049 門番となんとやら……
ウィード一人称視点の話です。
時系列は039付近となります。
「ふわぁぁ……」
大きなあくびをしながら薄く目を開ける。
今日も怪しい奴はいない。昼下がりの村は平和そのものだった。
もう一眠りしようと目を閉じかけた時、足元に妙な生温かさを感じた。
「……んっ?」
目を開けて下を見ると、長い耳を気持ちよさそうに揺らしながら、ピートンが俺の足へ小便をしていた。
「チッ、またお前か。何度言ったらわかる。俺の足はお前の便所じゃねぇ」
「ブヒッ」
悪びれる様子もなく、ピートンが短く鳴く。
俺は石壁に預けていた背中を起こし、濡れた足を軽く振った。追い払おうと手を伸ばしたところで、ピートンは期待に満ちた目をこちらへ向ける。
「小便をかけた相手に食い物をねだるとは、いい度胸してやがる」
「ブヒブヒ」
「……チッ」
腰のポーチを探り、どんぐりを1つ取り出す。
目の前へ差し出すと、ピートンは勢いよく食いついた。丸い尻を振りながら、ガリガリと旨そうに噛み砕いていく。
「ほら、食ったら帰れ。またジジイが心配するぞ」
「ブヒッ」
言葉がわかっているのかいないのか、ピートンは俺の足元でくるりと向きを変えた。
ようやく帰る気になったらしい。
そう思った直後、その場へ腹をつけて目を閉じる。
「そこで寝るのかよ」
「ブヒィ……」
もう寝息を立て始めていた。
相変わらず、自由な奴だ。
「好きにしろ」
舌打ちをしながら、長い耳の間を軽く撫でる。
撫でられたピートンは、気持ちよさそうに鼻を鳴らした。
俺は石壁へ背中を預けたまま、村の中を見渡す。
昔から変わらない景色だ。
子供の頃は、3歳年上のラルムと一緒に、この村を走り回っていた。
あいつが冒険者になると言い出した時も、俺は当然のようについていった。
そうしてできたのが、冒険者パーティー『迅雷』だ。
リーダーはラルム。
昔の俺は今よりも血の気が多く、厄介な依頼ほど喜んで飛びついていた。ラルムも無茶をする奴だったが、どれだけ危険な状況でも仲間を見捨てることだけはなかった。
あの頃は、あいつと一緒ならどこまででも行けると思っていた。
それが終わったのは、10年前だ。
仲間の1人に、フェルビナというエルフの女がいた。
そいつは、厄介な依頼を勝手に引き受けてくる奴だった。
最初のうちは、俺たちも文句を言わなかった。
名を上げたいなんて考えるのは、若い冒険者なら珍しくもない。俺だって、危険な依頼を片づけて名を売ることに魅力を感じていた。
だが、フェルビナのやり方は次第に度を越していった。
引き受ける依頼は次第に危険なものとなり、仲間の都合や状態も顧みなくなった。それを巡って何度も衝突し、最後には修復できないところまで亀裂が広がった。
結局、『迅雷』は解散した。
ラルムは故郷であるムルージュ村へ戻り、俺はソロの冒険者として各地を転々とした。
それでも、たまに村へ戻った時には、ラルムと酒を飲むこともあった。
最後に顔を合わせたのは、数年前だ。
あいつなら、この村でうまくやっている。
ずっと、そう思っていた。
3か月前、立ち寄った街で妙な噂を聞くまでは。
ムルージュ村が黒怪鳥に襲われ、ラルムという冒険者が死んだらしい。
最初に聞いた時は、鼻で笑った。
あのラルムが死んだ?
