第二十一話 修羅の道
越境から十二時間後
装甲車の車列は、アリブルクへ続く街道を使い、後方へ退いていた。
勝ったはずの部隊の敗走だった。鉄橋を守り抜き、対岸に敵の屍を積み上げ、それでも退いていた。
遠野は装甲車の暗い車内で揺られながら、拳を握りしめていた。勝ったのに退く。その屈辱の味が、まだ口の中に残っていた。
そして。
どれだけ、走っただろうか。
先頭の車両が急に速度を落とした。無線に緊張した声が走る。
「前方に民間の車列を確認した。様子がおかしい」
遠野の装甲車も止まった。
ハッチを開け、警戒しながら外へ出る。街道の先にそれはあった。
焼けた車の列だった。
十数台の民間車両。
バスや輸送用のトラックや乗用車。それが街道を塞ぐように乱雑に停まっていた。
どれも焼け焦げ、あるいは横倒しになっている。ガラスは砕け散り、荷物が街道にぶちまけられていた。衣類、鞄、子供の玩具。
そしてその、車のあいだに。
遠野は、そこで足を止めた。
人が倒れていた。
動かない人が、いくつも。焼けた車の陰に、投げ出されたように。
それはシエスタル人でない。日本人だった。作業服を着た男性。子供を抱きかかえたままの女性。
おそらくはシエスタルに移り住んで働いていた日本人だった。避難しようと荷物を車に積み込んでいた民間人たちだった。
「……なんだ、これは」
若い隊員が、呻いた。
「なんで、こんな……」
その時、焼けたバスの陰から一人の男がよろめき出てきた。
顔つきは外国人。胸には血にまみれた防弾チョッキ。手には拳銃を持っている。
だがその手は震えていた。彼は自衛隊員の姿を見てへたり込み、そして掠れた声を絞り出した。
「JDF、か。よかった……」
名を、ケニーといった。
旧シエスタルの油田施設で働く日本人技術者とその家族を警護していた、在日アメリカ人の警備員だった。かつてはアメリカ陸軍の軍人で、旅行中に日本の転移に家族ごと巻き込まれ、その後この仕事を見つけた、と後で聞いた。
遠野たちが駆け寄ると、ケニーは途切れ途切れの日本語で語った。
「侵攻が、始まったと聞いた……俺たちは、施設の連中とその家族を乗せて、沿岸部へ避難しようとした。……街道を走ってたら、いきなり囲まれた。難民だった。武装した難民の集団だった……」
彼の目は焦点が合っていなかった。
まだ、その光景の中にいた。
「奴ら、マジックを使った。バスが一台まるごと燃えた。……中に、いたんだ。護衛対象が。子供もいた。逃げ出そうとしたところを、奴ら、片っ端から……」
ケニーの言葉を言う力が、絶え絶えになり始めた。
「俺たちは、応戦した。あのモンスターやゴーレム共までやってきて、皆殺しにされた……ファック……!」
彼は拳銃を握ったまま、地面に突っ伏した。
生き残ったのは、彼一人だった。彼が守るべき者たちは皆殺されていた。
遠野は、その焼けた車列の中を歩いた。
子供を抱いたまま事切れた母親の傍らにしゃがんだ。母親の腕の中の小さな体は、もう動かなかった。
遠野はその光景から目を逸らせなかった。逸らしてはいけない気がした。
そして。
遠野の胸の中に、これまで感じたことのない、まっすぐな熱いものが突き上げてきた。
──憎しみだった。
純粋なまじりけのない憎しみ。
あの納屋の少女を撃ったときの罪悪感や、徴発した麦への後ろめたさ、検問所を襲撃された時の迷いと無念などとは違う、真逆の感情。
複雑で苦い感情のすべてが、この一つの単純な熱い憎しみの下に押し流されていくのを、遠野は感じた。
あいつらがやった。
俺たちの民間人を。
