033 森の住人となんとやら……
「こっちだよ」
「うぎゃあああっ!? で、出たぁー!」
真後ろから声を掛けられ、飛び上がるようにその場を離れた。
慌てて振り返ると、いつの間に現れたのか、そこには1人の女の人が立っていた。
いやいやいや、いつからそこにいたの!?
さっきまで周囲を見回していたはずなのに、足音どころか人の気配すら全然しなかったんですけど!
「いつからそこに……?」
「ついさっきからだよ」
「ゆ、幽霊さん……じゃないですよね?」
「あははは、ちゃんと足はついてるよ」
恐る恐る足元へ目を向けると、使い込まれた革のブーツがしっかりと地面を踏みしめている。
「ほ、ほんとだ……」
ほっと胸を撫で下ろし、そのまま視線を上へ動かしていく。
生成り色のブラウスに、落ち着いた深緑色のロングスカート。
健康的な褐色の肌に、腰まで流れる長い白髪。穏やかに細められた深い菫色の瞳と、人間よりも長く尖った耳。
年の頃は20代半ばくらいだろうか。
驚く俺を面白そうに眺めながら、柔らかく笑っている。
まるで物語に出てくるダークエルフみたいな、キレイなお姉さんだ。
ふと、木の枝に掛かった護符へ視線を向けた。
「それにしても、あの護符に気づくなんてねぇ」
「えっ? あれ、あなたが掛けた物だったんですか?」
「そうさ。普通はそう簡単に見つけられないんだけどねぇ」
「あはは……目がいいもんで」
「へぇ、そうかい」
柔らかな表情のまま、俺を見定めるようにじっと見つめてくる。
いやいや、そんなふうに見つめられると、ちょっと照れるんですけど。
「それより、どうしてそんな物を?」
「人が寄ってこなくなるからさ。アタシ、人付き合いがあんまり得意じゃなくてねぇ」
「えっ……じゃあ俺、邪魔しちゃいました?」
勝手に家の周りをうろついた挙げ句、庭まで覗き込んでたんだけど。
これ、不法侵入扱いにならないよね?
けれど、そんな心配をよそに、女の人は菫色の瞳を僅かに細めた。
「いや。あんたなら大丈夫そうだよ」
「えっ?」
「ふふっ、なんでもないよ」
女の人はそれ以上説明するつもりがないらしく、楽しそうに笑うだけだった。
なんだろう。
初対面のはずなのに、まるで俺のことを前から知っていたみたいな言い方だ。
こちらの戸惑いを気にする様子もなく、女の人の視線がゆっくりと下へ動く。
「あれ?」
その視線の先には、俺の背後へ隠れているピートンがいる。
「その子……ピートンじゃないかい?」
「ブヒッ!?」
名前を呼ばれた途端、ピートンの身体がビクリと跳ねた。
女の人は腰を少し屈め、懐かしそうに目を細めた。
「久しぶりだねぇ。今日はまた、変わった子と一緒にお散歩かい?」
「ブ、ブヒ……」
ところが、ピートンは俺の脚の後ろへさらに身を隠し、耳をぺたんと寝かせている。
久しぶりの再会を喜んでいるようには見えない。
「そんなに隠れなくても、何もしないよ」
「ブヒ……」
「信用されてないねぇ」
困ったような口ぶりとは裏腹に、その目はピートンの反応を面白がっていた。
怖がってるというより、ものすごく警戒してる感じだな。
知り合いなのは間違いなさそうだけど、何かあったのかな?
