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日の丸は異世界の敵  作者: 篠乃丸@綾香
第一章 占領者の日本
14/18

第十四話 難民の街

日本が転移してから一年と二か月

ハルゲニア王国南東部 シエスタル国境地帯 王立街道


 王都マルグリースを発って三日目の昼過ぎ、セシリア・コルネットを乗せた馬車は、ようやく目的地へ続く街道へ入った。

 窓の外には、冬を越えたばかりの薄茶色い畑が広がっている。本来ならこの地方は、春蒔きの準備で忙しくなる時期だった。

 農民が畑を耕し、家畜を引いて種を運び、街道には各地から集まった商人の馬車が行き交う。

 だが今年は違った。


「……またですね」


 向かいに座ったマリアが、窓の外を見て呟いた。

 街道の脇を、何十人もの人々が歩いている。

 荷車を引く男。小さな子の手を握る母親。杖をついて歩く老人。背負えるだけの家財を括りつけた若者。

 どれもハルゲニア人ではなかった。シエスタル人だった。


「これでも減ったそうよ」

「減った、これで?」

「一時期は、この道そのものが難民で埋まっていたんですって。今は新しく入ってくる者より、もう向こうで暮らしている者のほうが多いらしいわ」


 セシリアは膝の上の資料を開いた。


 国境地帯に滞留するシエスタル難民は、王国政府が把握しているだけで十八万七千人。

 未登録の者を含めれば、二十万を越えているかもしれない。


 もちろん一か所に集まっているわけではなかった。

 最大規模のものだけでも五つ。ほかに小さな集落や農村へ勝手に住み着いた者もいる。

 そのうち今日セシリアが向かうのは、国内最大の難民居住地──アルト村難民区だった。


「それにしても」


 マリアが顔をしかめた。


「王位候補ともあろうセシリア様が、わざわざこのような場所まで足を運ぶ必要があるのでしょうか。王都から役人を派遣すれば済む話です」


「だから今まで、済まなかったのでしょう」


 そう返され、マリアは口をつぐんだ。


 セシリアはもう一度、資料へ目を落とした。シュナイダーとの討論会以来、自分を取り巻く状況は目に見えて悪くなっている。

 日本との通商で利益を得た農村の諸侯は、今もセシリアを支持していた。だが都市部は違う。

 とりわけ難民を直接受け入れていない地域では、シュナイダーの主張が急速に広まりつつある。


 曰く、セシリアの意見は日本への譲歩。

 曰く、売国的な通商。

 曰く、シエスタル難民を押し付けられているのに、その日本へ食料を売る愚行。


 腹立たしい。


 だが反論するには、成果が要る。

 だからセシリアは自らここに来たのだ。難民問題を解決するために。

 少なくとも、解決へ向かっていると示す。それができれば、失った支持を取り戻せる。


「見えてきました」


 御者の声。

 セシリアは窓の外を見た。最初に目に入ったのは煙だった。

 細い煙が幾筋も、地平から立ちのぼっている。やがて丘を越えると、その正体が見えた。


 セシリアはその光景に、言葉を失った。


 街だった。彼女が思い描いていた「難民キャンプ」とは、まるで違う。天幕が数十、多くて数百も張られている程度だろうと考えていた。

 だが眼下には、粗末な木材と布と粘土で組まれた小屋が、果てしなく並んでいた。その間を細い道が走り、露店まで開かれている。

 洗濯物、炊事の煙、子供たち、水を汲む女、荷を運ぶ男、家畜。そして人、人、人……


「……何人いるの」

「最新の報告では、六万四千人です」


 マリアが答えた。


「……最初は、五千人ほどでしたが」


 セシリアは息を吐いた。五千なら、一時避難民と呼べただろう。

 だが六万を越えれば、それはもう一つの都市の規模だった。











「ようこそお越しくださいました、コルネット卿」


 難民区の手前に建てられた地方政庁で、セシリアを迎えたのは、この地を治める地方貴族エドガー・フォン・アルト侯爵だった。

 五十代半ば。白髪の混じった短い髪と、日に焼けた顔。

 王都の貴族とは違い、装飾の少ない実用的な服を着ている。

 彼の一族は代々この地方を治めてきたが、王都の政治へ積極的に関わることは少なかった。


 そのアルト侯が、挨拶を済ませるなり言った。


「先に申し上げておきます。我が領だけでは、もう限界です」


 世辞はなかった。セシリアも椅子に腰を下ろしながら頷いた。


「その話を聞くために来ました」

「ならば、話は早い」


 アルト侯は机に何枚もの書類を広げた。


「昨年から、領内の穀物備蓄の二割以上を難民支援へ回しております。今年は王政府の補助も受けていますが、それでも足りません」

「日本との通商で入った収益を、追加の支援へ回す案を検討しています」

「金があっても、麦が突然生えるわけではありません」

「……そうね」

「問題は食料だけではありません」


 アルト侯は指を一本ずつ折った。


「薪。水。住居。治安。医薬品。そして、仕事です」

「仕事?」

「六万もの人間を、ただ食わせ続けることはできません。働ける者には、周辺の農村で働いてもらっています。ですが、地元の農民から不満が出ている。シエスタル人は安い賃金でも働く。おかげで自分たちの仕事が奪われる、と」

