014 エクレア洋服店となんとやら……
「ふわぁ……、あぁ……」
大きなあくびをしながらゆっくり上半身を起こすと、蚊遣り豚から人間に戻れた実感が込み上げてくる。
窓から差し込む暖かな日差しが頬を撫でる。
外から聞こえてくる小鳥達の賑やかな囀りが耳元でほどける。
どこからか漂ってくる、香ばしくて甘い焼きたてのパンの匂いが鼻腔を擽る。
そんな、ここ20年感じることのなかった当たり前の感覚がたまらなく嬉しくて、ついつい顔がニヤけてしまう。
「ふふっ……、やっぱり人間っていいな……。んんっ……」
凝り固まった体をほぐすようにベッドの上で大きく伸びをすると、パキパキと鳴る関節の音が小気味いい。
俺は軽快な足取りでベッドから這い出した。
手早く支度を済ませて1階の食堂へと下りると、そこにはすでに朝の活気が溢れていた。
「おう、カトル! おはようさん! よく眠れたか?」
まるで何処ぞの死神代行が持っていそうな巨大な包丁を握ったドナテロさんが厨房から豪快な挨拶を投げてきた。
「ドナテロさん……、それって、卍解したりしないよね……?」
そんな質問をしたくなるくらい強烈な絵面に、思わず頬が引き攣る。
「お、おはようございます、ドナテロさん。おかげさまでぐっすりですよ」
「そうか、わはははは! そうか! それはよかった! お前さんの朝食はティアのテーブルに用意してあるぞ!」
それから、昨日の夜に紹介してもらった客室係のエイプリルさんと料理人見習いのケーシーくんに挨拶をしてからティアのいるテーブルの元へ向かうと、足元からブヒブヒという鳴き声が聞こえてきた。
見れば、テーブルの下ではピートンが野菜の切れ端やら木の実やらが山のように盛られた深皿に顔面を突っ込んで貪り食っている。
昨日のミカンのような果実もそうだけど、ピートンってちゃんとベンジョン草以外のものも食べるんだよな。
というか、昨日は森の中でベンジョン草をついつい食べまくっちゃったけど、俺とピートンで一体いくら分食べたんだろう……?
「おはよう、カトル。ボーッとしちゃって、どうしたの?」
「あははは、なんでもないよ。ティア、おはよう」
「もうっ、しっかりしてよね。ほらほら、料理が冷めちゃうよ」
どうやらティアは朝食も済ませて、準備万端みたいだ。
俺は椅子に腰掛けると、テーブルに並べられた料理を見た。
今日の朝食は分厚くカットされた燻製肉の上にとろーり目玉焼きのベーコンエッグと、香ばしい小麦の匂いを振り撒く大きめのバケット。そして湯気の立つゴロゴロ野菜の入ったスープ。
昨日の特製ゴールデンプレートのような派手さは無いけど、どれもめっちゃ美味しそうだ。
やっぱり朝はこういうのがいいよね。
「そんじゃ、頂きます。ズズ……、おっ? このスープ美味い! くぅー、五臓六腑に染み渡るぜ!」
「あははは、何それ! カトルってたまに変なこと言うよね。食べ終わったら、すぐに出発だよ!」
「了解、今日はよろしく!」
昨日の夕食後に二人で話し合って決めた予定を思い出す。
「……ということでいろいろと買いに行きたいんだけど、なんといってもまずはバンカーから……」
「それじゃ、まずは服からだね」
「えっ? いや、まずはバンカー……」
「ダメだよ。カトル、自分の格好を見てなんとも思わないの? ……すんごいボロっちいよ。そんなんじゃ、奴隷に間違われちゃうんだからね」
「ど、奴隷……」
そんなわけで、今日のルートは洋服屋を皮切りに、武器屋、防具屋、道具屋に決定した。
ちなみにティア曰く、このラグバ王国には奴隷制度があって、犯罪を犯したり、借金が返せなかったりすると、奴隷身分に落とされるとのことだった。
そんな話を思い出しながら朝食を平らげると、俺は「俺も行くぞ!」と騒ぐドナテロさんを必死に羽交締めにするエイプリルさんとケーシーくんにご馳走様を言って、ティアに急かされるようにダヴィデ亭を出発した。
朝のムルージュ村では通り沿いの店の店主と行商人が取り引きをしている光景が多く見られた。
道端にはその行商人達の馬車だろう。これでもかと荷物を満載した馬車が何台も止まっている。
てっきり魔導技術が発展してるから、もっとこう魔導車とか魔導機関車的な乗り物があるかもなんて期待していたものの、そういった乗り物は最近王都で開発されたばかりで、まだ一般には普及していないらしい。
それでも、こうして通りを歩いているだけでも魔導具らしき物は度々目に映るわけで、その度にティアに説明してもらいながら村の中を進んでいった。
そうして10分も経たないうちにティアのお勧めする洋服屋に到着。
洋服屋は三角屋根の可愛らしいログハウス造りで、木製の看板には『エクレア洋服店』と書かれていた。
「エクレアさーん! おはよう!」
ティアが元気よく扉を開けると、店内には色彩豊かな洋服や折り畳まれた布地がセンスよく並べられていた。
「あら、ティア。いらっしゃい。……あらっ? あらあら、まぁまぁ、そちらは彼氏さんかしら?」
おっと? おっとりした感じの金髪ツインドリルの美人さんがなんかぶっ込んできたぞ。
……というか、この人、どこかで見たことあるような……?
