036 銅等級試験1となんとやら……
ムルージュ村を出発してから早くも30分。
エクレールさんは無言のまま草原の中の一本道をズンズンと進んでいく。
仕方なく少し後ろを歩いているけど、一度もこちらを振り返らない。
なんなんだろうね? この空気。
これから昇級試験を受けるはずなのに、まるで朝っぱらから怒った奥さんの後ろを歩かされている旦那さんみたいになってるんですけど。
まぁー、俺はこんな怖い奥さんをもらった覚えはないけどね。
それにしても、行き先すら聞かされていないんだよね。
この道を進んでるってことは、たぶん向かっているのはモネの森だと思うんだけど、詳しい試験内容についてはまだ何も聞かされていない。
わかってるのは、ボシ・ケンゲを倒すってことだけ。
普通、こういうのって試験官から何かしら説明があるもんじゃないの?
でも、このまま何も聞かなければ、それはそれで「聞いてこなかったお前が悪い」とか言われても嫌だし、一応確認しておくか。
「あのー、エクレールさん」
「あんだよ」
「試験はどこでやるんですか?」
「モネの森」
エクレールさんは足を止めることなく、ぶっきらぼうに答えた。
「やっぱりモネの森なんですね。それで、ギルドが用意したボシ・ケンゲを倒すんですか?」
「そんなわけねぇだろ。今回はてめぇ1人で森に入って、自分で探すんだよ」
「えっ? 探すところから?」
「ああ。モスキートの痕跡を見つける能力、森ん中で危険を察知する能力、余計な戦闘を避ける判断力。そういうのも全部ひっくるめて試験だ」
どうやらボシ・ケンゲを1匹倒せば終わりというわけではないらしい。
自分で探し出して討伐もして、無事に帰ってくるところまでが試験ってことか。
森の中では目的のモスキートだけが、都合よく目の前へ現れてくれるわけじゃない。
道に迷うかもしれないし、別のモスキートに襲われることだってある。
銅等級になれば今までより危険な依頼も受けられるようになるんだから、単純な強さだけじゃなく、そういう部分も確認する必要があるんだろう。
……んっ? 今、「今回は」って言わなかった?
「エクレールさん」
「あんだよ」
「今、『今回は』って言いましたよね?」
「ああ、それがどうしたってんだ?」
「今回はってことは、いつもとは何か違うんですか?」
「あ? ベスターから聞いてねぇのか?」
「ボシ・ケンゲを1匹討伐することしか聞いてませんけど」
「はぁー……。あの野郎、肝心なことを何も説明してねぇじゃねぇか」
「やっぱり、いつもの試験とは違うんですか?」
「当たり前だ。銅等級の昇級試験は、受験者4人以上に試験官2人を加えた合同パーティーで行うのが基本だ」
「ええっ!? 受験者4人って、俺1人しかいませんけど! というか、4人と1人じゃ全然難易度違うじゃないですか!?」
「んなこと言われたって知らねぇよ! アタシだって、こんな昇級試験は聞いたことがねぇよ!」
「そんな大事なこと、俺は初耳なんですけど……」
「アタシはベスターが説明してるもんだと思ってたんだよ。あの野郎に聞いても、『大丈夫、大丈夫』としか言わねぇしな」
「ああー……。あいつなら言いそうですね……」
「他人事みてぇに言ってんじゃねぇ。特例だろうが何だろうが、試験を甘くするつもりはねぇからな!」
「了解です……」
くそっ、ベッチの奴め。
いつもベロンベロンに酔っ払ってクラリスさんに叱られてるからって、俺に八つ当たりしてきたな!
ギルマス権限まで使うなんて卑怯だぞ! 帰ったら覚えてろよ!
昔の恥ずかしい話をクラリスさんにバラしてやるからな!
その後は会話という会話もないまま、モネの森に到着。
だけど、エクレールさんは足を止めることなく、そのまま森の中へ入ろうとする。
「いや、ちょっと待ってくださいよ」
「あんだよ」
エクレールさんは足を止めると、面倒くさそうに振り返った。
「探すところから俺の試験なんですよね? エクレールさんが先に入っていったら、俺はその後ろを付いていくことになるじゃないですか」
「だったら、ぼさっとしてねぇで先に行け」
俺が止めなかったら、そのまま先頭で入っていくつもりだったのかよ。
「はいはい、わかりましたよ」
「返事は1回でいいんだよ」
いちいち感じの悪い人だなぁ。
俺はエクレールさんの横を通り過ぎ、先頭に立った。
後ろから舌打ちが聞こえた気もするけど、聞こえなかったことにしよう。
俺は心の広いジェントルメンだからね。
さて、着いたのはいいんだけど、どこを探せばいいんだろうね?
