第二十二話 アリブルクの戦い
越境から三十二時間後
第七師団 前線司令部
第十二師団が敵の退路遮断を成功させた報告は、第七師団司令部にも確かな手応えとして届いていた。
だがこのヘリボーンは作戦の初動である。この戦域でハンマーを打つのは、第七師団の仕事だった。
山城陸将は指揮所の状況図の前に立っていた。盤面は二日前とはまるで別のものになっている。
ハルゲニア軍と難民たち、合わせて三十万人の敵勢力は、使える退路がほぼを断たれていた。
第十二師団のヘリが彼らの後ろへ回り込み、街道の結節点を次々と押さえたのだ。
ここアリブルクでも、街を囲んだつもりで数万ほどの敵が集結しているが、その実取り残されているのは彼らの方だった。
「アリブルクを救援するぞ」
山城は短く命じた。
「街を囲むハルゲニア軍を殲滅する。各戦闘団、前進せよ!」
師団長の号令一下、第七師団隷下の各師団が一斉に動き出す。
投じられたのは、五個の機甲連隊戦闘団と、一個の歩兵連隊戦闘団だった。総勢350両にまで強化された現代戦車の津波である。
まず第71連隊戦闘団がアリブルクの南の平原に向かって部隊を展開。ハルゲニア騎士団は町の包囲に気を取られ、森を盾に接近してくる第七師団にはまだ気づいていない。
「敵が体制を整える前に突撃するぞ。各連隊の特科は弾幕の展開準備を」
山城は指示を発した。
彼の作戦は特科に伝えられ、観測ドローンが戦域を見渡した。
知っている人間が見れば、今からやろうとする戦術はかなり古いモノだった。
──移動弾幕射撃。
敵陣地と、進撃する戦車隊のすぐ前方に、特科の火力を絶え間なく叩き込む。これにより爆炎や土煙、鋼の破片の動く壁を戦車の前に築くのだ。
その壁は二つの役目を果たす。一つはその向こうの敵を拘束すること。頭を上げられず、動けず、隊列を組み直せない。
もう一つは砲撃で戦車の姿を隠すこと。敵から砲撃されて拘束されている間に、爆炎に隠された戦車の恐ろしい壁が、じりじりと迫ってくる。
敵は拘束されているので、戦車隊を隠す爆炎と自分たちに降り注ぐ爆炎の区別がつかない。
現代文明同士の戦いならドローンで上から探知されるだろうが、今回の相手はそんな手段を持ち得ないただの土人だ。
鉄槌と鉄床。その二つのあいだで、敵軍は擂り潰される。
「よし。始めろ」
山城は作戦を開始した。
彼の後方から、特科の99式自走榴弾砲が砲撃を叩き込んだ。
同時刻
ハルゲニア軍 第Ⅱ軍団 ヴェルナー騎士団
ハルゲニア軍の精鋭、ヴェルナー騎士団の指揮官ヴェルナーは、その時丘の上からアリブルクを見張っていた。
彼はアリブルクを包囲する騎士団の一角、歴戦の騎士だった。彼の目の前には日本人の要塞と化した街があり、その中に逃げ場を失った敵が籠っている。
この数時間、魔導師の火力でじわじわと陣地を削っていた。敵の火力は以前として健在であるため下手な攻撃はできなかったが、戦況はこちらが優勢だった。
シエスタルの人々の故郷を侵略者から取り戻す。これはその第一歩になる。ヴェルナーはそう信じていた。
だがこの二日間、彼の胸には拭えない不安があった。
昨日、空から鋼の鳥が爆裂の魔法を降らせ、どこかへ消えていった。山や丘に隠れて見えなくなったのだが、その物体がなんなのかハッキリと分からないままだった。
日本が空中艦を保有しているという情報はない。あれは木材に魔法を込められる魔法文明でなければ建造できない代物だ。おそらく我々の魔獣か何かの偵察だろう、と思った。
しかしその答えが、突如として彼らの頭上から降り注いだ。
最初、それは遠い雷鳴のように聞こえた。
次の瞬間、彼らの展開する平原に、炎と土煙が瞬く間に多数、噴き上がった。
「な、なんだ⁉︎」
ヴェルナーは慌てた。
相棒の魔獣を宥めつつ、ヴェルナーはその場に留まって見回す。敵は見えない。しかしその爆裂は、味方の陣地を狙って撃ち込んでいることがわかった。
地平を埋め尽くすような火の壁だった。それがこちらの騎士団の陣地を破壊していっている。
「総員散開! 纏まるな!」
ヴェルナーは即座に指示を叫んだ。
攻撃の正体はわからないが、これが爆裂系の魔法攻撃であった場合、ハルゲニア軍は即座に散開を選ぶ。
騎士団の部下たちもその指示に従い、急いで分散しようと人が散った。その攻撃は絶え間なく、まるでこちらが見えているかのように正確だった。
「くそっ、爆裂魔法か!」
「いったいどこから狙いをつけて──」
「落ち着け! 我らもここを離れるぞ!