子供を、あいつらが。
そしてその憎しみは──ひどく楽だった。
遠野はそれに気づいて慄然とした。
ずっと迷ってきた。自分たちの正しさに確信が持てなかった。加害と被害のどちらの顔も見てきたから。
だが今、この焼けた車列の前でその迷いが消えていく。あいつらは悪だ。俺たちは、被害者だ。
そう思い切ってしまえばどれほど楽か。この憎しみに身を委ねてしまえば、もう迷わずに引き金を引ける。
楽だった。楽であることがいちばん恐ろしかった。
修羅の道は、こういう風に人を呑んでいくのだと、遠野は静かにその入口をくぐっていた。
「三曹」
分隊長が肩を叩いた。
「……ケニーさんを乗せろ。離れるぞ。ここに留まれば俺たちも囲まれる」
遠野は頷いた。
そして焼けた車列をあとにした。だがその光景は、彼の目の裏に焼きついて離れなかった。
数時間後
鉄道集積地アリブルク
アリブルクが街道の先に見えてきたのは、日が傾く頃だった。
アリブルクはこの地方の鉄道の要所だった。旧シエスタル各地で徴発された食料や資源は、この町に一度集められる。そして町を貫く鉄路によって、それひ沿岸部の港へと運ばれる。そこから先は船で日本本土へと送られていく。
日本の食料の生命線の結節点。それがこの町だった。
だが今は、その資源の備蓄なんかよりも多くの人員と兵器が、この街に集結していた。
町の入口の検問を抜けると、そこはすでに要塞と化しつつあった。
土嚢が積まれ、鉄条網が張られ、あちこちに重機関銃の陣地が構築されている。鉄道の集積場には、まだ出荷待ちの作物や石油が並んでいた。
その貨車の列の陰には戦車が、砲塔を外へ向けて身を潜めている。町全体が、敵を迎え撃つための陣地になりつつあった。
「……戻ったか」
遠野たちの中隊を迎えたのは、この町に集結していた第25連隊戦闘団の幕僚だった。
町には遠野たちのほかにも、いくつかの連隊戦闘団が退いてきていた。国境地帯で孤立し、あるいは押し出され、この生命線の町へ集まってきた部隊だった。
「鉄橋を確保したと聞いたが」
「確保しました」
伊坂連隊長が聞くと、中隊長が答えた。疲れた声だった。
「ですが敵は橋を使いませんでした。川を凍らせて渡ったのです。その時は退くしかありませんでした」
幕僚は苦い顔で頷いた。
「同じことがあちこちで起きている。奴らは我々の陣地を避けて後方に回り込む傾向にある。正面から戦えば勝てないのをわかっているようだ」
そして幕僚は、徐に声を落とした。
「民間人の車列がやられたと聞いたが」
その一言で、集まっていた兵たちの空気が変わった。
焼けた車列の話は、すでに口伝てに広がっていた。守るべき非武装の民間人が虐殺された。
その報は疲弊した隊員たちの胸に、遠野が感じたのと同じ熱い憎しみを灯していた。もう迷いはいらない。
相手は敵だ。
皆殺しにしてやる。
誰の顔にもそう書いてあった。
遠野はその隊員たちの顔を、見た。
この憎しみは正しいのだろうか。彼はまだその問いを完全には手放していなかった。
あの難民たちが、なぜ武器を取ったのか。誰が彼らの故郷を油田に変えたのか。誰が彼らの麦をこの町の貨車に積み込んだのか。
すべては繋がっている気がした。憎しみのどちらの端をたどっても、その先には自分たちの影がある。
「……防御態勢につく」
伊坂連隊長は中隊長たちに告げた。
「この街には多くの民間人が避難して来ている。これ以上は退く事ができない。この町を死守するぞ」
伊坂の言葉に、中隊長たちは頷いた。
その間、遠野は鉄道の集積場を見上げた。
