Ep7-8 未完成交響曲(2)
桔花が先陣を切って走り出す。
リーダーとショーさんが同時に駆け出し、互いに三角形を構成する位置取りでステージ上の男目掛けて突っ込む。俺は接近戦は三人に任せて、万が一遠距離攻撃が来たときのために空気障壁の術式を用意して身構えた。
「やれやれ、野蛮な人たちだ。もう少し話し合ってみてはどうかな。そう、僕の演奏を聞きながら、ね」
運転手の男が駆け込んでくる桔花を気にすることなく鍵盤に指をかける。
「その立ち居振舞い……けど、そんなわけない……」
横に控えていたユナさんのつぶやきに思わず振り返る。いつも余裕のあるユナさんが青ざめた顔で目を見開いていた。
そのとき、ステージに並んだパイプの列から黒板を引っ掻くような不快な音が放たれた。
キィィィギャギャギャ
「うっ」
突進していた桔花が足を止めてその場にうずくまる。
ただの不快音ではなかった。
術式で強化され神経を逆なでする音が、予想しないリズム、予想しない音階を伴って演奏される。それが円形劇場の音響効果と相まって人間の許容量を超える音の暴力となって聴く者に襲いかかる。
「あはは。人体工学に基づいた集団を無力化する曲だよ。銃も剣も使わない平和的な制圧手段さ。人道的だろ?」
ギィィと鳴り響く不快音が神経を逆なでする。その効果を術式が強化して運動神経の伝達を妨害するのだ。単に不快なだけでなく、自分の筋肉をうまく動かせなくなり、その場にうずくまることしかできなくなる。
「これが、旧日本軍が開発していた都市制圧兵器……」
観客席の最後列あたりにいた俺はわんわんと鳴り頭蓋骨の中身を揺さぶるような音に耳を塞ぎながらステージ上の男を睨みつける。
敵は一人だけのようだ。ロスト・アセットの性能に自信があるのか、他の攻撃手段は持たないように見える。効果を継続するためには演奏を止められないようで、男は逃げることもせずに壇上につっ立っている。なら……。
俺は術式で耳の周りに真空層を形成し、音波を遮断した。
不快音が聞こえなければそれを強化して肉体の制御を奪う術式も効果を発揮しない。
「止めろぉ!」
俺は一直線にステージに駆け上がり、演奏する男に殴りかかった。
が、男は演奏したまま器用に身をかわした。訓練しているとはいえまだまだシロウトレベルの俺にどうにかできる相手ではない。だけど俺の狙いはこいつじゃない。演奏者の前方に身を乗り出した俺は、制御盤に手を伸ばし『停止』と書かれた大きなボタンを手のひらで叩き込んだ。
ガコン、とスイッチが入り不快音の演奏が止まる。
桔花が急な静寂につんのめるようにして手を突き、頭を振る。強張った筋肉がまだいうことを聞かないようだ。見上げる視線が俺を素通りして男に向けられている。
「くくく」
男は悔しがる様子もなく、薄ら嗤いを漏らす。
「やはりきみが来てくれましたね。石守英太君」
「なっ?」
手のひらからぐにゃりと力が吸い取られる感覚。まるでトオノさんのガジェットのボタンを押したときのような……。
ベルトポーチに常備している量子結晶から力が吸い出され、手のひらを通じて制御台のボタンに流れ込む。
急激な力の流れに体力を奪われ思わず膝をつく。同時に自分の耳に施した音波遮断の術式が解除された。
「空気を自在に操る石守君ならきっと音響兵器に対策を講じて飛び込んでくると思いました。狙い通り、ですね」
「負け惜しみを!ロスト・アセットは止めた。ノクターナルがおまえを……」
「ふふふ、先ほどのはこのロスト・アセットの効果ではありません。米軍の軍事技術をもとに僕が開発した術式ですよ」
ゴロゴロと遠雷が鳴る。いつの間にが雲が厚みを増し、ステージを照らす照明の中で夜空に重くのしかかる。
「うそだ」
「きみには前に会ったときに話しましたよね?僕は自分では新しい術式を起動できないって」
前に会った?瞬時に俺の手首をつかみ腕を背後に捻り上げた相手の顔をまじまじと見るが見覚えがない。
「旧日本軍が作った術式を僕が初見で起動できるわけないでしょう?だからきみにお願いしたんだ。ありがとう、助かったよ」
「おまえ、OZの……」
異形と化した化け物と戦う桔花たちを扉の小さな窓越しに見た光景がフラッシュバックする。声は違うけれど、あのときスピーカー越しに聞いた相手を小ばかにするような口調と同じだった。
「さあ、いっしょに確かめよう。ロスト・アセット『オルフェウスの鍵盤』の力を!」
いつのまにか呼吸に忍び込むようにして鳴り響いていた細いフルート音。
円形劇場を冷たい風が吹き抜け、斜面を下っていく。
不気味な先行きを示唆するようなオーボエの旋律。
今にも降り出しそうな雨雲がステージ部分に設けられた半ドーム状の屋根の向こうから湧きあがる。
やがてオルガンの太く力強い和音が鳴り響き、足りないティンパニーを補うかのようにドロドロと雷鳴がとどろく。
雷光とともに冥府の扉が開いた。




