第一話「観測者は関知しない」
静岡県某市にある宮園高校は、敷地面積が全国で2位という、控えめに言って頭のおかしい広さを誇っている高校である。敷地面積1位は北海道の農業関係の高校と聞いたことがあるが、普通科しか存在しない高校でこんなにも面積の広い所はここだけだろう。
敷地内には、野球部専用グラウンド、陸上グラウンド、相撲場、テニス場、弓道場、柔道場、第一体育館、第二体育館等々の施設が乱立し、部活動も盛んに行われている。
校門から校舎へ向かうまでの中央並木通りにはたくさんの桜が植えられ、春には満開となって、まるで漫画やアニメみたいな光景が広がる。実際に、MVや映画のロケ地としても利用される場所らしい。
そんな「青春を謳歌してください」と言わんばかりの環境が整っている高校だが、青春とは無関係の俺みたいな人間にとっては、移動教室だけでちょっとしたハイキングになるし、無駄に広大な森林エリアのせいで、たまに自分が農業高校に通っているのか錯覚しそうになる。
だが、ぼっち……もとい、「観測者」であろうとする俺にとって、この広さは最大のメリットだった。
昼休み。俺は喧騒に包まれた教室を早々に抜け出して、購買に向かう。
チラリと視界の端に映ったのは、いつものようにクラスメイトの中心で、清楚で可憐な笑顔を振りまく白羽凛凪の姿だ。
我が2年2組が誇るスクールカーストの頂点にして、誰もが羨望の眼差しを向ける『孤高の華』。生徒会にも所属し、モデル活動もしているという噂の、才色兼備・清廉潔白を絵に描いたような存在。
当然、俺なんかが関わるべき人種ではない。
ああいう「中心」にいる人間が放つ引力は厄介だ。不用意に近づけば、無駄なエネルギーを吸い取られるか、理不尽なトラブルに巻き込まれる。過去の教訓から、俺は他者と深く関わることを避けて生きてきたのだ。
購買を経由して広大な敷地の最果てにある旧倉庫の裏手へ。今日は、特別パンの発売日だからかいつもより人が多く、ここに来るまでに時間がかかってしまった。
日当たりが悪く、雑草が生い茂るこの場所は、陽キャ共の重力圏から完全に切り離された俺だけのサンクチュアリだ。
今日もここで、購買で買った惣菜パンをかじりながら、SNSのタイムラインを無表情でスクロールする有意義な時間が始まる。
はずだったのだが。
「…………」
「はぐはぐ………むぐっ!?」
旧農具倉庫の裏に足を踏み入れた瞬間、俺の視界は、あり得ないバグを引き起こした。
そこにいたのは、10分程度前まで教室のど真ん中で優雅に微笑んでいたはずの『孤高の華』こと白羽凛凪だった。
透き通るような白い肌や、手入れの行き届いた黒髪ロングはそのままなのに。
なぜか今、彼女は地べたに座り込んで、両手で『のっぽパン』を握りしめ、リスのように頬をパンパンに膨らませていた。
足元には、既に空になった『富士宮やきそば』のプラスチック容器と、ミニサイズのバウムクーヘンの残骸が転がっている。しかも、傍らのコンビニ袋には、まだまだ大量の食料が詰まっていた。
――なんだこの状況。
アニメならここで「あ、見られちゃった……(照れ)」みたいなラブコメ的展開が待っているのだろう。
だが、清楚な顔面そのままに猛烈な勢いで咀嚼する彼女の目は、バキバキに血走っていた。まるで冬眠前のヒグマが、命懸けで最後の栄養補給をしているかのような凄まじい気迫。
ストレスによるヤケ食いか? それにしても、致死量級の炭水化物だが。
「あ、あの……っ、ちがっ、これは……ごくっ」
彼女は慌てて口の中のパンを飲み込もうとしたが、水分を持っていかれたのか、盛大にむせ始めた。
「げほっ! けほっ……! あ、あうぅ……」
「……」
完璧美少女の見る影もないむせ顔に、俺は無表情のまま右足の踵を返し、来た道を戻ろうとした。
あんな青春のど真ん中――特大質量の中心にいる人間の秘密になんて、関わりたくもない。
今見た光景は、ただのノイズだ。記憶領域から即座にデリートするに限る。
「ま、待って! 讃良木くん、だよね!? お願い、誰にも言わないで……!」
背後から彼女の悲痛な叫び声が聞こえたが、俺の歩みは止まらない。
「……別に。俺は何も見ていませんので……」
振り返らずに、事務的な敬語で一言言い放つ。
それが、かつて散々振り回されて以来、俺が徹底して避けてきた『重力』との、忌々しい再会の瞬間だった。




