005 黒怪鳥となんとやら……
「ヒャヒャヒャヒャヒャヒャ!!!!」
まるで意地の悪い老婆が笑っているかのような不気味な咆哮に、思わず足が竦む。
黒怪鳥はそんな俺を嘲笑うようにピンク色の頬袋をブルブル震わせると、その両翼をこちらに向かって羽ばたかせた。
次の瞬間、翼から発生した突風が俺を遥か後方へと吹き飛ばす。
俺は自由の利かない空中でなんとか体勢を立て直して着地。
その勢いを、地面に木の棒を突き立てて殺そうとするが、間髪入れずに再び放たれた突風によって後ろにあった大木へと叩きつけられた。
「ぐはっ!」
全身がバラバラにでもなったかのような激痛と共に、肺の中の空気が無理やり押し出される。
さらに黒怪鳥はその巨体には見合わない俊敏な動きで地面を駆け出すと、大木からずり落ちる俺に向かって突進してきた。
足元が不安定で横に跳んで避けることはできない。そう思った俺は咄嗟に背後の大木を蹴って、迫り来る黒怪鳥の股下に転がり込んだ。
直後、黒怪鳥は大木に激突。
凄まじい轟音を上げて体当たりされた大木は、メキメキと音を立てながら倒れていく。
それを尻目に、俺はその場から這って離れようとするが、身を翻した黒怪鳥の長くしなる尾が直撃した。
「うがっ!?」
跳ね飛ばされた俺の身体は地面をバウンドしながら、生い茂る灌木の中へと突っ込んだ。
バキバキという音と共に、小枝がへし折れて背中や腕に突き刺さる。
だが、黒怪鳥の攻撃は終わらない。
今度は俺のいる方に向かって左右の翼を交互に羽ばたかせた。
それによって生じた風はあっという間に渦を巻いて周囲の物を巻き上げながら、直径3メートルほどの竜巻に成長。
突き刺さる小枝を引き抜いて逃げようとしていた俺を、空高く巻き上げた。
高速で回転する小石や小枝が容赦なく襲いかかってくる。
お気に入りだったダウンベストは破けて中綿が飛び出し、白かったトレーナーが赤く染まっていく。
やがて竜巻は、俺を空中に残したまま消滅。
ボロ雑巾のようになった俺は、一直線に真下の大木へと落下。
バキバキと木の枝をへし折りながら徐々に落下速度を落として、地面の上へと転がった。
朦朧とする意識の中で、視界の隅に映ったのは重傷の二文字。
「げほっ、げほっ……。はあっ、はあっ、はあっ……。そんなの……見なくたって……わかるっつーの……。うくぐ……」
俺はベルトに引っ掛けていたベンジョン草に手を伸ばした。
だが、そこにあったはずのベンジョン草はない。
慌てた俺は全身の激痛に耐えながらなんとか上半身を起こして辺りを見回すが、どこにも見当たらない。
背筋に冷たいものが走って、絶望感が押し寄せる。
「ヒャーーヒャヒャヒャヒャ!」
そんな俺を嘲笑うかのように、黒怪鳥は不気味な鳴き声を上げながらゆっくりと近づいてくるが、それを気にしている余裕はない。
俺は必死に辺りを見回してベンジョン草を探し続ける。
「頼む! 見つかってくれ!」
その願いが通じたのか、ベンジョン草の神様は俺を見捨てなかった。
「あ、あった……」
無意識に発動した観察眼で、数メートル離れた所に群生しているベンジョン草を発見。
俺は急いで取りに行こうとするが、怪我のせいで思うように身体が動かない。
頭が痛い。首が痛い。胸が、背中が、腕が、足が、全身の至る所が痛い。
それでも俺は無様に這いつくばりながら前に進む。
3メートル、2メートル、1メートル……
やっと人間に戻れたんだ! こんな所で死んでたまるか!
その一心で精一杯に腕を伸ばして、ベンジョン草を掴んだのと同時だった。
無情にもすぐ後ろまできていた黒怪鳥が、俺を踏み潰そうと、その鋭い鉤爪のついた足を振り上げた。
逃げ場のない絶望の中で、心臓の音だけが異常なまでに激しく警鐘を鳴らす。
ダメだ……。避けられない……
そう思った次の瞬間……!