これまでにボシ・ケンゲには3匹遭遇しているけど、どれも別の目的で行動しているときに、たまたま出くわしただけなんだよね。
自分から探して見つけたことなんて、1度もない。
「いざ探せって言われてもなぁ……」
とはいえ、ここで立ち止まっていても見つかるわけがない。
とりあえず森の中を歩いてみますかね。
腰のカブ改へいつでも手を伸ばせるようにしながら、森の中へ足を踏み入れた。
木々の隙間から差し込む朝日が、地面へまだら模様を作っている。
鳥のさえずりや、風に揺れる葉の音に耳を傾けながら、ゆっくりと周囲を見回す。
歩き始めてすぐ、地面に残っているいろいろな大きさの足跡が目に入った。
少し先では細い枝が折れ、木の幹には何かが引っかいたような傷も付いている。
うーん……
こういうのがモスキートの痕跡ってことなんだろうけど、どれがボシ・ケンゲの残したものなのかはさっぱりわからないんだよね。
俺は近くにあった足跡の前にしゃがみ込んだ。
足跡は俺の手のひらよりもかなり大きく、紅葉みたいに指の跡が広がっている。
二足歩行のモスキートが残したものっぽいけど、足跡だけを見て判断できるほど詳しくはない。
「これって、ケンゲの足跡だと思います?」
「試験官に答えを聞く馬鹿がいるかよ」
少し後ろから、予想どおりの冷たい返事が飛んできた。
「別に答えを教えてくれとは言ってないでしょうよ。意見を聞いただけです」
「同じだろ」
「会話のキャッチボールって知ってます?」
「てめぇが投げてくる球は全部叩き落としてやるよ」
怖っ!
この人との会話、剛速球を顔面へ投げつけ合う競技か何かなの?
俺はため息を吐きながら立ち上がった。
エクレールさんは腕を組んだまま、少し離れた場所に立っている。
さっきから口は悪いけど、周囲への警戒は怠っていないらしい。
鋭い目を森の奥へ向けながら、時折、俺の足元や視線の先にも目を向けている。
どうやら本当に助言するつもりはなく、俺がどう動くのかを観察しているようだ。
試験官なんだから当たり前なんだろうけど、なんかやりづらいなぁ。
こんなことなら、ピートンにも付いてきてもらえばよかった。
ピートンなら、ボシ・ケンゲの匂いを見つけてくれたかもしれない。
いや、それだと俺の探索能力を確認する試験にならないか。
仕方がない。
自力で探しますかね。
俺は足跡の前から離れ、森の奥へ続いている獣道へ目を向けた。
そういえば、この先には前に休憩した小川があったはずだ。
生き物なら水を飲むだろうし、ほかに当てもない。
とりあえず小川へ向かいながら、鳴き声やそれらしい足跡がないか探してみよう。
俺は進む方向を決めると、足元と周囲を交互に確認しながら、獣道をゆっくりと進み始めた。
その少し後ろを、エクレールさんが無言で付いてくる。
できれば試験中くらい、もう少し優しい顔で見守ってほしい。
あんな怖い顔で背後から見られていると、ボシ・ケンゲを探すより先に、隙を見せた俺を狩ろうとしているようにしか思えないんですけど……
森の中に入ってからしばらく経った。
小川の方にも行ってみたけど、ボシ・ケンゲはおろかケンゲ1匹見当たらない。
聞こえてくるのは鳥のさえずりと風で木の葉が揺れる音ばかり。
こんな静かな森の中を歩くのも悪くはないんだけど、今日は昇級試験中なんだよね。
このまま何も見つからず、森の中を散歩しただけで1日が終わるなんてことにはなりませんように。
そんなことを考えながら進んでいると、不意に茂みの奥からガサガサと大きな音が聞こえてきた。
俺はその場で足を止め、腰のカブ改へ手を伸ばす。
木々の間から現れたのは、頭に1本の角を生やした犬型のモスキート。
キペンベだ。
しかも、1匹だけじゃない。
右から2匹。
左から3匹。
少し遅れて、正面の茂みからも2匹が姿を現した。
「全部で7匹か……」
そういや、何日か前にキペンベの遠吠えがうるさくて眠れないという人からキペンベの群れの討伐依頼を受けたっけ。
その時に相手をしたのは、通常のキペンベ8匹と、それを率いるボシ・キペンベが1匹。
ティアを助けたときにキペンベの群れを簡単に倒せたもんだから、同じようなものだろうと少しなめてかかったんだけど、ボシ・キペンベに統率された群れは思っていたよりも厄介だった。
特に苦戦したわけじゃないけど、囲むように連携してくるせいで、少し手間取ったんだよね。
