第十話 逃避行
日本の転移から二ヶ月後
旧シエスタル 南部のとある農村
夜明け前、まだ東の空が朝日に照らされかけ、オレンジ色に染まっている頃。
ある農村に、家財道具を纏めて馬車に積み込み、衣類を背負っている一家がいた。
四人家族のうち、両親は戸棚や皿などを持っていき、子供たちの兄妹は朝早くから起こされ、この行動の意味を知らずに手伝っていた。
彼らは農村の中でも比較的裕福な一家だった。農場を経営し、たくさんの麦を作って生計を立てていた。
だがその麦は、日本人によって徴収されてしまった。蓄えと生計を失った一家は、このシエスタルで暮らすことをやめ、一時的に避難することにしたのだ。
そして、家財道具の積み込みが終わり、子供達が馬車に乗って出発の時を待った。
父親は家の前に立ち、杖を持っていた。彼は家の扉の鍵を閉めようとして、迷った。
「……鍵を掛けるの?」
妻が言った。
財産のほとんどは持ち出したため、鍵を掛ける必要は必ずしもない。だがもしこの家にもう一度帰ってくるなら、鍵はかけておいた方がいい。
「……帰ってくるからな」
夫はそう言って杖を振り、鍵を閉めた。
彼らは馬車に乗り込むと、長い長い旅に出た。
村の近所の人たちや、村長たちには黙って出て行った。やろうとしてることがバレたら家族にとっては困るからだ。
だがそのことを責めたり、小言を言ったりする輩は村にはいなかった。
むしろ彼らの考えを察し、そして自分たちも同じ選択をしようとして、翌日から準備に入る村人が多くいた。
彼らの行く先は、南のハルゲニア王国。彼らがそこを目指した根拠は、隣国であり、同じ魔法文明の国家で、国も豊かなのが大きい。
東に行けばグリバキアという別の国があったが、あそこは治安が悪い上に砂漠国家だ。一家を連れて逃避行するには向いていない。
とはいえ、彼らは初めから、亡命のようなことをしようとしていたのではない。
今年だけ、日本人が居なくなるまで。もしくは向こうのほうが安全、という憶測に基づく理由だけだった。
そして、一家が村を出てから半日ほど。
日は正午を過ぎ、太陽が照りつける。最近、湿気が増えてきたのかジメジメしている。向こうでの夏場の陽気が心配だった。
一家のうち、馬の手綱を握る夫以外は日の当たらない馬車の中で一休みしていた。子供たちは退屈そうに本を読んでいる。妻の方は朝の作業で疲れているのか、一言も喋らなかった。
しばらく馬車は未舗装の道を歩いていた。馬が歩きやすい土が見える伝統的な道だ。
しかし、その途中で道が黒く塗り潰されている地域に差し掛かった。
その黒い道は、既存の道の上に何かを敷き詰めているかのように見えた。現に今も、道の上に湯気が出る謎のドロドロした石を、未舗装の道に敷き詰めている。
作業しているのは、日本人に見えた。
「止まってください!」
日本人のうち、灰色の杖を持った人間族の兵士が一家を制止した。
「ここは工事中です。戻って横の道に逸れてください」
「あの、私たちは、ここを通りたいんです。今日中に南のリムイユに行きたくて……」
「ダメです、この道は使えません。別の道でもリムイユまで行けます」
「…………」
夫は仕方なく、引き返すしかなかった。
その間、妻と子供たちは震えて日本人を睨みつけていた。この子達が日本人を見るのはこれが二度目だったからだ。
しばらくして、今日の目的地であるリムイユの村に着いた時、空はすっかり夜になっていた。
この街には夫の知り合いがいて、彼らが宿を貸してくれる手筈だった。
しかし予定より数時間遅れての到着だったので、村の知り合いは心配して駆けつけてくれた。一家が日本人の襲撃に遭ったのではないかと思ったのだという。
知り合いは馬車を停める場所と、今日の食事を用意してくれた。寝る場所も貸すと言っていたが、流石に遠慮した。
寝る前、村の重役と話す機会があった。彼に途中で日本人が道に何かを敷き詰めていた事を話すと、重役は呆れたようにこう言った。
「……奴ら、油を掘ってるんだ。それを沢山運ぶのに、整備された道が必要なんだと」
夫は「油?」と聞き返した。
「地面から油が出てくるところに馬鹿でかい建物建てて、それを取ってやがるんだ。地下水を汲み上げるみたいな感覚でな」
「油なんて何に使うんです?」
「奴らはラドゥや帝政カムイと同じ、魔法が使えない機械文明だそうだ。その機械を動かすのに油が必要なんだと」
重役は日本人を「気味の悪い連中」だと表現した。そして怒りと呆れが入り混じったような言葉遣いで、こう言った。