「ブヒーーーー!!」
突如、雄叫びのような鳴き声と共に木陰から飛び出してきたピートンが、黒怪鳥めがけて突っ込んだ。
「ブヒィィィっ!!」
「ヒャヒャ?」
振り上げていた足とは逆の軸足に体当たりされた黒怪鳥は、意外なほど呆気なく横転。
その隙に俺はベンジョン草を口の中に押し込んだ。
「はぐっ! ふぐっ! ふごっ! もごっ……!」
めちゃくちゃ臭くて、苦くて、ありがたくて、涙が溢れて、全身の怪我が癒やされていく。
俺は次から次へとベンジョン草を引っこ抜いては口の中に詰め込んだ。
その甲斐あって、さすがに全快とはいかないまでも立ち上がって動けるようになった俺は、すぐそばで目を回して倒れているピートンを抱き上げると、未だジタバタしている黒怪鳥を警戒しながら、少し離れた大木の木陰に身を隠した。
「はあっ、はあっ、はあっ……。ピートン、ありがとう。助かったよ」
「ブヒブヒ……」
俺は木陰にあった窪みにピートンをそっと寝かせると、恐る恐る黒怪鳥のいる方を見た。既に起き上がっていた黒怪鳥は、隠れても無駄と言わんばかりに地団駄を踏みながらこちらを睨み付けている。
当然ながら、このまま見逃してはくれなさそうだ。
かと言って戦うにしても、木の棒は最初に大木に叩きつけられた時に失くしちゃったし、怪我の状態は軽傷まで回復したとはいえ、ボシ・ケンゲの水球をくらった時よりもかなり悪い。
そもそも、たとえ万全だったとしても、あんな怪獣みたいなのと戦って勝てる気なんてしないぞ。
くそっ、何でもいいからこの状況を切り抜ける手立ては無いのか?
考えろ。考えろ。考えろ……!
あっ、そういやステータスにウェポンなんてのがあったな。
◇ウェポン
・第1解放 蚊取り線香
モスキートに有効な神経系麻痺毒を含む煙を発生させる。
よしっ、ダメで元々だ。試してみるか。……って、どうやって使うんだ?
えーい、とりあえず、念じてみよう。
蚊取り線香、蚊取り線香、蚊取り線香……
「おおっ!? なんか目の前が光り出したぞ!」
光の粒は瞬く間に収束し、まばゆい光の球体へと変化した。俺は藁をも掴む思いでそれを両手で掴む。手に伝わるのは、冷たくも滑らかな陶器の質感。光が引くとともに、その形状が露わになった。
「こ、これは……!?」
そこに現れたのは、煤汚れた陶器製の丸いボディに、死んだ魚の目のようなつぶらな瞳。申し訳程度に開けられた鼻の穴に対して、これでもかと言わんばかりに大きく開いた口からはプカプカとのん気に煙を吐いている。
そう……。それはまごう事なき……!
「蚊遣り豚じゃねえか!?」
「ヒャヒャヒャヒャヒャヒャ!!」
その直後、痺れを切らした黒怪鳥がこちらに向かって突進してきた。
「ちくしょう! こうなったらヤケクソだ! これでも喰らいやがれーー!!」
俺は持っていた蚊遣り豚を黒怪鳥に向かって思いきり放り投げた。
それは弧を描いて、迫りくる黒怪鳥の顔面に直撃。
……することはなく、その大きく開いたくちばしの中へと吸い込まれていった。
「あっ!」
「ゴクンッ! ……ヒャヒャ!?」
蚊遣り豚を飲み込んだ黒怪鳥は、首を傾げたまま猛スピードで急カーブ。
そのまま俺の前を通り過ぎると、その先にあった大岩に激突してぶっ倒れた。
呆然とする俺を他所に、周囲の木々を巻き込みながらジタバタとのたうち回ること、しばし……
最終的に顔面を大岩に強打した黒怪鳥は、フラフラになりながら、まるで逃げるように空の彼方へと飛び去っていった。
その空を茫然と見上げていた俺の中に、なんとか死なずに済んだという安堵感と、あまりにも呆気ない幕切れからくる脱力感が押し寄せる。
「あ、あははは……一昨日来やがれってんだ、バカヤロー……」
俺は次第に色を失っていく視界の隅に無事なピートンの姿を捉えると、そのまま崩れ落ちるように気を失ったのだった。




