第六話「観測者は働かされる」
生徒会という組織は、生徒自身による高校自治、自立性やリーダーシップの養成といった甘言を使って、単に学生の労力を搾取するための、大人の都合の良い下請け機関である。
本来、大人が責任を持って行うべき事を生徒に丸投げしているだけなのだ。きっとそうに決まっている。
現実問題として、目の前のタスクがそれを物語っている。西日が差し込む古びた内装の『人類文化研究部』の部室は、『下請け強制労働部屋』へと変貌を遂げていた。
「いいですね? 白羽先輩の海よりも深い温情で拾ってもらった恩を忘れないでください!先輩の慈悲に泥を塗るような真似をしたら、私が絶対に許しませんよ?」
生徒会書記・月城紗良は、親の仇、あるいは道端に落ちている得体の知れない生ゴミでも見るかのような鋭い目で俺を見てきた。
彼女にとって、完璧にして至高の存在である白羽凛凪は、もはや絶対的な信仰の対象らしい。そんな彼女の女神様が、俺のようなスクールカーストの底辺を直接スカウトしたという事実が、よほど彼女の逆鱗に触れたのだろう。
まだ6月の中旬。入学して2ヶ月ちょっとでここまでの信者に育て上げるとは…
白羽の末恐ろしさを感じる。
「あー、まあ、善処する」
適当に相槌を打ちながら、俺は机の上に積み上げられた絶望的な光景に視線を落とした。
分厚い紙のバインダーが6冊と、データ保存用の無機質なUSBメモリ。バインダーの中身は、今回の全校生徒分のアンケート結果と過去5年分のアンケート結果だった。
「それじゃあ、期待しているわ。優秀な讃良木くん。私と月城ちゃんは別の仕事をしているから」
白羽は月城の死角になる位置で、俺に向けて小悪魔のように微笑んだ。
完璧な優等生の仮面を被った、恐るべきカロリーモンスター。彼女の言う『優秀な人材』という建前を成立させるため、俺は今、己の放課後という尊い犠牲を払わなければいけないらしい。
俺は深く、ひたすらに深いため息をつき、部室の隅で先ほど資料と一緒に手渡されたノートPCを開いた。
カチャカチャと、乾いたタイピング音が部室に響き始める。
最初は手作業で電卓を叩き、ちまちまと入力しようとしていたらしい月城の残骸データを見て、苦笑する。まあ、入学間もない高校一年生ならこんなものだろうか。
ただ、こんなものを手作業でこなそうとすれば、日が暮れるどころか、数日経っても終わらないだろう。
「まあ、基本のデータは打ち込まれているし、これならそんなに時間はかからないか」
俺はExcelを開き、ショートカットキーや関数を駆使してデータを集計していく。
ぼっち、もとい観測者とは常に孤独である。故に、他人に頼るという選択肢を持たない俺は、一人で全てを完結させるための自己完結型スキルが異常に発達しているのだ。
そして、作業を進めながら生徒会の共有ファイルを開き、生徒会がどんなことを行っているのかをついでに確認する。
……なんだ、この仕事量は。
行事企画や各部の予算の折衝、中には教員からの丸投げ案件など、ぱっと開いた過去のデータを見ただけでも、生徒に行わせるには少々荷が重そうな案件が含まれている。
その中で、学校PR戦略(没)と書かれたファイルが目についた。データを見ていると、ある程度の段階まで進んだにも関わらず、頓挫しているようだ。
こうやって、無駄に労力だけを消費して終わったものも多いのだろう。
それを考えると、生徒会の仕事は、高校生が抱え込めるキャパシティを超えているのではないだろうか。
それに、あの月城の白羽への心酔具合から見るに、大部分の仕事を白羽が請け負っているのではないかと推測される。
周囲からの「完璧な白羽凛凪」への期待という名の同調圧力。それらを彼女は一人で背負っているのだろうか。
あの致死量の炭水化物は単なる食欲などではなく、プレッシャーという名の重力に押し潰されないためのものだとしたら?
