034 ぼたん鍋となんとやら……
「ぷはあっ! 最高!」
モネの森から戻ったその日の夜。
俺はダヴィデ亭の2階席でベッチと飲んでいた。
もちろん今日のつまみはぼたん鍋。
目の前では、ドナテロさんの斬魄刀? によって薄く切り分けられたジンハルのぼたん肉が、野菜と一緒に鍋の中でグツグツと煮えている。
アツアツのぼたん鍋とキンキンに冷えたエールのマリアージュは想像以上の破壊力だ。
「いやぁー、討伐したかいがありましたなぁ。どれ、もういっちょ」
「カトちゃん」
「んっ?」
「それ、俺が育ててた肉」
箸でつまんだ肉を口へ運ぼうとしたところで、ベッチから恨めしそうな声が飛んできた。
「育ててたって、鍋に入れただけだろ?」
「火が通りすぎないように、さっきからずっと見守ってたんだよ」
「肉に名前は書いてないだろ」
「あっ! ちょっと待てって!」
ベッチが箸を伸ばしてくるよりも早く、肉を口の中へ放り込む。
「うん、美味い」
「そりゃあ、俺が大事に育てた肉だからな!」
「ご馳走さま」
「こいつ……」
おー、怖い、怖い。
そんなに睨んだって、キミが手塩に育てたお肉は戻ってこないのだよ。
俺は知らん顔でエールをもう一口飲むと、中断していた今日の出来事の話を再開した。
「……でさ、ベンジョン草の天ぷらまでご馳走になって、帰りには何本か分けてもらったんだよ。いやぁー、美人だし、いい人だったよ」
「まあ、確かに美人だわな」
「確かにって、ベッチもマリーさんのことを知ってたの?」
「ああ、15年くらい前からの知り合いだよ」
「そんな前から?」
「マリーがまだ現役の冒険者だった頃は、一緒に依頼を受けたこともあったな」
ベッチは懐かしそうにサングラスの奥で目を細めた。
「へぇー。クラリスさん達とも知り合いみたいだったけど、ベッチまで知り合いだなんて、世間狭くない?」
「この国で長く冒険者やってりゃ知り合いも増えるわ」
ベッチはそう言いながら、新しい肉を鍋の中へ入れた。
箸の先で丁寧に広げると、ほかの肉と混ざらないように鍋の端へ寄せていく。
おお、育ててる、育ててる。
入れた場所はしっかり覚えておこう。
「んっ? ちょっと待って。15年前からの知り合いってことは……マリーさんって今いくつなの?」
「あいつ、ああ見えて50歳は超えてるぞ」
「マジで!?」
思わず箸を止め、ベッチの顔を見る。
「どう見ても20代半ばくらいだったぞ!」
「ダークエルフは人間の倍の寿命だからな。見た目だけじゃ年齢はわかんねぇよ」
「へぇー。そんな長生きなんだ」
50歳を超えて、あの見た目。
ダークエルフ、恐るべし。
そういえば、見た目の割に随分と落ち着いてたもんな。
つーか、人のことは言えないか。
俺だって全部合わせたら60年は生きてるしね。
そんなことを考えながら鍋へ目を戻すと、端に寄せられていた肉がいい具合に煮えていた。
素早く箸を伸ばし、ベッチよりも先につまみ上げる。
「あっ! カトちゃん、それも俺が育ててた肉!」
「また名前を書き忘れたの?」
「鍋の肉にどうやって名前を書くんだよ!」
ベッチの抗議を聞き流しながら、肉を口へ運ぶ。
うん。これも絶妙な火の通り具合だ。
ベッチ、肉を育てる才能があるんじゃないか? さすがはギルドマスターだ。
「そういや、マリーさんって冒険者を辞める前は、何等級だったの?」
「本人から聞いてねぇのか?」
「冒険者をやってたことは聞いたよ。いろいろあって辞めて、今はあそこで暮らしてるって。でも、等級までは聞いてない」