そんなわけがあるか。
どうせ同じ名前の別人か、尾ひれのついたくだらない噂だと思った。
それでも確かめずにはいられず、俺はムルージュ村へ戻った。
そして、噂が本当だったことを知った。
ラルムはもういなかった。
黒怪鳥から村を守り、死んだ。
何日もの間、何もする気が起きず、酒を飲んで過ごしていた俺へ声を掛けたのがベスターだった。
あいつとは昔からの知り合いで、その頃にはムルージュ村の冒険者ギルドでギルドマスターを務めることが決まっていた。
「この先どうするか決めてねぇなら、この村の門番をやらねぇか?」
俺はその誘いを引き受けた。
別に、ラルムが守った村を今度は俺が守ろうなんて、大層なことを考えたわけじゃねぇ。
黒怪鳥はいずれ、またこの村へ現れるかもしれない。
そいつを見つけてぶち殺すには、ここにいた方が都合がいい。
それだけだ。
少なくとも、俺はそういうことにしている。
「ふわぁ……」
昔のことを思い出していたら、眠くなってきた。
「俺も、もう一眠りするか」
目を閉じかけたところで、村の広場から騒がしい声が聞こえてきた。
「なんだぁ……?」
気のせいということにして眠ろうとしたが、男の笑い声に混じって女の声まで聞こえてきた。
俺は面倒くさそうに頭を掻き、薄く目を開けた。
広場では、若い男の冒険者が2人、女を挟むようにして立っている。
絡まれている女には見覚えがある。
「あれはエクレールの姉じゃねぇか」
男2人にも見覚えがある。昨日、この村へ来たばかりの新顔だ。
ピートンへ目を向けると、騒ぎなど聞こえていないように眠り続けている。
「ったく、しょうがねぇな」
俺は重い腰を上げ、広場へ向かった。
近づくにつれて、3人の会話がはっきりと聞こえてくる。
「いいじゃねぇか。俺たちと飲もうぜ」
「悪いようにはしねぇからさ。少しくらい付き合えよ」
「申し訳ありませんが、お断りします」
エクレアは困ったように眉を下げていたが、男たちへ向ける声ははっきりしていた。
それでも、2人は退こうとしない。
「そんなこと言わずにさぁ」
1人がエクレアの腕を掴む。
いつも浮かべている柔らかな笑みが、その顔から消えた。
「放してください」
「放せっていわれると、放したくなくなるんだよなぁ」
「酒だけじゃなくて、もっと楽しいことでもしようぜ」
2人が下卑た笑い声を上げる。
見ているだけの村人も何人かいたが、バンカーを下げた冒険者を前にして、割って入るのを躊躇っているようだった。
俺は男たちの間へ入り、エクレアの腕を掴んでいた手を叩き落とした。
「痛ぇな! 何すんだ、てめぇ!」
「嫌がってんだろ。とっとと失せろ」
「なんだぁ? 門番風情が格好つけてんじゃねぇぞ」
俺は男の顔を見る気にもならず、エクレアの腕へ目を向けた。少し赤くなっているが、怪我というほどではなさそうだ。
「聞こえなかったのか? とっとと帰れ」
「てめぇ……俺たちはハジャル連峰の麓にある村じゃ、ちょっとは名の知れた冒険者なんだぜ。後悔すんなよ」
「そいつはすげぇな」
あくびをしながら答えると、2人の顔が真っ赤になった。
「舐めやがって!」
揃って腰のバンカーへ手を掛ける。
「下がってろ」
後ろにいるエクレアへ告げると、素直に数歩離れた。
最初の男がバンカーを引き抜き、頭上へ振り上げる。
「格好つけたこと、後悔させてやるよ!」
随分と遅い斬撃が、真っ直ぐ俺へ振り下ろされた。
半歩だけ身体をずらして刃をかわし、バンカーを握る男の手首を掴む。そのまま腕を引き、勢いに合わせて足を払った。
「うおっ!?」
男の身体が宙を舞い、背中から地面へ叩きつけられる。
「ぐぇっ!」
「てめぇ!」
