Ep7-9 オルフェウスの鍵盤
雷光が地面を白く塗りつぶし、野外ステージを囲む木々の影だけが浮かび上がる。
円形劇場を覆う屋根の支柱がステージにくっきりとした線を刻む。
客席の背もたれは白い背景に埋もれ、代わりにその数だけ世界に穴が開いたようなハイコントラストの影を床に描く。
コンマ五秒にも満たない一瞬の光景が網膜に深く焼き付いた。
「ちっ」
突然の落雷に一瞬視界を奪われたショーが舌打ちする。壇上の男に迫ろうと観客席の通路を下っていた足が止まり、ショーが後方に飛びのいた。
「なっ」
床に開いた穴のような黒い影が、雷光の去った後も残っていた。そこから血塗れの手が突き出し、ショーの足首をつかむ。
ショーが咄嗟に足を引いて手を振り切り、コンバットブーツで踏み潰す。
見渡すと無数に開いた地面の穴から次々と血塗れの人影が這い出していた。
それらはみなコンバットスーツをまとっており、被弾した穴にどす黒く変色した血をこびりつかせている。中には右半身に炸裂弾の破片を浴びてぐずぐずに崩れた肉体を引きずる者、横一線に喉元を掻かれごぽごぽと泡立つ血を吐きながら迫る者もいる。どれもが見覚えのある顔だった。
「おまえたち……」
『隊長……ドウシテ……』
次々と伸ばされる手を振り払い、つかみかかる腕にコンバットナイフを突き立て、腰にしがみ付く背中に肘を打ち込んで打ち倒す。だが、一つ倒した先から次の死体が襲いかかる。彼らは昔ショーと戦場で肩を並べた外人部隊のメンバーだった。
「ぐがっ」
背後から組み付き首筋に噛みついてきた敵の腕を極めて投げ飛ばす。ボキリと生々しい感触が伝わる。
倒れた敵がゆらりと立ち上がり、肩の抜けた腕をだらりと下げたまま口を開く。その瞳は血走り、憎しみに燃えていた。
『裏切者……』
「エド……」
外人部隊での友人であり副官であった男。だが大きな野心を抱えていた。
『おまえの裏切りで、部隊が全滅した……』
「何を言う。裏切ったのはおまえのほうだ!」
『おまえが邪魔しなければ、あのまま戦況は逆転していた……俺たちは勝ち、約束の報酬を得て自由になれた……』
「仲間の半数を犠牲にしてか?」
『必要な犠牲だ』
「ふざけるな!」
『その無駄な正義感が俺たち全員を殺した』
「勝手なことを」
ある戦場で、エドは敵国に寝返り情報をリークしたうえでショーの隊を襲撃した。直前で反乱を知ったショーは反撃し、泥沼の同士討ちで部隊は壊滅した。悲劇はそこで終わらなかった。反乱を起こした外人部隊を本国は軍法会議にかける手間を省略して処分した。容赦のない残敵掃討で裏切った者もそうでない者も全員が戦場で抹殺された。ショーだけが地獄と化した戦場から逃げ延びたのだった。
「くっ」
『ゆるさない……ゆるさない……』
『ユルサナイ……ユルサナイ……ユルサナイ……』
あのときの亡霊が群れになってショーに襲いかかった。
『……ユナ』
雷光に一瞬浮かび上がった木立の間から懐かしい声が呼びかける。
「……セドリック兄さん……なの?」
成長途上をうかがわせるひょろっとしたシルエットの少年が棒立ちのユナに近づいてくる。
『久しぶりだね、ユナ』
「兄さん……会いたかった……」
『おやおや。大きくなってもユナは泣き虫のままだね』
すっかり身長が追い付いたユナが少し前かがみになってセドリックの胸に顔をうずめる。セドリックがあやすようにユナ頭を優しく包み込む。しばらくそうしてユナが落ち着くのを待ってからセドリックの亡霊が語りだした。
『ユナ、いつまでも泣いていてはいけないよ。もうあまり時間が無いんだ。家族を、仲間たちを救い出して』
「家族って?みんな生きているの?」
こくりと亡霊がうなずく。
「ペトラもシグリットもベラもイヴォンヌも?」
『ああ、オリバーもクエンティンもウルスもビルも、グザヴィエとゾフィアも』
「……リヴィオも?」
その名を恐る恐る口に乗せる。
『もちろんだ。あいつは今もみんなを苦境から救い出そうと頑張っているよ。だから、ユナ。きみもリヴィオの手助けをしてやってほしい』
「リヴィオはどこにいるの?時間が無いってどういうこと?」
『……ユナの力が必要なんだ。リヴィオをサポートしてみんなを救ってくれ……』
「わかったわ。私は何をすればいいの?ねぇ、セドリック兄さん、教えて。リヴィオはどこにいるの?ねぇ」
『……家族を守るんだ、ユナ。みんなを……』
「待って、兄さん。お願い、私を一人にしないで……」
薄れていく影をかき集めようとユナの腕が宙をさまよう。だが、柔らかな微笑みは空気に溶けるように消えていった。
「きさま、何をした?」
リーダーが何かを振り払うように頭を振りながら壇上の男を睨みつける。
「おや?ノクターナルのリーダーは案外人を殺めていないようだね。意外だな。それとも、人の死にはあまり共感を覚えない質なのかな?」
男がくすくすと笑う。
「どういうことだ?」
「この『オルフェウスの鍵盤』はね、過去に関係の深かった死者を呼び覚ますロスト・アセットなのさ。とくに自ら手をかけた相手からは強い影響を受けるんだよ」
「なんだと」
「だからそこの元傭兵は身動きが取れないし」
男が顎でショーさんを指す。彼は客席エリアの途中で金縛りにあったように体を硬直させている。
「この少年はなんの影響も受けていない」
後ろ手に極められていた腕を押され、ステージの下に突き落とされる。
「いてて」
俺は尻餅をついて痛む腕や尻をさすった。
『オルフェウスの鍵盤』
特定の旋律を奏でることで、周囲に精神干渉を与える実験的音響鍵盤。
その旋律は聞く者の身近な死者を呼び覚ますという。
兵士に対して使用することで自らが手にかけた者どもの亡霊に襲わせ無力化することを狙った人道的な抑止兵器である。
「まあ、この程度の効果範囲では都市制圧兵器を名乗るのはおこがましいけどね。おや?」
壇上の男が別の方向に視線を向ける。
「これは大事になりそうだ。巻き込まれる前に退散するとしよう」
「待て!」
「ボクにかまけていていいのかい。仲間が大変なことになっているよ」
その視線の方向に急激に膨れ上がる術式反応を感じ取って俺も振り返る。
「来ないで」
桔花が怯えた声で叫ぶ。その目は俺には見えない何かに釘付けになって大きく見開かれている。
「嫌よ、来ないで」
桔花がうずくまり何かから身を守るように自分の体を抱きしめる。
「どうしたんだ、桔花。大丈夫か?」
「来ないでぇっ」
次の瞬間、オレンジの閃光が弾け、桔花の全身が紅蓮の炎に包まれた。