「奴ら、本当に魔法を見たことないのか、杖を見て武器だと言って降ろせと言いやがった。うちの村は裕福だから食料を徴収されても何とかなりそうだが、奴らには本当に迷惑してるよ……」
その言葉を最後に、二人の間には沈黙が流れた。
夫は、改めてこの国が日本との戦争に負け、彼らによって占領されているという事実を認識した。
そしてなおさら、この国では暮らしていけないと思った。
数日後
シエスタル=ハルゲニア間国境地帯
一家が村を出てから数日、彼らはようやく国境線に辿り着いた。
馬車に揺られて長い間疲れたままだった一家に、両国の国境線の象徴である小高い丘が見えた事で安堵が見られた。
この数日間、恐怖を感じる場面もあった。途中で日本人の検問や車列と出会した時は、殺されるんじゃないかと思って恐ろしかった。
だがその時は見逃され、こうして一家は無事にハルゲニアの国境を越えることができた。
しかし、その丘を越え、眼下に広がる国境のルブリム高原を見下ろした時、一家は戦慄した。
「なんだ、あれ……?」
夫は馬車を停め、固まった。
眼下には、ルブリム高原に伸びる長大な道に沿って、無数のテントが見られた。
テントは各々が寝具などの布を使って建てられた足跡のものばかりで、骨組みも安定しているようには見えない。
だがそれらのテントの列は、ルブリム高原の街の城壁付近まで迫っていた。まるで街に入れず、仕方なく集団でキャンプをしているかのような有様だった。
この時、一家が見たのは難民キャンプの広大なテントの集合体だった。
一家と同じく生まれ育った村を捨てる決断をした人々が、同じ魔法文明のハルゲニアの国境線を越えていたのだ。
しかし難民がある一定の数を超えた時、街の治安悪化を恐れた各地の領主は、難民を街に入れる事を拒んだ。
その結果、あぶれた難民たちは町の外にテントを張り、そこで寝泊まりして雨風を凌ぐほか、選択肢がなかった。
この一家も、ようやく国境線に辿り着いた先に待っていた先に待っていたのは、長い長い難民キャンプでの困窮した生活だった。
日本が転移してから二ヶ月
ハルゲニア王国 王都マルグリース
ハルゲニアの王都は、海に面した茶色の煉瓦が特徴的な港町でもある。
街を二つに分け隔てるグリース川の下流に存在し、その中洲に聳え立つのが国王の居城マルグリース城だ。
そのマルグリース城の敷地にはいくつか役割に応じた建物があり、その一角に城と同じ規模の装飾を施された迎賓館があった。
ここは主に外交の場面で使用される、外国の特使を招いて交渉や会談、その他パーティを行うための場所である。
普段なら煌びやかな装飾と音楽団による優雅な音楽が楽しめる場所であるはずだ。だが今は、そのどちらも霞むレベルのピリついた雰囲気が迎賓館の一室に流れていた。
「……日本国の方々、貴国との国交樹立については、我が国の方で滞りなく行えるだろう。多少不可解な点はあれど、貴国がこの世界に存在するのは事実だと認める」
ハルゲニア王国において外交を一任される第一王女のセシリア・コルネットは、対面の日本人達に対する不信感を胸の奥に仕舞い込んでいた。
そして、当たり障りのない言葉で国交樹立の会合を進める。
彼女らハルゲニアの外交官たちの対面には、黒い上質なパリッとした布地を羽織った、顔立ちの浅い人間族が座っていた。
彼らが、今回ハルゲニアに国交樹立を求めて挨拶に来たという日本人たちだ。
ハルゲニアでも、彼らの噂は持ちきりだった。
隣国だったシエスタルを、わずか十日ほどで滅ぼしたという謎の国。しかもその国土は、今まで存在しなかった場所に突如として現れたのだという。
シエスタルに関しては、一部宮廷貴族が科学文明相手に起こした暴走が要因だと知られているため、ハルゲニアにとっては関係ない。
しかしそのシエスタルを問答無用で滅ぼし、大公を傀儡にしているその様は、隣国のハルゲニアからしても注意しておかなければならない仮想敵だった。
「しかし、我が国と友好的な国交樹立を求めるならば、貴国には難民の件についても責任ある対応をしていただきたい」
だからこそ、国境線で起きていることはこの国に対して注意しなければならない要項であった。
「貴国のシエスタルに対する占領政策によって、我が国へ大量の難民が発生している。国王陛下は彼らへの一時的な援助を行なっているが、難民の数は数万人にも及ぶため、長くは続けられない」
セシリアが語ったのは、今ハルゲニアのシエスタルとの国境線で起きている難民問題だった。
彼らは日本人による占領政策が始まってから、こちらに一時的に避難してこようとした人々である。
しかし、その数は膨大すぎた。
