Ep7-11 朱雀
「今夜は月が見えませんね」
窓辺に置かれた椅子でティーテーブルにカップを下ろしながら静音がつぶやく。
「夜更かしはほどほどになされませ」
「ええ。ですが虫の知らせでしょうか。何か胸騒ぎがするのです」
レイドは無いけれど彼らが動いている。結界を見守る必要はないはずだけれど、どうにも気分が落ち着かない。静音は月のない窓辺で外を見つめていた。
その瞳が突然大きく見開かれ焦点を失う。
「はうっ、くぅ」
ティーカップが倒れ、こぼれた中身がテーブルの端から床に滴る。
胸を押さえてテーブルに突っ伏した静音に水野が素早く駆け寄る。
「お嬢様」
「……大丈夫です」
苦し気な息づかいの中から静音が声を絞り出す。
「心の臓……朱雀ですか」
苦痛のピークは過ぎたがまだ荒い息で静音がうなずく。
「夕顔を呼びます」
水野がベルを鳴らすとすぐに反応がありドアが開く。姿を現した後藤が水野に支えられた静音を目にして顔色を変えた。
「お姫いさま!」
慌てる後藤を制して水野が指示を出す。
「夕顔を呼びなさい。初音には支度を」
「はっ」
後藤はすぐに姿勢を正し、廊下へと姿を消した。
「英太様……桔花さんを頼みます……」
水野の腕の中で静音が苦し気につぶやいた。
***
星一つ見えない曇天の夜空に紅蓮の火柱が立ち上がる。
火柱は雲を焼き天を焦がして突き抜ける。
「桔花!」
火柱の中心には桔花がいて、跪き世界を拒絶するように両手を顔で覆って空を仰いでいる。
足下では観客席が瞬時に燃え上がって炭化し、その炭すらも焼けて火の粉となって舞い散る。鉄製のフレームは溶けて曲がり、赤熱した雫となって床にこぼれ落ちる。コンクリートの床に網目状のひび割れが走る。バシッ、パンッと音を立てていくつもの小爆発を起こし、破片がはじけ飛ぶ。
俺は術式を展開して空気の断熱層を纏い、桔花に駆け寄った。
ついに桔花の周辺のコンクリートの床が溶解し始め、黒緑色のマグマとなって流れ出す。
「待て、石守。そのままでは無理だ」
リーダーから静止の声がかかる。
「大丈夫です、何とかします」
「だめだ、真空層では熱は遮断できても光は遮れない」
オレンジから黄色へ、黄色から白へと火柱の色がますます白熱していく。空気の温度は遮断できても輻射熱が俺の体を容赦なく焼いていく。だけどこのまま桔花を放ってはおけない。ずっとこのままの状態が続けば、きっと自らの炎と熱で桔花の肉体も精神も焼き切れてしまう。
差し出した手に火ぶくれができ、熱せられた空気で肺を焼かれながら俺は真っ白な光に向かって足を進めた。
「……太さま……英太さ……英太様」
「ううん」
ひんやりとした手の感触を額に感じて薄く目を開く。
「良かった。気がつきましたね」
「やあ、また会ったね」
我ながらなんとも間の抜けた挨拶だった。
俺は真っ白な霧に包まれた世界で地面に寝転んでいた。幼女の膝枕で。
「あ、ごめん。重かったろう?」
「いえ、よろしいのですよ。わたくしも英太様の寝顔を堪能いたしましたし」
くすくすと黒髪の幼女が笑う。
「でもこんな汚い恰好でごめん。服が汚れなかった?」
俺は火ぶくれができ、ところどころ焦げて煤けたようになった装備をまとった自分を見下ろした。顔面もひどく熱をもってズギズキと痛む。
「あら、ここは現し世ではありませんよ?ですから現実世界での怪我も汚れも全部自分が見せている幻にすぎません。ほら」
そういって黒髪の幼女が火ぶくれで傷む俺の手を小さな手で包み込むと火傷の跡が瞬時に消え去った。
