第九話 収奪
日本の転移から一ヶ月後
旧シエスタル 東の農産部
サクローヌが陥落してから、十二日が経過した。
戦争は終わり、有事は平定した。少なくとも、日本政府と自衛隊はそういう扱いをしている。
シエスタル魔法公国は降伏し、大公は日本側の監督下で存続することになった。主要都市には自衛隊が進駐し、街道や橋、倉庫、港湾には日の丸を掲げた検問所が設けられている。
組織的に自衛隊へ抵抗する公国軍は、もうほとんど残っていない。
だから、これは戦闘任務ではなかった。
「五号車にあと三十袋!」
「了解! こっちの納屋が終わったら回す!」
村の中央を通る土の道に、陸上自衛隊の大型トラックが六台並んでいた。
隊員たちが、納屋から次々と麻袋を担ぎ出している。
中身は麦だった。
遠野稜も一袋を肩に担ぐ。
「……重っ」
思わず声が漏れた。
これ一袋で五十キロ近くはあると思う。麻袋が肩へ食い込み、乾いた麦の匂いが鼻についた。
それでも遠野は荷台まで歩き、先に積まれていた袋の上へそれを載せる。
「遠野、次は東側の納屋だ」
「了解」
分隊長に言われ、遠野は再び歩き出した。
村に住民の姿はなかった。戦争時、自衛隊が接近したと聞き、数日前から近くの森へ避難しているらしい。
村には生活の痕跡だけが残されていた。軒先には洗濯物が干されたままになっていて、戸口には薪が積んである。
小さな家の前には木で作られた玩具が転がっていた。家畜小屋には鶏が数羽残されていて、見知らぬ兵士たちが歩き回るのを怯えた様子で眺めている。
人だけが消えた村だった。そこへ日本人がやって来て、納屋を開けている。
「……先輩」
隣で袋を担いでいた若い陸士が声をかけてきた。
「何だ」
「これ……本当に持っていくんですか」
「命令だからな」
「いや、それは分かってますけど」
若い隊員は、納屋の中を振り返った。
奥には、まだ何十袋もの麦が残されている。その一角だけには、日本語と現地語で書かれた札が立てられていた。
『現地住民生活用物資・搬出禁止』
日本政府が定めた徴発基準だった。
住民の推定人数や、次回の収穫時期、家畜の数、周辺の食料事情などを考慮し、そうした情報を基に、一人あたりが生存できる最低量を算定していた。
その分だけは残す。それ以外を、日本が食料事情解決のために"調達"しているのだ。
だがそれは言葉を言い換えただけで、実際にやっている事は"徴発"だ。やっていることは日本の事情のために食料を奪っているに過ぎない。
「……泥棒みたいですね」
隊員が思わず呟く。
その言葉に、遠野はすぐには答えられなかった。何か胸の奥に刺さるようなものができて、声が上擦った。
「……みたい、じゃないかもな」
「え?」
「何でもない。手ぇ動かせ」
「……はい」
遠野は納屋へ戻り、次の袋を持って行った。
作戦命令書には、当然ながら「略奪」などとは書かれていない。占領地食料管理とか、緊急供出とか、書類の上ではそれだけだった。
食料輸入が途絶えた日本では、一カ月前から配給制が始まっている。肥料も農薬も、燃料も、日本一国では賄いきれない。
この麦がなければ、日本で誰かが飢えるかもしれない。遠野にも、それは分かっている。
彼にも両親がいた。自衛隊とは無関係の友人もいる。彼らも今、日本で配給を受けながら生活している。
一袋の麦が、何十人分ものパンになるのだ。それを考えれば、運ばなければならない。頭ではそう、分かっていた。
「三号車、積載八割です!」
「了解! そっち終わったら五号車だ!」
作業は続いたが、誰も笑ったり雑談をしたりすることは無くなった。
当然だ。こんな形の戦利品を喜んでいる者などいない。ただ命令に従って、麦を運ぶ。それしか彼らにできることはない。
だが、だからと言って無人の集落から奪っていないことにはならないだろう。遠野も、そんな後ろめたさを抱えながら麦を運んでいた。
そのときだった。
「……待て」
分隊長が声を上げた。その声に、遠野も顔を上げる。
森の向こう側から、人の声が聞こえてきた。複数の様々な声色で、人数もかなり多く感じられる。
