040 嘆きの滝の攻防1となんとやら……
逃げてきた冒険者たちが残した痕跡をたどって、俺は森の奥を駆け続ける。
背後からは、エクレールさんの話し声が聞こえてくるけど、気にしている余裕はない。
木々の隙間を縫うように走って、張り出した根を飛び越える。
「……!? 何か聞こえてきたぞ!」
前方から、微かに水の流れる音が聞こえてきた。
その音は進むほど大きくなり、やがて森全体を震わせるような轟音へ変わっていく。
さっきの冒険者たちが言っていたことが正しければ、子供を置き去りにした水場ってのはこの先だな。
俺はさらに速度を上げる。
やがて木々の隙間から白い水飛沫が見え、視界が一気に開けた。
「……っ!」
足を止めて、近くの太い木の陰へ身を寄せる。
目の前には、岩壁の上から大量の水が流れ落ちる巨大な滝があった。
滝壺では、叩きつけられた水が白く泡立ち、細かな水飛沫が辺り一面に舞っている。
だけど、景色に見惚れている余裕なんて一瞬もなかった。
視線の先には、ケンゲが所狭しとひしめいている。
「なんだよ……この数」
普通のケンゲだけでも、軽く30匹は超えている。
動き回っているから正確な数なんてわからないけど、ざっと見てもそのくらいはいるぞ。
さらに、その中には一回り大きなボシ・ケンゲが5匹。
1匹だってそれなりに厄介なのに、そんなのが5匹も同じ場所に集まっている。
子供を囮にしたのは許せないけど、冒険者たちが逃げ出したくなる気持ちも理解できる。
それに……
「ありゃ、一体何なんだ……?」
大群のさらに奥。
滝壺近くの岩場に、今まで見たことのない巨大なケンゲが立っていた。
その大きさはボシ・ケンゲの倍はある。
全身を覆っている鱗は、普通のケンゲの水色とは違う濃い青色。
背中には大きな背びれが伸び、顔つきはトカゲというよりも獰猛な恐竜みたいだ。
それだけでも十分に異様なのに、どこで手に入れたのか、その手には斧頭だけでも俺の背丈くらいはありそうな両刃の戦斧が握られている。
俺はすかさず観察眼を発動する。
◇名前 パシャ・ケンゲ
◇識別 モスキート
◇脅威度 カテゴリー3
◇属性 水属性
「カテゴリー3!?」
カテゴリー4の黒怪鳥には及ばないものの、それを除けば今まで戦ってきたモスキートの中で脅威度が1番高い。
しかも、ここから見る限りパシャ・ケンゲは周りにいるボシ・ケンゲを従えているようにも見える。
何よりも気になるのが、あの手に持っているバカみたいにデカい戦斧だ。
モスキートが武器を使うなんて、聞いたこともない。
ただデカいだけの上位個体ってわけじゃなさそうだ。
だけど、今はこいつの強さを考えている場合じゃない。
俺は滝壺の周囲へ視線を走らせる。
「どこだ……? 囮にされた子供はどこにいる?」
岩陰。
滝壺の縁。
ケンゲたちの足元。
一つずつ確認していくと、パシャ・ケンゲから少し離れた場所に、小さな人影が倒れているのを見つけた。
「いた……!」
ボロボロになったローブのような服。
全身が血と泥にまみれて、乱れた髪が顔に張り付いている。
離れた場所からでは、男の子か女の子かもわからない。
身動き一つせずに、地面へ倒れたままだ。
「まさか……」
嫌な考えが頭をよぎる。
俺は息を止めるようにして、その小さな身体を見つめた。
すると、地面へ投げ出されていた指先が、ほんのわずかに動く。
「動いた……!」
すぐに観察眼を使った。
◇名前 オルシテ 重体!
◇識別 鬼人 (奴隷)
◇年齢 10歳
◇属性 月属性
◇職業 シェルパ
「生きてる……!」
鬼人って、確か鬼みたいに角の生えた人のことだよな?
