百頁目 フランチェスカの決定
「なんなんですか、アレは!!」
マリス、興奮す。
この異世界におけるシャンプーとコンディショナーのプロトタイプを利用した日の翌日、彼女は鼻息荒く、そうしてオレに迫ってきた。
アレは一体なんなのか。
あんなものを売るつもりなのか。
どうして今まで教えてくれなかったのか。
なんのかんのと話されはしたが、彼女が言っていたのは、つまりそういう事だった。
地球でも、女性の美容に対するあれやこれは侮れないものがあったし、四十代や五十代の鬼灯家の姉達も母さんに美容の秘訣を聞いたりしていたのは、今でも覚えている。
……もっとも、誰一人として母さんのようになれた姉はいなかったのだが。
オレ個人としてはどうしてそうまで拘るのかと、甚だ不思議でしかないのだが。ともあれ、異世界でシャンプーやコンディショナーを売ろうとしたのは正解だったようだ。
ついでにボディソープも作っておいたのだが、セットにして売り出せば飛ぶように売れていくだろう。マリスにはモデルケースとして少し手伝ってもらおう。
「そんなに良かったのか?」
「良いなんてものじゃありません! あんなの、全世界の女性が渇望して止まないものですよ!」
「へえ、そうなのか」
「そうです!」
文明レベルが違っているのでオレにはいまいちピンと来ないのだが、シャンプーやコンディショナーといったものは、この世界くらいの文明レベルだと渇望されるものらしい。
まあ、オレだって今さらシャンプーもコンディショナーもない生活ってのは、この世界に来るまでは考えもしなかったのだが。
「じゃ、それを踏まえて……マリスはいくらで売るべきだと思う?」
「金貨を要求しても足りませんよ! ……とはいえ、狙いはそうじゃないんですよね?」
「そうだな。まずは広く知ってもらう事が先決だから、基本的には庶民に向けたものになる。状況次第では貴族も相手にする必要があるが、それならそれで、庶民向けとは違うものを出せばいいだけの話だからな」
「なるほど。であれば、銅貨七十枚から銀貨三十枚の間といったところでしょうか。その辺りであれば、家計を圧迫する事なく定期的に購入出来るかと」
「……ふむ。わかった。ありがとう、マリス。そうなると……フランにも試して貰うか。侍女衆にも使って貰って所感を聞いておきたいな」
「ユキヤさん達にはいいんですか?」
「あいつらは……うーん。こう言っちゃなんだが、アナ以外はそういうのは無頓着な気がするんだよ。ユキヤやロゼは良くも悪くも性差なんて気にしてないだろうし、ライカなんか言わずもがなだろ。ルキナは辛うじて興味を持つかも知れないが……あんまりアテには出来ないな」
ユキヤやロゼは武人というか狩人としての意識を強く感じるし、ライカはまだそういうのを考える段にない。色気より食い気だ。
ルキナは多少身だしなみに気を付けているかも知れないが、自惚れでなければ、オレの手前、無様な姿を晒すまいとしているように見える。
そしてアナだが、彼女はあのメンバーの中では特にそういうものに興味を持っている節がある。
屋敷にいても、たまに自分の長い髪を眺めては物憂げに溜め息を吐いたりしていたし、一緒に街に繰り出せば雑貨屋に並ぶアクセサリーに視線を奪われたりしていた。
何より決定的なのは、あれから数日置きにやってくる十傑衆の女性陣と、服やアクセサリーについて話している事だろう。
普段は感情を悟らせないようにミステリアスに振る舞っているアナだが、その時ばかりは年相応の女の子の顔をしていた。
とはいえ、ユキヤを始めとしたどのメンバーも、年頃の女の子である事には変わりない。
……まあ、一部百歳を越えたりしているわけだが、そんなのは誤差の範囲だ。きっと。
「まあ、とりあえず言うだけ言ってみる。そしたらまずは……フランかな。どうしてる?」
「まだ起きてきてはいませんが……呼びますか?」
「……いや、オレが行こう。商会を立ち上げようとしてるのはオレだからな」
「わかりました。では、朝食の準備を進めますね」
「ああ、よろしく頼む」