「住民じゃないですか?」
しばらくして、村の入口、すなわち森の方角から次々と人々が現れた。
老人と、女と、若い男と、子供たち。人数は四十人ほどだった。
全員、籠や背負い袋を持っている。中身は衣類や家財道具だろう。この村の魔導師なのか、杖を持っている人もいる。
やはり森へ避難していた村人たちが、戻ってきたようだった。
「全員、作業中止!」
分隊長が即座に命じた。
「警戒! 銃口は下げたまま! こちらから刺激するな!」
隊員たちが麻袋を置く。遠野も、89式小銃を胸元へ寄せた。
住民たちは、村の入口で立ち止まった。最初は、自分たちの家を見ていた。
それから、トラックを見た。彼らが見たのは、開け放たれた納屋、荷台へ積み上げられた麦袋、それを積み込む自衛官たち。
先頭にいた白髪の老人の顔が、みるみる変わった。
「……何をしている」
声が聞こえた。自衛隊員にも分かる言葉だった。老人は震えながら、もう一度トラックを指差した。
「何をしていると聞いている!」
誰も答えず、沈黙が流れる中、分隊長が一歩前へ出た。
「この地域の食料を、公国政府との協定に基づいて調達しています」
「調達……?」
「あなた方が生活するために必要な分は残しています。すべてを持っていくわけではありません」
老人は数秒、分隊長を見つめた。
しばらく沈黙が流れ、呆然と立ち尽くした老人の顔から、困惑が消える。
代わりに現れたのは怒りだった。
「ふざけるな!」
老人が叫んだ。
「それは我々の麦だ!」
その言葉に、後ろの住民たちも騒ぎ始めた。
「返せ!」
「勝手に持っていくな!」
「冬をどうやって越せと言うんだ!」
「それを作ったのは私たちだ!」
一斉に声が上がった。
遠野は唇を噛んだ。彼らの言っていることは、すべて正しいからだ。
「落ち着いてください!」
分隊長が声を張る。
「あなた方の食料は確保しています! 残されている袋は調達対象外です!」
「足りるものか!」
一人の中年男が前へ出た。
「お前たちは、この土地の冬を知っているのか!」
「算定は公国側の役人と共同で行っています!」
「役人だと⁉︎」
男が吐き捨てた。
「王都でお前たちに頭を下げている連中に、この村の何が分かる!」
その言葉に、遠野は何も言えなかった。
そして老人は、トラックへ歩き出した。分隊長がすかさず止めに入るが、無理やり押し除けようとする。
「返してもらう」
「待ってください」
「どけ!」
「近づかないでください!」
「我々のものだ!」
老人は止まらない。だからもう一人の隊員が、彼の進路を塞いだ。
「すみません、これ以上は──」
「どけと言っている!」
老人が隊員の腕を押し退け、無理やりトラックに張り付いた。その瞬間、後ろにいた村人たちも動き始めた。
「麦を降ろせ!」
「取り返せ!」
何人もの男がトラックへ駆け寄る。
「待て!」
「止まれ!」
若い男が荷台へ飛びつき、積まれた袋を引きずり下ろした。
麻袋が地面へ落ちて、口が破れ、麦が土の上へ広がった。
「おい!」
二人の隊員が男を無理やり引き離そうとして、両腕を掴んだ。
「離せ!」
「暴れるな!」
「俺たちの麦だぞ!」
男が拳を振り回し、隊員の防弾チョッキを殴る。しかし強固な防弾チョッキにダメージはない。
別のトラックでは、住民が子供を前に出してその隙にトラックへ手を伸ばそうとしていた。
「押すな!」
「子供を前に出すな!」
「一度下がってください!」
村の中央が、一気に騒然となった。
遠野の前にも、一人の女性が駆け寄ってきた。歳は三十代くらいで、腕には五歳ほどの女の子を抱えている。
「返してください!」
女が叫んだ。
「お願いします! あの麦はうちの分なんです!」
「あなたたちの分は残しています」
「足りません!」
「調査では──」
「調査⁉︎」
女の顔が歪んだ。
「あなたたちが来て、畑を踏み荒らして、馬も持っていかれて! 来年同じだけ収穫できると思っているんですか!」
遠野は言葉を失った。
確かに、そこまで計算されているのかは現場の自衛官には分からない。知らされていないのだ。