「あの……」
「ん?」
「お名前を聞いてもいいですか?」
「ああ、そういえばまだ名乗ってなかったねぇ」
やがて、ゆっくりと立ち上がった。
「マリーベルさ。マリーで構わないよ」
「俺はカトルです」
「カトルか。覚えておくよ」
マリーさんは穏やかに微笑んだ。
「マリーさんはピートンと知り合いなんですか?」
「まぁねぇ。昔からの顔見知りさ」
「ブヒ……」
ピートンが何やら言いたそうに鳴く。
だけどマリーさんは知らん顔でログハウスへ視線を向けた。
「立ち話もなんだし、まぁお茶でも飲んでいきなよ」
「いいんですか?」
「もちろん。せっかくここまで来たんだからねぇ」
「それじゃあ、お言葉に甘えて」
「ブヒッ!?」
俺が答えた瞬間、ピートンが慌てて脇腹を鼻先で押してきた。
「どうしたの?」
「ブヒブヒッ!」
首を何度も横へ振っている。
どうやら本気で中へ入りたくないらしい。
「お茶をご馳走になるだけだよ」
「ブヒ……」
「大丈夫だって。俺も一緒にいるから」
そう言って頭を撫でると、ピートンは不安そうにマリーさんを見上げた。
「ふふっ、相変わらずだねぇ」
マリーさんは楽しそうに笑いながら、ログハウスの扉を開ける。
「さぁ、入りなよ」
最後まで渋るピートンを連れ、マリーさんの後に続いた。
家の中へ入ると、優しい香りがふわりと鼻をくすぐった。
梁には乾燥させた薬草が何束も吊るされていて、棚にはいろいろな木の実が入った瓶がきれいに並んでいる。
窓の向こうには湖が広がり、柔らかな陽射しが部屋の中を明るく照らしていた。
なんというか……すごく居心地がいい。
「好きなところへ座りなよ」
「お邪魔します」
木製の椅子へ腰を下ろす。
一方、ピートンは入口の辺りでソワソワしながら室内を見回していた。
逃げ道でも探してるのかな?
「そんなところにいないで、おいで」
「ブヒ……」
呼ばれても動こうとはせず、むしろ少しだけ俺の後ろへ隠れてしまった。
「そんなに警戒しなくても、今日は何もしないよ」
「ブヒ……」
『今日は』って言ったよね?
今、確かに『今日は』って言ったよね?
ますます何をされたのか気になるんだけど。
マリーさんは俺達を横目に、お湯を沸かし始めた。
棚から取り出した茶葉らしき物をティーポットへ入れ、沸かしたお湯を注ぐと、部屋の中へ爽やかな香りが広がっていく。
「はい」
「ありがとうございます」
湯気の立つ木のカップを受け取り、一口飲んでみる。
「……美味しい」
ほんのり甘くて後味もすっきりしている。
飲んでいると、ふっと身体が軽くなったような気がした。
薬草茶なのかな?
「気に入った?」
「はい。なんだか疲れも取れた気がします」
「ルルイース草のお茶さ」
「ルルイース草?」
その名前を聞いて、ここへ来る途中で採った薬草のことを思い出す。
「それなら、ここへ来る途中に生えてたので採ってきました」
「へぇー、そうかい。ルルイース草は強走薬の原料として使うことが多いんだけど、こうやってお茶にして飲んでも疲れが取れるんだよ」
「なるほど。そうやって使うんですね」
強走薬にも使えるなら、採っておいて正解だったな。
村に帰ったら、ドナテロさんに作れるか聞いてみよう。
「覚えておくといいよ」
マリーさんは向かいの椅子へ腰掛けると、頬杖をつきながらこちらを見た。
「それで? なんでピートンがあんたと一緒にいるんだい?」
やっぱりそこだよね。
俺はアッチから来たこと、モネの森で迷ってピートンと出会ったこと、ティアを助けてダヴィデ亭に泊まるようになったことを順番に説明した。
マリーさんは途中で口を挟まず、静かに最後まで聞いていた。
「なるほどねぇ」
小さく頷く。
「そういうことだったのかい」
「はい」
マリーさんは窓の外に目を向け、小さく息を吐いた。
「ラルムのことは聞いたよ。少し前にクラリス達が黒怪鳥討伐の下見でここへ寄ってね。その時に教えてもらったんだ」
懐かしそうに微笑む。
「ラルムは昔から、よくピートンを連れてこの森まで散歩に来てたんだよ」
「そうだったんですね」
「その頃からピートンとは顔馴染みさ」
なるほど。それでお互いに名前を知ってたんだ。
「そういえば……」
俺は隣で縮こまっているピートンを見た。
「なんでそんなにマリーさんを警戒してるの?」
「ブヒッ!?」
ピートンがビクリと身体を震わせる。
「あー、それねぇ」
マリーさんは吹き出した。
「ラルムがピートンを連れてくるたびにねぇ。試しにいろんな薬草やキノコで料理を作って食べさせてたんだよ」
「ブヒ……」
ピートンは耳をしょんぼり垂らした。
「まぁ、中にはちょっと冒険しすぎた料理もあったけどねぇ」
「ブヒブヒ……」
ああ……それで苦手なんだ。
「嫌な思い出になっちゃったんですね」