ヴェルナーは狼狽する部下たちを制し、自分たちも移動するため魔獣に荷物を引かせる。敵の攻撃範囲がわからないため、指揮所も移動させるつもりだった。
その時、ヴェルナーは丘の上からそれを見た。西の平原、森に寸断された我々から見えない範囲にも、その爆裂が咲き乱れていた。
しかもその中の煙は、こちらへ向かって確実に前進していた。
大地が抉れ、土が噴き上がり、轟音は絶えない。しかしその壁のようなものがこちらに向かってきているのは分かった。
「総員、西へ備えろ!」
ヴェルナーは叫んだ。
だが備える、ということができなかった。
その火の壁の手前にいた騎士たちは、頭を上げることすらできなかった。
伏せて地にしがみつくのが精一杯だ。立ち上がろうとした者は、次の着弾によって身体が消えた。
隊列を組み直そうにも、その隊列そのものが火の壁に削られていく。
防御担当の魔導師たちが結界を張ろうとしたが、間断ない着弾は結界を張るその詠唱の間を与えなかった。
ヴェルナーはその時悟った。これはただの砲撃ではない。
この爆裂の壁は何かを隠している。
「煙の後ろだ! 奴らの本隊が──」
彼の叫びは遅かった。
火の壁が一瞬だけ収まったと思った、その直後。
その晴れかけた煙の中から、鋼の獣が現れた。
一輌ではなかった。何十輌もの日本の戦車が、爆裂の壁のすぐ後ろに、ぴたりと貼りつくようにして進んできていた。
そして、至近距離からの砲撃が始まった。
それは戦闘ではなかった。まるで処刑のように、陣形そのものを破壊し、戦車が雪崩れ込んでくる。
地に伏し、隊列を失った騎士団の真っ只中へ、鋼の獣が乗り込んで荒らしていく。主砲とRWSの機関銃を、徹底的に浴びせまくった。
ヴェルナーの周りで、彼が長年共に戦ってきた騎士たちが次々と倒れていく。杖を向ける暇もなかった。
あるのはただの鋼と火と、そして圧倒的な無力感だけだった。
「う、うわぁぁぁ!」
「くそっ、火力が違いすぎる!」
「前から戦車が──」
「避けろぉぉぉぉ!」
兵士たちはパニックになった。戦車が陣形を崩して突っ込み、それでも速度を止めようとしない。
戦車は機関銃を連射し、騎士団の兵士たちを轢き殺しながら突破。そのまま別の騎士団へ更なる攻撃を仕掛けにいった。
生き残った騎士たちに対し、後続の装甲車がやってきた。RWSが生き残りたちに乱射され、対応する間もなく轢き潰されていった。
「うわぁっ!」
ヴェルナーも魔獣の手綱を握っていたが、装甲車の突撃を受けて鞍から落下した。
崩れた騎士団は、もはや統率を取れていなかった。彼は蹲ったまま立ち上がり、魔獣の死骸に身を隠した。
「お、おのれぇ……!」
ヴェルナーは腰の短い杖を握った。
せめてこの手で、日本人の一人でも道連れにしようとした。
だがその彼の目論見は、投げ込まれた一個の手榴弾によって、塵と化した。
逃げ場は、なかった。
同時刻
アリブルク南部
この平原は殺戮の場になっていた。
ハルゲニア軍の精鋭は、まるで臼で小麦を挽くかのように消耗していった。
アリブルクの包囲を解かれたため、遠野稜の所属する第二師団の各連隊戦闘団は、掃討のため街から飛び出した。
装甲車のRWSの支援の下、地上に伏せて小銃を構えながら、崩れゆく敵の姿を遠野は見ていた。
敵の反応は様々だった。
多くは敗走。隊列も誇りも投げ捨てて、ただ後ろへ後ろへと逃げている。
だが、果敢に立ち向かう者もいた。
崩れた味方を庇うように、数騎の騎士が杖を抜いて戦車へと突撃していく。
無駄だ、と遠野にはわかっていた。フェルデン平原で幾度も繰り返された、焦げ跡すら残さない無意味な抵抗。
そして騎士はRWSの掃射により、馬もろとも崩れ落ちる。勇敢さは、この戦場では寿命を縮めるだけだった。
その中に、岩陰に身を寄せ、戦うことをやめる者もいた。
「ベルント! どこだ、ベルント!」
「ここだ! 伏せろヨナス! 頭を上げるな!」
崩れた岩の陰で、二人の兵士が身を寄せて頭を伏せた。
若い兵のヨナスと古参のベルントだ。この騎士団の末端の、名も残らぬ従卒たちである。
「なあ、どうなってる。俺たち勝てそうだっただろ」
「わからん。何がどうなってるのか」
ベルントはそう吐き捨てた。
