第五話 炎の中のサクローヌ1
120mmの戦車砲が、砲列を組んで絶え間なく城壁に向かって砲撃を続けていた。
砲撃が着弾すると、城壁の人影が怯んだのが見えた。
その周囲では魔法を使って修復を試みているのか、僅かな光が見え隠れしている。
しかしまた砲撃が着弾すると、蜘蛛の巣を散らすように退避した。
爆風に巻き込まれ、小さな人影が吹き飛んだのを目で見た隊員もいる。
現在自衛隊は、このサクローヌという、シエスタル魔法公国の首都を二個師団で包囲している。
上空には陸上自衛隊の攻撃ヘリコプターが巡回し、城壁の魔導師たちを見張っている。
正午から攻撃を開始しているが、敵は降伏する気配なし。そして城壁は意外と頑丈なのか崩れる気配がなかった。
第7師団師団長の山城祐正としては、市街戦は出来れば避けたい想いだった。
昭和の生まれで長年自衛官としてキャリアを積み、日本の様々な変化も同様に見てきた山城だが、まさか自分がこのような市街地の包囲に従事する事になるとは想像していなかった。
山城は前線指揮所となっている19式装軌装甲車のハッチから身を乗り出し、双眼鏡で絶え間ない砲撃の様子を見守っていた。
現在、西門側へ10式戦車の三個中隊が交代で城門に砲撃を続け、圧力を掛けている。
敵の配置や行動に変化があれば、すぐに戦車隊に通報できるよう山城は注意を払っていた。
だが肝心の魔法とやらはこちらに届かないのか、撃ち返してくる気配はない。敵の組織的抵抗も風前の灯に見えた。
集中力が切れ始め、双眼鏡から手を離す。
「敵さん、さっさと降伏してくれれば、楽なんですがね」
ふと、装甲車の車内の方からそんな声がした。
下の方を見ると、師団幕僚の太田健一がいた。車内の指揮所に広げられた地図を見て、不満そうに頬杖を付いている。
「敵さんはそうもいかんのだろう。我々が同じ立場ならそうするさ」
「……それは分かっています。しかし、こちらとしては難儀なものです。早く降伏してもらって食料や資源を確保しなければならないんですから」
「だとすると、目の前の必死な敵さんは生存の障害かな」
「そうですね。そうなります」
山城はさも当然のようにそう返され、困惑する。皮肉のつもりで言ったのだが、どうやらこの目の前の若者には伝わらなかったようだ。
まあ、そう思う人種がいるのも無理はない。今では日本の誰もが復讐や生存を大義名分に掲げている。
山城としても太田の考えにケチをつけるつもりはなかった。
「ドローンによる偵察はどうだ?」
「今のところ、敵軍が博打を打って出るような気配はありません。住民も脱出できないようです」
「敵の増援は?」
「各偵察中隊が周辺の街道を見張っていますが、今のところその兆候はないそうです」
「だろうな」
「どうします。突入しますか?」
太田の考えていることは分かっていた。
町を包囲しているおかげで、敵戦力が脱出する気配はない。しかしそれ故死兵と化しているのか、降伏する気配もない。
この戦闘を終わらせるには、街への突入も視野に入れなければならない。
現在、自衛隊は海岸線に上陸してから十日かけ、海岸から88km離れたこの首都にようやく辿り着いた。
進軍速度はもっと早くできたが、それは叶わなかった。海岸からの補給と部隊の燃料が問題になったからだ。
補給は届いているが、いささか貧弱に思えた。
一部の部隊では補給トラックが騎兵の襲撃に遭ったらしい。
時間をかければこのような問題は多発していくだろう。
それはいずれ、結果を待つ本国にも波及していく。
「(空自の支援が見込めない中での戦闘は避けたいが……)」
軍事的に見ても、空自の支援が航続距離の問題から見込めない中で突入を行わなければならないのが手痛い。
現在、シエスタル側には航空自衛隊が活動可能な基地が存在しない。
本土から一番近い千歳基地ですら、サクローヌとの距離がギリギリであることを考えると、空自の支援は他の部隊に引っ張られるか、届いても間に合わないかであった。
「仕方あるまい、か」
だが山城は、そのすべてのリスクを覚悟した。