「いやぁ、アタシは結構美味しいと思ったんだけどねぇ」
本人は全く悪びれていない。
俺は苦笑しながら、少し冷めたお茶を口へ運んだ。
「あはは、そうだったんですね。そういや、マリーさんはずっとここで暮らしてるんですか?」
「いや。昔は冒険者をしてたんだよ」
「へぇー、冒険者だったんですか?」
「まぁねぇ。いろいろあって辞めてからは、ここで暮らしてるのさ」
元冒険者というのは意外だった。
それに、こんな森の奥では村へ行くのも大変そうだ。
「買い物とかはどうしてるんです?」
「数か月に一度、村へ買い出しに行ってるよ。その時に、森で採った薬草を使って作ったお茶も売ってるのさ」
「へぇー、自分で作ってるんですね」
「そうさ。使うものによって味も効能も違うからねぇ。いろいろ試しながら作ってるよ」
俺は感心しながら、手にしていたカップへ目を落とした。
「ということは、このルルイース草のお茶もマリーさんが?」
「もちろんさ」
「それなら、ひとつ聞いてもいいですか?」
「なんだい?」
「実は俺達、今日はベンジョン草を採りに来たんですけど、前より全然生えてなくて。何か知ってますか?」
「それなら、ジンハルのせいだろうねぇ」
「ジンハル?」
「黒怪鳥が居座ってたときは森の奥に逃げてたんだけどねぇ。いなくなった途端に出てきたのさ。よっぽど腹が減ってたのか、あっという間にこの辺りのベンジョン草を食っちまったんだよ」
「ジンハルってベンジョン草を食べるんですか?」
「大好物さ。ベンジョン草はジンハルが減るまで期待できないだろうねぇ」
なるほど。俺達が食べすぎたせいじゃなかったのか。
少しだけ安心した。
そんな話も一段落した頃だった。
「ブヒブヒ」
ピートンが俺の足元まで歩いてきて、小さく鳴いた。
「お腹減ったの?」
「ブヒッ!」
どうやらその通りらしい。
俺は苦笑しながら背嚢を開き、中からベンジョン草を取り出した。
「ほら」
「ブヒッ♪」
ピートンは嬉しそうに、差し出したベンジョン草へかじりついた。
美味しそうに食べる姿を見ていたら、なんとなくこっちまで食べたくなってくる。
背嚢からもう1本取り出し、そのまま口へ運んだ。
ポリポリ。
「うっ……」
相変わらず便所味だ。
涙が出そうになるくらいまずい。
でも、黒怪鳥に襲われたときは、こいつのおかげで助かったんだよなぁ。
味はともかく、命の恩人みたいなものだ。
そんなことを思いながら、ベンジョン草をかじっていると、
「あははははっ!」
突然、マリーさんが楽しそうに笑い出した。
「あんた……まさか、ベンジョン草を生で食べてるのかい?」
「えっ? 普通に食べてますけど」
「そんなふうにベンジョン草を自分から食べる人なんて、久しぶりに見たよ。あんた、イケる口だねぇ」
「そうですかね? 黒怪鳥にやられて、無我夢中で食べてたら、なんだか癖になっちゃって」
「やっぱり変わってるねぇ」
「まぁ、癖にはなっちゃいましたけど、まずいものはまずいですよ」
「それなら、もっと美味しい食べ方を教えてあげるよ」
そう言って立ち上がった。
「ほら、こっちへおいで」
楽しそうに手招きすると、そのまま台所へ向かって歩き出した。
俺とピートンは顔を見合わせてから、その後を追った。
台所の中は思っていたよりも広く、壁際には水場と調理台が並んでいた。
野菜や調味料らしき物も所狭しと置かれていたけど、どれもきれいに整頓されている。
その中にはベンジョン草を入れた籠もあった。
「これくらいでいいかねぇ」
籠からベンジョン草を取り出し、慣れた手つきで洗っていく。水気を切ると、棚から白い粉と卵を取り出した。
「衣ですか?」
「そう。難しいことは何もないよ」
材料を木のボウルで手際よく混ぜ、出来上がった衣をベンジョン草へ薄く付ける。鍋へ油を注いで火に掛けると、しばらくして表面が小さく揺らぎ始めた。
「うん、こんなもんだねぇ」
衣をまとわせたベンジョン草を、そっと油へ入れる。
「ジュワァァァ……」
油の弾ける音が台所いっぱいに響き渡る。
「おぉ……」
その音とともに、食欲をそそる香りが鼻をくすぐった。
さっきまで漂っていたベンジョン草の匂いとは、まるで別物だ。
「うわっ……なんかすげぇいい匂い」
「ブヒッ!」
ピートンも鼻をヒクヒクさせながら、いつの間にか鍋のすぐ近くまで歩いていた。
衣がこんがりと色付いたところで、鍋から引き上げ、余分な油を切って皿へ盛り付ける。
ピートンは出来上がった天ぷらを興味津々で見つめていたけど、いざ目の前へ差し出されると、ぴたりと動きを止めた。
「ブヒ……」
どうやら前に食べさせられた料理を思い出したらしい。
食べたいけど、作ったのはマリーさん。本当に大丈夫なのか。そんな葛藤が顔に書いてある。
ピートンは一体どんな物を食べさせられたんだ?