いや、そんなことはどうだっていい。
状態は重傷よりも悪い重体か……
その表示に胸が締め付けられる。
だけど、まだ死んでいない。
まだ間に合う。
そう思った瞬間には、もう足が前へ出ていた。
そのまま木の陰から飛び出そうとしたところで、後ろから肩を強く掴まれた。
「待て!」
勢いを止められて、俺は振り返る。
そこには、肩で大きく息をしながら俺を睨むエクレールさんがいた。
どうやら、今追いついたらしい。
「何するんですか!」
「こっちの台詞だ! 状況も確認せずに勝手に飛び出すんじゃねぇ!」
エクレールさんは俺の肩を掴んだまま、滝壺へ目を向ける。
大量のケンゲ。
5匹のボシ・ケンゲ。
そして、群れの奥に立つパシャ・ケンゲ。
その姿を確認した瞬間、エクレールさんの表情が険しくなった。
「チッ! 最悪だ……最悪の予想が当たりやがった」
そう低く吐き捨てて、巨大なケンゲを睨みつける。
「ありゃカテゴリー3のパシャ・ケンゲだ」
「そんなことはわかってます! あの子は、まだ生きてるんです!」
「だからって無闇やたらに突っ込んでどうする? パシャだけでも厄介なのに取り巻きの数も半端ねぇ。ギルドには応援を要請してある。来るまで勝手に動くんじゃねぇ」
「でも、応援を待っていたら、あの子が殺されるかもしれないでしょう!」
「助けねぇなんて言ってねぇ!」
エクレールさんは声を抑えながらも、強い口調で言い返す。
「正面から突っ込んだら、あのガキごと殺されるっつってんだ!」
言っていることはわかる。
エクレールさんだって、子供を見捨てようとしているわけじゃない。
下手に飛び込めば、俺まで囲まれて助けられるものも助けられなくなる。
だけど――。
その時、子供の近くにいたボシ・ケンゲが動き出した。
ゆっくりと身体の向きを変えて、倒れている子供へ近付いていく。
距離が縮まる。
ボシ・ケンゲが片腕を持ち上げた。
「待ってる時間なんてない!」
「おい!」
俺は肩を掴んでいたエクレールさんの手を振り払って、木の陰から飛び出した。
「チッ! バカ野郎が!」
そんなエクレールさんの声を背に、走りながら腰のケースから極小シェルを取り出す。
カブ改へ装填すると同時にスターターを手前に引く。
ガチャコンッ!
ドッドッドッドッドッドッドッドッドッ!
短いマフラーから熱と排気が噴き出した。
アクセルを一気に握り込んで、そのままケンゲの大群へ突っ込む。
こちらに気づいたケンゲたちが、次々と顔を向けた。
「ゲギャアアッ!」
正面にいた1匹が両腕を広げて、飛びかかってくる。
俺は速度を落とさずに、身体を低く沈めた。
頭のすぐ上を鋭い爪が通り過ぎる。
その脇を抜けて、さらに前へ進んだ。
今度は左側から、別のケンゲが飛び込んでくる。
「邪魔だ!」
肩から体当たりを食らわせた。
「ギャッ!?」
横へ弾かれたケンゲが、隣にいた別のケンゲにぶつかる。
2匹がもつれるように倒れた隙を抜けて、そのまま子供へ向かって走り続けた。
左右から次々と爪が伸びてくる。
身体を傾けて、足をずらして、ケンゲ同士の隙間へ滑り込む。
背後からケンゲの短い悲鳴が聞こえてきた。
振り返っている余裕はない。
それでも、俺を追おうとしていたケンゲが斬り倒される姿が視界の端に映った。
エクレールさんも追ってきてくれてるみたいだ。
俺は子供から目を離さずに、さらに群れの奥へ踏み込んだ。
すると、倒れている子供の前にボシ・ケンゲが立ちはだかる。
「ゲギャアアアアッ!」
ボシ・ケンゲは両腕を大きく広げて、俺を近付けまいとするように構えた。
その大きく開いた口の中で水が渦巻く。
水球を撃つつもりか。
だけど、止まるつもりはない。
「どけぇぇぇっ!」
ボシ・ケンゲが水球を作り終えるよりも早く、その懐へ飛び込んだ。
カブ改の切っ先を頭部へ叩き込む。
ドゴォォォン!!
耳をつんざくような爆音とともに、炎と衝撃が一気に弾けた。
ボシ・ケンゲの頭部が吹き飛んで、首から上を失った身体が膝から崩れ落ちる。
その横を駆け抜けて、地面に倒れている子供のもとへ飛び込んだ。
「大丈夫か!?」
返事はない。
俺はカブ改を鞘に収めて、子供の身体を抱き上げる。
軽い。
驚くほど軽い。
服はボロボロで、身体中が血と泥に汚れている。
傷も多くて、今も何か所かの傷から血が流れ続けていた。
呼吸も浅い。
早く手当てしないと、本当に危ない。
「ギャルルル!」
「くっ!?」
俺は襲ってきたケンゲの攻撃をかわしながら、周囲を確認する。
辺りは群がるケンゲたちで埋め尽くされて、森に続く退路は見当たらない。
エクレールさんが必死に退路を切り開こうとしているのが見えるけど、ケンゲたちの数が多すぎるせいでそれもままならない。
しかも、いつの間にか残った4匹のボシ・ケンゲは森の方向へ移動していた。
この子を抱えたまま、ケンゲたちの包囲網を抜けて森まで戻るのは無理だ。
