第四話 真相
その夜、前線の指揮所で、遠野は幕僚の一人を捕まえた。
二尉の若い幹部だが、遠野とは訓練校の期が近く、気安い相手だった。
天幕の隅で、遠野は缶コーヒーを片手に、ずっと腹に溜めていたものを吐き出した。
「なあ。俺たちは、何をやってるんだ。あんな……杖持った子供相手に、戦車で。これは戦争なのか? それとも──」
虐殺か、とは言えなかった。
二尉は、しばらく黙って地図を睨んでいた。それから、低い声で言った。
「順序が逆なんだよ、遠野。仕掛けてきたのは、向こうだろ?」
二尉が語ったのは、遠野も知っている話だ。
一ヶ月前、国土ごとこの異界へ転移した日本は、真っ先に周辺国との接触を試みた。
最も近く、最も文明的に見えたのが、このシエスタル魔法公国だった。日本は使節団を送った。友好と、通商と、共存を求めて。
その時は武力ではなく、対話を選んだ。
「──だが、公国が寄越したのは、汚職まみれの宰相だった。ゴットハルトとかいう、宮廷の腐れ貴族だ。そいつは、うちの使節を『杖も持たぬ蛮族』と呼んだ。魔法の使えない国など、家畜と同じだと。そのうえで、要求してきた」
服従をな、と二尉は言った。
貢納と、領土の割譲と、臣従の誓いを。
魔法という力を持たぬ劣等な国は、公国の庇護下に入るのが当然だと。断るなら、どうなるか分かっているのか、と。
「うちの外務大臣は、突っぱねた。当然だ。すると公国は……見せしめに、大臣を捕らえて処刑した。使節団の目の前で、公開でだ。魔法で、生きたまま焼いた。『家畜に、序列を教えてやった』と言ってな」
遠野は、缶を握りつぶしそうになった。
外務大臣の公開処刑。確かにその時の記憶は新しい。
その報は、日本中を激震させたという。
国土ごと異界に放り込まれ、不安と混乱のただ中にあった国民の怒りに、火が点いたのだ。
舐められた。国の重鎮を殺された。対話の手を差し伸べた相手に。
世論は一夜にして、報復へと傾いた。
「だから、これは報復なんだ」
と二尉は言った。
「向こうが先に、殺した。それも一番卑劣なやり方で。俺たちは、やられたからやり返してる。……そう考えれば、少しは眠れるだろう」
遠野は、その理屈にすがりたかった。すがりたかった、が。
「──ただな。話は、それだけじゃない」
二尉はそこで一度言葉を切ったが、声を落とし、さらに言葉を続けた。聞かなければよかった、と後で思うことを。
「お前、本国の食料事情、知ってるか。国土ごと転移して、貿易相手が全部消えた。食料自給率、四割を切ってた国だぞ。備蓄は食い潰す一方だ。このままなら、来年の今頃、都市部から餓える。政府は、とっくにそれを分かってる」
天幕の外で、夜風が旗を鳴らす。遠野の背に、冷たいものが走った。
「今度の戦、命令書の建前は『報復』と『自衛』だ。だが、実際に部隊が向かってる先を見てみろ。公国の穀倉地帯だ。備蓄庫だ。鉱山や砂漠だ。つまり報復のついでに、俺たちは、この世界の飯と資源を、奪いに来てるんだよ。生き延びるために。あの子供らが守ってた畑を、根こそぎ、な」
遠野は、何も言えなかった。
報復。それは正しいのかもしれない。先に手を出したのは、確かに向こうだ。
腐った貴族が、対話を蹴り、大臣を焼いた。その罪は、公国が負うべきものだ。
だが、その怒りの旗の下で、飢えた国が、他国の食料を奪おうとしている。
正義の顔をして。
あの少女が──胸に護符を握りしめて震えていた、あの少女が守ろうとしていたのは、宮廷の腐敗貴族ではない。
ただの、麦畑だったのではないか。
彼女は、ゴットハルトとかいう男の名すら、知らなかったのではないか。
被害者は、確かに日本だった。舐められ、殺され、報復に立ち上がった。
だが、その報復の砲口の先で消えていったのは、罪を犯した者たちではなく、ただ暮らしていただけの、名も知らぬ少女たちだった。
どちらも、真実だった。そのどちらか一方だけを選んで信じられたら、どんなに楽だっただろう。
遠野は、天幕を出た。
夜空を、見上げた。見慣れぬ位置に、見慣れぬ星が瞬いている。
もう、故郷の空ではない。落ちてしまったのだ。国ごと、この世界へ。
そして、生き延びるために、この世界を喰らい始めている。まつろわぬ者は焼かれ、まつろう前に喰われる。
