第二十四話 勝利?
昨日はお休みして申し訳ない
ストックが尽きたのでここからは一日一回投稿が目安です
越境から四十八時間後
沿岸から数キロ離れた沖合。
護衛艦「まや」の艦橋は静かだった。
窓の外には穏やかな異世界の海が広がっている。水平線のそのわずか手前、陸地の際に、細く煙がたなびいていた。
それが「まや」含む四隻の護衛艦が、主砲を向けている先だった。
「目標、海岸沿いの街道。撤退中の敵武装集団」
通信士が復唱した。
「陸自の観測班より射撃要請。座標──」
「まや、いかづち、ゆうぎり、あまぎり、各艦連動。射撃用意」
新たな目標の出現を受け、艦長の小沢は座標をCICのディスプレイで確認。
送られてきたドローンのデータを元に、砲撃準備を指示。号令により各艦の主砲がゆっくりと旋回する。
小沢はその間、目を閉じて考えた。砲を向けた先にいる哀れな武装難民たちのことを。
彼らは正規のハルゲニア軍と逸れ、見捨てられたまま孤立している。帰るための装備もなく、日本を相手に盾にされている。小沢は彼らを哀れに思った。
しかし今やただの賊に成り下がった彼らに容赦することはできない。「射撃準備完了」の合図と共に、小沢は短く命じた。
「……撃ち方、始め」
五インチ砲が火を噴いた。
四隻から間断なく、砲声が海面を震わせた。
その数十秒後、水平線の際の細い煙が、更にいくつも膨れ上がった。
それだけだった。艦橋からは悲鳴も聞こえない。ただ遠い岸辺に黒い煙が増えていく。
小沢はその静かな海の上で思った。
陸上で戦うならば、撃つ相手の顔を見ることも多い。目を見て引き金を引く。だから彼らは壊れていく。
だが自分たちは顔を見ない。座標を撃つだけ。数字を撃つだけ。だから手が震えない。心も痛まないのだ。
それは陸の戦いよりマシなのか。
それとも、もっとタチが悪いのか。
彼にはわからなかった。
ただ海はどこまでも静かで穏やかで、その静けさの向こうで、見捨てられた者たちが顔も名もわからぬまま黒い煙になっていった。
撃っている自分たちには、その一人ひとりがどんな顔で、何を叫んで死んでいったのか。永遠にわからないのだった。
越境から五十二時間後
第二師団 第25普通科連隊戦闘団
そして、陸では戦闘が過渡期を迎えた。
遠野稜の中隊は、ついに国境線に到達。
なだらかな丘の稜線。その向こうはもうハルゲニアの領土だった。
遠野は装甲車を降り、その見えない一線の手前に立った。
奪還した。旧シエスタルの東の果てを。逃げる敵の背中が、その一線の向こうへ消えていくのが見えた。
追えば届くだろう。
だが、追わなかった。
「──全部隊停止。国境線を越えるな」
無線に命令が流れた。伊坂連隊長の声だった。
「越えればハルゲニアへの侵攻になる。我々は追い出しただけだ。防衛だ。……ここで止まる。総理の意向だ」
遠野はその一線を見つめていた。
あと一歩、踏み出せばこの戦争は防衛から侵略に変わる。
日本がシエスタルを滅ぼしたときのような、あの侵略に。その一歩を、日本は踏み止まったのかもしれない。かろうじて、ではあるが。
「三曹」
若い隊員が遠野の隣に来た。
「……終わりですか。これで」
「さあな」
遠野は答えた。
「ただ、この戦いはもう終わった」
彼はハルゲニアの空を見た。
あの空の向こうにも故郷があり、家族があり、鐘の鳴る朝があるのだろう。
そしてその空の下から、また憎しみを抱いた誰かがこの線を越えてくるのかもしれない。
あるいは、いつか日本がこの線を越えていくのかもしれない。
遠野にはわからなかった。
ただ彼はいま、その線の手前に立っている。生き残って、汚れて、多くを殺して。それでもまだ、この線のこちら側という意識があった。
同時刻
日本国首都東京 首相官邸危機管理センター
「──以上により、越境してきたハルゲニア軍および武装勢力は、その大半を旧シエスタル領内にて撃滅、ないし駆逐いたしました」
統合幕僚長の山田劉生が、報告をそう締めくくった。
「自衛隊は本日、東部国境線に到達。ご指示の通り、国境線にて停止しております。ハルゲニア領内への進攻は行っておりません」
危機管理センターの中に、閣僚たちの安堵の息が流れた。
「よくやってくれた」
防衛大臣の朝田が言った。