「マリーは金等級だったぞ」
「へぇー、やっぱり只者じゃないとは思ったけど、金等級だったのか」
「なんかあったの?」
「あったも何も、気づいたときには真後ろに立ってたんだぞ。足音どころか、人の気配すら全然しなかったし」
あれだけ周囲を見回していたのに、声を掛けられるまで本当に何も感じなかった。
幽霊だと思って南無阿弥陀仏まで唱えちゃったし。
「あいつは昔から気配を消すのが上手かったからな。俺でも見失うことがあったぞ」
「ベッチでも?」
「ああ。あのまま冒険者を続けてたら、間違いなく白金等級になってただろうな」
「ふーん、それなのになんで冒険者をやめちゃったの?」
ベッチは鍋へ伸ばしかけていた箸を止めた。
「それな……」
それまでの軽い調子が消え、声が少しだけ低くなる。
「マリーは10年前までは、『月闇』っていうパーティを組んでたんだけどよ。ギルド本部の強行派に押しつけられた依頼のせいでパーティが壊滅しちまってな。それがきっかけで冒険者をやめたんだわ」
「押しつけられた依頼?」
「カテゴリー5の『厄災の廬山龍』っていうネームド指定個体の討伐依頼だよ」
「カテゴリー5……」
確か、冒険者登録したときにクラリスさんが教えてくれたけど、カテゴリー5って、人口数千人の町が丸ごと壊滅するくらいの脅威度だったよな。
あの黒怪鳥ですらカテゴリー4なのに、さらに上のカテゴリー5なんてどんな化け物だよ。
想像もつかないぞ……
「ありゃあ、今思い出しても無茶な依頼だったよ。本来なら白金等級を何人も集めて挑むようなモスキートだ」
「……なんでそんな依頼を受けたんだ?」
「当時のギルド本部のNo.2が強行派でな。王都でクランを立ち上げようとしてた月闇に圧力をかけて、計画を邪魔したんだよ。その圧力を取り下げる代わりに廬山龍の討伐を押しつけたんだわ」
鍋へ伸ばしかけていた俺の箸が止まる。
「しかも、それだけじゃねぇんだ」
ベッチは苦々しげに顔を歪めた。
「月闇は最初から捨て駒として利用されてたんだ。廬山龍の力を削ぐためにな。結局は救援を装って参戦したNo.2の子飼いの奴らが、討伐の手柄を持っていったんだわ」
「……胸クソだな」
「ああ。まぁ、あとで全部バレたけどな。子飼いの連中は冒険者資格を剥奪されて、No.2もギルドから追放されたあと、牢屋送りになったよ」
ベッチは新しい肉を鍋に入れると、いつものように箸先で1枚ずつ広げてから端に寄せていく。
「なるほどな。マリーさんは『いろいろあって』って言ってたけど、そんなことがあったのか……」
「ああ。冒険者をやめてからは音信不通だったんだけど、まさかモネの森に住んでたなんてな。俺もつい最近クラリスに聞かされて驚いたよ」
「そっか……」
重くなった空気の中、グツグツと煮えるぼたん鍋を見つめていると、ふと鍋の端に寄せられていた1枚の肉がふわりと浮かび上がる。
程よく色が変わって、今がまさに食べ頃ですと主張しているみたいだ。
俺とベッチが箸を伸ばしたのは、ほぼ同時だった。
カチッ。
鍋の上で箸同士がぶつかる。
「カトちゃん……それ俺の肉だぞ」
「ベッチ……真面目な話しながら肉見張ってたの?」
「話は話、肉は肉だ」
「うわぁー、引くわ……」
「カトちゃんにだけは言われたくねぇよ」
互いの箸で肉を挟んで、そのまま左右へ引っ張り合う。
「カトちゃん、離せって」
「ベッチが離せよ」
次の瞬間、肉が箸の間から滑り落ちた。
バシャッ!