卓上から見ている現実と、現場の現実には雲泥の乖離がある。少なくとも彼女はそう思っている。
「この子がいるんです!」
女は腕の少女を抱き寄せた。
「この子だけじゃない! 年寄りもいます! 病人もいます! あなたたちは数字だけ見て、これだけあれば死なないは言いますが、私たちは人間なんです!」
「…………」
「あなたたちにも、家族がいるでしょう!」
遠野の胸に突き刺さった。
「いるんでしょう⁉︎」
「……います」
遠野は、思わず正直に答えた。女の目が、僅かに揺れて動揺した。
「……だったら、どうしてこんなことができるんですか」
女の呪いのような言葉に、遠野は何も答えられなかった。
それでも、自衛官として、日本人として、これだけは言わなければならない。日本の置かれた現状を。
「日本にも、食べ物がないんです!」
自分でも嫌になるほど、上擦った声だった。
「国が、この世界に来てから……今まで海外から買っていた食料が全部、入らなくなったんです!」
「だから?」
「このままだと、日本でも人が飢えます!」
「だから私たちから奪うんですか」
「…………」
「私の娘が食べる麦を持っていって、あなたたちの子供に食べさせるんですか!」
それ以上、言葉を返せなかった。遠野は言葉に詰まり、先ほどまでの威勢が消えた。
その言葉に、女は泣いていた。怒りながら、遠野をまっすぐ見ながら、必死に訴える。
「それのどこが正しいんですか!」
正しくない。自分でも嫌になるくらいそう思う。
けれど──
「……すみません」
口から出たのは、それだけだった。
「持っていきます」
女の顔が凍った。
「命令ですから」
「命令なら、何をしてもいいんですか!」
遠野は答えない。答えれば、何かが崩れる気がした。だから自分の身を守るため、黙ってるしかなかった。
その時だった。
「危ない!」
どこからか、叫び声が上がった。遠野がその方向へ振り向く。
そこでは若い男が、杖を振り上げて周りを火の海にしていた。彼は隊員一人へ向け、火の魔法を放とうとしている。
「やめろ!」
遠野が叫ぶ。
「返せ!」
男は止まらない。
「返せぇぇッ!」
杖を振り上げ、魔法を放とうとする。
その瞬間──
──パンッ!
乾いた銃声が響いた。
──パンッ! パンッ!
続けて二発。それは、地面へ向けての威嚇射撃だった。村中の動きが止まり、鳥が屋根から一斉に飛び立つ。
その後に、子供たちが悲鳴を上げた。隊員たちは一斉に銃を向けた。
「全員、止まれ!」
発砲した隊員が叫ぶ。
「武器を捨てろ! これ以上近づくな!」
杖を持っていた男が、固まっていた。銃声の意味は、説明する必要もない。
「全員下がれ!」
分隊長が命じる。
「トラックから離せ! 武器を持った者は確保しろ!」
その途端、困惑していた隊員たちは、自衛官として動いた。
住民を押し戻し、力で押しつぶす。抵抗したり、杖を持ったりする者たちに対しては発砲が相次いだ。
「離して!」
「落ち着け!」
「やめろ、俺たちの麦だ!」
「下がれ!」
老人が押し倒され、頭をぶつける。若者の腕を、二人がかりで捻って地面に押さえつけた。
女性たちが叫ぶ。子供が泣く。その時、一人の少年が石を投げた。石が隊員のヘルメットへ当たった。
「痛っ!」
隊員は攻撃されたと思い、反射的に空に向けて銃を撃った。
しかし石を投げたのが少年だと気付いた分隊長は、すかさず静止する。
「待て、子供だ、手を出すな!」
遠野はその間、杖を持った男へ駆け寄った。
「それを捨てろ!」
「うるさい!」
「捨てろ!」
「お前たちが出ていけ!」
男が杖を振るい、再び魔法を放とうとする。
遠野はその威力を知っている。この世界では一般的な魔法でも、人を焼き殺すには十分なのだ。
遠野は89式小銃を構え、横からその男の腕に向かって発砲した。
「あがっ──」
一発分の反動が肩に帰ってきた。それは重く、遠野のやっている事を表しているかのように、冷たく肩にのしかかった。
「今だ!」
「確保!」
自衛官がすかさず両脇を抱える。押さえつけられる若者の目には、涙が浮かんでいた。
