第十九話 初動
越境から約一時間後
旧シエスタル領
それは完全な奇襲だった。
国境線の警務隊が越境攻撃を受けたその一報は、真夜中の第七師団司令部に雪崩れ込むようにして飛び込んだ。
山城陸将が幕僚の太田に叩き起こされ、作戦室へ入ったとき、状況図の上にはすでに赤い矢印がいくつも引かれていた。
旧シエスタルとハルゲニアの国境線。その全土にわたって赤い矢印が無数に伸びている。その矢印はシエスタル各地の自衛隊陣地をすり抜け後方へと向かっていた。
「敵の規模は」
山城は椅子に腰を下ろしながら短く問いかけた。
「不明です。ですが少なくとも複数の師団規模を有するハルゲニアの正規軍と思われます。そこに大量の難民が随伴しています」
情報幕僚の声は硬かった。
「……一応聞くが、宣戦布告は?」
「ありません。完全な奇襲でした」
山城は状況図をじっと見た。
宣戦布告なしの越境。そして真夜中を選んだというのも、奇襲を狙ってのことだと考えられた。
ハルゲニア軍は良くて近世レベルの軍隊だったはずだが、夜間に行動できるとは想定外だ。こちらは意表を突かれている。
そして進軍路。確認されているのは需要陣地を避けての後方への浸透が多い。
「敵の狙いは分断か」
山城は静かにそう言った。
誰に対して言うでもなく。
「はい。我がシエスタル方面隊はシエスタル全土に薄く散らばっております。その弱点を利用した浸透攻撃です」
「戦線の構築を遅らせるつもりか」
「その通りかと」
太田が頷いた。
「すでに国境沿いの警戒陣地が各所で寸断されております。連絡が途絶した地点もあります」
「難民の件は」
「非常に厄介です」
情報幕僚が、顔を歪めた。
「敵軍に難民が多数混じっております。すでにこちらの陣地は反撃を行い、多数の難民を殺害してしまっています。この問題こそハルゲニアの意図する出来事かと」
「盾にしているのか」
「あくまで"混じっている"と表現するのが適切です」
幕僚の分析に、作戦室が重く沈んだ。
これでは自衛隊が撃てば丸腰の難民を機関銃でなぎ倒すことになる。こちらが自衛権を振り翳せば、日本軍が難民を殺害したという、彼らにに都合がいい情報がこの世界に躍る。
撃たねばその後ろから敵軍が迫ってくる。これは自衛隊の心情を逆手に取った卑劣な手段だった。
だが山城は、そのような不利を嘆くつもりはなかった。
「相手の初手は完璧のようだ」
山城は、目を開けた。
「だが奇襲で稼げるのは時間だけだ。反撃が開始されればハルゲニアの野戦軍は破壊できる。政府も即座にその判断をするだろう。」
誰も反論しない。
それはこの場にいる全員の共通の認識だったからだ。
山城は命令を出すため、立ち上がった。
「師団各員に通達。本師団はこれより警務隊の救援に入る。本師団の各連隊戦闘団にも独立行動を許可、師団司令部の指示を待つな。各指揮官の判断で確保すべき要点を確保しろ」
「了解しました。直ちに」
その言葉の途端、幕僚たちが動き出した。
指揮所にて幕僚たちが忙しなく動き回り、各所の連隊戦闘団に対し、以下の指示が出された。
発 第七師団司令部
宛 師団隷下連隊戦闘団全隊
『ハルゲニア国境地帯にてハルゲニア軍の越境が確認された。政府から正式な防衛出動はまだ発令されていないが、本師団は自衛権を行使し、これを迎撃する。各連隊戦闘団は人員の集結を待たず、出撃可能な部隊から順次戦闘を開始せよ』
越境から一時間後
第二師団隷下 第25連隊戦闘団
その頃、遠野稜は宿営地の簡易寝台で泥のように眠っていた。
第25連隊戦闘団は、国境からほど近い鉄道集積地のアリブルクへ続く交通の要所に展開していた。
編成は戦闘団として整ってはいたが、全員が常時戦闘配置についているわけではない。半数は警戒に立ち、半数は宿営地にいる。本土で休暇を取っている隊員達もいた。
遠野はその当時、警戒任務を終えて休息の側にいた。
その最中、けたたましいサイレンが眠りを引き裂いた。
「非常招集! 総員、戦闘装備! 装甲車へ!」
遠野は本能で跳ね起きた。
頭はまだ半分眠っている。だが自衛官としての体が勝手に動いていた。長年の自衛官としての生活が体に刷り込んだものだった。
戦闘装備、と指示されたので、遠野は防弾チョッキ、ヘルメット、20式小銃と弾倉、チェストリグなどの装備一式を急いで揃えた。。
「何が、あったんですか」
その時、隣で支度をしている若い隊員が青ざめて聞いた。
「わからん」
遠野は準備を終え、出口へ走りながら怒鳴った。
「説明は、後だ! とにかく、走れ!」
遠野に対しても説明は無かった。
ただフル装備を揃え、広場に集合した。分隊長も状況を把握していないようであり、彼は揃った分隊から装甲車へ乗るように言った。