「賃金を統一しては」

「そうすれば今度は、雇い主が難民を雇わなくなります」


 セシリアは口を閉ざした。


「難しいわね」

「難しい、では済まないのです」


 アルト侯の声は厳しかった。

 だが敵意は感じない。ただ疲れているように感じる。


「近隣の村では、難民との喧嘩も増えました。家畜を盗んだ、薪を勝手に切った、井戸を使った。些細なことです。しかし些細なことほど積み重なるのです」


 横で記録を取っていたマリアが口を挟んだ。


「では、難民区そのものを閉鎖し、別の地域へ分散させては」

「それも試しました」

「結果は」

「逃げて、戻ってきました」


 マリアが眉をひそめた。


「なぜです」

「彼らは、国境から離れたくないのです」


 アルト侯は窓の外へ目をやった。

 その向こう、遠く北東。山を越えれば、シエスタルだった。


「故郷へ、帰るつもりだからです」











 協議のあと、セシリアは難民区へ入った。

 護衛を大勢連れて行くことには、彼女自身が反対した。威圧しては意味がない。

 結局、同行するのはマリアとアルト侯、それに数人の護衛と地方役人だけになった。


「臭いますね」


 マリアが小声で言った。


「言わないの」

「ですが」

「王都だって、下町へ行けば似たようなものよ」


 とはいえ、環境が良いとは言えなかった。

 排水の溝、簡易的な井戸、共同便所。最低限は整えられている。だが六万に対しては、到底足りていないように見えた。


 そしてセシリアが細い道を歩いていると、あちこちから視線を感じた。


「貴族だ……」

「誰だ?」

「王都から来たらしい」


 彼らの言葉の中には、あからさまな敵意もあった。


「ニホン人じゃない」

「ハルゲニア人か」

「どうせ、何もしてくれないさ」


 聞こえている。セシリアは、あえて反応しなかった。

 しばらく進むと、広場へ出た。長い列ができていた。


「配給です」


 アルト侯が説明した。

 大鍋から、薄いスープが配られている。パンと、乾いた豆のスープ、それだけだった。

 列には老人が多い。働ける若者は、昼のあいだ外へ出ているらしい。


 その途中、一人の少女と目が合った。

 十歳にも満たない。腕に、小さな男の子を抱いている。


「あなた、ご両親は」


 セシリアは尋ねた。

 少女は、しばらく答えなかった。


「……お母さんは、ここにいる」

「お父さんは」

「シエスタル」


 短い答えだった。


「まだ、向こうに」


 少女は首を横に振った。


「ニホンの兵隊が来た時に、戦いに行った」


 それ以上、聞く必要はなかった。セシリアは、少女の前にしゃがんだ。


「食べている?」

「うん」

「寒くない?」

「寒い」

「……そう」


 何を言えばいい。わからなかった。

 王都なら、いくらでも言葉が出た。相手の言葉を読み、反論し、条件を出す。

 だがこの少女に「日本との通商が成立しました」などと言って何になる。


「セシリア様」


 マリアが静かに呼んだ。先へ進め、という意味だった。

 立ち上がろうとした時、少女が聞いた。


「……ねえ、貴族様」


 セシリアの動きが、止まった。


「私たちいつ、帰れるの? お母さん、春になったら帰れるって言ってた」


 春。もうすぐだ。


「向こうの兵隊さん、いなくなる?」

「それは……」


 言葉が出なかった。日本軍は撤退しない。

 少なくとも今の交渉では、その見込みはない。むしろシエスタルでは、日本人の入植と資源の開発が進んでいる。帰る故郷そのものが、日ごとに別のものへ変わりつつあった。

 だからセシリアは、別の答えを選んだ。


「帰れるように、いま話し合っているわ」

「ほんと?」

「ええ」


 少女の顔が、少し明るくなった。


「絶対?」


 一瞬、迷った。


「……できる限り」


 絶対とは、言わなかった。

 それでも、自分が何かを約束してしまったような気がした。

 その重みは、王都で交わすどんな条約の署名より、ずっと重かった。











 難民区の中央に、以前は商人の倉庫だったという大きな建物があった。

 今は難民たちの自治組織の集会所として使われている。そこでセシリアは、難民の代表者たちと会うことになった。


「我々が欲しいのは、粥ではありません」