「あははは、そんなわけないじゃん! この人はティアの命の恩人なの。昨日、キケンベの群れに襲われた時に助けてくれたんだよ。……あっ!」
「命の恩人って、また無茶して……。ティア、お願いだからあまり無茶はしないで。もしもアナタの身に何かあったら、ワタシはとても悲しいわ。それにラルムさんだって……」
「わかってる。……ごめんなさい」
何だ? 急に空気が重くなったぞ。それにラルムさんって、初めて聞く名前だな。
うーん、ティアも黙っちゃったし、ここは俺が……。
「初めまして、カトルです。今日はティアのお勧めで服を買いに来ました」
「ヤダ、ワタシったら、ごめんなさい。カトルさん、ワタシの名前はエクレアっていうの。ヨロシクね。」
「呼び捨てでいいですよ。こちらこそ、宜しくお願いします。……ティア、俺にはどんな服が似合うと思う? もしよかったらエクレアさんと2人で俺の服を選んでもらえないかな?」
「えっ? ティアも選んでいいの?」
「うん。お願いできるかな」
「うん、任せて! エクレアさん、カトルに似合う服探そう!」
「そうね……、少しサイズを確認するわね。はーい、バンザーイ!」
ほっ、よかった。なんとか重たい空気は脱したぞ。
言われるがまま俺が両腕を上げると、エクレアさんは慣れた手つきでエプロンのポケットから取り出したメジャーであれこれサイズを測り出した。
うっ、距離が近い……
おおっ、まつ毛長っ。まるでお人形さんみたいだ。
……んっ? あっ、思い出した!エクレアさんって、昨日冒険者ギルドからダヴィデ亭に向かってる時に絡まれたあのエクレールとかいう女冒険者さんに似てるんだ!
もしかして名前も似てるし、姉妹だったりするのかな?
まぁー、何にしてもあの人とはあまり関わりたくないし、わざわざ話に出す必要もないか……
「はーい、腕下ろして。これくらいのサイズならたくさんあるから、いろいろと試着してみましょうね。カトルはそこの試着室の中で待っててね。ティアはそこに掛けてある服から何着か持って来てちょうだい」
そこからは、まさに怒涛の時間だった。
「これはどう?」
「カトルの体型だと、こっちのベストの方がラインが綺麗ね」
俺に拒否権はなかった。次から次へと差し出されるシャツやベストを、まるで着せ替え人形のように着替えていく。
最初は照れくさかったものの、ティアが「おっ、意外と似合うじゃん!」とはしゃぐ姿を見ているうちに、俺の気分も上がっていった。
最終的に選ばれたのは上質な麻のシャツに、使い込まれた風合いの革ベスト、そして足捌きの良さそうなスッキリとしたズボンだった。
「うん、バッチリ! カトル、すっごく格好よくなったよ!」
「そう? ありがとう。えへへ……、なんか照れるなー」
せっかくなのでこのまま新しい服を着ていこうと思い、それまで着ていたボロボロの服を肩掛け袋にしまっていると、突然、エクレアさんが俺の持っていたジーンズを指差して、目を皿のようにした。
「……カトル、ちょっと待って! そのズボンの股のところにある、銀色のトゲトゲ……それは何?」
先程までのおっとりとした雰囲気はどこへやら、彼女の瞳は純粋な職人の好奇心に燃え盛っていた。
「あ、これですか? スライドさせると開閉できるチャックですけど……」
チャックをジーッと動かして見せると、エクレアさんは「きゃああっ!」と悲鳴に近い声を上げた。
「すごい! なんて画期的なの!? ボタンを1つずつ留める必要が無いなんて!」
エクレアさんはジーンズを奪い取ると、チャックに頬ずりせんばかりの勢いで興奮し始めた。
「ねえ、お願い! このボロボロのズボン、ワタシに譲ってくれないかしら!?」