それに、ボシ・キペンベは角に雷をまとわせて突進してくる。
今回の方が数は少ないけど、同じように戦えば余計な苦労をすることになりそうだ。
俺はカブ改を鞘から引き抜きながら、7匹のキペンベを順番に確認していく。
その中で、正面にいる1匹だけは他のキペンベよりも一回り体が大きく、頭から伸びた角も太くて長い。
たぶん、あいつがボシ・キペンベだろう。
念のため観察眼を使ってみる。
視線の先にステータスウィンドウが表示された。
◇名前 ボシ・キペンベ
◇識別 モスキート
◇脅威度 カテゴリー1
◇属性 雷属性
やっぱり、前に戦ったのと同じボシ・キペンベだ。
通常のキペンベ6匹は勝手に動いているように見えるけど、よく見ると正面にいるボシ・キペンベの動きに合わせて、少しずつ俺を囲むように位置を変えている。
前の群れと同じような動きだ。
こりゃあ、のんびり観察している場合じゃないな。
俺は少し後ろにいるエクレールさんへ目を向けた。
エクレールさんは腕を組んだまま、木の幹へ寄りかかっている。
武器へ手を伸ばす気配すらない。
「……手伝う気ってあったりします?」
「これはてめぇの試験だ。アタシが手伝ってどうすんだよ」
「ボシ・ケンゲじゃないんですけど?」
「道中で何に襲われても、自分で対処して帰ってくるところまでが試験だ」
「そりゃごもっとも」
少しくらい受験者を気遣う気持ちはないのかな?
いや、この人にそんなものを期待すること自体が無駄だった。
「グルルルルル……」
キペンベたちが低い唸り声を上げながら、少しずつ距離を詰めてくる。
文句を言ってる場合じゃなさそうだ。
俺はカブ改を正面に構え、7匹すべてが視界から外れないように少しずつ後ろへ下がった。
まず狙うのは、群れを率いているボシ・キペンベ。
前と同じなら、あいつを先に倒せば残った6匹の統率も崩れる。
今回は最初から潰しておこう。
右側にいたキペンベが地面を蹴り、角をこちらへ向けて突っ込んできた。
ほとんど同時に、左側の1匹も牙を剥きながら駆けてくる。
俺は先に迫ってきた右側のキペンベを引き付け、ぶつかる直前に左へ一歩踏み込んだ。
キペンベの角が、さっきまで俺のいた場所を通り過ぎていく。
そのまま左から迫っていたキペンベの進路へ入り、2匹は慌てて足を止めた。
「ガウッ!?」
「ギャンッ!」
ぶつかることはなかったけど、互いが邪魔になってすぐには動けない。
今のうちだ。
俺は2匹の間を抜け、その奥にいるボシ・キペンベへ向かって走り出した。
それを見たボシ・キペンベの角に、バチバチと青白い雷がまとわり付く。
前にも見た攻撃だ。
あれだけは、まともに食らわないようにしないとな。
普通のキペンベよりも大きな体を低く沈め、地面を強く蹴る。
次の瞬間、ボシ・キペンベが雷を引き連れるように突進してきた。
なかなかに速い。
だけど、動きは直線的で読みやすい。
俺はボシ・キペンベの角が届くぎりぎりまで動かず、間合いを見極める。
あと3歩。
2歩。
1歩。
今だ!
右足を軸にして体を横へ開く。
青白い雷をまとった角が胸元すれすれを通り過ぎ、焦げたような匂いが鼻を突いた。
俺はすれ違いざまにカブ改を振り抜き、ボシ・キペンベの首筋を斬り付ける。
「ギャウッ!」
勢いよく地面へ倒れたボシ・キペンベは、そのまま何度か転がって動かなくなった。
◆◆◆
アタシは腕を組んだまま、キペンベの群れと戦うカトルをじっと見つめていた。
こいつが黒怪鳥を撃退したと聞いたときは、何の冗談かと思った。
あのラルムが命を削ったモスキートだぞ。バカ言ってんじゃねぇ。
そう思ったら腹が立って仕方なかった。
だが、その日からこいつの噂を冒険者ギルドで聞かねぇ日はなかった。
単独でのハシュラファ討伐、ボシ・ケンゲ2匹討伐、ガラ・アファル討伐。
どれも銅等級……いや、場合によっちゃあ銀等級でも手こずるモスキートどもだ。
こんなヘラヘラしている男が、そんなモスキートを倒せるとは思えねぇ。
黒怪鳥のときと同じように、何かしら偶然が重なったか、面白がった連中が話を大きくしているかのどちらかに違いねぇ。
そう考えるしかなかった。
だが、クラリスはこいつに一目置いている。
ベスターの野郎まで、こいつの実力を認めてやがる。
昨日もアタシに向かって、
「お前にも参考になるところがあるかもしれないぞ」
とか言ってきやがった。
ふざけんじゃねぇ!