そんな疑問が浮かんできたとき、背後から声が聞こえた。
「……えっ、もうそこまで終わったんですか?」
背後から覗き込んでいた月城の声だった。
「ああ。集計用の関数組んだから、あとは別シートに入力してあったデータを流し込んで、適当にグラフ化するだけだな。一応、過去5年分のデータも同じように別シートに入れてある。確認してくれ」
「うそ……私がやったら、あと3日はかかるって思ってたのに。先輩、何か悪いことしてませんよね? ハッカーか何かですか? 怖いです」
「落ち着いてくれ。エクセルで関数組んだだけでハッカー扱いされてたまるか。だいたい、この作業を全部手打ちでしようとしていた事実の方が俺は怖いよ」
開始から3時間後。俺の尊い労働力により、すべての作業が完了した。
「完璧ね……本当にできるのね」
確認を終えた白羽が、目を丸くして息を吐いた。
「月城ちゃん、悪いけれど、生徒会室の冷蔵庫から麦茶を取ってきてくれないかしら? 少し喉が渇いてしまって」
「はいっ! お任せください! すぐに行ってきます!」
忠犬のごとく、月城は弾かれたように部室を飛び出していった。パタン、と扉が閉まる音が響く。
その瞬間、白羽の肩からふっと力が抜け、完璧な優等生の仮面が外れた。彼女は机に突っ伏すようにして、深く息を吐き出す。
「……助かったわ。まさか本当にできるなんて…これは嬉しい収穫ね」
そう呟き、顔を上げた彼女の表情は、クラスで見せるような計算して作った表情ではなく、無防備に微笑む等身大の少女のものだった。
「こんな感じの仕事を、いつも一人でやっているのか?」
「そうね。月城ちゃんはまだ入ったばかりだし、会長含めて他の生徒会メンバーも各々仕事は頑張ってくれているのだけど、こういった作業が得意な人達ではないから」
「月城は随分白羽に懐いているようだな。まるで信者だな」
「ええ。別に私はそんなに崇拝されるほど素晴らしい人間ではないのにね。まあ、そうやって慕ってくれるのが月城ちゃんの可愛い所でもあるのだけど」
そう言いながら、白羽は鞄の中をごそごそと漁り、何かを俺の机に放り投げた。
コロン、と転がってきたのは、コンビニで売っている手のひらサイズの『ミニバウムクーヘン』だった。
「残業代ってところかしら。だいぶ頑張ってもらったから」
「150円で請け負えるような業務内容では到底なかったが。まあ、有り難く頂戴するよ」
減らず口を叩きながらも、俺はバウムクーヘンの封を開けた。
ガラッ!
「先輩、お茶をお持ちしまし――って、えっ?」
戻ってきた月城が、俺の手元にあるバウムクーヘンと、先ほどまでとは少し違う俺たちの空気感を見て、ピタッと動きを止めた。
「そのバウムクーヘンって、白羽先輩が好きでいつも食べていらっしゃる……」
そして、次の瞬間。
「…………あり得ない。絶対に、あり得ない」
月城はワナワナと肩を震わせ、先ほどよりも鋭い、スナイパーのような視線で俺を射抜いた。
「白羽先輩からお菓子を貰うなんて、私でも貰ったことないのに。そんなの排出率0.0001%の人権SSRアイテム確定ドロップじゃないですか! なんで讃良木さんみたいな人が貰って、そんな神アイテムを事もなげに開封してるんですかぁぁぁぁ!!」
「ただのバウムクーヘンをソシャゲのガチャみたいに例えるな。レアリティで言えば、せいぜい初期配布アイテムくらいだろ」
「私にとっては伝説のアイテムなんです! ……認めない。私は絶対に認めないです! この現実を!」
なんか、諸々の言動含めて、結構オタク気質だな。この子。
「あぁ、すまない。なぁ、白羽。まだバウムクーヘンはあるか? 月城にもあげて欲しいんだが」
「ごめんなさい。もうあれでラストだったのよ」
ガーンという効果音が流れてきそうなほどのショックな表情を浮かべる月城がそこに立っていた。
「また用意してくるから。次は月城ちゃんの分も」
「本当ですか!? 本当に楽しみにしてます! あぁ、白羽先輩の手渡しバウムクーヘン…」
まるで手作りバウムクーヘンみたいに言うな…どれだけ楽しみにしてるんだ…
心の中で月城にツッコミを入れながら、俺は白羽と顔を見合わせて苦笑する。
こんな風に、誰かと一緒に放課後を過ごしたのはいつ以来だろうか。なんだか、別にこんな日常も悪くないような気がしてくる。
いや、騙されるな。最後はきっと重力に押しつぶされてしまう運命が待っているに違いない。
そんな風に自分の信条を曲げないように、観測者の思考を張り巡らせ、必死に自分を誤魔化すのだった。