本音を言えば気が引ける。突入はこの場合、最も民間人へのダメージが大きい選択肢だからだ。
だが今の彼にも、ましてや日本にも、別の選択を取る余裕はなかった。
他国に報復することを選んだ時点で、道は塞がっている。
時間が敵の味方なら、カタを付けるしかない。
「……全指揮官を集めろ。突入の段取りを決める」
白亜の都、サクローヌの中心部に聳え立つ王城ソリエスの評定の間にも、遠い砲声が絶え間なく響いていた。
ここは五百年の栄華を刻んだ大理石の広間だった。円柱には金の蔦が巻かれ、高い天窓からは、いつもなら澄んだ朝の光が差し込むはずだった。
だが今朝、天窓の外は黒い煙にくすんでいた。歴代大公の肖像が、色褪せた威厳をまとって円卓を見下ろしている。
その円卓を、いま囲んでいるのは、疲れ果てた顔ばかりだった。魔導騎士団の団長たち。宮廷の高官。
そして、玉座に沈み込むように座るのは、大公レオポルト三世。
窓の外では、西の空が黒煙に汚れ、時おり城全体が、地の底から突き上げるように震えた。第七師団の砲撃が、城壁を削っている音だった。
震えるたびに、天井から細かな石の粉が舞い落ち、円卓の上に、うっすらと灰色の膜を張っていく。
五百年、揺らいだことのない城だった。その城が、今朝は、生き物のように怯えていた。
「戦うのだ! 何を弱気になっている!」
円卓を叩いて立ち上がったのは、宰相ゴットハルトだった。
脂ぎった頬を紅潮させ、唾を飛ばして喚く。仕立てのよい絹の礼服は、この期に及んでなお皺ひとつなく、指には宝石の指輪がいくつも光っていた。
城壁で兵が死んでいく間も、この男だけは、汗ひとつかいていなかった。
「我らはシエスタル! 五百年、魔法をもって大陸に君臨してきた誇りある公国だ! 杖も持たぬ蛮族どもに、膝を屈するというのか! 全市民を武装させろ! 老人も、女も、子供もだ! 一人残らず城壁へ送り出せ! 徹底抗戦あるのみ!」
誰も、応じなかった。
沈黙が、宰相の声よりも重く、広間に垂れ込めた。砲声だけが規則正しく、死の秒針のように鳴り続けた。
その沈黙を破ったのは、魔導騎士団長アルブレヒト・フォン・ザイフェルトだった。白髪を短く刈った、六十を越えた老騎士。四十年、この国の剣であり続けた男。
彼の甲冑は、ここ数日の戦いで煤け、へこみ、乾いた血の痕が幾筋も残っていた。
片方の籠手は、破れたまま革紐で縛り直してある。彼は立ち上がりもせず、ただ、疲れた目を宰相へ向けた。
「宰相閣下。徹底抗戦の先に、何がありますか」
低い、静かな声だった。怒鳴るゴットハルトの声より、はるかによく通った。
「フェルデン平原で、我が公国軍の主力は、半日で消えました。三万の兵と、二百の騎士と、百人の老魔導師が。半日で、です。老魔導師の結界も、騎士の突撃も、攻撃魔法も、彼らの『鉄の獣』の前には、木の葉同然でした。生涯を賭して魔法を磨いた者たちが、鋼の板一枚を、割ることすら、できなかったのです」
「魔力が足りぬのだ! それが足りぬのなら──」
「魔力や数の話ではありませぬ」
アルブレヒトの声が、初めて、わずかに尖った。
「閣下は、フェルデン平原で死んだ者たちを、ご覧になりましたか? 学院から動員された、まだ杖の握り方も覚束ぬ娘たちが、治癒の初歩を習っているような子供らが、詠唱を終える間もなく、遠くから撃ち殺されておりました」
「くっ……!」
「あれは、戦ではない。狩りでもない。ただの、駆除だった。私は、あの動員に……子供を戦場へ出すなど反対でした。だが、宰相府は聞き入れませんでしたな。『魔法師は一人が千の兵に値する』と、耳あたりのよいことを言って」
広間の空気が、ひりついた。アルブレヒトは、拳を握りしめていた。
「そして今、閣下は、都に残った女子供まで、同じ畑へ送れと仰る。それは抗戦ではない。屠殺の続きにすぎませぬ」
ゴットハルトが、口をつぐんだ。反論の言葉を探して、脂ぎった顔が、みっともなく歪んだ。
円卓の反対側から、若い声が上がった。騎士団副長のディートリヒだった。