エクレールさんも同じことを考えたのか、ケンゲを斬り払いながら周囲へ視線を走らせる。
「森まで戻るのは無理だ! あの大木まで運べ!」
エクレールさんが指したのは、滝壺の外縁に生えている大木だった。
幹が岩壁へ寄りかかるように伸びて、その根元には何本もの太い根が地面から張り出している。
根と根の間には、人1人を寝かせられそうな窪みがあった。
背後は岩壁。
左右も太い幹と根に囲まれている。
完全に安全な場所じゃない。
それでも、ここでケンゲに囲まれるよりは遥かにマシだ。
「わかりました!」
俺は子供を抱え直して、大木へ向かって走り出した。
エクレールさんは背中の厳つい大剣型バンカーを揺らしながら、迫ってくるケンゲを長剣型バンカーで斬り払って、俺が通る道を確保している。
大木まではそれほど離れていない。
だけど、両腕に子供を抱えているせいで、思うように走れない。
右側からケンゲが飛びかかってくる。
エクレールさんがその前へ回り込んで、バンカーを振り抜いた。
「ゲギャッ!」
首筋を斬られたケンゲが、その場へ倒れ込む。
俺はその横を通り抜けて、大木の根元へ駆け込んだ。
太い根の間にある窪みに、子供をそっと寝かせる。
「よし、ここなら……」
そこで初めて、間近から子供の顔を見た。
血と泥で汚れて、ボサボサの髪が頬へ張り付いている。
それでも、顔立ちを見れば女の子だとわかる。
「女の子だったのか……」
まだ幼い。
それなのに、どうしてこんな目に遭わなきゃならないんだ。
俺は腰のポーチから回復薬を取り出して、瓶の蓋を開けた。
「これを飲めば――」
女の子の頭を持ち上げようとして、手を止める。
意識がない。
この状態で無理に飲ませたら、薬を喉に詰まらせるかもしれない。
「くそっ……!」
飲ませるよりも効果は落ちる。
それでも、何もしないよりはいい。
回復薬を女の子の傷口に少しずつ振りかけていった。
傷口が淡く光って、流れ出ていた血が少しずつ減っていく。
状態は……重体のまま。
回復薬を飲ませられないんじゃ、これが限界か。
だけど、これで少しは持ちこたえてくれるはずだ。
「んっ……?」
頬に張り付いていた髪を避けたとき、女の子の顔に妙な引っかかりを覚えた。
どこかで見たことがあるような……?
「何してやがる! ぐずぐずしてねぇで、早くこっちへ来い!」
エクレールさんの怒鳴り声が響く。
振り返ると、1人で複数のケンゲを相手にしながら、大木へ近付こうとするケンゲを食い止めていた。
このまま何の備えもせずに、女の子だけを残していくわけにはいかない。
「来い! 蚊取り線香!」
呼びかけに応じて光の粒が集まって、女の子のすぐそばで丸い形を作っていく。
光が消えると、そこには煤けた陶器製の蚊遣り豚が現れていた。
大きく開いた口からは、すでに白い煙がぷかぷかと吐き出されている。
大木と岩壁で、背後と左右からの攻撃は防げる。
あとは、この煙で少しでもケンゲを近付きにくくできれば……。
「これで、少しは守れるはずだ」
俺は立ち上がって、カブ改を鞘から引き抜く。
女の子の方を一度だけ振り返って、すぐにエクレールさんのもとへ駆け出した。
大木へ近付こうとしていたケンゲの横へ回り込んで、振り下ろされた爪をかわす。
そのまますれ違いざまにカブ改を振り抜くと、刃がケンゲの首筋へ深く食い込んだ。
「ゲギャアッ!」
ケンゲは短い悲鳴を上げて、その場へ崩れ落ちる。
俺はすぐにエクレールさんの隣へ駆け寄った。
「遅ぇんだよ! ガキは生きてんのか!?」
「最低限の応急処置はしました。まだ生きてます」
「そうか……」
エクレールさんは一瞬だけ大木の方へ目を向けて、すぐに正面へ向き直った。
「ったく、こっちの話も聞かずに勝手に突っ込みやがって。アタシが来なかったら、どうするつもりだったんだ?」
「……すみません」
「だが……見捨てる奴よりはマシだ。嫌いじゃねぇよ」
「えっ?」
「な、なんでもねぇよ! 敵に集中しろ!」
「はい!」
周囲には、まだ大量のケンゲが残っている。
その奥では、残ったボシ・ケンゲたちが口元へ水を集め始めていた。
俺はエクレールさんと並んで、大木を背にしてカブ改を構える。
ここから先へは、絶対に通さない。
群れの奥にいるパシャ・ケンゲは、戦斧を構えたまま動こうとしない。
ただ、俺たちと背後の大木へ視線を向けて、こちらの動きをじっと見つめている。
何を考えているのかはわからない。
だけど、今はあいつにばかり気を取られている場合じゃない。
目の前にいたケンゲたちが、身体を低く沈める。
直後、一斉に地面を蹴った。
俺はカブ改を握る手に力を込めて、押し寄せてくるケンゲの大群を迎え撃った。
シルバーウィークということで、9月19日から9月23日までは毎日投稿です。
次回は9月19日20時20分投稿です。
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