そういう国に、自分たちはなってしまった。
あるいは、ずっとそうだったのかもしれない。ただ、それを剥き出しにする場所が、なかっただけで。
どこか遠くで、夜の鳥が鳴いた。
それは、あの納屋の少女が最後に聞きたがっていた、朝の鐘には、少しも似ていなかった。
進軍は、止まらなかった。
あの納屋の夜から、五日。遠野たち第25普通科連隊は、公国の奥深くへと突き進んでいた。
行く先々の村は、もぬけの殻だった。竈にはまだ温もりの残る家もあった。逃げたのだ。鉄の獣の噂は、砲声よりも速く駆けたらしい。
魔法で耕された豊かな畑が、収穫を待つ穀物が、無人のまま、次々と日本軍の後方に呑み込まれていった。
奪う、というより、ただ、通った跡がすべて日本のものになっていく。そういう進み方だった。
上陸十日目の朝、部隊は丘陵の稜線に出た。
眼下に、都があった。
シエスタル魔法公国の首都サクローヌ。
白い城壁がぐるりと街を囲み、その内側に、数えきれないほどの尖塔がひしめいている。
中央には、天を突くような大聖堂と、大公の居城。石畳の街路が蜘蛛の巣のように広がり、朝の光を受けて、街全体が淡く輝いていた。
あの少女が育った学び舎も、きっとあんなふうだったのだろう、と遠野はふと思った。魔法が、暮らしそのものだという街。
だが、その美しい都の一角から、黒い煙が幾筋も立ち上っていた。
「──もう、始まってるな」
隣の隊員が呟いた。
西からすでに進出していた第七師団が、昨夜のうちに首都西面への攻撃を開始したのだという。
北の大地で鍛えられた、日本で唯一の機甲師団。その戦車の群れが、公国最後の防衛線を食い破り、城壁に取り付いている。
遠くから、絶え間ない砲声が、腹に響いてくる。城壁の一角が、すでに崩れて黒く焦げているのが、双眼鏡越しに見えた。
都の空に、無数の光が瞬いている。あれは、守り手の魔法に見えた。
学院で結界を習った者たちが、城壁の上で、最後の術を紡いでいるのだろう。あの少女の、友達だったかもしれない誰かが。
その光は、けれど、届いていなかった。あの日、フェルデン平原でそうだったように。
中隊長が、幹部たちを呼び集めた。無線が、方面隊司令部からの命令を告げていた。
しばらくして、分隊長が戻ってきた。表情のない顔で、遠野たちに告げた。
「命令が下った。俺たちの連隊も、首都攻撃に加わる。第七師団の南、正門方面から。日没までに、攻撃発起点に展開するぞ」
誰も、声を上げなかった。
ただ、装備を点検する乾いた音だけが、稜線に響いた。
慣れた手つきで弾倉を確かめながら、遠野は、眼下の都を見下ろしていた。
あの城壁の内側に、ゴットハルトがいるのかもしれない。
使節を蛮族と呼び、大臣を焼いた腐れ貴族。臣従を要求した、腐った宮廷。
その他たくさんの罪を犯した者たちがいるかもしれない。報復の刃を突き立てるべき相手が。
だが、同じ城壁の内側には、何十万という人間がいる。
パンを膨らませ、水を撒き、子供に読み書きを教えて暮らしてきた、名も知らぬ人々が。
腐れ貴族の名すら知らずに生きてきた人々が。そして、城壁の上で光を紡いでいる、あの少女と同じ外套の子供たちが。
あの子と同じ目を、あと何百、あと何千、見ることになるのだろう。
「遠野」
分隊長が、低く言った。
「余計なことは考えるな。考えて、手が止まるほうが、お前を殺す」
遠野は、頷いた。頷くしかなかった。彼は軍人で、ここには命令があった。
腹で受け入れられないものを、頭で呑み込むのが、この数週間で覚えた唯一の技術だった。
安全装置を確かめる指が、ほんの少しだけ、震えた。それに気づかないふりをして、彼は弾倉を叩き込んだ。
日が傾く。都の空の光が、一つ、また一つと、消えていく。守り手が、力尽きていくのだ。
攻撃発起の時刻が、近づいていた。
遠野稜は、稜線に立ち、白い都を見下ろしていた。もう、引き返せる場所には、いなかった。国ごと、とうにこの世界へ落ちてしまったように。
どこかで、鐘が鳴った気がした。
あの少女が、最後に聞きたがっていた、朝の鐘。灯りをともすための、優しい音。
だが、それは空耳だった。
聞こえてきたのは、首都に降りそそぐ、遠い砲声ばかりだった。