 最初にそう言ったのは、痩せた中年の男だった。

 名はヨハン・ベルク。シエスタル南部で農地を持っていた、元地主だという。


「故郷へ帰る権利です」

「そのための交渉を、日本政府と進めています」

「ニホン人は、帰ると言いましたか」

「……いいえ」

「ならば、我々は帰れません」


 セシリアは眉を寄せた。


「日本側は、希望するシエスタル人の帰還そのものを拒んではいません」

「違う」


 ヨハンは首を振った。


「我々が帰りたいのは、日本に支配されたシエスタルではないんです」


 後ろの者たちも頷いた。


「私の村では、ニホンの軍が穀物を持っていったぞ」

「兄が、日本軍との戦いで死んだの……」

「家に帰ったところで、また奪われるだけだ……」

「頼む……ニホン人を、追い出してくれ」


 最後に誰かがそう言った瞬間、空気が変わった。

 アルト侯の表情が険しくなった。


「それは、我が国に戦争を求めるという意味か」

「我々の国を、取り戻してほしいだけです」

「同じことだ」

「なら、我々は永遠にここで暮らせというのですか!」


 男の一人が立ち上がった。

 護衛が反応したのを、セシリアは手を上げて制した。


「座ってください」

「しかし!」

「あなた方が怒っていることは、わかっています」

「わかる?」


 男が笑った。


「貴族様に、何がわかる!」


 マリアの目つきが鋭くなった。だがセシリアは、何も言わなかった。


「家を失いましたか。父親を殺されましたか。麦を、持っていかれましたか」

「いいえ」

「なら、わからない!」


 そうだ。わからない。セシリアは、それを認めた。


「……ええ。わからないわ」


 男が黙った。


「あなた方と同じ経験を、私はしていない。それを分かるなんて言うほうが、嘘よ」


 男の顔から、笑いが消えた。


「でも、ここに六万人がいることはわかる。ハルゲニア全体なら、二十万近い。食料も仕事も足りない。このままでは、あなた方も、この地方のハルゲニア人も、共倒れになる」


 セシリアは、集まった人々を見渡した。


「だから、帰れる者から帰す。そのために日本との交渉を続ける。それと同時に、帰れない者には仕事を作ります」

「仕事?」


 ヨハンが聞き返した。


「ええ」


 セシリアはアルト侯へ目を向けた。


「侯爵。この辺りには、未開墾地が残っていたわね」

「ありますが……」

「王政府が借り上げます」

「まさか」

「難民を雇って、開墾するのよ」


 アルト侯が目を見開いた。


「土地を、与えるおつもりですか」

「永住させるとは言っていない。帰るまでの間、自分たちで食べる分を作れる環境を、整えるだけよ」

「費用が莫大です」

「日本との通商で得た税収を充てるわ」


 皮肉だった。日本との交易で得た金を、日本から逃げてきた者のために使うのだった。


「さらに、日本製の肥料と農機を、一部こちらへ回す」


 マリアが驚いた。


「セシリア様、それでは反対派に──」

「言わせておけばいい」

「ですが!」

「難民を放置しているほうが、もっと支持を失うわ」


 そして、何より、とセシリアは続けた。


「六万の人間がいて、全員がただ配給を待つしかない。その状態のほうが、ずっと危険よ」


 アルト侯が、セシリアを見た。

 その意味を、理解したようだった。仕事を失った若者。故郷へ帰れない元兵士。日本を憎む者。

 彼らが何年もこの場所に留まり続ければ、いつか、何かが起きる。


「……分かりました」


 アルト侯が頷いた。


「我が領からも、土地を提供しましょう。ただし、王政府から穀物と資金の追加支援をいただきたい」

「約束するわ」

「ならば、協力いたします」


 ヨハンが、二人を見た。


「それで……我々は、帰れるのですか」


 またその問いだった。セシリアは即座に答えた。


「帰還については、次の日本との会談で、正式な協議事項にします」

「いつ」

「来月」

「ニホンが拒否したら」

「その時は、次の方法を考える」

「その次も拒否したら」

「……考えるわ。考え続けるのよ」


 苦しい答えだった。ヨハンはしばらくセシリアを見つめ、やがて小さく言った。


「分かりました」


 そしてヨハンは、少し笑ってこう言った。


「……少なくとも、ここまで来た貴族は、あなたが初めてですよ」