「本当だ」
どうやらここでは意識がすべてらしい。火傷をしているという意識が火ぶくれした体を生み出すということなのだろう。恐る恐る顔を触れても痛みも火傷もない。なんにせよ、痛みが引いて助かった。
「ありがとう」
「どういたしまして。でもあまりゆっくりしている時間はありません」
「そうだ、桔花は……」
黒髪の幼女は一瞬ムッとした表情を見せていった。
「朱雀様はここをまっすぐ進んだ先にいらっしゃいます。どうか御霊を和めてくださいませ」
「そのつもりさ。ありがとう」
俺は手を振りながら幼女の示した方向へ歩き始める。この世界では時間の流れにあまり意味はないように感じるが、できるだけ急いで桔花のもとへと向かおう。
「やはりあなた様にはその力があるのですね。どうぞ、わたくしどもをお救いください」
遠ざかる俺に気づかせぬようにして、幼女は深々と頭を下げた。
白い霧の中をまっすぐに歩く。
この世界に来るのももう何度目かになり慣れてきていた。
ここではただひたすら真っすぐに歩けば行きたいと思ったところにたどり着けるようだ。難易度によって歩く時間が変わるようだけど。とはいえ、かかった時間は主観的なものにすぎない。つまるところ、ここではなるようにしかならない。そういうことらしい。
やがて真っ白な世界に色が生まれた。
緋色の打掛を纏った神々しい姿が石像のように身じろぎもせずに立っている。
どこか遠くを睨みつけていた貌が、俺に向けられる。
「誰ぞ」
「こんにちは、で合っているのかな」
「ぬしか。相変わらず人の身で馴れ馴れしいことよ」
「すみません、不調法なもので」
神様との接し方って学校でもレイドチームでも習ってないからなぁ。
「ふむ。ここに連れて来おったのはぬしか」
「えっと、そうなんですかね?」
俺としては連れてこられたほうだと思っていたけれど……。
「ここはつまらぬ。早う現し世に戻せ」
扇を広げて口元を隠す。欠伸をかみ殺しているようだ。
「あのー、神様はもう怒ってらっしゃらないですか?」
「妾は朱雀じゃ。神などと呼ぶではない」
俺のことをぎろりと睨んでそういったあと、ツンと目をそらして言った。
「荒ぶっておったのは妾ではないわ。ぬしが小娘の機嫌を取るがよい」
桔花のことかな。俺はどちらの機嫌を取るほうが楽なんだろうかと考えながらうなずいた。
「ええ、お任せください。そのために来たんですから」
「面倒ごとを自ら引き受けるとは、ぬしは見所があるのう。うむ、よきに計らえ」
妖艶な笑みを残して朱雀の姿が着物の端から合成画像の画素が崩れるように流れだし、霧散する。
彼女の立っていた足下に、膝を抱えてうずくまる桔花の姿があった。
「ここにいたのか」
ゆっくりと上げた顔が思いのほか幼く見えてつい妹にするように頭を撫でる。
「子供じゃないんだから、なれなれしく撫でないでよね」
泣きはらしてかすれた声で桔花がつぶやく。
まだ本調子じゃないようだけど、いつもの憎まれ口が聞けてほっとする。
「ごめんごめん。迷子の子供みたいに膝を抱えてたから、ついね」
「失礼しちゃうわ。迎えに来るのが遅いのよ」
「これでも急いできたんだぜ?」
「ふん、次からはもっと早く来なさいよね」
「へいへい」
どんどん調子を取り戻していつもの歯切れの良い口調になってくる。
ほっと安心しつつ、憎まれ口を聞いて嬉しく感じるなんて俺もちょっとヤバいのかなと思わず苦笑いしてしまう。
屈託のない笑顔で見上げる桔花に手を差し伸べ、俺は力強く引き起こした。