もう1人が背後から斬りかかってきた。
振り返りながら刃の下へ潜り込み、そのまま身体を回して脇腹へ蹴りを叩き込む。
「がっ!?」
男は地面を何度か転がって止まった。
「口ほどにもねぇな」
「ふ、ふざけやがって……」
投げ飛ばした男が、悪態をつきながら起き上がろうとする。
もう1人も苦しそうに腹を押さえながら、落としたバンカーへ手を伸ばしていた。
「まだやるのかよ。面倒くせぇ奴らだ」
先に立ち上がろうとした男の顎を目がけ、爪先を軽く跳ね上げる。
「ぐっ――」
白目を剥いた男が、再び地面へ倒れた。
もう1人の顎にも同じように蹴りを入れる。そいつも短く呻いただけで動かなくなった。
静かになった広場で、俺は大きなあくびをした。
「終わりだ」
その途端、周りで見ていた村人たちから拍手が上がる。
「さすがウィードだ!」
「あいつに喧嘩を売るなんて、馬鹿な冒険者だな」
「相変わらず、とんでもねぇ強さだ!」
「しっしっ、見世物じゃねぇぞ。とっとと散れ」
煙たそうに手を振ると、村人たちは笑いながら散っていった。
俺はポーチから門番用の縄を取り出し、気絶した2人の腕をまとめて縛り上げる。
「あの、ウィードさん」
「んっ?」
顔を上げると、エクレアが胸元で両手を重ねながら立っていた。
「ありがとうございます。助かりました」
「運がよかったな」
「えっ?」
「こいつらだ。今のをエクレールが見てたら、あの世に行ってる」
俺の言葉に目を丸くしたあと、エクレアは口元へ手を添えて小さく笑った。
「フフッ、そうですね」
同じ顔でも、妹の方なら笑ってはいないだろう。
俺は縄の端を握り、倒れている2人を引き起こした。
「俺はこいつらをギルドへ連れていく」
「あ、あの!」
「んっ? なんだ?」
エクレアは何かを言いかけて口を閉じると、手にしていた包みを胸元へ抱え直した。
「甘いものは、お好きですか?」
「……嫌いじゃねぇよ」
本当は大好物だが、わざわざ言うことでもない。
「それでしたら、これをどうぞ。ワタシが焼いたクッキーです」
差し出されたのは、可愛らしい小さな包みだった。
こんなものを俺が持って歩くのは、あまりにも似合わない。
「誰かに持っていくつもりだったんじゃねぇのか?」
「いいえ。家へ帰れば、まだたくさんありますから」
「……そうか。それじゃ、もらっとく」
「はい!」
受け取ると、エクレアは顔を綻ばせた。
助けた礼にしては随分と嬉しそうだが、菓子の出来に自信があるのかもしれない。
包みをポーチへ入れ、縄を引っ張る。気を失った2人が、地面をズルズルと滑り始めた。
少し進んだところで、俺は足を止めた。
「ありがとよ」
振り返って告げると、エクレアは満面の笑みを浮かべた。
「あの、今度、感想を聞かせてください!」
答える代わりに片手を上げ、冒険者ギルドへ向かって歩き出す。
背中へ視線を感じたが、俺はそのまま2人を引きずっていった。
冒険者ギルドへ着くと、受付に事情を説明して男たちを引き渡した。
あとはギルドの仕事だ。
俺はさっさと村の入口へ戻り、石壁のそばに置いてある木箱へ腰を下ろした。
ピートンはさっきと変わらない場所で、腹を上下させながら眠っている。
「よく寝る奴だな」
人のことは言えないが。
俺はポーチから、エクレアにもらった包みを取り出した。
改めて見ると、やはり可愛らしい。誰かに見られたら、面倒なことになりそうだ。
周囲に人がいないことを確かめてから、包み紙を開く。
中には、砕いた木の実が練り込まれたクッキーが何枚も並んでいた。
「旨そうじゃねぇか」
思わず口元が緩む。
俺は甘いものが好きだ。