一礼してからキッチンに消えていくマリスを見送ってから、二階のフランチェスカのいる部屋に向かう。
ドアをノックしてみるとすぐに返事があったので、『入るぞ』と声をかけて中に進入する。
フランチェスカは朝は早い方なのか、既に身支度を済ませていた。とは言っても、今の時間ならユキヤやアナ辺りは既に目を覚ましているだろうが。
ともあれ、起きていてくれたのは幸運だった。
「おはよう。よく眠れたか?」
「はい。久しぶりのベッドだったので、少し眠りすぎましたけど」
フランチェスカはそう苦笑気味に言うが、枕が合わないとか、悪夢を見て魘されたとかもないようで、まずは一安心だ。
「気に入ってもらえたなら、オレとしても嬉しいところだ。そろそろ朝食だから、降りてくるといい」
「ありがとうございます。……それで、昨日の話、なのですが」
「……もう、結論は出たのか」
「私は……やっぱり、商人の娘のようです。こういう事を言うと変な子だと思われるかも知れないんですけど、昨日、商会のお話をいただいた時、凄くわくわくしたんです」
確かに、フランチェスカの目はオモチャを前にした子供のようにキラキラと輝いて見える。
「それじゃあ――」
「はい。どれだけ出来るかはわかりませんが、私に、やらせてください。これでもメルトナ商会の副商会長でしたから、ご期待には添えられるかと思います」
「そうか。まあ、とりあえず商品を見てみてくれ。一応マリスから所感は聞いているが、商人目線の意見も聞いてみたい」
「わかりました。ちなみに、何をお売りになるつもりなんですか?」
「新しい風呂用品だ。良かったら、今夜あたり使ってみてくれ。風呂場に置いておくから」
「はい。人材の登用などはお任せしても構いませんか?」
「もちろんだ。まあ、時期が来ればその辺りの事も任せるかも知れないがな」
「責任重大、ですね」
微笑みながら言うフランチェスカに、こちらも思わず笑みが漏れてしまう。
……とりあえず、今日のところはまだ商会としては動けないな。
まずは商人ギルドに顔を出して、諸々の手続きをしよう。
そしたら次は人材の雇用だな。文字の読み書きが出来る奴、算術が出来る奴を何人か確保しておきたいし、商会所属の用心棒として元冒険者か傭兵あたりも欲しい。
基本は亜人の奴隷になるだろうが……人族の奴隷も労働力として確保しておきたいな。
ああ……クソ、やる事は山積みだな。
会社を立ち上げる、ってこんな面倒な事なのか。会社を立ち上げた兄さんや姉さんに、ちょっとでも話を聞いとけば良かったなぁ……。
まあ、いいか……目の前のタスクから処理していくしかあるまい。
「まあ、とりあえずメシにしよう。腹が減っては戦は出来ぬ、って言うしな」
「なんですか、それ?」
「諺だ。要は格言みたいなものだな。物事に取り組む際に腹が減っていては十分に力が出せない。だから、何かをする前には気力を充分にしてから取り組みましょう……と、まあ、そんな感じの事だ」
「なるほど。確かに格言ですね」
「故郷に伝わる言葉だが、なかなか良いもんだろう? さて、じゃあ行こうか」
「はい。……そういえば、なんとお呼びすれば?」
「刹華でいい。敬称は好きにしてくれ。ただ、伯爵様とか付けるのは、なんとなく恥ずかしいからナシだ」
「――ふふっ。わかりました。では、セツカ様と」
本当なら『様』と付けて呼ばれるのさえ回避したいところなのだが、悲しい事にこの世界でのオレは貴族。貴き方々のお仲間だ。
その人間が庶民に『様』とさえ付けられずに呼ばれているとなれば、思わぬところで問題を生みかねない。
なので、これくらいは我慢しなければ。それが上に立つ人間の責務でもあるだろうし。
「そういえば、長いからとフランと呼んでいるが、本当に構わないのか? 特に親しくはないはずだが」
「大丈夫です。どうせこれから親しくなりますから」
そう言ってフランチェスカはにっこりと笑う。
ははは……なるほど、商人の娘だわ。
ともあれ、まずは朝食からと、にこにこと笑むフランチェスカを連れてリビングに向かう。
今日の朝食は……なんだろうな?