「だがこれだけはわかる。今は逆に俺たちが囲まれてる。周りを見たら全部敵だった。俺たちは袋の鼠だ」
「そんな……」
「俺たちはこっから動けん。順番に死んでる」
平原の向こうで、また鋼の獣が吠えた。
逃げ惑う味方の一団が消えるのを見て、ヨナスは震えながら岩にしがみついた。
「……帰りたい」
「なんだと」
「俺、帰りたいよベルント。故郷に、母さんと妹が待ってる。こんなとこで、死にたくない……」
ベルントは叱りつけるでもなく、しばらく黙っていた。それから低くこう言った。
「……なら、降りるか」
「降りる?」
「降伏だ。もう勝ち目はねえ。武器を捨てて旗を上げりゃ、命は助かるかもしれん。奴らだって鬼じゃあるまい」
ベルントはそう言うと、傍らに転がっていた味方の亡骸から、その外套を引き剥がした。
黒い喪の色の裏地だった。それを折れた杖の先に括りつける。
「よし」
ベルントは言った。
「黒は降伏の色だ。これを掲げりゃ、命を預けるって意味になる。……どこの国でもそうだ。奴らも知っているはず、通じるはずだ」
ベルントはそう言うと、黒い旗を岩陰から突き出した。
そしてゆっくりと、その旗を振った。もう戦わない。降伏する。その精一杯の意思を込めて。
「隊長! あの黒い旗はなんですか⁉︎」
装甲車の近くで、ある隊員が警戒の声を上げた。
「黒旗?」
分隊長が双眼鏡を覗いた。
「なんのつもりだ?」
「無慈悲、の合図でしょう」
側の隊員が、なんの根拠も無しに憶測でそう言った。
「降伏は受けん、皆殺しにしてやる、ってやつです。海賊旗と同じですよ」
「……いいだろう。抵抗の意思ありと見做す。制圧を続行」
その途端、装甲車のRWSが攻撃を再開した。
「な、なんで──」
岩陰でベルントが呻いた。
黒い旗を掲げたその岩へ、火力が集中し始めていた。降伏の印を掲げたのにも関わらず。
「なんで撃ってくる! 降伏してるんだぞ! 見ろ、旗を上げてるだろうが!」
「ベルント、旗を下ろせ! 逆効果だ!」
何故、攻撃されるのか。
答えは誰にも分からなかった。彼らには知る術がなかったのだ。同じ黒という色が、喪の色ではなく、テロリストの旗の色であることを。
弾着が岩を砕いた。破片が飛び散る。
その弾着が、ベルントを岩陰から吹き飛ばした。
「ベルント!」
ヨナスは叫んだ。
だが古参兵は動かなかった。黒い旗が、ヨナスの足元に落ちた。誰にも、正しく読まれることのなかった、降伏の黒い布が。
そうしてヨナスは、一人になった。
周りには、味方の亡骸ばかりがあった。
旗はもう意味がない。ベルントの言った降伏の色は、この敵には何故か届かない。
どうすればいいのか。どうすれば殺されずに済むか。どうすれば母さんと妹の待つ家に帰れるか。
ヨナスは必死に考えた。
考えている間も、鋼の獣の影はこちらに近づいてきた。それに随伴する日本の兵士が、こちらの穴を見つけた。
ヨナスは決心した。
旗が駄目なら、もっとはっきりと示すしかない。
彼は握っていた杖を地面に投げ捨てた。そして両手を高く上げ、そしてはっきりと、震える声で叫んだ。
「こ、降伏する! 武器は捨てた! ……頼む、殺さないでくれ──」
二人の日本兵は足を止めたが、片方が無言で黒い棒を構えた。
「──え」
──パパンッ!
二発撃った。
ヨナスは両手を上げたまま崩れ落ちた。母のと妹の顔が、一瞬だけ浮かんで消えていった。
その一方、二人の自衛官は発砲した20式小銃を下げることなく、警戒を続けていた。
「……なんて言ったんだ、こいつ」
傍で警戒を続ける同期が、徐にそう言った。
「知るか」
もう一人がそう吐き捨てた。
二人は倒れたヨナスを跨ぎ、次へと歩き出す。
その様子を、遠野は少し離れた岩の陰から見てしまった。
彼の降伏の声は聞こえていた。意味も通じていた。武器も下げていた。しかし自衛官はわざと無視した。
遠野は顔をしかめる。
昨日まで敵に憎しみを感じていたのに、いざ他人のそれが爆発したのを見て、自分の愚かさを知った、
「……三曹?」
隣の若い隊員が、怪訝そう聞く。
「どうかしましたか」
「……いや」
遠野はわざと目を逸らした。
「なんでもない」
止めろとは言えなかった。
ただ嫌なものを見た、という顔で目を逸らし、自分の持ち場へと戻っていった。




