第十七話 閉じられる対話
翌日
日本国 首都東京 朝のテレビ番組
その映像が日本中の茶の間に流れたのは、事件の翌日の朝だった。
旧シエスタル、リムイユ街道の検問所を取材したテレビ局のニュースが流れていた。
土嚢や鉄柵がひしゃげ、担架で運ばれていく火傷を負った自衛官。
カメラは、そこにモザイクをかけていた。だがモザイクの粗い粒の向こうで若い隊員が呻いているのは、はっきりとわかった。
ニュースの見出しは、簡潔だった。
『武装勢力が検問所を襲撃 自衛官七名重傷』
テロップは、こう続けた。
日本側は協定を守り、一発も実弾で応射しなかった、と。
その一行が、火に油を注いだ。
撃たれても、撃ち返さなかった。それはつまり、ただ撃たれるだけの案山子になっていたということだ。
協定書のせいだった。紙切れ一枚の協定を守るために、我が国の若者が丸腰同然で炎を浴びた。それがそういう物語として日本人の胸に落ちたのだ。
斉藤外務大臣が、対話のために殺されたのと同じ構図だった。
『異世界人を許すな』
『難民を入れるな』
『自衛隊員を守れ』
街頭で、あるいは画面の中で、様々な立場の人々が口々にそう言った。
我々は、飢えを堪えて、あの国から食料を分けてもらっている。
その食料を命がけで運び、守っているのが自衛隊だ。
難民には、帰る場所まで用意してやった。
それなのに、恩を仇で返された、と。同情心は急速に痩せ細っていった。
国原建人は、官邸の執務室で、その世論の温度を、静かに測っていた。
机の上には、内閣支持率の調査があった。
事件の後、対異世界人強硬論への支持が急激に跳ね上がっていた。
難民帰還事業の見直しを求める声や、占領地の管理強化を求める声。もっと自衛隊を出せ、という声すらあった。
国民は傷ついた若者の映像に怒っていたのだ。その怒りが正当だからこそ御し難かった。
「……厄介だな」
国原は呟いた。
この怒りに乗れば、支持は取れるだろう。
だが乗ってしまえば、占領は際限なく硬直し、難民問題はこじれ、ハルゲニアとの溝はもう埋まらなくなる。
かといって宥和を説けば、傷ついた若者を軽んじるのかと、たちまち総理は吊るし上げられるだろう。
斉藤なら、この世論にどう向き合っただろう。国原には彼と同じことができる自信がなかった。
同じ頃、日本のとある地方の家では、初老の夫婦がテレビの前で身を寄せ合っていた。
「……稜の部隊じゃ、ないよね」
遠野の母親が、震える声で言った。画面の下に出たその部隊名を、二人は覚えていた。
息子が、以前の通話で、口にしていた名だった。
「あの子、大丈夫よね」
腕を組む父親は、答えなかった。
ただ、リモコンを握る手に力がこもっていた。連絡はまだない。無事なら、無事だと、言ってくるはずだ。
あの子はいつも心配をかけまいとして、無理をする。壊れるまで我慢する。父親はそれを誰より知っていた。
画面の中では、コメンテーターが異世界人の危険性について、怒りを露わに熱く語り続けていた。
ハルゲニア王都マルグリース、日本大使館。
セシリア・コルネットはその日、在ハルゲニア大使ナカムラに呼び出されていた。
ただ日本側は「呼び出し」という言葉を使わなかった。あくまで意見交換のお願いという体裁だった。
だがセシリアには、何を意味するのかわかっていた。難民の帰還事業。それを日本との交渉で勝ち取ったのは、ほかならぬ彼女だった。
「まず、遺憾の意を、表明させていただきます」
ナカムラは、いつもの浅い笑みすら封じていた。
「貴国との協定に基づく帰還事業のさなか、その帰還者に紛れた武装集団によって自衛官七名が重傷を負いました。うち数名は、体に障害が残る見込みです。この事件で我が国の世論はたいへん硬化しております」
「その件については──」
セシリアは、平静を保って応じた。
「……我が国としても、深く憂慮しています。直ちに武装集団の取り締まりを──」
「取り締まり、ですか」
ナカムラは、静かに遮った。