三十半ばの、血気盛んな男だ。数日前まで、彼は誰よりも抗戦を叫んでいた。だが今、その声には、力がなかった。
「……団長の仰る通りです。西面の城壁は、すでに三箇所破られました。街道を伝ってあらゆる方向から奴らが迫っている」
「…………」
「市民を武装させたところで、あれは光と鋼の嵐です。槍で嵐に立ち向かえと? 民は、城壁にたどり着く前に砕けます。私は……この数日で、それを嫌というほど見ました」
ディートリヒの拳が、円卓の上で震えていた。
抗戦を叫んでいた男の目に、もう、勝利の色はなかった。あるのは、部下を死なせ続けた者の、暗い疲れだけだった。
評定の間が、静まりかえった。砲声だけが、鳴り続けた。
そのとき、玉座から、掠れた声がした。
大公レオポルトだった。老いた君主は、これまでずっと、玉座に沈み込んだまま、一言も発していなかった。
落ち窪んだ目を、いま、彼はゆっくりと宰相へ向けた。
「……ゴットハルト。ひとつ、確かめたいことがある」
その声は細く、しかし、部屋の隅々まで、奇妙なほど、はっきりと届いた。
「この戦の、そもそもの発端だ。ニホンとやらが、なぜ、我らに牙を剥いた。一ヶ月前、東の湿地の向こうに、国ごと現れた異邦の民とやらだが、使節が来て、話がこじれ、開戦に至ったのは何故だ? 余は、その詳しい経緯を聞いておらぬのだが──」
大公は、傍らの侍従から、一枚の羊皮紙を受け取った。手が、震えていた。
「此度、城壁の外で捕らえた怪しい伝令が、これを持っておった。ニホン人の言葉を、宮廷魔導師が訳したものだ。こう書いてある。『貴国は、和平を求めて訪れた我らの使節を蛮族と嘲り、臣従を強要し、これを拒んだ我が国の外務大臣を、衆人の前で焼き殺した。この暴挙こそ、戦端の因である』と」
大公は、羊皮紙を円卓に置いた。
「余は、そのような処刑を、命じた覚えがない。使者を焼けなどと、命じた覚えがないのだ。ゴットハルト。ニホンの使節の応対は、そなたに一任した。あのとき、何があった。正直に申せ」
宰相ゴットハルトの顔から、血の気が、みるみる引いていった。
彼は、しばらく口をぱくぱくと動かしていた。言い逃れの言葉を探すように。
だが、四方から向けられた騎士たちの視線が、逃げ道を塞いでいた。追い詰められた宰相は、やがて、開き直ったように、吐き捨てた。
「……蛮族が、対等の口を利いたのです」
「なに」
「地から湧いたか、空から降ったか、素性も知れぬ。魔法ひとつ使えぬ、劣った国が! それが、この大シエスタルと、対等の通商を求めてきた。友好を、共存を、などと片腹痛い。ですから、序列を教えてやったまで! 臣従を求め、拒んだ大臣を焼いた。当然の処置です! 誰が、家畜に、膝を屈しますか! 私は、公国の誇りを守ったのだ!」
広間が、凍りついた。
誰も、言葉を発しなかった。震える城の、石の粉の舞う静寂の中で、ただ、遠い砲声だけが、その傲慢な告白への答えのように、鳴り続けた。
大公は、目を閉じた。それから、深く、長い息を吐いた。
その一つの人種差別に基づく独断が、たった一人の、腐敗した宰相の傲慢が、公国に何万の屍を積み上げた。
フェルデンの少女たちを、城壁の兵たちを。
そして今、白亜の都そのものを、焼こうとしている。舐めてかかった相手は、家畜ではなかった。
舐めた者を、国土ごと灰にする、災厄だった。
ニホンという、災厄だった。
「衛兵!」
大公の声は、氷のようだった。老いてなお、それは君主の声だった。
「こやつを捕らえよ。地下牢へ繋げ。二度と、日の下を歩ませるな。この者の裁きは、戦が終わってのちに、必ず行う。それまで、生かしておけ。己の招いたものを、その目で、最後まで見せるためにな」
「な、何を──お待ちを! 陛下! 私は、公国のために……! 誇りを守っただけです! 放せ! 放さぬか、下郎ども!」
喚き散らすゴットハルトが、衛兵に両脇を抱えられ、引きずられて広間を出ていく。
宝石の指輪が床に転がり、乾いた音を立てた。その醜い叫びが回廊の彼方へ消えても、砲声だけは、少しも止まなかった。
裁きは、遅すぎた。あまりに、遅すぎた。