夕日が貨車の列を赤く染めていた。それはあの焼けた車列の色にも、この一年で流されたすべての血の色にも似ている気がした。
遠野は静かに、20式小銃を握り直した。
もう間違っているのかも考えないことにした。
ただ今は、目の前のこの町を守る。それだけを彼は心に決めた。
そうして修羅にまた一歩、足を踏み込みながら。
越境から二日目 朝
ハルゲニア王国 国境地帯野戦指揮所
ハルゲニア側の野戦幕舎で、第二王子クロヴィスは地図の前に立っていた。
盤面は悪くなかった。むしろ想定を上回っている。
宣戦布告に先んじた奇襲は見事に決まっていた。国境沿いの自衛隊の警戒陣地は各所で寸断され、あらゆる手段で敵陣に浸透していた。
おかげで自衛隊が固執した拠点はことごとく意味を失った。自衛隊の各部隊は現在、味方のエリアから切り離された孤島となっている。
その孤立した点の中で最も大きく、最も価値のあるものがアリブルクだった。
クロヴィスは地図上のその町を指で押さえた。
「ここだ。ここ」
傍らの参謀が、頷いた。
「兵力は」
「我らの見積もりでは二千人前後かと」
「なら倍を送る」
クロヴィスの声に迷いはなかった。
「戦域を担当する第Ⅱ軍団に、配下の騎士団であの町を包囲せよと魔導信号で伝えろ。日本の主力を押し潰す。この要所を取れば街道沿いに進軍できる。さすればこの戦、勝ったも同然だ」
参謀が地図に頷き、第Ⅱ軍団を表す七個騎の士団の駒を、アリブルクの周辺に並べた。
壮観な包囲の絵だった。
ただその絵を、老いた将軍が渋い顔で見ていた。フェルデンの戦訓を聞いていたあの男だ。
「……殿下、倍の兵で囲むのは結構ですが、あの町は強固に陣地化され、敵も死守の体制に入っていると聞きます。それに、我らは敵を迂回するのが基本戦術だったはずでは……」
「わかっている」
クロヴィスは遮った。
「だがこれはチャンスだ。敵は袋の鼠と化している。包囲し締め上げ、魔導師の火力でじわじわと削れば敵の主力を撃破できる」
「しかし……」
「なに、我が軍はまだ二十万、それに難民の義勇軍も十万いる。たかが数万を張り付けておくなら造作もない」
老将にはクロヴィスの持ち前の思考力が、興奮により衰えているように見えた。
思ったより上手くいって調子に乗っているのかもしれない。老いた将軍には、血気盛んな若者の思考がよく分かった。
奇襲で稼げたのは時間だけだ。北から日本の増援が来る前に既成事実を作り切るという話だったが、包囲には時間が掛かってしまう。無視してさらに奥へ浸透するべきだった。
だが彼の計算では、日本の増援のタイミングを読み違えていた。
鋼鉄の獣や馬車のない荷車は、資源に苦しんでいる日本はそう易々と準備できる代物ではない。
機械文明は便利だが、動き出すまでに時間がかかるという、この世界ならではの常識がある。
少なくともクロヴィスの盤面は、その常識を前提に組まれていた。
その頭上の空白を、日本は正確に突いてくる。
「第Ⅱ軍団に魔導信号で連絡を。アリブルクを包囲し、奴らを殲滅せよ!」
クロヴィスは高らかにそう命じた。
その命令が魔法文明の通信装置である「魔導信号」によって駆け出していく。
そうして軍団内の各騎士団が動き出した。その中には、故郷を取り戻すのだと信じた難民もいた。
彼らはまだ知らない。閉じかけた扉の内側にいるのは、自分たちであることを。
越境から二十八時間後
第十二師団 ヘリボーン部隊
日本の反撃は空から来た。
旧シエスタル西部の前進基地から、第十二師団の多数の人員と、第二ヘリコプター団が一斉に舞い上がった。
