4話 トラウマ級の緊急事態
<登場人物>
*浄南病院研修医1年目*
・纐纈桜:主人公.A大学出身.北山田高校出身.
・箕浦健史:A大学出身,桜と一瞬恋愛関係になりかけたが桜に振られた.北山田高校出身,桜と同じ塾出身.
・秋間拓弥:A大学出身,高校時代桜と塾も一緒だった.西又高校出身.
・藤原琴海:B大学出身,北山田高校出身.言い方がキツくて桜は苦手.
・大輪田祐之:C大学出身,西又高校出身.第一印象よりは気さくだけど内弁慶.
*浄南病院研修医2年目*
・長瀬菜子:やる気なし系で病院で韓国ドラマ見るくらいの人.
・角田遊星:髪を脱色しているほどチャラい.
*浄南病院上級医*
・加藤先生:外科の先生.初めの準夜勤で一緒になった.角田先生と仲がいい.
*その他*
・美絵里:桜の大学の親友.
「このままだと心臓止まる!」
「AEDを!」
「今Asys!心臓マッサージ!」
「バッグバルブマスクを準備して!酸素15Lから開始!挿管の準備を!」
突如,一瞬の休息が,戦場に変わった.
造影CTを行うためにCT室に入ろうとしたタイミングでの出来事だった.
____え,え,私…
CT室に入ってすぐ,周りの救命活動についていけなかった.
心臓がバクバクして手が動かない.
何をやったらいいの?私がいることで邪魔にならない?どうすればいいの?手を動かす?指示が欲しいけど,みんな必死で指示なんて出せるくらいの人はいない____
何かしないと,何かしないと____
CT室から動いて,救急外来の真ん中にある場所にストレッチャーを移動する話になったようで,みんなで必死に移動させていく.
「わ,私もやります!何をすればいいですか!!」
返事はなかったけど,ストレッチャーを一緒になって移動させた.
私ができるのは,やったことがあるという点では心臓マッサージくらい.他は全くと言っていいほど自信ない.それに,私は体力がない.
「くそっ,人手が足りないな.一応コードブルーを.誰かこれ,揉んでおいて」
「あ,あの!私,やります!」
渡されたのはバッグバルブマスク.バッグバルブマスクっていうのは,口にマスクをつけて,風船みたいな硬めの空気入れみたいなのがついていて,そこを揉みながら肺に空気を送り込むもの.実習でも,もちろんやったことはある.
厄介なのが,マスク部分を片手で患者さんの口をしっかり持ちつつ,漏れないように固定する必要がある.
私の手は女性の中ではまだ指が長い方だったけど,結構経験が必要で,今までの実習では空気が漏れてしまって,しっかりと肺に空気を送りこめた試しがない.
…でも,そんなこと言っている暇なんてないから,さっきの痙攣の時の泡でベトベトな顎を,手袋越しで感じながら,しっかりと顎を持ってマスクを片手で押さえた.
意外に漏れなかった.本当は胸骨圧迫とタイミングを合わせて換気しないといけない.でも,必死すぎて,自分が正しい間隔で空気を送れているのかすら分からなかった.
そのうち,コードブルー(命に関わる患者がいるので他の医療者も来て欲しいというコール)で何人かやってきた.夜ということもあって,なぜかいた外科の先生と,病棟看護師3人程度しか集まらなかった.
全員で,心肺蘇生をおこなっていた.
_____それだけ頑張っても,一向に戻ってくる気配はない.
「モニターチェック,Asys,胸骨圧迫再開で,アドレナリン1A用意して」
Asysとは,心静止.つまり,脈が全くない状態.命に関わる脈は色々あるけど,これはよくドラマとかで見られる,ただまっすぐな線.
こんだけみんなが一生懸命に行っているのに,どうして意識が戻らないの?
そんなことを思っているうちに,加藤先生が口から肺に向かって入れる管,挿管チューブを持ってきた.
「今から挿管するから.ギリギリまで揉んでいて」
「はい!」
私の声の張りとは反対に,マスクを固定する手が徐々に震えてくるのがわかった.