だが、いい歳をした男が菓子屋へ入るのは、どうにも気恥ずかしい。店の前まで行っても、周りの目が気になって、いつも足が止まってしまう。
滅多に食べられない代物を前にして、いつまでも眺めている理由はない。
1枚つまみ、口へ放り込む。
さくりと軽い音がして、優しい甘さが舌の上に広がった。噛むたびに木の実の香ばしさが増していく。
「……旨ぇ」
自然と頬が緩みそうになり、慌てて口元を引き締める。
誰も見ていないのに何をしているのかと、自分でも思う。
もう1枚へ手を伸ばしながら、さっきのエクレアを思い出す。
顔だけなら、エクレールとよく似ている。
だが、おっとり笑う姉と、いつも怖い顔でカミナリマッパを振り回している妹では、中身がまるで違う。
「双子は双子でも、似てねぇなぁ……」
「ブヒブヒ」
「うおっ」
足元から急に声がして、クッキーを落としかけた。
いつの間に目を覚ましたのか、ピートンが俺のすぐ隣へ座っている。
こちらを見上げてはいるが、その目は俺ではなく、手元のクッキーへ真っ直ぐ向けられていた。
「これはやらねぇぞ」
「ブヒッ」
「お前、さっきどんぐり食っただろ」
「ブヒィ……」
ピートンの長い耳が、見るからにしょんぼりと垂れ下がる。
悲しそうな目で見上げてくるが、ここで甘やかしてはいけない。
俺は視線を逸らし、自分のクッキーを1口齧った。
「……」
「……」
見られている。
黙っていても、ずっと見られている。
「チッ、仕方ねぇな。ほら、これで最後だ。やるのは1枚だけだぞ」
「ブヒブヒ!」
差し出したクッキーへ、ピートンが嬉しそうに食いつく。
あっという間に1枚を平らげると、もっと寄越せと言わんばかりに俺の膝へ鼻を押しつけてきた。
「1枚だけだって言っただろうが」
鼻先を手で押し返し、俺も新しい1枚を口へ放り込む。
昼下がりの村の入口で、俺とピートンは並んでクッキーを味わった。
平和な午後だった。
少なくとも、冒険者ギルドの方角が急に騒がしくなるまでは。
「今度はなんだ?」
クッキーを飲み込み、腰を上げる。
ギルドの脇にある厩舎へ、武装した冒険者たちが次々と駆け込んでいる。馬を引き出す者、荷物を括りつける者、仲間を呼ぶ者。さっきまでの静けさが嘘のような慌ただしさだった。
やがて、ベスターを先頭にした一団が馬に乗ってこちらへ向かってきた。
俺の前まで来ると、ベスターが手綱を引いて馬を止める。
「嘆きの滝にケンゲの大群が出た。パシャがいるかもしれねぇ」
「……パシャだと?」
「ああ。ちょっくら行ってくらぁ」
ちょっくらで済む相手ではない。
ベスターの後ろには、銀や銅等級の冒険者が何人も揃っている。それぞれの顔に浮かんでいるのは、普段の依頼へ向かうときとは違う緊張だった。
「俺は行かなくていいのか?」
「お前まで村からいなくなったら、万が一何かあったときに困るだろ」
「……そうか。わかった」
「こっちは任せたぞ」
「ああ」
ベスターは馬の腹を蹴り、街道へ飛び出していった。
続いて、ほかの冒険者たちも次々と村の外へ駆けていく。蹄の音が遠ざかるまで、俺はその背中を見送った。
さっきまでの穏やかな空気が、少しだけ張り詰めている。
だが、俺まで慌てても仕方がない。
あいつらが森へ向かったのなら、俺の仕事はここを守ることだ。
木箱へ腰を下ろし、残っていたクッキーを1枚つまむ。
「ブヒブヒ」
ピートンが期待に満ちた目を向けてきた。
「これはやらねぇぞ」
クッキーを口へ放り込み、街道の先へ目を向ける。
眠気は、いつの間にか消えていた。
次回は10月9日20時20分投稿です。
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