Ep7-12 ミッション・インコンプリート
白い霧が薄れ周囲が見えるようになる。俺と桔花は元の位置から一歩も動いていなかったようだ。
「戻ったか。そこは危険だ。上がってこい」
リーダーの声に振り向くと、野外ステージの縁に呆けたようにしゃがみ込んだユナさんと、リーダーの肩を借りて歩くショーさんが見えた。
足下のコンクリートは溶けて黒緑色のガラス溜まりのように変化している。頭上には屋根を支えるアーチ状の鉄骨が飴のように曲がって垂れ下がっていた。
「すまない、リーダー」
膝に手をついて肩で息をしていたショーさんが頭を振って何とか立ち上がる。
「ロスト・アセットによる精神攻撃だ。防ぐことはできなかっただろう。それに優秀な兵士ほど効果が高い代物のようだ」
「助かったぜ、恩に着るよ」
「ユナはどうだ?」
「ちょっと心をやられただけ。身体的なダメージはないわ」
こちらもふらつきながらもなんとか立ち上がる。ユナもみんなと合流するころには精神的なダメージから立ち直って普通に動けるようになっていた。とはいえ、本調子には程遠いだろう。メンバーの中でダメージを追っていないのは俺とリーダーだけの状態だった。
「リーダーは平気だったんですか?」
「ああ、問題ない」
すごい。鋼の精神力だ。術式適性が高い人ほど精神干渉系の術式には耐性があるらしいけど、それだけじゃない安定感を感じて安心できる。
「やられちまったなぁ」
ショーさんが悔しそうにステージのほうを見る。燃えたり溶けたりしたパイプ類の残骸を残して運転手の男は姿を消していた。ステージの一部がぽっかりと空いているところを見ると、ロスト・アセットの心臓部と言っていた風箱は持ち去られたようだ。
「仕方ない。今はチームのダメージが大きい。これ以上の深追いは避ける」
「……ミッション・インコンプリート、ですか」
「ちっ、見てなさい。あの男を取っ捕まえてこの落とし前はきっちりとつけてやるんだから」
「そんなことよりも、これ、どうするんですか?」
風向きが変わり、いぶすような煙の臭いとパチパチと木が爆ぜる音が押し寄せる。
背後の森から立ち昇る炎が赤く空を染める。
「山火事か」
「あ、あたしのせいじゃないわよ」
「ああ、直前に落雷があった。その影響だろう」
本当だろうか?リーダーは表情一つ変えずに言い放ったが、ショーさんも桔花も目をそらしている。
「火の回りが早い。囲まれる前に離脱するぞ」
「えっ、でもこれ放っておくんですか?」
「俺たちの手に負えるものじゃない。それに……」
リーダーが何かを見るように向かいの山に視線を向ける。夜闇に白く浮かび上がる武甲山の山肌が湧き上がる積乱雲にどんどんと隠されていく。こちら側の丘陵地帯にかかる雨雲を喰らうような勢いで成長し、迫っていた。
「どうやら後始末を引き受けてくれるようだ。いくぞ。車に乗れ。消防隊につかまったら厄介だ」
二台に分乗し、来た道を急いで下っていく。
武甲山を覆い隠した積乱雲の中を稲妻が走る。積乱雲は竜の乗る雲のように猛烈な勢いで秩父盆地を覆い、あっという間に周囲はバケツをひっくり返したような土砂降りに塗り込められた。
***
「お勤めご苦労さまです、お嬢様」
奥の院から戻った静音を水野が恭しく迎える。
控えの間に戻り、初音と夕顔の手を借りて装束を解き普段着に戻る。
「現地の状況は?」
「幸い、山火事は消し止められました。雨のおかげで被害は最小限に収められたようです」
「そう、良かったわ」
朱雀様をすみやかに鎮めることができたのが幸いでした。きっと英太様のおかげでしょう。そうでなければあの地を治める竜神様と争うことになって被害は甚大でした。
静音は胸を押さえ、ほっと息をついた。
***
未明の高速道路を飛ばす車内は重苦しい雰囲気に包まれていた。
「……初めてよ。こんな屈辱」
窓を流れる道路灯をぼんやりと見ながら桔花がつぶやく。
「仕方ないさ。常勝無敗なんてあり得ないし」
「なにぬるいこと言ってんの?レイダーは舐められたらお終いなのよ」
えぇ、レイダースってもっとクレバーな感じだと思ったんだけど。
「絶対、あの男を見つけ出してターゲットを取り返してやるんだから」
「でもレイドが終了したらそこで終わりなんだろう?」
レイド中は互いに妨害しあったりお宝を横取りしても、レイドが終わったらノーサイドっぽいものだと理解していたんだけど。
「通常のレイドなら英太の言う通りなんだがな。今回は特命の仕事だ。俺たちには何らかのペナルティがあるかもな」
「そんな」
「この業界は結果がすべてだ。奪われたロスト・アセットの損害賠償をしろと言われないだけましさ」
ショーさんが吐き捨てるように言った。口では仕方ない風を装っているが腹の底には割り切れない思いがあるのだろう。
「意趣返しのコストは自前になるし、あとで取り返したところで特命任務の失点は消せない。一度負けた相手にリベンジってのはリスクの面から考えても割に合わないっていうのが普通の考えだ」
「なによ。ショーさんまであきらめろっていうの?」
「まあ、こればっかりはリーダーが決めることだ」
「ちょっとぉ。漣、こっちは腑抜けばかりだわ。何か言ってやってよ」
桔花がインカムのマイクに向かって不満をぶちまける。
『……そうね。漣、私からもお願いするわ。ターゲットは私が必ず見つけ出す。だからチャンスをちょうだい』
「ほらあ、ユナさんもこう言ってるし、やろうよリベンジ」
うちの女性陣はアグレッシブだね。ユナさんに負けず嫌いな面があるとは知らなかった。
『……分かった。独自にターゲットの追跡と捕獲を行う』
「ほう、勝てる勝負しかしない漣にしちゃあ、思い切ったな」
『あのロスト・アセットは危険だ。精神干渉力が強すぎる。できれば破壊しておきたい』
確かにその通りかもしれない。血が流れないからと言って人道的とは限らない。心を抉るようなものは存在するべきではないと思う。
「やったぁ」
『だが、桔花は不参加だ。今日の影響が残っている。しばらくは養生していろ』
「ええっ、そんなのないよ、漣」
『あれはおまえには猛毒だ。もしまた使われたら、次はもっとひどいことになるかもしれん』
「そうだけど……」
『リスクを取って追跡するのは後顧の憂いを断つためだ。分かるな?』
「……わかったわよ」
悔しそうに手元に視線を落とす桔花を見ながら、俺は何としてもあのロスト・アセットを取り返さなければと心に誓った。




