やはり時間の問題だろうな。
「――とりあえず、今作ってある分を置いていくから、まあ、適当に捌いてくれ。冷暗所にでも置いておけば、余っても保存は利くはずだ」
言いながら、インベントリの中にあるシャンプーセットを次々に出していく。
「わかりました、どれだけあってもエルティセルの名に懸けて売り捌いて――ちょっ、ちょっと、セツカさん! 一体何セットあるんですか!?」
「ん? んー……魔導具の試運転も兼ねて作りまくってたからなぁ……一万はあるかな?」
インベントリの表示を見ても、シャンプー、コンディショナー共に五桁は在庫がある。
それと言うのも、今現在、働き手として買ってきた奴隷達はマリス先生に読み書き算術を教わっているために、量産をオレ一人の手でしなければならないからだ。
要するに、苦労しないための苦労だ。
「流石にそんなには無理です!」
「……それもそうか。じゃあ、二千くらい?」
「千五百ってところですね」
「了解。そこに置いてたらいいか?」
「はい。陳列はこちらでやってしまうので、まずは適当に置いちゃってください」
許可も貰ったので早速シャンプーセットを千五百、自然魔法で木箱を作って、その中に入れておく。
さっきの勢いを見るに千五百でもすぐに売り切れそうではあるが……まあ、完売したらその時はその時だ。買いそびれた人にはまた明日以降購入してもらおう。
「――ッ!!」
妙な気配を感じて、バッ、と勢いよく振り返る。……が、そこにはローザロッサの日常があるだけで、妙な気配や嫌な雰囲気を放つような存在は見受けられない。
「……なんだ……?」
わからない。
わからない……が、あまりよくない事なのかも知れないという事はわかる。
この感覚は、初めて母さんと一対一で鍛練をした時の感覚に似ている。
だが、それとはどこか違う感覚だという事もわかっている。
結局のところ、『わからない』。
その一言に尽きる。
「……どうかしましたか、セツカさん?」
「いや……うん、オレの気のせいだ。気にしないでくれ」
オレの様子からただならぬ雰囲気を感じたらしいフランチェスカが心配そうに見つめてくるが、何でもない風に笑って誤魔化しておく。
付き合いの短いフランチェスカだからこそ通じる手だ。これがユキヤ達なら、少し考えてから看破される。
とはいえ、気にしても仕方ないのも事実。
まだ訝しげに見つめてくるフランチェスカに、『本当に何でもないよ』と念を押してから、エルティセル商会を後にする。
「……殺意にも似てる。けど違う。いや、でも……うーん、どう形容すれば適当なんだ……?」
母さんとの鍛練を通じて、こと気配には凄く敏感になったし、こちらに向く意識がどういうものなのかという理解も深まった。
だが、さっき感じたのは、それだけでは片付けられない。まるで無数の意識、無数の感情を向けられたかのような、そんなそら寒さがあった。
「……なんだったんだ……?」
しかし、一瞬の事だったので、それがなんだったのか、どこから向けられたのかまでは判別出来なかった。
まあ、今は感じてないから、きっと気にしたところで無駄だろう。なんかモヤモヤしたものが残るが、仕方ない。
「とりあえず、次に売るものでも考えるか。シャンプーセットは爆発的に売れるだろうけど、毎日のように買うもんでもないし、在庫が腐るようになっても仕方ない」
定期購入は望めるが、その程度だ。
もう少し人民の生活に密着した商品でないと、商会としてマトモとは言えないだろう。
それから、貴族に向けた商品も開発しておくべきだ。
アクセサリーの類でも作っておけばいいだろうか? 正直、装身具についてはよく知らないので、誰かの知恵……というか、センスを借りたい。
「……あれ?」
そんな事を考えながら屋敷への帰路を歩いていると、屋敷の門の前に見覚えのない馬車が止まっているのが見えた。
民間で使われているような馬車ではなく、全体的に豪奢な装飾があしらわれているので、多分どこかの貴族の馬車だろう。
その割には……家紋が見えないのだが。
仮に貴族なのだとして、果たして誰がやって来たのだろう。
十傑衆の女性陣は、貴族令嬢ではあるが完全に友人としての扱いなので、馬車を乗り付けずに徒歩でやってくる。
貴族令嬢がそれでいいのかと苦言を呈したくはあったが、そもそもオレ自身が貴族らしからぬ事をしているので黙っておく事にした。
言わぬが花というか、口は災いの元なのだ。黙っておくに越した事はない。
しかし、そうなるとますますわからない。
コルティア子爵ことリーゼリアかと思ったが、そもそも彼女には現在の所在は伝えてない。
もしかしたらシグナート伯爵経由で知っているかも知れないが、それならば貴族社会の礼儀として先触れを寄越すだろう。
まあ、今来ているのがそれだとしたら、何とも言えないのだが。
などと、ぐるぐると思考を巡らせていると、馬車のドアが開いた。
そして、中からタラップを踏んで降りてきた人物に驚いた。
「……ミラさん?」
つい先日まで王城でメイド長の座におり、またエリーナ王女の御付きでもあった銀髪の彼女が、そこにはいた。
「――ホオズキ様。……いえ、セツカ様とお呼びするのが適当でしょうか。お久し振りです」
「ええ、お久し振りです。……こう言うと失礼かも知れませんが、早かったですね?」
「はい。居ても立ってもいられなかったもので」
ミラさんは微笑みながら言った。
ここから王都までの距離を馬車で往復する日数を逆算すると、まだちょっとかかると思ってたんだが、結構急いで来たらしい。
「はは……そう言って貰えるのは光栄ですね」
「はい。――改めてまして。セツカ・ホオズキ伯爵様。不肖、このミラ・エルク・ジンネマン、御身の御側に仕えさせていただきます」
ミラさんはそう言ってから、恭しく頭を垂れた。




