第二十八話 退路
自衛隊の越境から十二時間後
ハルゲニア軍
兵卒のローデは、崩れゆく戦線の中で、必死に部下をまとめていた。
まだ二十歳を少し過ぎたばかりの、若い指揮官だった。
前線の駐屯地にて騎士団長を任され、意気込んで着任した。その数ヶ月後に、この戦争が始まった。
そして始まったと思ったら、もう負けていた。空から爆弾が降り、地平線の彼方から見えない槍が飛んできて、杖で魔法を練る間も無く大損害を被り。
そして最前線からはすでに敵部隊が突破を行い退路が絶たれつつあると情報を得たため、彼らは駐屯地からの撤退を余儀なくされた。
「騎士団長! 物資は持っていけません! 今すぐ引き上げましょう!」
「わかっている!」
ローデは、叫び返した。
「だが村の連中をこのまま置いていけるか!」
彼らの部隊のすぐ後ろには、近隣の村から逃げてきた住民たちがいた。
老人や子供が多く、日本軍が来るという報せに家財をまとめて逃げ出してきた者たちだった。
彼らは軍にすがるしかなかった。ハルゲニア軍の騎士団がいれば守ってもらえる。部隊が退く道なら安全なはずだ。そう信じて。
そしてローデも、その信頼に応えたかった。だから彼は部下だけでなく、この非武装の村人たちも連れて行くことにした。
「南だ! 南の街道を抜け、後方の防衛線まで退く! 村人たちを守りながらだ! 急げ!」
敗走の、列が、動き出した。
ローブをまとった魔導士の間に、守られるように進む村人たち。
子を負ぶった母親、杖をつく老人、荷を引きずる若者。
かつてシエスタルからハルゲニアへ逃げてきた難民の列と、同じ光景が繰り返されていた。追い立てられ、故郷を捨てて安全な場所へ急ぐ人の列。
街道はなだらかな丘のあいだを抜けていた。
遮るものが街道沿いの木々しかない。開けすぎている。ローデはそれが少し気になった。
空から狙われれば一溜りもないだろう。しかし他に道はなかった。
列の中ほどに、一組の母子がいた。
母親はまだ若く、腕に乳飲み子を抱き、もう一方の手で五つか六つほどの少女の手を引いていた。
少女は疲れているのか、半分眠りながら足を動かしていた。
「騎士団長さま」
母親がすがるようにローデに声をかけた。
「今から向かうところは安全なのですよね……この子たちを連れていけば。……この子、まだ五つなんです。何も悪いことはしてないんです」
ローデは答えに詰まった。
安全な場所など、この戦場に果たしてあるのか。彼にはわからなかった。
各地の堅固な城塞ですら、一夜で消えたと聞いた。後ろの防衛線とて、いつまで保つか。
だがこの母親の目を見て、わからないとは言えなかった。
「……ああ」
ローデは頷いた。乾いた口で。
「守る。俺たちがいる限り。あんたたちは俺たちが守る。だから離れるな。俺の隊からはな」
「はい。ありがとうございます。ありがとう……」
母親は何度も頭を下げた。
少女が寝ぼけまなこでローデを見上げ、こくりと小さく頭を下げた。
その仕草が、ローデの胸を締めつけた。
守る。守ってみせる。彼は自分にそう言い聞かせた。
だがその言葉が、どれほど無力だったかを、彼はじきに思い知ることになる。
そんな最中、列のあちこちで見えない槍によって負傷した部下達が呻いていた。
担架は足りず、肩を貸し合って歩いていた。
遅れれば置いていかれる。置いていかれれば日本軍に追いつかれる。
誰もがそれを知っていた。だから皆必死だった。
しかし、街道に足を踏み入れてしばらく。
先頭を進んでいた一体のゴーレムで、突然爆発音がした。足元から噴き上がる炎によりゴーレムは片脚を砕かれ、崩れ落ちる。
「な……なんだ!?」
誰も何が起きたかわからなかった。
敵はいない。空にも地平にも。魔法の光もなかった。
ただゴーレムが地面を踏んだ、その瞬間である。地から爆発がした。
「罠だ!」
年配の下士官が青ざめて叫んだ。
「地面に何か埋まってる! 踏むと爆発するぞ! 気をつけ──」
その警告の途中で、今度は街道を駆けようとした一頭の魔獣が、何かを踏んで宙に舞った。
続いて避けようと脇へ逸れた魔導師の方でも、同じような爆発が起きる。
彼らが退路として選んだその街道は、一面に見えない死が蒔かれていた。
「動くな! 動くな! むやみに進むな!」
ローデは絶叫した。
だがパニックは止まらなかった。
後ろから来る者は、前が詰まっているのがわからず押してくる。
押された者は街道の脇へ逸れる。
逸れたその足がまた地雷を踏んだ。
爆発が恐慌を呼び、恐慌が人を走らせ、走った足がまた爆発を呼ぶ。
悪循環だった。
止めようがなかった。
ローデがいくら叫んでも、恐怖に駆られた足は勝手に動いた。
そして動いた先に、死が埋まっていた。
魔獣やゴーレムが破壊される。
荷を引いていた若者が崩れ落ちる。
街道はみるみる屍で埋まっていった。
血の匂いと悲鳴と爆煙。ローデの騎士団は退路の上で、退路そのものに殺されていた。
その被害は兵だけではなかった。
さきほどのあの母子も、恐慌の中で押し寄せる人波に揉まれ、繋いだ手が離れた。