なんでアタシが、こんな奴を参考にしなきゃならねぇんだよ!
だからこそ、今回の試験官を引き受けた。
こいつの何を見て、クラリスやベスターが評価しているのか。
それを自分の目で確かめてやろうと思った。
そして今、少なくとも1つだけはっきりした。
こいつの剣術は本物だ。
7匹の中から群れを率いている個体をすぐに見抜き、迷うことなく最初の標的に選んだ。
他のキペンベがボシ・キペンベの動きに従っていることも把握してやがる。
周囲から同時に襲われても、どの個体も視界から外していない。
突進してくる相手との間合いを正確に測り、ぎりぎりまで引き付けて最小限の動きでかわしている。
回避した直後も足元は乱れず、そのまま次の動きへつなげていた。
雷をまとったボシ・キペンベの突進を前にしても、動揺した様子はねぇ。
あの速度で迫る相手の間合いを見切り、すれ違いざまに迷わず急所へ刃を通す。
太刀筋にも乱れはない。
ボシ・キペンベを失った残りの奴らは、さっきまでの連携が嘘みてぇにバラバラに襲いかかっている。
それでもカトルは、すべての動きを把握しながら、近付いてきた奴から順番に斬り倒していく。
複数を相手にしているというのに焦る様子もなく、無駄な動きもほとんどねぇ。
あれは短期間の訓練で身につくような剣じゃねぇ。
何年も、何十年も繰り返し積み重ねてきた動きだ。
動きが速いだけでも、力が強いだけでもない。
周囲の把握。
敵集団の動きを見抜く判断。
間合いの取り方。
安定した足運び。
狙った場所へ正確に刃を通す太刀筋。
どれを取っても鉄等級の域には収まっていない。
剣術だけなら、上位の冒険者と比べても遜色ねぇ。
ベスターがこいつに一目置いてる理由も、少しはわかった気がする。
少なくとも、今まで聞いてきた話が全部でたらめってわけじゃなさそうだ。
だが、これだけで全部を信じるには早すぎる。
それにしても、これだけの腕がありながら、なんで普段はあんなに緊張感がねぇんだ?
森の中でもヘラヘラしやがって、隙があるのかないのかすらわかりづらい。
実力と普段の態度が、まるで釣り合ってねぇ。
強ぇことはわかった。
けど、やっぱり気に食わねぇ。
こいつ、本当に何者なんだ?
◆◆◆
「これで終わりっと」
俺は最後に飛びかかってきたキペンベの噛みつきをかわすと、その腹を切り裂いた。
キペンベは鮮血を撒き散らしながら地面を転がり、動かなくなった。
やっぱりボシ・キペンベを先に片付けたのは正解だったな。
キペンベたちの動きはバラバラで、予想以上に簡単に片付いたぞ。
「チッ」
俺がカブ改についた血を払っていると、何故か舌打ちが聞こえてきた。
思わず振り返ると、エクレールさんと目が合う。
相変わらず眉間にはしわが寄り、不機嫌そうな顔をしている。
「どうでした?」
「フンッ」
そんなに戦い方が気に入らなかったのかな?
それとも、俺がやられるのを期待してたとか?
なんでもいいけど、少しくらい褒めてくれてもいいと思うんですけど。
俺、褒められて伸びるタイプなんですよ。
とはいえ、エクレールさんが俺を褒める姿なんて、まったく想像できないけどね。
倒れたキペンベたちの体が光の粒へ変わり、その場にドロップアイテムが残された。
俺は散らばった魔核や角を拾い集めて背嚢へ放り込んでいく。
7匹分となるとそれなりの量だけど、過積載のおかげで持ち運びに困ることはない。
最後の魔核を放り込んだところで顔を上げると、エクレールさんがまた俺の方を見ていた。
「なんですか?」
「別に」
「さっきから、ずっとこっちを見てません?」
「試験官が受験者を見るのは当たり前だろ」
「それはそうですけど、なんかものすごく睨まれてる気がするんですよね」
「気のせいだ」
気のせいじゃないと思うけどなぁ。
俺は小さくため息を吐くと、気を取り直してボシ・ケンゲの探索を再開した。
次回は9月8日20時20分投稿です。
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