第八話 改革の日
※この話は挿入投稿です。時系列多岐にはハルゲニアとの接触前なのでご注意を。
市ヶ谷の防衛省。その日、大会議室には陸海空、三自衛隊の幹部が一堂に会していた。
統合幕僚長・山田劉生は、上座からその顔ぶれを見渡した。
長机には数十枚の予算案が並んでいる。
そのどれもが増額と増員に行き着く内容で、自衛隊という組織そのものに、大規模な作り替えが迫られているのが一目でわかった。
「やはり予算の増額と規模の拡大は避けられんか」
山田が問うと、財務担当の幕僚が頷いた。
「はい。異世界で孤立している以上、今後の自衛隊にかかる負担は相当なものになります。政府は一刻も早い組織の拡大を求めております。試算では、必要な規模はおおむね現有の三倍から四倍。とりわけ人員の不足が深刻です」
三倍から四倍。
山田はその数字を、胃の底で受け止めた。
異世界へ転移してわずか一か月で、この国は混乱の底に叩き落とされ、果てには戦争まで起こした。
シエスタル魔法公国は降伏したが、今もその地には自衛隊が駐屯し、治安維持に汗を流している。
これまでの規模と、これまで想定してきた任務では、到底さばききれない。それは机上の悲観ではなく、すでに現場で起きている現実だった。
「シエスタルへの駐屯を続ける以上、陸自の増員は不可欠だ」
陸自の幕僚が口を開いた。
「現在の十四万では到底足りません。まず定員を増やし、待遇を改善し、若者を一人でも多く採れる態勢を作る。それが出発点です」
「シエスタルの維持に、どれだけ要る」
「陸自だけで、最低三十万」
三十万、と誰かが低く繰り返した。
会議室の空気が、ひとつ沈んだ。
「志願制だけで、そこまで膨らませるのは無理でしょう」
別の幕僚が首を振った。
「若者にも、進む道を選ぶ権利がある。自衛隊を選んでくれるとは限らない。募集を続けても、三十万には遠く届きません」
「だがシエスタルに駐屯するということは、その周辺国とも国境を接するということだ」
陸自の幕僚は退かなかった。
「あの国は今や、日本の生命線だ。食料も、いずれ掘り出す油も、あそこにかかっている。守るには、それだけの頭数が要る」
「無人機等による代用は」
「根本の解決にはならん」
山田が答えた。
「土地を占領し、治安を保つのに必要なのは人間の足だ。機械では、街の一軒一軒は守れない」
「では、どうする」
財務の幕僚が眉を寄せた。
「金だけ与えられても、できんことは多いぞ。人がいなければ、充足の大半は空のままだ」
短い沈黙のあと、陸自の幕僚が重く口を開いた。
「制度のほうを、変えるしかありません」
彼は静かに、はっきりといった。
誰かが息を呑む気配がして、山田にもその先の言葉が読めた。
「徴兵の必要性を訴えるというのか」
「必要、という段階では、もうありません」
幕僚は山田を見た。
「必須です。日本が今後、同盟国もなく、単独でこの世界を生きていく以上、いずれ必ず、そこへ行き着きます」
会議室が、静まりかえった。
徴兵。この国が七十年以上、口にすることさえ避けてきた言葉だった。
焦土から立ち上がり、二度と軍靴の国には戻るまいと誓った、その根の部分に触れる言葉だった。その言葉が今、当然の帰結としてこの部屋に置かれた。
誰も、すぐには反論できなかった。反論する理由が見つからなかったからだ。
「……制度の話を、今ここで決めるべきではない。それは、この国の形そのものを変える話だ。政治が、国民が、時間をかけて向き合うべき問いだ。後で、しっかり議論する。今日は、そこまでだ」
山田は目を閉じ、ゆっくりとそう言った。
彼はあえて、扉を閉め切らなかった。いや、閉め切れなかったという方が正しい。
徴兵という言葉は、もうこの部屋に入ってきてしまった。
あとは、いつ表に出るかだけの問題だった。山田には、それがわかっていた。
「個別の案件に移る。まず、陸自の編成の見直しからだ」
「陸自としましては、仮に三十万体制になったとしても、なお課題が残ります」
陸自の幕僚が資料をめくった。
「まず弾薬、そして補給です。シエスタル戦役の首都包囲戦で、進撃に補給が追いつかず、戦車隊が弾薬切れを起こす事態が発生しました」
山田の脳裏に、報告書の一行がよぎった。
第七師団は、突撃してくる敵騎兵の群れに撃ち続け、砲弾が尽きかけ、やむなく自走榴弾砲の直接射撃で凌いだそうだ。
あと一歩補給が細ければ、彼らはあの場所で破られていたかもしれない。