「やめろ! 俺の親父が耕した畑だ! 俺の爺さんも、その前の爺さんも! お前たちはどこから来たかも分からないくせに!」
「分かったから、大人しくしろ!」
未だ抵抗する男が、遠野の胸を蹴った。少しよろめくが、それでも遠野は腕を掴んだままだった。
「確保!」
別の隊員が背後から若者を抱え込む。結果、三人がかりでようやく地面へ押さえつけた。
「離せ! 離せぇ!」
「抵抗するな!」
「泥棒!」
男が叫んだ。
「人殺し!」
遠野の手が止まりかけた。その言葉だけは、妙にはっきりと聞こえた。
「俺たちの国から出ていけ!」
遠野は男の腕を押さえたまま、何も言わなかった。彼の言っている事も、否定できない。すべて事実だからだ。
むしろ分かっているからこそ、押さえつける力は自然と強くなっていた気がした。
やがて、抵抗は収まっていった。
勝ったのではない、押さえつけただけだ。武器を持つ側が、武器を持たない側を。
村人たちは、道の端へ追いやられた。
老人は座り込んでいる。女たちは泣いていて、若い男たちは、自衛隊員を睨みつけている。子供たちは母親へしがみついていた。
分隊長が無線機を取る。
「こちら第二小隊。住民約四十名帰還。食料搬出作業に対する妨害あり。威嚇射撃を実施し、現在制圧」
短い間、沈黙が流れるが、分隊長は状況を知らせる。
「現地住民数名が負傷。指示を乞う」
無線の向こうから返事が来る。分隊長は、数秒黙ってそれを聞いた。
「……了解」
分隊長は通信を切った。
「搬出作業を継続する」
その指示に、誰も返事をしなかった。
「……聞こえたか。続けるぞ」
「了解」
小さな返事がいくつも返り、彼らはまた麦袋を運び始めた。
村人たちが、それを見ている前で。彼らは自衛官として、命令に忠実なまま、それらを淡々と運び出していく。
「やめて……」
先ほどの女が呟いた。遠野は聞こえないふりをした。耳を傾ければ、心がまた揺れ動く可能性があったからだ。
しばらくして、最後のトラックの荷台が閉じられた。エンジンが唸り、一台目が走り出した。
「搬出開始!」
村人は何もしない。もう止めようともしない。ただ見ているだけだ。そうして麦を積んだ車が、村から消えていく。
遠野も最後尾の車両へ向かい、後部座席に乗った。
その途中、一人の少女が見えた。
母親の後ろに隠れている。目元には、まだ涙の跡が残っている。少女と遠野と目が合った。彼女は、遠野に向かってこう言った。
「泥棒」
小さな声だった。けれど遠野には、はっきり聞こえた。
「泥棒……」
遠野は足を止めた。
「……ああ」
自分でも、なぜ答えたのか分からない。
「そうかもな」
母親が少女を抱き寄せた。遠野は車両へ乗り、扉を閉める。
そして、トラックが走り出した。
村が離れていく。窓越しに見る住民たちは、日の丸をつけた車列を、いつまでも見送っていた。
「……これで何日分になるんですかね」
隣の若い隊員が呟いた。
「何が」
「日本の飯ですよ」
「知らん」
「これだけ持っていって……一日とかだったら、嫌ですね」
「…………」
「俺たち、何してるんでしょう」
遠野は答えなかった。彼は無言で小銃を見下ろし、考えた。
少し前まで、この銃は国を守るためのものだと思っていた。少なくとも、日本で訓練していた頃はそうだった。
しかしこの世界へ来た直後、戦争になった時。敵が居て、武器を持ち、こちらへ魔法を撃って来て、撃ち返した。
それならまだ説明できたが、今日は違う。
今日、この銃が守ったものは、他人の麦だった。
自分たちが奪った食料であり、自分たちは泥棒だった。
この日、理屈ではなく感情で考えて、何かが確実に生まれたと感じていた。
おそらく、憎しみだろう。あの少女はたぶん、今後一生、今日という日を忘れない。日本人が村へ来た日として、永遠に記憶に刻まれるだろう。
十年、二十年後、もしあの子が大人になった時。日本という名前を聞いたら、彼女にとって日本はどんな国なのだろうか。
遠野はそこまで考え、目を閉じた。
そんなの、考える必要などない。なぜなら、もう本人から答えを聞いてしまったからだ。