街の治安悪化を恐れた各地の領主は、難民を街に入れる事を拒み、その結果、あぶれた難民たちが難民キャンプで生活している。
この事を言及したのは、この問題の解決を条件にするのではなく、あくまで小言だ。
彼ら日本人がシエスタルに対してどのような仕打ちをしているのか、その自覚はあるのかと発破を掛ける内容だった。
ただ対面の日本人の代表を務める若い男──名をナカムラ──は、特に否定するでもなく、淡々とこう言った。
「存じております。彼らの流出はこちらも把握していることです」
これにはセシリアも、肯定を返されるとは思っていなかったので、反応が少し遅れた。
「……なら、難民の件を放置するのは道理として正しくない。元はと言えば貴国の責任です」
「責任、と申されましても……我が国にとっては現状、何も出来ないのです」
「(なんだと?)」
すかさず反論を行うが、ナカムラの反応は薄味だった。それどころか、まるで難民の事など知らぬ存ぜぬ、と言った態度である。
これにはセシリアを含め、ガリアス側の代表団の数名は顔を引き攣らせた。
当然だ。流入している難民により、ハルゲニアの国境地帯は治安も衛生環境も悪化している。
明らかにハルゲニア側に実害があり、その原因は日本だ。思わず鋭い言葉が出るのを抑え、セシリアはすぐに反論する。
「ハルゲニアとしても、難民が戻るように勧告を出すなり、職業斡旋等を行ったりしているのですが。対応を我々に丸投げし、貴国は何もしないと?」
「それでも出て行くと言われれば、我が国としては放置するしかありません」
「そ、その放置のせいで、我が国の国境付近では多数の難民キャンプが存在し、問題になっているのだぞ!」
彼らの態度に耐えきれず、代表団の一人が声を荒げ、机を叩いた。
するとこれには、日本側の護衛官が即座に身構え反応した。素早い身構えで腰の武器と思しき物体に手を伸ばす。
セシリアは場を治めるため、彼の袖を掴み彼を席に戻した。そして日本側が「安全のため」と称して無理やり通したこの護衛官をジッと睨みつける。
「……失礼。部下が取り乱しました」
セシリアは事が荒れるのを避けるため、謝罪をした。ここで日本側を不敬罪で追い払えば、シエスタルの二の舞になる可能性があるからだ。
ナカムラたちはさほど気にせず、護衛官に対して武器を下げるように伝え、その場は収まった。
「……責任を、とは申しますが、我が国は民主主義国家です。個人が帰国したくないと言われれば、政府の裁量ではどうする事も出来ません」
ナカムラは続ける。
「それに、我が国はシエスタル国民の弾圧と言う野蛮な行為は決してしておりません。出来る限り彼らに新しい仕事も与えています」
「…………」
「そして何より我が国が戦勝国。なにぶん、敗戦国の市民に温情を与えているとは思いませんか?」
と、ナカムラは言っているが、それが果たしてどこまでが本当なのかわからない。あとで調べれば分かる事だ。
とはいえ日本側は挨拶に来ただけなのに、場の空気は最悪であった。両国の間に会う前から不信感があるのは、これで誰でも分かる通りだ。
だが難民問題の言及は、国王陛下が憂慮していた必須事項だ。ハルゲニアとしても言及しないわけにはいかない。
セシリアも、負けじと平静を保ったままなんとか言い返す。
「しかし、実際には我がハルゲニアへ大量の難民が発生している。これは我が国への実害なのだ。貴国の責任ではないにしろ──」
「存じておりますが、シエスタルから離れて国境を越えた時点で、我が国の関与できる問題ではありません。申し訳ありませんが、それは貴国の国内問題です」
「しかし──」
「疑問なのですが、何故貴国はこの場での解決を求めるのですか?」
責任の所在をはぐらかし続ける日本側に対し、セシリアは負けじと食らいつく。
しかしついにナカムラは、声のトーンを落とした。
「我が国と貴国との交渉は今日が初めてです。今後この問題は時間を掛けて話し合えば良いのではないですか? この会談は国交樹立のための会談ではなかったのですか?」
「……………」
そう言って彼らは、この議論が今は無意味であるとして一方的に打ち切ってきた。
セシリアは当初の会談の目的を思い出し、奥歯を噛み締め、口から出かけた非難の言葉を飲み込んだ。
──これは、長い遺恨になるな……
セシリアは日本人という存在の狡猾さと外交の上手さに、改めてハルゲニアに新たな強敵が出てきた事を認識するのだった。
こうなれば、外交関係どころか国交樹立すらも考え直すべきかもしれない。セシリアは薄々、そう考えていた。