「この戦訓を受け、まずは武器弾薬の抜本的な増強を求めます。撃ち続けられなければ、あの装甲も宝の持ち腐れです」
「わかった。検討しよう」
「次に、機甲戦力です」
幕僚は続けた。
「現在の陸自の機械化率は、北部方面隊を除けば、率直に申し上げて、著しく低い。これまではそれでよかったのすが、この世界は違います」
「魔法か」
山田が言った。
「はい。魔法という技術は、シエスタルだけのものではありません。他国でも広く使われ、中には、シエスタルよりはるかに強力な魔法を操る国があるとの情報もあります。生身の隊員が、まともにあれを浴びれば負傷します。逆に戦車や装甲車の中にいれば、あの攻撃魔法は焦げ跡ひとつ残せなかったと報告があります。つまり隊員を魔法から守れるのは、装甲です。機甲戦力の増強は、この世界では贅沢品ではなく命綱です」
「戦車は10式を増産すればいい。装甲車も19式を引き続き生産する」
山田は頷いた。
「幸い工場も図面もある。作れるものは、作れ」
「その上で──」
ある幕僚は、声を落とした。
「人員の確保が思うように進まぬ場合に備え、編成そのものを見直すべきかと」
「見直す、とは」
「細分化です。現在の陸自は、師団を単位に戦います。ですが、頭数が足りないなら、それをより小さく、より完結した塊に組み替えます。これは連隊単位で、それ自体で戦い切れるパッケージにするのです」
若い幕僚が補った。
「地球で言えば、ロシア連邦軍の大隊戦術群……すなわちBTGが近いかと。戦車、装甲車、砲兵を、一つの連隊の中に有機的に組み込む。頭数の穴を、火力と機動で埋める考え方です」
「なるほど。連隊単位の諸兵科連合か」
山田は指を組んだ。
「はい。加えて、指揮系統も改めるべきです。上級の師団司令部の判断を、いちいち待たずに連隊が独自に動けるようにする。そうすれば広大な占領地に、独立した部隊として薄く広く、しかし機敏に配置できます」
山田は、その絵を頭の中で描いた。
広大なシエスタルの土地に、小さくとも牙を備えた部隊が、点々と根を張る。
油田の候補地を守り、街道を押さえ、逆らう者を退けながら。
それはもう、専守防衛の軍隊の姿ではなかった。占領を、恒久に敷くための統治の道具の姿だった。
だが、彼はそれを口にはしなかった。ここはそれを嘆く場所ではないからだ。
「よし。陸自はその線で詰める。次、海自」
「はい。海自としましては、新規護衛艦の建造を推進したく存じます」
海自の幕僚が立った。
「現在のところ、海自の直接の脅威となる強力な海軍国は日本の周辺には確認されておりません。しかし──」
「情報にあった、帝政カムイの事か」
「はい。カムイという国は強力な近代海軍を保有している可能性が高く、海自の当面の仮想敵になりつつあります。周辺国の情勢によっては、今後も戦役が起こり得るうえ、作戦の海域も確実に広がります。その備えとして、新型護衛艦の整備と増強は、必須と考えます」
山田は、資料の一枚に目を留めた。見慣れぬ艦種の名が記されている。
「この、航空護衛艦、というのはなんだ」
海自の幕僚が、わずかに間を置いて答えた。
「……正しく言えば、空母です」
会議室の空気が、また少し、動いた。
「今後、作戦領域が広がり、シーレーンを積極的に守る段になれば、護衛艦が自前で航空掩護を張る必要が、必ず生じます。この艦は、そのためのものです。F-35Jを二十機搭載する構想です」
「攻撃能力は」
「あります。電磁カタパルトを積み、艦上型のF-35をフル武装で射出します。掩護だけでなく、打撃もこなせます」
「……なるほど」
山田は、短く頷くにとどめた。
次のページをめくると、またも見慣れぬ艦影の護衛艦が描かれていた。今度は空母のようなわかりやすさはなく、巨大な船体にはVLSらしき構造物が過剰なほど搭載されている。
「何だ、この打撃護衛艦、というのは?」
「そちらは既存の水上戦闘艦を支援する巨大な兵器庫艦……所謂"アーセナルシップ"です」
山田は目を見開いた。
その船の名前を小耳に挟んだことはある。地球にてアメリカ海軍が構想した、VLSだけを大量に搭載し、データリンクによって追加の兵器庫として機能する軍艦のことだった。
「VLSを300セル以上も搭載……?」
「流石に過剰ではないのか?」