越境二日目の明け方、第十二師団の各員はヘリコプターに乗り国境線へと急ぐ。
第十二師団は、この度の改編で旅団から格上げされた部隊だった。今では師団のすべてをヘリコプターで運ぶことを前提とした、自衛隊でも数少ない空中機動部隊である。
ヘリボーンの編成は、まず偵察用のOH-1が四機。
日本版ナイトストーカーズとも称される第102飛行隊のUH-60が十二機。
第110飛行隊のUH-60が十二機。
第111飛行隊からは、CH-47が十三機。
さらに第1戦闘ヘリコプター隊第1飛行隊のAH-64攻撃ヘリが八機。
第十二師団隷下のヘリコプター隊からも、UH-60十二機とCH-47九機が参加した。
さらに上空では、航空自衛隊のF-2が近接航空支援を担当している。
これは空中機動の第一陣であり、さらに第二陣、第三陣がまだまだ控えている。
師団長の鷲津陸将補は、指揮所が設けられたCH-47の中から、眼下を見下ろしていた。
「今度はこちらが敵の背後を取るぞ」
鷲津は地図と眼下の光景を見比べた。
「この世界じゃ空を飛ぶのは飛行船が主流らしい。ヘリみたいに機動性の高い航空機はメジャーじゃない。初見の奴らの背中を刺してやろう」
彼の作戦は単純であり、そして残酷なほど効果的だった。
全ての山や川、そして浸透している敵兵や難民。そのすべてをヘリは飛び越え、ハルゲニア軍の後方に向かっていく。
第十二師団は、敵がこの数時間の間で散々行っていた戦術を、より効果的にして仕返ししてやった。
敵の後方へ回り込み、退路の要所を確保する。そこへ隊員や物資を降ろし、こちらの陣地にしてしまうのだ。
「アタッカー1、街道上の敵部隊を排除しろ」
そして、無慈悲な攻撃が始まった。
攻撃ヘリの群れが増速し、街道上の騎士団の列へ殺到した。
街道を埋めていた騎士団の頭上から、突如として鋼の影が差し、火の雨が降った。
ロケット弾が密集した隊列をまとめて吹き飛ばす。
機関砲が逃げ惑う魔獣をなぎ払う。騎士たちは杖を空へ向けたが、時速二百キロで駆け抜けるヘリを捉えきれない。
容赦がなかった。ハルゲニア軍にシエスタルの難民が中に紛れ込んでいることなど、もはや誰も気にしていない。
そうして確保した敵の後方に、輸送ヘリが次々と着地していく。
CH-47の後部ハッチが開き、数十人の隊員が展開した。UH-60からは降着索が垂れ、彼らも次々と地上へ展開する。
隊員たちは街道の結節点や橋、集落などを瞬く間に占領し、陣地を築いた。
そして後続のCH-47が、ヘリコプターで輸送可能なM777軽量榴弾砲を搭載して陣地に下ろした。
これは在日米軍の演習場にあったものを日本がライセンス生産した兵器である。第十二師団は特科部隊ですらもヘリコプターで輸送可能なように編成されていた。
「各隊、準備が出来次第、目標へ砲撃開始!」
「撃てっ!」
最初の一発目が、M777の砲身から放たれた。
155mmの大口径榴弾が、ドローンによって事前に示されていた座標に着弾する。多数の爆炎と土煙が上がり、騎士や難民たちが吹き飛んだ。
敵から見れば、自分たちの後方にいきなり榴弾砲の陣地が発生したようなものだ。
自衛隊が昨夜散々苦渋を飲まされた手段を、今度は一切の容赦なく、侵略者たちに砲弾の雨として返してやった。
退路の扉は閉まっていた。
気づいたときにはもう遅い。ハルゲニア軍は自衛隊を包囲しようと前へ、前へと進んでいたが、その退路が今こうして寸断された。
彼らは包囲する側から包囲される側へと、一瞬で立場を変えられていた。