「熱っ!」
「うおっ!」
鍋から跳ねた汁が手の甲へ飛んできて、俺達は揃って箸を引っ込めた。
「何やってんだよ、カトちゃん!」
「ベッチが引っ張るからだろ!」
「この肉入れたの俺だぞ!」
「その肉を獲ってきたのは俺だぞ!」
言い合いながら手に付いた汁を布で拭いていると、さっきまで重かった空気が少しだけ和らいだ。
せっかくの真面目な話も、たった1枚の肉で台無しです。
まぁ、俺達らしいと言えば俺達らしいけど。
「まぁー、マリーさんもそんな酷い目にあってたら人と関わるのも嫌になるよな。そりゃ、認識阻害の護符だって仕掛けたくもなるわ」
「いや。それは別の理由だよ」
ベッチは鍋の中へ落ちた肉を拾い上げると、今度は俺に奪われる前に素早く口へ放り込む。
「あっ!?」
「へへっ、油断したな」
「ぐっ……」
ベッチはドヤ顔で肉を味わうと、喉を鳴らしながらエールを流し込んだ。
「あいつは変わったスキルを持ってるせいで、もともと人付き合いが苦手なんだわ」
「変わったスキル?」
「人の魂の色が見えるスキルでな。その色で悪意を持ってる奴かどうかわかるんだと。しかも、見ようとしなくても目に入っちまうことがあるらしくてな。そのせいでかなり苦労したみたいだぜ」
人の悪意……
笑顔でも、心の中では嫌っている。
親しそうに近付いてきても、騙そうとしている。
そんなものが嫌でも見えちゃうなら、そりゃあ人付き合いが苦手になるのも当たり前か。
「それは……きついな」
「だろ? 俺がそんなスキルなんか持ってた日にゃあ、今ごろ大量殺人犯にでもなってただろうな」
「まぁー、ベッチはそういう奴には容赦しないからな。あっ、そういやマリーさんに会ってすぐ『あんたなら大丈夫そうだよ』って言われたっけ」
あの時は何が大丈夫なのかさっぱりわからなかったけど、そういうことだったのか。
「俺に悪意がないのが見えてたんだな」
「たぶんな。よっぽど単純な色をしてたんだろ」
「単純な色ってなんだよ」
「見たまんまの意味だよ」
「失礼だな!」
ベッチは声を上げて笑いながら、新しい肉を鍋へ入れた。
箸の先で1枚ずつ丁寧に広げて、ほかの肉と混ざらないように端へ寄せていく。
また育てるつもりだな。
入れた場所は覚えたぞ。
「カトちゃん、マリーのスキルについては……」
「わかってる。言いふらしたりなんかしないよ」
ベッチは満足そうに頷くと、ジョッキを口元まで運んだ。
だけど、傾けても何も出てこない。
ベッチは迷うことなくテーブルの上に置いてあったおかわりベルを鳴らした。
それを見て俺も残っていたエールを飲み干す。
「そう考えると、カトちゃんの観察眼はまだましだな」
「なんで急に俺の話になるの?」
「見ようとしなきゃ見えないんだろ?」
「まぁ、そうだけど」
「マリーには使わなかったのか? 使ってりゃ年齢もわかったんじゃねぇの?」
「人にはあんまり使いたくないんだよ」
「なんで?」
「なんか勝手に覗き見してるみたいで嫌じゃん。それに、人に使っても大したことは見えないし」
「へぇー。そんなもんかねぇ」
ベッチは全く理解できないといった顔で首を傾げた。
「認識阻害の護符まで見破れるんだろ? 俺ならバンバン使うけどな」
「ベッチは使いそうだよね」
「使う使う。隠し扉とか、隠してある酒とかも見つけられそうだし」
「使い道が完全に泥棒なんだよ」
呆れていると、階段を上ってくる足音が聞こえてきた。
「お待たせ。エールのおかわりだよ」
ティアが両手に冷えたエールの入ったジョッキを持って、こちらへ歩いてくる。
「ありがとう、ティア」
「おおっ、待ってました!」
俺達の前へ置かれたジョッキには、細かな水滴がびっしりと付いていた。
見るからによく冷えている。
早速手を伸ばそうとしたところで、ティアの視線が鍋へ向いた。
その先では、俺とベッチの箸が、ちょうど同じ肉を挟んでいる。
「またお肉の取り合いしてるの?」
「聞いてくれよ、ティア。カトちゃんが俺の育てた肉を片っ端から食うんだよ」
「肉に名前は書いてないって」
「書いてなくても、俺が育ててたの!」
「もう……喧嘩しないで食べてね。それと、飲みすぎちゃ駄目だよ」
「はーい」
「わかってるって」
俺達が揃って返事をすると、ティアは呆れたように息を吐いた。
それでも最後には小さく笑って、空になったジョッキを抱えて階段を下りていく。
その姿が見えなくなった直後、俺とベッチは改めて互いの顔を見た。
そして、同時に肉を挟んでいる箸へ力を込めた。
次回は9月1日20時20分投稿です。
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