もう,力の限界だった.
でも,このまだ若い人を,このまま死なせるわけにはいかない.
「これ入れ終わったら,俺が揉むから,胸骨圧迫やって」
「はい!」
心臓マッサージ(胸骨圧迫)は実際にやったことはあるけど,2分で汗だくになって,力が入らなくなっていたのが頭によぎる.
「次のサイクルで代わります!」
そう言いながらも,マスクを固定してた左手は既に力が入っていなかった.
でも,人手が少ないから,仕方がなかった.
「代わります,3,2,1!」
かなり体格のいいこの患者さんの胸は,私の全力でやっと有効な胸骨圧迫が行える程度で,既に1分で限界を迎えそうになった.
でも,今近くにいるのは,来てたはずの病棟看護師も外科の先生も知らぬ間にいなくなっており,2人.
胸骨圧迫の機械を持っている病院もあるみたいだけど,そんなものはこの病院にはない.
徐々に息が荒くなる.1分間に100回のペースで,とメトロノームがカチカチと鳴っている.間に合わない.もう,流石にどれだけ頑張っても,10分が限界だった.
「も…もう…む…りで…す…」
「では代わりますね」
男性の看護師さんが代わってくれた.
胸骨圧迫から解放された途端,周りが冷静に見えるようになった.
加藤先生はこのおじさんの家族に連絡している.
角田先生はまだ残っている他の患者さんの検査を行っている.
他の患者さんたちは少なくとも3人がベッドに横たわって,「痛い!」「気持ち悪い…」など,症状を訴えている.
気づけば時計は22時をゆうに超えて、22時半になっていた.
角田先生が他の患者さんの対応をしていたし,確認した.
「あの,私のできる仕事はありますか?」
私の体力は限界.でも,残った仕事があるのに帰るわけにはいかない.心肺蘇生は,どう足掻いても私にはもうそんな体力ない.
他の患者さんを早めに帰宅なり入院なりで進めることも,救急の仕事だとわかっていた.だから,私のできることは,体力をできるだけ使わずともできる仕事を探すこと,だと思っていた.
「何もないよ」
一言,角田先生に言われた.
知らぬ間に私がファーストタッチしていた患者さんも把握していたようで,ある程度終わっていたみたい.
…もう,私,時間外だし帰っていいかな…?
ここにいる先生たちは明日は直明けで休み.私は平常業務.時間外まで,やれることはやった.戦力外宣告されたようなもので,こんなところにいるだけでも,結局邪魔でしかない.
少し一旦落ち着いた加藤先生に対して,確認のために話に行った.
「あの,やれることもないみたいですし,時間も超えてしまったので,帰ってもいいですか」
その言葉にやや変な顔をしていたんだと思う.これは後から気づいた.
「お,おう.いいよ.お疲れ」
そうして,私は恐ろしい救急外来から離れた.
________________
医局に戻って,自動販売機でソーダを買いながら,座っていた.
__あの人,どうなるんだろう.あんだけ心臓が止まっている状態だったら,もう助からないと思うんだよね…
加藤先生は特に何も言わずに帰っていいよって言ってくれたけど,本当に大丈夫だったのかな…
あの時,さっきまで話してた人が泡吹いて心臓が止まる姿.さっきまで,普通に,話してたのに……
「…っ,うぅ…」
涙で前がぼやけてくる.
怖かった.私が何もできないせいでただの邪魔者でしかなかった.
もっと,救急で使える人間になりたい.こんな風に,邪魔者にはなりたくない.
でも,こんなのが初日になるって,普通じゃないよ…あんまりだよ!
そしてまた明日も仕事がある.
明日,この結果が目の前でわかってしまう.
一人暮らしの研修医寮に向かって帰っていく.
どんな相手でも,この話を聞いて欲しかった.
___この夜の出来事は,やがて私の知らないところで,『纐纈のやらかし』として語られるようになる.
次回は9月12日更新です.