俺は引き気味に了承し、ついでに肩掛け袋からチャックの付いているボロボロのダウンベストも差し出した。
「これにも付いてますけど、いります?」
「ああっ、神よ……!!」
もはや崇拝に近い眼差し。結果として、今回新調した服一式に加えて予備の服2セットと、さらには下着類から靴下に至るまで全てが無料になった。
それどころか、ティアが前々から狙っていたワンピースもオマケでゲットしたのだった。
「いやぁー、ラッキーだったな。あんなボロボロの服がこんなに喜ばれるなんてね」
「ティアもワンピースもらっちゃった! カトル、ありがとう!」
俺達はホクホク顔で露店で買ったチュロス風のお菓子を半分こしながら、次の目的地である武器屋へと向かっていた。
「そういや武器屋ならエクレアさんの店の近くにもあったけど、あの店じゃダメだったの?」
「うん。カトルはバンカー欲しいって言ってたじゃん。この村には武器屋は3軒あるけど、バンカーを扱ってるのはこれから行くバルガスさんっていうドワーフの鍛冶職人さんがやってる武器屋だけなんだよね」
「へぇードワーフって普通に人間の村にいるんだ。もしかして、エルフとかもいるの?」
「えっ? 普通にいるよ。エルフにもいろんな種族の人がいるけど、エクレアさんはハーフエルフだよ。カトルってさ、本当に何も知らないんだね?」
あっ、そういや昨日の女冒険者さんもハーフエルフだったな。あまりにもハーフエルフのイメージとかけ離れすぎてたから忘れてた。
「ほ、ほらっ俺ってど田舎から出て来たからさ。あははは……、それよりバルガスさんって、どんな人?」
「ふーん……バルガスさんはちょっと頑固だけど、とっても良い人だよ。でもその……」
「でも?」
「うーん、バルガスさんはいいんだけど、そこのバカ息子がウザいんだよねー……」
聞けば、そのバカ息子とティアは元々仲の良い幼馴染だったらしい。
関係が拗れたのは、今からちょうど三年前。告白してきたバカ息子を、ティアがこっぴどく振ったのがきっかけだったそうだ。
それを逆恨みしたバカ息子は、ティアに粘着質な嫌がらせを繰り返すようになったらしい。最初のうちは振った弱みから大目に見ていたティアも、次第にエスカレートする嫌がらせについにブチ切れ、父親のバルガスさんへ直談判。
話を聞いたバルガスさんは激怒し、バカ息子をボコボコにした上で、ドワーフ族三大懲罰の一つ『グラッツェ』を命じたんだとか。
ちなみにこのグラッツェ、頭をツルツルに剃り上げるという懲罰らしく、髭や毛髪の豊かさが信条のドワーフにとっては、この上なく屈辱的なものなんだって。
それでも懲りないバカ息子は、今でも顔を合わせるたびにネチネチと絡んでくるらしく、ティアは心底うんざりしているみたいだった。
そんな話をしながら気づけば、この村では珍しい石造りの建物の前に到着。その屋根からは大きな煙突が突き出し、無骨なアーチ状の看板にはバルガス工房と刻まれている。
武器屋を前にテンション上がり気味の俺に反して、バカ息子のことを思い出して若干テンション下がり気味のティアはゆっくりと店の扉を開いた。
金属油特有のどこか重厚で粘り気のある無機質な匂いのする店内は思ったよりも広く、整然と並べられた背丈ほどある棚の上には剣や槍をはじめとする様々な種類のバンカーやそのパーツが所狭しと置かれていた。
思わず手に取ってみたくなる衝動をグッと堪えながらティアに連れられて店の奥に進むと、そこにはだらしなく両足をカウンターの上に乗せて暇そうに鼻をほじくる見覚えのある男が座っていた。
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