「その武装集団とやらは、どこで生まれ、どこで育ったのでしょう。我々の把握では貴国の難民キャンプからです。貴国が帰還させると請け合ったその者たちの中から出現しました」
セシリアの指が、わずかに強張った。
「コルネット卿。誤解なきよう申し上げます。我が国は、貴国を責めているのではありません」
ナカムラの声は、どこまでも柔らかかった。
「ただ事実を確認しているのです。帰還事業を提案されたのは貴国です。その事業から、我が国の若者を焼いたテロリスト……失礼、武装集団が出てきた。これは、貴国の管理責任の問題ではないか。少なくとも、我が国の国民はそう見ております」
巧妙だった。
責めているわけではない。ただ責任の所在を、静かにセシリアの足元へ置いていた。
「……待ってください。根本の原因を、お忘れではありませんか」
セシリアは、退かなかった。ここで折れれば、すべてを負わされる。
「彼らが武装したのは、帰る場所を失ったからです。あの協定は、難民に危害を加えることを禁止するためだけのものではありません。帰る場所を提供するためのものでした。しかし現実には──」
ナカムラは、その反論を受け真顔になった。
「資源の開発は、占領統治上、正当な権限の行使です。補償も提示しております」
「補償で故郷が返りますか?」
「故郷が返らないのは、そもそも彼らの国の責任者に戦争を招いた者がいたからです」
ナカムラは、静かに言った。
「我が国は殺害された大臣の仇を討ったにすぎません。始めたのは、我々ではない」
セシリアは奥歯を噛んだ。
ダメだった。何を言ってもこの男は、責任という重い荷を少しずつこちらへ寄せてくる。
そしてその荷を、今やセシリア一人が背負うことになりつつあった。日本との交渉を、一身に引き受けてきたのは彼女だったからだ。
その時だった。
会談の間の扉が、ノックもなく開かれた。
「セシリア様!」
マリアだった。
息を切らし、いつもの凛とした佇まいを捨てて駆け込んできた。
手には、王家の封蝋のされた一通の書状を持っていた。その顔色を見て、セシリアは悟った。良い報せではない。
「マリア。どうしたの。今は──」
「……たった今、王城から」
マリアの声が、震えていた。
「評議会の決定です。……セシリア様を、次期国王候補から除外する、と」
部屋の空気が、凍った。
「今回の事件。その外交上の責任を……セシリア様お一人に、負わせる形です」
セシリアは書状を受け取った。
開かなかった。開かなくても、そこに何が書いてあるかがわかっていた。そしてこの責任の押し付けの裏事情を悟った。
おそらくシュナイダーの派閥が動いたのだ。この事件を待っていた。
弱腰の売国奴、日本に武装難民を押し付け、国益を著しく損なった。その烙印を押すための絶好の口実を、あの検問所が与えてしまったのだ。
対話を選んだ代償を、彼女は、払わされていた。
ナカムラは、その一部始終を無言で見ていた。彼の浅い笑みが、ほんの少しだけ、薄れた。
憐憫だったのか、それとも対話を説く相手が一人消えたことへの計算の修正だったのか。
それは誰にも、わからなかった。
「……ナカムラ大使」
セシリアは、書状を握りしめたまま、顔を上げた。声だけは、まだ、外交官のものだった。
「本日の会談は、これで……続きは、後任の者と」
「……承知いたしました」
ナカムラは、静かに一礼した。
「コルネット卿。あなたは、我が国が接したハルゲニアの方の中で、最も話の通じる相手でした。……それがあなたを追い詰めたのかもしれませんが」
その言葉に、セシリアは、答えなかった。
答えれば、崩れそうだったからだ。
彼女は、マリアに支えられ日本大使館を出た。春のまだ冷たい風が、頬を打った。
その日を境に、ハルゲニアの対日外交から、宥和を説く声は消えてしまった。
かわりに王国を遮ったのは、声を高らかにして日本への強硬策を訴えるシュナイダーの一派だった。
対話の窓は、静かに閉じられた。