ほんの一瞬。母親の指のあいだから少女の小さな手がすり抜けた。
「だめ! 動かないで! そこにいて!」
母親が、叫んだ。
だが少女は、母を見失い悲鳴の方向へ後ずさった。
その小さな足が、街道の脇の草むらを踏んだ。
そして、乾いた破裂音がした。
「いやぁぁぁぁぁ‼︎」
母親の絶叫が、あらゆる爆発の音を貫いて響いた。
ローデは目をそむけた。そむけるしかなかった。守ると彼は言ったのに、守れるものなどこの退路には最初から一つもなかった。
「なぜだ……」
彼は呻いた。
「なぜこんなものが。誰がいつこんなものを! 街道に……敵はまだ来ていないのに!」
彼にはわからなかった。
この見えない死が、空から蒔かれたものだということが。
同時刻
第十二師団
地雷原と化した街道で、ハルゲニアの敗走部隊が恐慌に陥っていた。
彼らは団子のように密集し、身動きが取れなくなっている。その瞬間を、第十二師団は待っていた。
彼らはすでに、ヘリコプターで敵の退路となる後方へ回り込んでいた。
そしてその街道にヘリコプターを使って空中から地雷を散布していた。その中には対人用の地雷も多数含まれていた。
地雷はIFFに反応する最新式で、日本側はボタン一つでそれを無力化できる。対する魔法文明にはそれを無力化する手段がない。
そして、後方に回り込んだ第十二師団は榴弾砲まで据えていた。
CH-47によって吊り下げられ、空を越えて運ばれてきた特科部隊のものだ。
それが数門。地雷原で身動きの取れなくなった敵の群れへ、狙いを定めていた。
「目標、街道上の敵密集地帯」
観測班からのドローン座標が、特科にそのまま届く。
「射撃開始」
M777榴弾砲が火を噴いた。
地雷で逃げ場を失い、密集したところへ、後方から榴弾が降りそそいだ。
前に進めば地雷。後ろへ弾いても地雷。脇へ逸れても地雷。
そして動けぬところへ、上から榴弾の雨。
榴弾が街道を耕していく。
ハルゲニアの兵士も、ゴーレムも、魔獣も、そして逃げ場を失った村人たちも。なんの区別もなく。
地雷から逃れようと身を寄せ合ったその密集が、かえって榴弾の格好の的になった。
一発が十人を薙ぎ倒し、次の一発がまた十人を薙ぎ倒した。
街道は爆炎と土煙で覆われ、そのたびに人影が宙に舞った。
砲を撃つ第十二師団の隊員たちに、その街道は見えていない。いや、見ようとしなかった。見ようと思えばドローンの映像が送信されているにも関わらず。
撃っているのが敵の部隊なのか、そのあいだに挟まれた村人達なのか。彼らは分かろうとする手間を省いていた。
装填し撃発。空薬莢の排出。俯仰角の微調整。そしてまた装填。
それは変わらぬ作業だった。ただ諸元の通りに砲を操り、弾を送るだけ。その繰り返し。
彼らの額に汁が流れた。それは労働の汗であり、罪の涙ではなかった。
少なくとも彼らはそう感じずに済んでいた。座標を撃つという、その一枚の免罪符が、彼らの心を守っていた。
あるいは、麻痺させていたのか。
「……なあ。あそこに民間人もいるって噂、本当か」
一人の若い砲手が、撃ちながらふと呟いた。
「知らねえよ」
隣の先任が装填しながら、そう答えた。
知るかと吐き捨てた、あの二人と理屈。同じ言葉だった。
彼らの攻撃は徹底していた。
街道の敵がほぼ動かなくなるまで、榴弾砲は撃ち続けた。
地雷と榴弾で耕された街道には、もう立っている者はいない。ローデの騎士団も、彼が守ろうとした村人たちも、すべてが死体として折り重なっていた。
そして攻撃が終わると、空からまたCH-47が舞い降りてきた。
撃ち終えた軽量榴弾砲を回収し、次の陣地へ運ぶための機体だった。
太い吊り索が榴弾砲に掛けられ、地上の隊員が手際よくフックを留め、ヘリが離脱する。
CH-47の二枚のローターが砂塵を巻き上げ、そして大砲はふわりと、宙に浮いた。まるで命を奪った重さなどはなから存在しないかのように。
わずか数分の作業は終わりを告げ、地面に残っているのは焦げた薬莢だけ。撃った隊員らは別のヘリに乗って陣地転換した。
CH-47の爆音が遠ざかると、街道には静けさが戻った。
第十二旅団
前線司令部
各地の報告は、ヘリコプターのランデヴーポイントに設けられた第十二師団の司令部に、簡潔に上がった。
「各地の街道遮断完了。撤退中の敵部隊も次々と殲滅してます」
「各特科隊は陣地転換を優先。ヘリの手配は予定通り。……以上」
鷲津陸将補はその報告書を受け取り、しばらく目を閉じた。
民間人の被害について、報告書に記載はなかった。彼が記載を命じなかったからだ。
街道を遮断した。敵を殲滅した。それが記録に残るすべて。それ以外の報告の記載は師団長より上のクラスからも省くように伝えられていた。
「特科は次の目標へ向け移動中です」
「わかった」
鷲津は天幕の中で目を開けた。
「引き続き敵の退路を遮断せよ。以上だ」
彼はそれだけ告げると、天幕の中の地図を見た。ハルゲニア軍が退路として使える街道は、地図からも見える速度で減っていた。。