「いえ、必要です。シエスタル戦役では最初のミサイル攻撃で、護衛艦に搭載されている対艦ミサイルを一気に消費する事態が発生していました。今後の海自は、異世界の海軍相手に数的劣性が予測されています。通常の護衛艦に無理な大型化を施すよりも、いっそVLSだけ積んでその他の機器は積まない安価な船を量産すれば、簡単に火力を増やせます」
「誘爆の可能性は?」
「平時の爆発事故に備えた隔壁を設けます。しかし基本、被弾時のダメコンは諦める想定です。船自体も無人で運用可能にします」
「割り切りすぎじゃないか?」
「必要な割り切りです。この世界に海自の護衛艦を傷つけられる海軍はおそらく存在しないため、このような設計はむしろ合理性があります」
必要だ、という理屈は否定しようがなかった。否定しようのなさこそが、この一か月のすべてだった。
「……わかった。設計を承認する」
山田も流石の割り切り具合に不安を感じていたが、幕僚の言っていることは理屈が通っているため、設計を承認した。
「次は空自。こっちは戦闘機と輸送機の増強だな」
「はい」
空自の幕僚が続けた。
「本土とシエスタル。二つの空域を同時に守る以上、戦闘機の定数増強を求めます。目標は、五百機体制への移行です」
これまでこの国は、約三百機で自国の空を守ってきた。
それがシエスタルまで版図が伸びた今、五百でも足りるか怪しかった。
「問題は、機体の頭数だが、どう揃える」
「そこが争点です。現在、企業の方でアメリカ製のF-35Jのライセンス生産を進めていますが、一部にアメリカ製の部品を使っているため、すぐには生産を拡大できません。供給元がこの世界にいませんからね。そこで、穴埋めとして、より安価な既存機の武装化を模索しております」
「それなら、国産のT-4が望ましい」
別の幕僚が言った。
「T-4の武装化は一度検討されたことがある。エンジンを強化すれば軽攻撃機として運用可能なのは証明済みだ」
「F-15とF-2はどうする」
「F-15は都市防空用として、F-2は攻撃機として現有機数を維持。ただし、機体はすべてこの世界の事情に合わせて近代化改修を施したい。メーカーの承諾を待たず、こちらの都合で弄らせてもらおう」
「どうせ開発元は、この世界にいないからな」
開発元は、この世界にいない。
その一言が、今日この部屋で何度も繰り返された言葉の核だった。
頼れる同盟国も、部品を売ってくれる相手も、頭を下げるべき本家も、もうどこにもいない。この国は、たった一国で、この異界に投げ出されている。
だから、あるものを作り替え、ないものを一から生み、足りぬ頭数はいずれ制度ごと変えて埋めるしかない。
もう誰にも、頼れないのだから。
「……皆、改めて聞いてくれ」
議事が一巡し、山田は、ゆっくりと立ち上がった。
三自衛隊の幹部たちが、姿勢を正した。
「シエスタル戦役の記憶がまだ生々しい。あの戦争で我々は勝った。だが、勝ったことで背負うものはむしろ重くなった。これから先、我々はこれまでの活動範囲をはるかに超えた任務を求められる。楽な仕事は、一つもないだろう」
彼は、一度、言葉を切った。
窓の外に、市ヶ谷の空が広がっていた。異世界の見慣れぬ雲が流れていた。
「だからこそ、我々防衛省は、この厳しい世界で日本が生き残れるように力を尽くさねばならん。今後の自衛隊の姿は、我々が育ってきた頃のそれとはもう違う。おそらく、これからもっと変わっていく。それが正しい道かどうか、私には断言できん」
幹部たちの間に、かすかな緊張が走った。
「だが、これだけは言える。自衛隊の存在は、もはや日本という国の生命そのものだ。我々が倒れれば、この国は餓え、凍え、蹂躙される。だからたとえ、我々がどこかで道を踏み間違えたとしても、日本という国だけは守り抜かねばならん」
彼は、一人ひとりの顔を、順に見た。
「そのことを、胸に深く刻んでおいてくれ。以上だ」
誰も、返事をしなかった。彼らはただ静かに頷いた。
山田は資料を閉じた。
彼の思考の裏には、ある種の危惧があった。
餓えた国を守る盾は、これから際限なく膨れ上がっていくだろう。
その盾が、いつか矛に変わり、この世界の誰かを──名も知らぬ、どこかの人をまた焼く日が来ることを、彼は薄々感じていたのだ。
それでも、盾を捨てることはできない。
それを捨てれば、守るべきこの国が真っ先に餓えて死ぬのだから。
山田は立ち上がると、窓の外の異世界の空を、しばらく黙って見上げていた。