 夕方、地方政庁へ戻る途中、セシリアはもう一度難民区を歩いた。

 夕飯の支度をする煙。遊ぶ子供たち。壊れた靴を直す老人。ごく普通の生活だった。

 場所が違うだけだ。


「成果はありましたね」


 マリアが言った。


「どうかしら」

「少なくとも、アルト侯の支持は得られます。周辺の諸侯にも波及するでしょう。難民の雇用政策が成功すれば、シュナイダー殿下への反論材料にもなります」

「あなた、結局は選挙のことばかりね」

「セシリア様が始めたことでしょう?」

「それは、そうだけど」


 二人は、小さく笑った。

 確かに初めに来たときは支持率の回復が目的だった。だが今は、少しだけ違う。


「マリア」

「はい」

「私、あの子に、帰れるようにするって言ったわ」

「外交官が、絶対などと言うものではありません」

「わかってるわ」

「なら、問題ありません」

「……そうね」


 セシリアは、振り返った。

 その方向に難民区が見える。この場所だけで、六万人。

 自分が王になりたいとか、シュナイダーに負けたくないとか、そういうものとは無関係だった。


「何とかしないと」

「はい」

「本当に」


 今度の声は、誰かに聞かせるためのものではなかった











 その夜、地方政庁では、王都へ送る報告書がまとめられた。

 未開墾地を利用した難民の雇用事業。共同農地の設置。衛生設備の増設。王政府からの食料追加支援。日本政府に対する、難民帰還交渉の正式要求。

 さらに、難民の自治組織を王政府の監督下に置き、代表者との定期協議を実施することも盛り込まれた。セシリアにとっては、大きな前進だった。


 数週間後、この視察と支援策は、王都でも報じられた。


『コルネット卿、自ら難民区を視察』

『地方諸侯と共同で、新たな難民就労政策』

『日本との帰還交渉へ』


 農村部を中心に、評価する声が増えた。

 一時は落ちていた支持も、少しずつ戻り始めた。セシリアは再び、シュナイダーとの差を縮めることに成功したのだ。


 だからこそ、彼女は、自分の選択が正しかったのだと信じた。

 外交で解決できる。食料を与え、仕事を与え、日本と交渉し、難民を故郷へ帰せばいい。

 時間はかかっても、血を流さずに済む道はある。セシリアはそう信じた。


 だがかつて、対話を信じて焼かれた男が、この世界のどこかにいたことをセシリアは知らない。

 手を差し伸べた相手に、その手ごと焼かれた国があることを。


 信じる。


 ただそれだけのことが、この世界では時に、どれほど高くつくかを。


 そして──同じ頃。


 アルト村難民区の外れ。


 王政府の役人も訪れない、一軒の小屋で、十数人の男たちが密かに集まっていた。

 机の中央に広げられているのは、シエスタル南部の地図だった。

 日本軍の基地、街道、挑発した食料の集積地、日本人の居住地。赤い印が、一つずつ、付けられていた。


「ハルゲニアの貴族は、ニホンと話し合うそうだ」


 誰かが言った。


「話し合って、何になる」


 別の男だった。

 彼は手を怪我しており、まだ治っていない。日本人に銃で撃たれ右手がまだ動かせないのだ。


「奴らが、自分から出ていくと思うのか」

「……思わない──」

「なら」


 男は地図の上へ、残った左手を置いた。


「俺たちが、追い出すしかない」


 誰も、反対しなかった。

 セシリアが難民区へ、希望を持ち込んだその日の夜。同じ場所で、別の希望が生まれ始めていた。


 故郷へ帰るためには、日本人を追い出せばいい。


 そんな、危険な希望が。


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― 新着の感想 ―
ぶっちゃけ難民に逃げた先の国の人、とくに王族や政府に自分たちのためになんとかしろなんていう権利ないんだけどな 国ってのはその国の人(王族、貴族、平民)の為にあるのでコイツラは普通に侵略レベルになってる…
セシリアの「難民の庇護者」という立場は、当の難民たちが問題行動をしでかせば、セシリア自身が望もうが望むまいが「難民の煽動者」という立場へと容易に祭り上げられうる、非常に危ういものに思えます。 どの道、…
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