満員になり、19式装軌装甲車のハッチが閉まった。エンジンが唸り、何が起きているのか誰も知らないまま、車列が夜の街道を走り出す。
車内は明かりが灯されているが、暗い方だった。隊員たちの荒い息だけが満ちていて、遠野も小銃を抱えたまま、車内でじっとしていた。
そして、状況を把握した分隊長が遠野達に説明を行った。
一方で、第25連隊戦闘団連隊長の伊坂一佐も、正確な状況はつかめていなかった。
国境で敵が越境したらしい。
だが師団司令部との連絡は混乱の中で途切れがちだった。
だが連隊戦闘団の指揮官には、独自の裁量があった。師団の判断を待たずに動く。そういう権限が与えられていた。
「命令は待たん」
伊坂は指揮車の車内で、移動中に地図を睨んみながらそう言った。
「敵が来るなら鉄道があるアリブルクだろう。そこに向かうには川を渡る必要がある。渡河点は我々が建設した鉄橋、ここだけだ」
伊坂は地図上にある、その一点を指差した。
「この川は深い。泳いで渡るのも現実的じゃない。となれば敵は必ず橋を使うはずだ。ここを先んじて奪取する」
それは師団の命令ではなかった。
一人の連隊長の判断であり、そこまで具体的に決められていた。だがそれこそが、連隊戦闘団に求められていた有機性であった。
しばらくして、偵察ドローンの視界に鉄橋が見えてきた。
搭載された暗視装置を使用すると、すでに人影が多数いるのを確認した。
「先客がいるぞ」
指揮車の空気が張り詰めた。
日本が建設した鋼鉄の橋だが、その両岸にハルゲニア軍の先遣隊が陣地を築こうとしていた。
魔法でレンガを生成し、魔導障壁を張っている。おそらくは奇襲で先行し、国境の警務隊を迂回してきた敵の尖兵だろう。彼らもこの橋の価値を知っていたのだ。
「……向こうさんも同じことを考えたか」
伊坂は低く唸ったが、迷わなかった。
「強襲する。戦車隊、前へ。装甲車は戦車隊の支援下で橋へ突っ込め」
その途端、命令を受け取った各中隊が、一斉に橋へ向かった。
それと同時に、車列の後方から地を裂くような砲声が轟く。
連隊戦闘団隷下の特科中隊の攻撃だった。橋の両岸に砲撃が降り注ぐ。
それと同時に、車列で10式戦車が先陣を切った。
轟音と共に、戦車砲が放たれる。橋の手前側で爆発が発生する。敵の陣地が土煙と炎に包まれ、魔導障壁がその一撃を防ぎきれず砕けた。
次いで10式戦車のRWSが、生き残った敵陣をなぎ払っていく。
「降車! 続け!」
橋の岸側に19式装甲車が展開し、ハッチが開いた。
遠野も夜気の中へ飛び出した。橋の上を走り、遮蔽物に取り付いた。対岸の陣地からなお魔法が飛んで来る。
だが、まばらな魔法は制圧効果は少なく、戦車の攻撃で敵の大半はすでに崩れていた。
遠野は走りながら小銃を構えた。
対岸の陣地の崩れかけた煉瓦の陰に、杖を構えた敵兵が見えた。その途端、指が引き金にかかる。
迷いはなかった。
乾いた二連射と共に、煉瓦の裏の敵が倒れた。敵は杖を武器として構えた兵士だ。迷うものか。
遠野は遮蔽物に取り付くと、分隊長の指示の下、CQBの要領で敵兵を制圧していく。
物陰に隠れて蹲っていた敵兵も射殺した。自衛隊側の攻撃は、鮮やかだった。
戦闘は長く続かなかった。
戦車の火力と装甲車の突撃の前に、ハルゲニアの先遣隊は敗走。後方の暗闇に逃げていった。
夜明け前の空が白み始める頃には、鉄橋は自衛隊の手に落ちた。制圧が完了した。
「目標確保!」
「各中隊は防御態勢! 警戒線を敷け!」
遠野の中隊は、分隊長の指示を受け、休まず動き出さた。
奪ったばかりの橋の袂に散開し、陣地を築き始めた。魔導師が生成した煉瓦に機関銃を据え、装甲車を中央に配置し、戦車は砲身を街道へ向ける。
奪ったからには守らねばならなかった。
この橋を敵に渡さないために。
汗を拭いながら、遠野は対岸の暗い地平線を見た。
まだ静かだった。しかし嫌な気配が伝わってくる気がした。
おそらく敵はまだ来る。今回とは比べものにならない数の敵が、ここに押し寄せるかもしれない。そんな気がした。
「先輩」
その最中、若い隊員が手を止めてそう聞いた。
「……援軍は、来ますよね」
遠野はすぐには答えなかった。
師団との連絡が途切れがちなのは知っていた。分隊長が通信の具合を愚痴っていたからだ。
連隊長の独断でここまで突出してきたことも知っていた。分隊長が説明でそれを暗喩していたからだ。
そしてこの鉄橋は、敵の動脈を絞る重要な楔だ。敵は必ずまた来るだろう。
「……手ぇ動かせ」
遠野はそれだけ言った。
「深いことは考えるな。それが生き残る秘訣だ」
「……はい」
白み始めた空の下で、遠野たちは黙々と作業を続けた。
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