聞いたら聞いたで藪蛇になりかねないし……うん。ここは黙っておこう。
「あははっ! まだ覚えてるのかい?」
「ブヒ……」
「大丈夫、大丈夫」
マリーさんは笑いながら手を振った。
「今日は変な物は入れてないから」
そう言うと、小瓶からほんのり桃色をした粒を指先でつまんで、揚げたての天ぷらへぱらりと振り掛けた。
「最後にこれを少しだけねぇ」
「それはなんですか?」
「ふふっ、そんなに怪しまなくても大丈夫だよ。これはただの岩塩さ」
「へぇ……」
「さぁ、食べてごらん」
「ブヒ?」
ピートンは半信半疑のまま、恐る恐る匂いを嗅いだ。
それでもなかなか口を付けようとしない。
やがて意を決したように、天ぷらを一口かじった。
「ブヒッ!!」
すると、耳がピンと立つ。
目を輝かせながら、夢中で食べ始めた。
「ブヒッ! ブヒブヒッ!」
「相変わらずわかりやすい子だねぇ」
マリーさんは肩を揺らして笑った。
「ほら、カトルも」
皿を俺の前へ差し出した。
「熱いから気を付けなよ」
「いただきます」
箸でつまんだ揚げたての天ぷらからは、まだジュワジュワと音がして、湯気と一緒に香ばしい匂いが立ち昇っている。
「熱っ……」
少し息を吹き掛けてから口へ運ぶ。
サクッと軽快な音が口の中に響いた。
「……!? おおっ! めちゃくちゃ美味い!」
衣はサクサクで、中のベンジョン草は驚くほど柔らかい。
あの強烈な苦味もほとんどなく、爽やかな香りと岩塩の塩気が口の中へ広がっていく。
えっ、あの便所味はどこ行った?
「これ、本当にベンジョン草ですか!?」
「そうだよ」
「同じ物とは思えない……」
思わずもう一口頬張る。
「ふふっ、素材をちょっと知ってるだけさ」
隣ではピートンがご機嫌そうに耳をフリフリさせながら天ぷらにがっついている。
「ブヒッ! ブヒブヒッ!」
さっきまで警戒していたのが嘘みたいだ。
「まさか、あのクソまずいベンジョン草が、こんなに美味しくなるなんて思いませんでした」
「生で食べるのとは別物だろ?」
「はい。本当に驚きました」
「あははっ」
マリーさんは満足そうに目を細めた。
窓の外には穏やかな湖が広がり、部屋には揚げたての天ぷらの香りが漂っている。
飄々としていて、何を考えてるのかはいまいちわからない。それなのに、話していると妙に落ち着くんだよなぁ。
ピートンの警戒ぶりに少し身構えたものの、少なくとも悪い人ではなさそうだ。
それに、こんな料理を作れるなら、ほかにも面白い食べ方を知ってそうだなぁ。
今まで生で食べてたのがもったいなかったと思いながら、俺は最後の一切れを口へ運んだ。
次回は8月28日20時20分投稿です。
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