「本当に三日も掛けなかったな。第七師団と、第十二師団の働きは見事だ」
「敵の、被害は」
国原建人が静かに問うた。
山田は一瞬、間を置いてから話し始める。
「……甚大です。越境したハルゲニア騎士団はほぼ壊滅。随伴した武装難民も、その多くが旧シエスタル領内で壊滅。ハルゲニアの正規軍は、難民を後衛の盾とし、多くが本国へ退きました。……掃討の際、取り残されたのは逃げ場を失った難民たちです」
国原は目を閉じた。
「それを我々が駆逐した、と」
「……武装集団として対処いたしました」
センターが静まった。
勝った。完璧に勝った。奇襲を受けながらも三日で押し返し、国境線を回復した。
自衛隊はハルゲニアへ踏み込まず、防衛という大義も守り抜いた。数字の上では非の打ち所のない勝利だった。
だがその勝利の内実を、この場にいる者は皆知っていた。
見捨てられた難民を、海と陸から挽き潰した勝利。
投降する者を旗の色の掛け違いで、撃った勝利。
捕虜を犯罪者と分類し直して処理した勝利。
故郷へ帰りたかっただけの者たちを、無数に殺戮していった勝利。
誰も勝ち鬨を上げなかった。
その沈黙を破ったのは、国原自身だった。
「……山田。朝田。一つ、確かめたい」
国原は目を開けた。
その声は、先ほどまでの疲れとは別のものを帯びていた。
「私が国境線で部隊を止めたのは、自衛官には防衛だと言わせている。……間違いではない。だが正直に言おう。私はこれで終わるつもりはない」
朝田が顔を上げた。
「今の自衛隊にはあの国境を越え、ハルゲニアを攻略する用意が無かったから止めたに過ぎない。踏み止まったのではない。踏み込めなかったのだ」
山田は静かに頷いた。
「……仰る通りです。今回の作戦はあくまで占領地の防衛と奪還。ハルゲニア本国への進攻となれば、話はまったくの別物です」
「私は──」
国原は言った。低く、しかしはっきりと。
「一方的に侵略され、それを押し返しただけで終わらせるつもりは全くない」
センターが静まった。
「宣戦布告もなく国境を越えられ、邦人が多数殺された。難民に紛れた者に若い自衛官や避難する民間人が襲われた。……それをただ追い出して終わりでは舐められる。次もまた来る。我々はもう舐められてはいけない」
彼は朝田と山田を見据えた。
「だから聞く。こちらからの再侵攻には、どれほど準備がかかる」
朝田が息を呑んだ。山田の方はしばらく目を閉じ、頭の中の数字を繰った。
増強される師団。積み上がる弾薬。掘り出される石油。訓練される自衛官。そしていつか、否応なく招集されるだろう若者たち。
「……半年」
山田は言った。
「半年です。それだけいただければ、ハルゲニア本国への進攻作戦を立案し、部隊を整え、備蓄を積み上げ、こちらからあの線を越える用意が整います」
「半年、か」
国原は頷いた。
それは防衛の言葉ではなかった。侵略の準備期間だった。
その期間は、こちら側からハルゲニアを踏み潰すための束の間の休息にすぎない。
「篠森」
国原は外相に向き直った。
「その半年で外交で片がつく道があるなら探れ。だがな、期待はしていない」
「……はい」
篠森の顔は硬かった。
「総理、本当にやるんですか」
国原は答えなかった。
「この世界には、まだ多くの国があります」
篠森は続けた。
「まだコンタクトを取れてない国も多数あります。今回のことは必ず彼らにも伝わる。日本という国が何であるかが。その時この世界はそれを正しく見るでしょう。日本は災厄だ、と」
国原は窓の外を見た。
今日の東京の空は晴れていた。
守り切った。守るたびにこの国は少しずつ変わっていった。
徴発し、地面を掘り、囲い、見捨てられた者を挽き潰した。
そして今、今度は自ら国境を越えて他国を攻略しようとしている。
守るという言葉は、いつの間にか攻めるという言葉と見分けがつかなくなっていた。
「……我々は勝った」
国原は誰にともなく呟いた。
その声に喜びはなかった。あるのは次の戦いへ踏み出す者の静かな覚悟だけだった。
「ええ」
文部官房長官が応じた。
「勝ちました。……そして次はこちらの番です」
誰もその先を言わなかった。
国境線で部隊は止まったが、それは終わりではない。この線は、半年後に自ら越えるための助走のラインでしかないのだから。




